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物の多い部屋に、男が一人いる。薄暗くて顔はよく見えない。
そこに、わずかに衣擦れの音がして、ドレスの女が一人入ってきた。
男は気づいてはっとする。
「何で今ここに来た!怪しまれるだろ」
小声で迫ると、女はその腕にすがった。
「連絡が来ないの!成功したら必ずと伝えておいたのに」
「何?」
袖を掴む手に力がこもる。
「どうしましょう!何かあったのよ、見られたのかもしれないわ。捕まっていたら…」
「落ち着けよ!」
男はぐっと女の肩を押し返した。
「まだ分からないだろ。大丈夫だ。捕まってても、俺たちとの関わりがバレなきゃ、どうとでもやり用は…」
「はいこんにちはー!」
バーンと扉が開いた。
「うわあああああ!」
「きゃああああああ!」
腰を抜かした二人の前に立っていたのは、赤子を抱いた、ローブで全身黒ずくめの若い女であった。
「な、なんだお前は!」
「どうも、不審者でーす」
女は会釈し、抑揚のない返事を返す。
「А*★ε…☆☆」
その胸元で赤子が呻いた。身を寄せ合う二人に冷たい目を向ける。
黒ずくめの女は二人にするすると歩み寄ってきた。
「あれ、二人いるの…わたしはね、女の人の方に話があるんだけど」
「私!?あなたなんて知らないわ!」
「そりゃそうだよ…初対面だもの、紫陽花さん」
廊下から差す光に浮かび上がる、空色よりも濃い青のドレス。床に広がった布の海の中心で、黒髪の美しい女が唇を震わせている。
「ね、あんたなんだろ」
「え?」
「あんただろ、魔術師を雇ったのは! 自分の婚約者を操らせて、アヴォカド家のマリイアを殺そうとしたのは!」
「な、何を…!」
「実行犯のやつは捕まったよ。あんたはそいつに口紅を渡しただろ」
「…口紅?」
「そうだよ、褒章に…あんたの私物でしょ」
「ふざけないで!」
女の顔が歪む。
「私のものを? だれがあんな下賎な奴に!」
「じゃ、お金だけ?」
「そうよ!はした金を掴ませただけで十分喜んで引き受けたわ!」
「…」
「…あ……」
女が自分の言葉に気づき、耳の先まで真っ青になった様を、黒ずくめは呆れ顔で見下ろした。
「口滑らしたね。やっぱりそうなんじゃん」
「ち…違う…違うの」
何か言おうとして何も言えず、女の手首だけがうろうろと動く。
「畜生!」
その手首を握り、男の方が走り出そうとする。瞬間、二人は見えない力に引き戻され、ビタン!と壁に貼り付けられた。
「ごまかしてもだめだよ。あのメイドは捕まったっていったでしょ。そいつが持ってたんだよ。4枚の萼の紋が入った、ボルドーの口紅」
「!」
「心当たりがあるんだね。…あと、そっちの兄さんは…その目、もしかして…まあいいや。あんたも共犯?」
「☆@♭」
黒ずくめの女は腕の中の赤ん坊をちらりと見ると「そうみたいね」と呟いた。
そして少しずつ、動けないままの二人から離れていく。
「そろそろかなぁ…わたしも見つかるとまずいからもう行くよ。もうみんな知ってるはずだから、逃げようなんて思わないで、お沙汰を待ちな」
入り口から差す光を背に受けて、女の姿は影法師のように黒い。冷たく光る黄金色の眼は、震える二人の体温を奪っていった。
その影がすっと出ていくと間もなく、ダダダッと大勢の足音が部屋になだれ込んできた。




