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幽霊の将来




理希也の生まれ育った桜咲(オウショウ)ニュータウンは山の中腹に位置する比較的新しいマンションと団地の集合体だ。

森を切り開き、コンクリートで固め、わざわざ新しく沢山のソメイヨシノを植えてある様は大して珍しいものでは無いよく聞く風景だ。

だけれども、理希也は春に咲く大量の桜が大好きだった。

一面に咲き誇り、そして散っていく様は爽快だ。

そして初夏の今は緑がお生い茂り、上空から見ると歩道のほとんどが見えない。

あの葉っぱの下にある道を、一昨日まで当たり前のように走っていたのに。

今では空の上から見下ろしている、不思議な気分だ。

理希也は、付いてこい、とだけ行って前を進む銀髪の人を改めてよく見た。

夜の空で月もないのに浮かび上がる銀色の髪は背中まで伸びている。

言葉遣いから男の人のように感じるが、実際のところ声を聞くと女の人と言われてもおかしくないハスキーボイスだった。

着ているのはとても薄くて白に近いピンク色の着物だが、理希也の知っている七五三の着物から考えるとだらしなく気崩しているように見えた。

夜を滑るように先を行くその人について行く。

その人は桜咲ニュータウンがある山の中、一際高い山の中腹を目指していた。

確かその山には神社だかお寺だかがあったはずだ。

山を切り開いて新たに木を植えたニュータウンとは違い、この辺りは昔からある気が多く幹も太い。

遠足や散歩で訪れた際によく木登りをした。

登りすぎて亜理沙によく怒られたものだ。

山の中腹部分に広げられたニュータウンからほど近い、麓の昔からある地域には川や池、田んぼがある。

春にはレンゲをつんで遊び、田んぼに水が入った頃にはアメンボを捕まえに侵入して怒られ、夏には川にザリガニ釣りに行き、秋にはコオロギを捕まえに行って…

理希也の人生はとても短かった。

けれども沢山の思い出があり、それはキラキラと輝いていた。

そして、いつも亜理沙がいた。

基本的にしっかり者で姉御肌の亜理沙に理希也はよく怒られたが、やっぱり一番好きなのは笑顔だった。

それはどんな朝でも元気をくれたし、落ち込んで腐りそうになっても晴れやかにしてくれた。

だから、亜理沙にはこれからも笑っていて欲しいし、その笑顔を守るために約束を破りたくなかった。

ちゃんと、また明日、が来ることを信じて止まなかった。

結局、破ってしまった約束だけれども。




『こっちだ。』


森の中には近所のソメイヨシノなんて比較にならないほど太い幹の木が沢山あった。

もちろん、太い木ばかりではなく、若い木だって沢山ある。

その中でも1番太い幹を持つ楠に近づいた。

子供どころか大人二人が両腕をのばしても回らないだろう。

もしかしたら昔から大事にされていた木なのかもしれない、幹には太いロープと所々白い紙が付いていた。

テレビや教科書で見た事がある、御神木とか言うものだろうか。


『……神社?』

『此処が神社ならお前さんは跡形もなく消え去っているだろうよ』


銀髪の人はため息を吐きながら言った。

もとより普通の家の会社員の子供として生まれた理希也にとって、神社とはイメージしかない。

正確な概念や倫理、神社というものは、というような知識はない。

あるのは、正月明けにお年玉を貰ってから行く場所、ぐらいのものだ。


『僕って幽霊ってやつだよね?神社の中には入れないの?』

『…神社というのは神の領域だ、仏さんが入ることは出来ない。』

『死んだ人は神社にお参りできないってこと?』

『そもそも死んだやつがお参りなんか行くわけ無いだろ』


そりゃそうだ。

色んな宗教が混在し文化に根付く日本と言えど、死してなおお参りに行かねばならないなど聞いたことがない。

お正月やお祭りごと、七五三などのお祝いの時に行くのが神社だ、と理希也は思っている。

まして、死んだ人間のどれくらいが幽霊となるのか。


『日本人の常識から考えて、死んだら仏さん。つまり入れるのは寺だ。神社は神の場所だから入れないし、結界が正常に機能していれば幽霊は不浄のものとされて消えてしまう。消えたくなければ近づくな。』

