4
「何だったんだ…」
スペアは呆然と上を向いていた。曇っていたはずの空はすっかり晴れている。
「…ハイネ、あの青年はどういう…いや、青年? 女性か?」
「天使だから性別ないよ」
ハイネは目をギョロリと動かして苦笑いした。
「ミクダスは、イズライルっていう高位な天使の配下でね、その方からの命令でわたしらについてて、よほどの状況になれば手助けしてくれることになってる。今日は単に別の仕事だったみたいだけど」
「°▽○」
「…………本当に助けてくれるのか?」
「………なんか、わたしは『天使の秩序を乱す!』とかいわれてめっちゃ嫌われててさあ。最初に会ったときからずっとあんなんだよ」
「…」
「まあ、ミクダスはイズライルにはものすごく忠実だから。命令がある限りわたしたちのことはきっちり助けてくれるでしょ」
「%♪︎§┘■」
「イズライルというのはどんな天使だ?」
「自分のこと『俺様』っていうよ」
「……………変わった人のようだな」
「人じゃないけどね」
荒れた野原のあちこちには、よく見ると瓦礫があった。それらは、かつてここにいくつもの住居があったことを思わせた。
「しかし、ミクダスと呼ぶと怒っていたが…」
「本当は、天使としての正式な名前があるんだよ」
ハイネは黒いローブの下から紙切れを差し出した。
「さっきの紙!」
「ここに書かれているのがその本名だ」
赤ん坊に手渡す。
「呪文の詠唱が終わったってことは…もう読み上げてくれるかな?」
受け取った赤ん坊はにっこりして、
「◇♭︎#&*%〇▲◎%ζ」
と言った。
「そう!その発音!やっぱり真似できないわ…」
「もしかして、最初に会ったというときに、自己紹介としてその名前の文字を見せられたのか」
「うん。でさ、わたしは分かんなくて、さっきのあんたみたいに、この部分だけを『…ミクダス』って読んだの。そうしたら聞いてたイズライルが面白がって『これからはミクダスと呼んでやるがいい』ってさ。ああもちろん、イズライルっていうのも本来の読み方じゃないよ」
「それで、この紙はもらったのか」
「スケスケ幽霊のわたしが紙を手に持ってるっておかしいと思わなかった?」
「言われてみれば…」
「天使なら、幽霊でも触れられる素材を作れるわけよ。で、読み方を練習しろ!とかいわれて、準備されたこの名刺をもらったわけ」
「はあ…」
「でもさ、ここからどうする? 街なくなっちゃったよ」
「カプセルで移動するか?」
スペアは右胸のポケットから小さな玉を取りだし、その場にてんてんと転がした。玉はパッと広がると、車輪つきの大きな球体になった。
「いやー便利だよな! ほんとになんであんたこんなの持ってんの?」
「◆□♪︎(‰▽■」
スペアは返事に困った。
「いや、別れ際に博士から譲渡されただけで…使い方以上のことは…知らない」
「ああいや、無理に答えなくていいけど」
カプセルに乗り込みながら、スペアは考えていた。
(ハイネは言わなかった。なぜ、天使と面識があるのか。天使に見張られているのか。見張られているのは誰だ? ハイネか? 赤ん坊も? それとも私? 三人とも?)
そして先刻の、かつてここにあった街に住んでいたのであろう退魔師の言葉を思い返していた。
『貴様ほどの邪悪な魂は見たことがない』
(ミクダスというあの天使は、ハイネを『天使の秩序を乱す』と断じたらしい。その理由と関係があるのだろうか…)
まだ過去を語ろうとしない黒ずくめの女は、後部座席で、巨大な蛇の目を楽しそうに光らせながら、赤ん坊と戯れている。
(私は知らないことがまだ多い。自分のことも、周りのことも)
ハンドルを握る。車輪が赤茶色の砂埃を舞い上げ、カプセルは、荒野を突っ切っていった。




