第12話 旅の計画
急な山道を歩き続け、木々が風に軋む音や、獣が枝をふみしめる音が3人の警戒心を煽るなか、空はほのかに青く明かるくなり始めた。
「ねぇ、もう着くの?」
「もう少しですよ……それにしても」
唯はかつても割れて植物に侵されていた道を見るが、以前通った時よりも崩れた道と、今にも朽ちて谷に落ちていきそうなガードレールを見て、自然の力を痛感したのか、軽い恐怖さえ覚える。
「1年ぶりに通るがな、早いもんだ」
勝治は水筒に口をつけてほんの少し、湿らせる程度口に含むと飲み込む、酷い消毒剤の臭いはとっくの昔に慣れきっていても、眉間に皺を寄せてしまう。
谷底からの川のせせらぎを聴きつつ、しばらく歩くと、道なりの右側山肌、元は棚田だったのであろう形の土地に作られた大きな平屋と、その前に作られた木造のバリケードが目に入る。
鋭い木の杭や、有刺鉄線、それにかけられたお手製の立ち入り禁止の看板は、苔やツタがまとわりつき、腐って湿っていた。
それを見た唯は、この家の家主である毒島の身の安否が気にかかり、小走りで正面の門に向かうと、カメラとマイクに向けて手を振る。
「毒島さん!!お久しぶりです、唯です!!」
返答は無い、勝治も同じように軽く右手で手を振るが、頭の痛みでその手をこめかみに当てる。
「頭の手当を頼みたいんだ、早く出てくれ」
それでも返答はなく、痺れを切らした勝治が閉ざされた門に手をかけると、突然門が開かれ、赤髪を雑に短く切った、目も開いているのか分からない不気味な笑みを浮かべた、痩せた男が甚平に雪駄を履いて立っていた。
「いやぁ、久しぶりじゃないって……どうしたの?」
毒島は額に脂汗をかき、顔色は青白く、元気がないようだったが、唯と勝治の怪我を見て、わざとらしい驚いた素振りを見せる。
「ちょっと情報が欲しくてね」
勝治も珍しく悪人面に似合わない笑みを浮かべるが、その後ろから唯が頭を覗かせる。
「奥さんはどうされたんですか?」
その言葉に毒島は眉毛をピクリと動かし、笑みが崩れたが、すぐに戻し、つまらなそうに小石を蹴る萬を見て、人攫いだと勘違いされても可笑しくないような笑顔で軽く会釈する。
「体調が悪いようなんだ、ささ、入って」
3人は門をくぐると、まず萬は、広い庭にある畑に目を奪われる、青々としたピーマンや、熟したトマト、丸々としたナスやトウモロコシが綺麗に並んで栽培され、不思議とバリケードに覆われた息苦しさを感じない。
家の周りをバリケードが全て囲っている訳ではなく、急な山肌が自然の壁となり、その窪みに平屋がたっている形であった。
「中で待っててね」
3人に向けて毒島が声をかけ、勝治と唯の二人が平屋の中へと入っていく、しかし唯は畑を見たまま動かずにいた。
「美味しそう」
唯は缶詰でしか見たことがなかったトウモロコシに近付くと、じっと見つめて呟いた。
その様子を見た毒島は、笑みを浮かべてゆっくりと萬の横にたち、満足気な吐息を漏らした。
「凛子と一緒に育ててたんだ、1本食べるかい?」
トウモロコシを1本もぎ取り、萬に差し出すと、喜んで受け取る萬、お礼を言おうと毒島の顔を見るが、勝治とはまた違った胡散臭い悪人面が慣れない笑顔を作るその様を見て苦笑いをする。
「ありがとう」
「いいんだよ、さっ、入ろうか」
右手で玄関を指し示し、萬の後ろにつき、2人は玄関をくぐり、靴を脱ぐと、左に伸びた長い廊下を歩いていく、左側は縁側になっており、右側に、玄関側から、居間や客室、増築されているのか、所々洋風な扉が付けられた部屋まであり、突き当たりを右に曲がると、風呂や厠がある。
床板は綺麗に拭かれて窓から差し込み出した太陽の淡い光と薄青の空が反射していた。
「アンタ、勘違いされやすいでしょ」
ふと萬は縁側からよく見える庭の畑をまた眺めながら、毒島に対して呟くように問いかける。
「え?」
「その顔、勘違いされそうだなって、違う?」
