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「吸血鬼?」
ニケは困惑顔で返答し、傍らに座していたスペアは聞きなれない言葉に目をしばたたいた。
「ご存じですか?」
「少し…聞いたことは」
「どの程度?」
「夜に人を襲い、長い牙で血を吸う不死身の魔物であると…」
「はい」
振り返ってみれば、確かに我が子の口からは牙が生えている。明らかに、生まれたときにはなかったものだ。
「…でも、あの子は確かに私の子ですわ! 人間のはずです。吸血鬼だなんてどういうことですか?なぜそんなことに」
「そこまではご存じないんですね」
思わず詰め寄るニケに対し、ハイネは口以外少しも動かさない。
「奥さん…ニケさん。わたしは吸血鬼についてある程度知識があります。魔物について多少学んだことがあるのです…昔、魔術師の学院の生徒でしたから」
「えっ、あなたは…魔女なのですか」
初めて見た…と小声で呟く声を聞きながら、スペアも密かに驚いていた。学生だったこと、それは彼女にとっても初めて聞くハイネの過去だった。
「教えてくださいませ。あの子が吸血鬼とはどういうことなんですか」
「ええ、もちろん。一通りお話しします」
ハイネは頷いた。
「吸血鬼は魔物ですが、死んだ人間が転じてなるのです。大罪を犯した者、この世に未練のある者、自死した者、葬儀に不備のあった者、遺体を猫に跨がれた者…など、いくつかある条件のどれかを満たした死者のうち、素質のある者が吸血鬼となって復活します。血筋も関係するようですね」
「…」
「先ほどおっしゃった通り、吸血鬼の特徴は二つ、『吸血』と『不死』です。『吸血』は文字のごとく、血を吸うこと…人も動物も吸血鬼同士でも標的とし、長い牙で咬みつきます。血を吸われた者は記憶も意志も失った吸血鬼に…吸った者の下僕になるか、全身の血を吸い尽くされて灰になるかどちらかです。…咬まれなくてよかったですね」
襲われかけたときの恐怖が蘇ったのか、ニケの顔が青ざめる。短く破れた服の裾から覗いた膝が震えていた。
「そして『不死』。吸血鬼は死にません。どんな傷を受けてもたちどころに復活してしまいます。不老でもあり、身体は死亡したときの姿のまま変化しないのです。さらに、超能力を持つ者までいるといいます。普通の人間ならまず太刀打ちできないでしょうね」
「それでは…対処のしようがないんじゃないか」
スペアが思わず口を挟んだ。
「いいや、そんなことはないんだ。例えば心臓に杭を打ち込んだりすれば、吸血鬼の身体は灰になって退治できる。そこまでいかなくても、流水を渡れないとか、大蒜はじめ香草が苦手とかの特徴を利用して退けることができる。最も一般的な吸血鬼避けは左巻きの渦巻き模様だよ、これには近づけないのさ」
「ああ…なるほど、だから私に、板に渦巻きを彫れと言ったんだな」
一同の目線が板の真ん中で座り込んだ赤ん坊に向けられる。彼はどうしようもないと悟ったのか、青白い顔にぶすくれた表情を浮かべて座り込んでいた。
「あと夜しか活動しないからね、吸血鬼は。力が十分でなければ日光を浴びただけで灰になることもある。埋葬の段階で吸血鬼化しないための措置をとることもできるよ、手足を縛っておくとか。そういう地域も多いんじゃないですか、ニケさん、聞いたことありませんか?」
「…少し」
「息子さんにはしなかったんですよね」
「だってそんな…縛るなんてかわいそうで…」
ニケはおどおどと下を向いた。
頭巾の下から、ハイネの静かな眼が一瞬だけ覗き、またすぐに隠れた。
「それに、この子が本当に吸血鬼になるなんて考えもしませんでしたもの。吸血鬼はお城やお屋敷に住んでいるというお話を聞かされたことがありますわ」
「それはかつて多くの貴族や富豪が、不老不死を求めて自ら吸血鬼になろうとした名残なんです。上手くいかずに死んでしまったり、復活してすぐ灰になってしまった者もたくさんいましたが、成功した者たちが、そういった吸血鬼像のもとになりました。また、首を狙って咬むという話もよく言われていますが、見栄えを重視した画家が、首から吸血する吸血鬼の絵を数多く描いたために広まった嘘です」
長引く話を察してか、ハイネの腕にいた赤ん坊はいつのまにか抜け出し、渦巻きの板の外側に座って吸血鬼をじっと見ていた。
「それでも吸血鬼については、まだ分かっていないことがたくさんあります。調査が進んでいないのです…調べようと近づいて殺された者は山のようにいるそうですから」