『わ、わかった。…じゃぁ、ここは?』

『この辺り一体にある古い村の住人から祀られてる楠だ。』

『それって、御神木ってやつじゃ…』

『此処が神社だったらな。』


つまり、此処は神社ではないからこの祀られた楠も御神木ではない、ということらしい。

一見してわかる、ソメイヨシノなんて比較にならないくらい昔から此処に鎮座しているのだろう。

ゴツゴツとした幹、力強く地面に広がる根。

空に広がる緑は、巨大な傘のようだ。

こういう大きな木を見ると、大きくモコモコしたオバケが出てくる穴が無いものか、探したくなる。

理希也が根本の隙間を覗き込んでいると、再び溜息混じりの言葉が聞こえてきた。


『こっちだ』

銀髪の人が指差したのは上だ。

ゴツゴツした幹から別れた、逞しい枝の上。

そこに小さなお爺さんが座っていた。


『おお、おかえり』

『あぁ』

『…えっと……?』


理希也はものすごく戸惑った。

おそらく銀髪の人が此処に理希也を連れてきたのはこの小さなお爺さんに会わせるためなのだろう。

つまり、理希也は今、このお爺さんを紹介されている訳だ、それは理解できる。

だが、理希也は戸惑ってしまった。

それにはもちろん理由あある。

お爺さんの小ささだ。

理希也の太腿よりもゴツい枝に鎮座するお爺さんの大きさは、わずか10cm。

手のひらサイズである。

因みに、銀髪の人は普通の人間とサイズがかわらず、大人の身長があるため理希也よりもうんと大きい。

ぽっこりとしたお腹に良く似合う臙脂色の服は、いつかみた七福神の恵比寿さんにそっくりだ。

顔も水戸のご老公様の様で、長く伸びた眉毛や顎髭が灰色をしている。


『お、新入りかい?』

『え、新入り?』

『なんだい、きちんとした挨拶も知らんのか、最近の若者は』


重そうな眉毛に隠れていた目が薄く開かれた瞬間、理希也の頭はぐんと重くなり、腰から先が曲がってしまった。

教室で気がついてから今まで、体が重い、と気づかなかった。

そういえば当たり前のように空中を浮遊していた。

それなのに、今は重たすぎて首を動かすことすら出来ない。


『え……?』

『爺さん、そりゃちょっと酷じゃないか?』

『何を言う!今日びの若者はちっと厳しいくらいが丁度良いんじゃ!舐められたらどうする!』

『…そういうことするから寧ろ煙たがられるんだろう』


今日何度目の音だろうか、銀色の人がため息をつく音が聞こえた。

そして頭をそっと触れられる、瞬間、今までどうしようもなく重たかった首がスッと軽くなる。

むぅぅ、と口を尖らせるお老公様がいじけたように見ている。

文字通り頭上で行われていた話からするに、ご老公様は理希也を礼儀知らずの若者と判断したようだ。

確かに理希也は最近の若者で、しかも小学生だ。

しかし、母親からしっかりと礼儀については常識範囲内で教えてもらっている。

小さい恵比寿さんみたいな風貌に驚きはしたが、目上の人…と思われるご老体に挨拶をしていないことを理希也は思い出した。


『初めまして、津島理希也といいます。』

『おぉ、なぁんじゃ、ちゃんと挨拶が出来るではないか。』

『爺さんが新入りとか言って驚かしたんだろ。』

『櫻木、お主はちとガミガミしすぎじゃ、主に儂に』

『喧しい。…それより、若者に礼儀を求めた先達が名乗らないってのは如何なものなんだ?』

『おっと。そうじゃった』


銀色の人は櫻木というらしい、そんな彼からは名乗られた記憶がない。

もちろん理希也も名乗るどころか名前すら聞かれていないから、そんな話にならなかっただけかもしれないが。

手乗りご老公様は、いきなり意味不明な現象で頭を重くされたから怖い何かかなのかと思いきや、がっつり櫻木の尻に敷かれているようだ。

今は茶目っ気たっぷりにウインクなんてしている、もちろん長すぎる眉毛のせいでわかりにくいが。


『儂はこの楠の主じゃ、妖精様でも楠様でも好きに呼ぶことを許しておるぞい』 

『爺いでいいぞ。』

『なんじゃと!?』


ついでに少し怖い雰囲気を醸していた銀色の人もとい櫻木は、冗句もちゃんと言える大人らしい。





『ゴホン。まぁ、茶番はこの辺りにして、今の状況を少し整理して教えてやろう。』


楠のご老公様は一つ咳払いをすると、その場の空気が変わった。

ご老公様はまだ幼い理希也にわかりやすいよう話をしてくれた。

まず、ご老公様。

彼は先ほども自己紹介で言っていた通り、木の妖精らしい。

八百万の神を信じる日本人が昔からある巨木を祀ることで木に生まれた神様の様なものだと教えてくれた。

正確には妖精と神では全く違うらしいが、この辺りで祀られている木の妖精で周辺の木々を従えているからわかりやすく理解するために今はそれでいいらしい。

そして櫻木。

彼は比較的若い精霊だという。

理希也には精霊と妖精の違いも神の違いも全くわからないのだが、今日は教えてくれる気はないようだ。