全く気遣いもせず真っ直ぐな質問に毒島は苦笑いを浮かべるが、どこか懐かしさを覚え、嫌な気持ちにはならなかった。
「まぁね、人攫ってそうとか、女殴りそうとかそりゃあもう散々ね」
「へへっ、やっぱそうだよね」
萬はトウモロコシを握りしめて笑顔を毒島に向けると、勝治と唯の声が漏れている、廊下の突き当たりを右に曲がり、1番手前、壁側のふすまに駆け寄り開くと中に入る。
そこには大量の本棚が四方の壁際に置かれ、青や黄色のファイルが所狭しと入れられており、所々漫画本も混ざっているようだった。
その中心には足の長いテーブルが置かれており、その付近で勝治と唯はようやく疲れを顔に出してへたりこんでいた。
少し遅れてやって来た毒島は、その2人の様子を見てため息をつくと、手に持ったお盆をテーブルに置く。
「包帯とタオル、持ってきたよ、あとお酒も」
「悪いな、いきなりで」
「慣れてる」
毒島は慣れた手つきで、萬と唯の包帯を取り替え、勝治の頭の血を拭き取り、酒を使って消毒も行う。
「いくらかマシになったんじゃないかな……それで?要件は?」
勝治は痛みが全身に走る中、バックから泥に塗れた地図を取りだして、岡山を指さす。
「随分遠くに運ぶんだね」
「この後岐阜と滋賀を南に抜けて行って、京都、大阪に着いたら、海を渡って岡山に行くつもりだ」
その計画を聞いた毒島は首を横に振り、赤いペンを窓際の本棚に置かれた赤ペンと1枚の紙を取ると、今いる長野の最北端に小さく点をうち、そこから海岸線にそって真っ直ぐ線を引き、京都に差し掛かった所で南に緩やかに下って岡山を指した。
「最近大阪を中心に、新政府だとか言う奴らが彷徨いてる、奴らのせいで今目につく拠点が潰されていってる」
そう言って手に持っていた紙をあぐらをかいた勝治の前に置き、勝治と唯、萬はそれを覗き込む。
そこには【新たな秩序、新たな日本国民、新たな指導者】と大きく書かれた文字に、目立つように印刷されたウェーブがかった肩までの髪をなびかせた初老の女が、白い薄衣を着て、どこを見ているのか分からないが、真っ直ぐとした目で彼方を見ている。
「御大層なことで」
勝治は皮肉混じりに笑いながらそのビラを摘んで唯に渡す。
「命からがら逃げてきた奴が、これをくれたんだ、事故を起こしたとかで、文字通り死にかけだったけどね」
「事故?」
唯は道を塞いでいた大きな武装トラックを思い出す、運転席には誰も居なかったが、感染してどこかをさまよっていると思っていたが。
「君らも、苗床を避けてきたなら見たかもね、わざわざ僕のところまで戻ってきたみたいで、すぐに死んでしまったよ」
「死んでしまった……ねぇ?」
何か勘づいたのか勝治は嫌味な言い方で毒島を煽るが、特に反応を示さない毒島は、話を続けた。
「結構過激なやり方で支持者を集めてるらしい、良くない噂ばかり聞くけど、1つ興味深いことが」
妙に間を使った話口調に勝治以外は真剣な表情で毒島の話を聞き入る。
「ワクチンを作ろうとしてるみたいなんだよ」
ワクチンという単語に、勝治は涙を出すほど大笑いし、唯もまた呆れたように首を横に振って、額に右手を当てる。
「あぁそうだな、確かに興味深い、そんな奴5万と見てきたよ、なぁ唯」
「そうですね……出来た試しないですけど」
しかしそんな2人の様子とは裏腹に、毒島は真剣な顔で2人を見つめていた。
「今までは、このキノコ、いや、菌の人工的な培養は出来なかったし、弱らせようものなら死んでしまった、でも今回のは、どうもやり方が違うようなんだよ」
萬は依然として真剣にその話を聞き、唯も興味が出てきたのか、毒島の近くに座り直す。
「何かを探してるみたいなんだ、菌だとか培養用の動物かと思ったんだけどそれも違うらしい」
「何を探してるんですか?」
唯のその質問に、お手上げですと言わんばかりに両手を上げて、太ももを叩いた毒島、首を横に振る。
「さぁね、分からないよ、情報がまだ伝わってないんだ」
