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「占い師さん、最近お客さんがこないと言ってましたね。それはいつ頃からですか」
「いつ頃と申しますと」
「はい。思い出せますか、昔のことを」
「昔・・・」
暗い路地裏に沈黙が降りる。
「・・・思い出せません。何も。どうしてでしょう・・・」
(そんなはずはない。わたくしはずっと、ここで、いいえ、でも、本当に・・・?)
赤ん坊がゆっくりと目を開いた。
その体が女の腕をふらりと離れ、宙に浮き上がっていく。突然のことにただ振り仰いだ老婆の全身が、何も見えなくなるほどの光に包まれる。
(あ・・・)
しかし老婆には見えた。まばゆいながらどこか優しい光の中心にいる赤ん坊、その背中には真っ白な翼があった。
(天使様・・・?)
そして、老婆の頭に、波のような流れがどっとなだれ込んできた。
(!)
記憶が冴え渡る。
(わたくしは・・・)
光の外にいた二人は、静かに会話を交わしていた。
「うまくいったようだな」
「ああ。天使の力ってのはやっぱりすごいや。いや、最後まで、まだもう少しか・・・ほら」
照らされたままの老婆が椅子から立ち上がり、二、三歩進み出てきた。
「思い出しました。わたくしはとうの昔に、ここに座ったまま、・・・ようやく気づくことができました。わたくしはもう、この世の者ではなくなっていたのですね」
「ええ・・・」
「ありがとうございます。皆さんのお陰で、自分の行くべきところが分かりました。最後まで占い師でいられて、幸福な人生でした」
「それはよかった」
「天使様、わたくしを導いてくださいますか」
小さな天使は、彫刻のように静かな表情のまま、占い師に右手をかざした。するとその姿は徐々に光の粒へと変わっていく。
「・・・お気を付けて」
見ていた二人が呟いたが、占い師の視線は既に遠く、彼岸の景色を映していた。
口元が僅かに動く。
「お悩みごとはありませんか。もし何かあれば占いますよ・・・」
それを最後に、光はきらきらと散らばり、占い師の姿はどこにも見えなくなった。
路地裏に静寂が戻る。
「今の言葉・・・」
「ああ、最初、私たちに言ったものと同じだった」
「あの占い師さん、本当にこの仕事が好きだったんだな」
「そうだな。町の人達が言っていた通りだ。真摯さ・・・だからこそ今も墓前に花が絶えないんだろう」
その間に、赤ん坊は女の元へとゆっくり降りてきた。翼は折りたたまれるように衣服の中に隠れる。
「お疲れさま。いや、さすがは天使様だ」
女―ハイネが笑いかけると、赤ん坊は「▽◎■☆」と聞き取れない言葉で笑い返した。
「こうしてみるとただの赤ん坊なのになあ」
「ところで、どうしてあの人は私の未来を見て戸惑っていたのだろう」
「あんたの素性に感づいたんじゃないの?」
「・・・・・・」
少女―スペアは自分の左手に手を掛ける。軽く回すと、手首が外れ、中から金属の管が数多く除いた。
「こんな風にしているところを見られただろうか」
「さあな」
「この辺りにはいなさそうだったから、あの人はロボットなど見たことがなかったかもしれない」
「あんたくらい人間そっくりなのは二人といないけどね、多分。・・・わたしのこともバレてたかも」
「ハイネもあの婦人の正体にはすぐに気づいたのだろう?」
「そうさ。お墓を見たばかりだし、それに、・・・同じだからな」
すぐ近くの壁に、ハイネは手を伸ばした。指の長い手はそのまま、壁をふっと突き抜ける。
「同じではないか。わたし、成仏はできないし・・・」
そういいながら、ギョロリとした眼を見開いたまま苦笑した。
「…さて、宿は西の方だったよな。せっかく教えてもらったし行ってみよう」
「今から泊まれる宿があるだろうか?」
「ま、なければ車で寝ればいいじゃん」
「あれは車ではなくてカプセルだ」
「はいはい」
「〒○▲」
「よしよし。行くぞ」
「ああ」
三つの声が遠ざかっていく。
誰もいなくなった路地裏に、上り始めた月から真っ直ぐに光が差していた。