『櫻木はな、もとは人間だったんだが、今は桜の精霊となっておる。』

『…ってことは、櫻木さんも死んじゃったってこと?』

『そうだ。まだ40年ほど前だ。』

『40年ってすごい前だよ。』

『妖精や精霊になるとな、40年はあっという間なんじゃよ。人間の寿命は短いのじゃ。』


平均寿命が80台に迫る今、人間の寿命はもはや短いものではない。

それを軽く短いと言えてしまうあたり、やはり人間とは感覚が違うのかもしれない。

たかだか十数年しか人間としての生を全うできなかった理希也は、いったいこれからどれほどの時をあっという間と感じるのだろうか。

もちろん理希也がこの2人のように長い時間存在できるのかどうか、今の段階ではまだなにもわからないが。


『理希也よ、お主はな櫻木の管轄の木で死んでしもうたんじゃ。』


死した命は霧散する。

体は、現代の日本では火葬され、灰になり、土に還る。

ところがたまに消えることなく残る魂が存在する。

俗に言う、霊である。


『霊として残る者にも色々あってな、怒りや憎しみ、邪な感情などを持って残る悪霊は、人や土地に執着し祟や呪いを産んでしまう。お主も見たじゃろう?』


暗闇の中、人の体を求め亜理沙に取り入ろうとした奴ら。

あれが人を呪う悪霊というものらしい。


『理希也もあと少しでそうなる所だった。』


訳の分からない、心の底から湧き上がる悲しさ。

目の前を赤く染めていく怒り。

どこにもぶつけることのできない虚しさ。

今の理希也ならわかる、その全てを亜理沙へとぶつけるつもりだったのだ、あの時の自分は。


『今のお主は呪いも祟りも産まんじゃろ。…じゃが、このままこの状態で彷徨えばまたあのようになってしまうかもしれん。しかもお主が呪う相手はあの、呉丘亜理沙と決まっておる。』

『え、なんで亜理沙のこと知ってるの?』


この土地にいる精霊や妖精は人間の名前をみんな知っているのだろうか?

死ぬってそんな全知全能になれるのだろうか?

だとしたら霧散しない魂って最強じゃない?


『そんなわけなかろうが。』

『え?』

『馬鹿か、考えが全部声になってるぞ。』

『如何に儂が素晴らしーい楠の妖精様とはいえ』

『自分で言うな』

『全ての人間なぞ、記憶する必要もあるまい?あの娘は…特別じゃ。』


楠のご老公さまは重たそうな眉をあげ、その小さな瞳をキラリと光らせた。


『あの娘は特別…呉丘亜理沙は近い未来、儂らの役にたってくれる。』


役に、たつ?


『あの娘にはまだ未熟な力がある、お主も感じたであろう?』


不思議な繋がりをーーー


そうだ、後で冷静になって考えたが分からないことがある。

理希也には亜理沙の気持ちがよく伝わった。

最後には、亜理沙が理希也の死に納得していないことですら感じ読めた。

だが、理希也の言葉は何一つ亜理沙に伝わらなかったのだ。

それこそ死したことへの怒りや皆に気づいて貰えない、触れることの出来ない悲しみなど呪いの元になりそうな強い感情すらも伝わらなかった。

なのに、あの時。

そう、あの言葉だけ、伝わったのだ。


『母さんに、言葉がーーー』


ーーお母さん、ありがとうございました。


亜理沙は理希也のお母さんを、おばさんと呼ぶ。

近くに亜理沙のお母さんもいなかった。

何故、亜理沙があの言葉を口にしたのか、理希也にも分からなかったのだ。


『まだ目覚めておらん、力の原石…』


いずれ、その力がこの土地に必要になるーーーー


『その時、あの娘を助けるこちら側の精霊が今、圧倒的に足りておらん。』

『俺一人だからな』


今日何度目だろうか、櫻木のため息を見るのは。


『そこで、じゃ。理希也よ。お主、桜の精霊になれ。』

『は………、え?』

『ここで爺の教えを元に魂の精進をして精霊になっておけば、その時が来た時に彼女の力になることが出来る。………どうする?』


今日はなんて日だろうか。

自分が死んでしまったことを受け入れて。

大切なことをまだ伝えていない亜理沙と離れることを決意して。

ここに来て、亜理沙の為に存在することを選択させられている。

今は理希也も頭がスッキリしているからわかる。

このままの状態で理希也が存在できない以上、その教えを乞うしかないのだ。

おそらくその選択をしなければ、亜理沙を呪う悪霊になってしまう理希也はさっくりと消されてしまうのだろう。

もちろん、理希也に嫌というつもりは無い。

ここで櫻木と同じように力を持てばいつか、亜理沙に会える日が来るかもしれない。


ーーーまた明日


その約束を、果たせる時がいつか。


『僕………やるよ。』


楠のご老公さまはニコリと笑った。

櫻木は、少しだけ表情を和らげて頷いた。




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