その返答に萬と唯は残念そうに口角を下げて唇を突き出すと、毒島は背を向けて寝転がる勝治に向けて語りかける。
「まぁだから、内陸通って大阪まで行くのはおすすめしない、何が起こるかわかったもんじゃないよ」
「分かった分かった、ありがとな」
薄い反応で勝治は返し、起き上がって客室に向かうその背中に再び、勝治を驚かせる言葉を投げかける毒島。
「大阪に居た、渡り屋の岡崎さん、殺されたそうだよ、例の新政府の連中に」
唯は毒島に詰め寄り、誰が見ても焦っているとわかる口調で話し始める。
「殺された?なんで、なんでそんな!!」
大阪から船を出し、徳島や岡山まで渡らせてくれる、渡り屋の岡崎、1年前まで働き詰めだった勝治たちは、よくお世話になった女だった。
「分からない、ただ死に様は知ってる、言いたくはないけどね」
「聞かせろ」
怒りのこもった低い震えた声を零す勝治、毒島はため息をついて、嫌々答え出す。
「暴行の限りを尽くされてた、誰なのか分からないほど……この子がいる所で言わなきゃダメ?」
「社会勉強だ、聞いとくんだ萬」
「子供扱いやめてくれない?」
2人の険悪な空気にまた毒島は溜息をつき、萬を見て申し訳なさそうな表情を見せて続けた。
「その、言い方が不適切だとは思う……穴という穴から血を流して、四肢は切り落とされてたみたい……口に入れられてたペンダントのおかげで身元がわかったみたいだけど」
しばらくの間沈黙が流れたが、毒島は新政府のビラをなびかせながら、また続けた。
「そしてこのビラが、入ってたらしい、その、ペンダントと一緒、口の中に」
萬と唯は唖然とし、勝治もうつむいて怒りに震える中、ようやくここで勝治は萬に向けて、静かに呟いた。
「外の世界はこんなもんだ……分かったか」
そして勝治は客室へと廊下を歩いていき、それを追うように唯も歩いていく。
汗をかいて、緊張感から開放された毒島は、目の前にうつむいて胡座をかいた萬を見ると、優しい笑みを向ける。
「あまり気持ちのいい話では無かったね」
「大丈夫、覚悟してた」
涙が溜まった目を、零さないように上を向いて、泥に汚れた右腕で拭きとる萬、それを見た毒島は、あぐらをかいたまま頬杖をつく。
「優しいんだね、萬ちゃんは」
「え?」
予想だにしなかった言葉に動揺する萬に、毒島はお構い無しに続けた。
「知らない誰かを思って泣ける、そんな人、こんな世界になってからめっきり見なくなった」
真っ直ぐにそう語りかける毒島に、萬は恥ずかしさからむず痒くなり、ふと本棚を見て、立て掛けられた1枚のポラロイド写真が目に入ると、それを指さす。
その写真には、少し太っているが毒島と分かる男と、写真越しにも勝気だと分かる、ショートボブの黒髪と頬を泥で汚し、軍手を付けた女性が、2人とも笑顔で肩を組んでいる様子が映されていた。
「あぁ、これが僕の奥さん、凛子だよ……可愛いだろう?」
萬は、毒島が差し出したその写真を手に取ると、近くでまじまじと見て、笑顔を見せる。
「幸せそう」
「幸せだったよ、本当に」
毒島も優しい笑みを見た、興味がそそられ、好奇心のままに毒島に問いかけた。
「聞かせてよ、馴れ初め?とかさ!!」
「え〜恥ずかしいよ」
「いいからいいから!ね?勝治のおっさんには黙っとくからさ!」
「おっさんって、僕も同い年なんだけど……少し長くなるよ?」
萬はトウモロコシを握りしめて激しく首を縦に振る、それをみた毒島は照れくさそうにする。
「先にお風呂に行ってきたら?トウモロコシも茹でとくから、その後でも」
それを聞いた萬は飛ぶように部屋から走りでるが、すぐに戻ってきて風呂の場所を問う。
「庭の蔵の裏だよ、唯ちゃんも呼んで沸かしてね」
礼を行ってまた走り出した萬、そしてまた照れくさそうに後頭部を掻く毒島は、ため息をついて笑った。
「どこから話そうかなぁ」
崩壊の始まりから、今までの2人の物語を巡らせ、また笑った。