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「あれ? スペアは?」
そのとき、玄関の方からじゃりじゃりと音がして、スペアが入ってきた。肩に大きな何かを担いで。
「――――」
吸血鬼が興奮して叫ぶ。
それは鹿だった。ぐったりとしてどう見ても死んでいる。
「どうした、それ!」
「鹿だ」
「それは分かるけど」
「そこで倒れていた。まだ新しい。崖崩れを見ただろう、あれに巻き込まれたに違いない」
スペアは吸血鬼の赤ん坊を見やった。
「少し前から彼の様子がおかしくて、一点だけをずっと見ていた。その方向から血の香りがしたので、向かってみたところ、この鹿が…」
「…獲物を嗅ぎつけていたってことね。ねえスペア、そのシカこの子にあげてくれる? 吸血鬼は不死だけど、たぶん…飢えるから」
「ああ」
スペアが肩から鹿を外すと、ハイネは手を振った。それに合わせて鹿の体は渦巻の陣の中心へゆっくりと飛んでいく。
届いた、という瞬間にはもう、吸血鬼は鹿の長い首に喰いついていた。
「あっ」
小さな悲鳴は彼の母親のものだ。
短い喉が鳴るにつれ血が飲み込まれていく様子に、一同は思わず見入った。
「…全部飲まなきゃだめだよ。下僕になって蘇っちゃうんだからね」
ハイネの呟きを解したかのように、牙に力がこもり、鹿はみるみる干からびた。やがてその体は足先からざらざらと崩れて灰となり、消えていった。
全てが終わると吸血鬼は顔を上げ、血まみれの口元でにっこりと満足げに笑った。
「……わたくしは、もうこの子を腕に抱くことはできないのでしょうか」
ニケは力なく言った。
「……申し上げにくいのですが、吸血鬼にとって人間は食料です。話ができれば説得を試みることもできますが、赤ちゃん相手では、ニケさんがお母さんだと分かってもらうことは難しいでしょう」
「……」
「わたくしが死んだ後も、この子はずっとこのままなのですね…」
「…今はお腹が満たされたようですが、いつまでもつのか…人間と出会えば、襲うかもしれません。始め、わたしたちにしたように」
そこまで言って、ハイネは言葉を切った。どうすればそれを防げるか。
(その日が来る前に――)
スペアは何となく、彼女が考えていることが分かった。そのことを、ニケの前で口にできないことも。
(杭――…)
小さな吸血鬼は上機嫌のまま、傍に這ってきたもう一人の赤ん坊と無邪気にはしゃいでいる。
「分かりましたわ」
ニケがすっくと立ち上がった。
「一つ、当てがございます。母方の親戚に、魔物を研究している学者がおりますの。わたくし、今からその人を訪ねて参ります。あの方なら、きっとよい知恵をくださいますわ」
そして大きく頭を下げる。
「スペアさん、ハイネさん、どうか、わたくしが戻るまで、この子を見ていていただきたいのです。あなた方はこの子をなだめてくださった。他の方には頼めません」
「分かりました」
スペアが即答したので、ハイネは思わずその顔を凝視した。
「ありがとうございます。まだ日の高い、今のうちに発ちますわ。よろしくお願いいたします」
「…お一人で行かれるのは危なくないですか?」
ハイネが尋ねると、ニケは少し微笑んだ。
「大丈夫ですわ。わたくしどもが通ってきた道は足下もよく安全でした。すぐに人里につきます」
「そうですか?」
「ええ」
ニケはすたすたと歩いて、玄関口に立った。
「わたくし、絶対に、絶対に戻ってきます。この子のためなら、何だってできます。私の大事な子ですもの」
そして、ぱっと外へ飛び出していった。




