続 下野の風
下野の風の続編です。
今年も哲吉の店の軒下に、つばめが戻って来た。離れではよし若が
「急ぎ行く、人の身の、捨てどころとや、名にふりし、鈴ヶ森の仕置場所、青竹にて矢来を」
と、哲吉の三味線で新内「恋娘昔八丈」を唄っている。そこに博親分と孝吉がやって来た。
「下河原河畔で遺体が上がった」
「殺しか」
「分からない」
「行ってみよう」
と言って三人は駆け出した。
遺体は若い町人風の男だった。遺体を改めると、胸に刺し傷のような跡が有った。明らかに、
匕首のような刺し傷だった。さっそく、遺体を上河原の番所に運ぶと、三人は遺体の身元調べに走った。身元はすぐに分かった。馬喰町の小料理屋桔梗屋の板前弥七だった。博親分と孝吉は桔梗屋に行って調べると、弥七は二、三日前から行方不明だった。更に調べを進めると、四、五日前に桔梗屋で盗難事件が有った事が分かった。しかし、金額が少なかったし、旦那衆だった為に、盗難届は出て居なかった。それからしばらくして、中河原の妾宅に住む楓という女が殺された。杉原町の小間物屋真岡屋の妾だった。胸を匕首で一突きにしていて、プロの殺し屋の手口だった。
その日、神楽坂の真吉親分がやって来た。
「お前も知っているだろう。十年前にお取り潰しに成った矢来町の真田様の吉弥という娘を。それが三味線の吉弥というプロの殺し屋らしいのだ」
哲吉は吉弥が五代目鶴賀若狭掾の稽古場で三味線を弾いている様子や筑土八幡宮の岩井庄五郎方で小太刀を使っている様子などを思い出した。
「その吉弥がどうして宇都宮などに来ているのですか」
「分からない。しかし、偶然に手に入れた吉弥に頼んだ殺しのメモ帳にお前の名前が載っていた。それで、慌ててお前の所にやって来た訳だ」
「実は、ここのところ二件の殺しが有って、それが匕首か何かの鋭い突きで仕留められていて、プロの殺しかと疑っていたところだ」
そこに博親分と孝吉がやって来た。
「どうも盗難が有った日、桔梗屋で旦那衆の寄合が有って、その後お楽しみと言うので賭博をしていたらしい。そこを狙って押し込んだらしいのだ。三人組だったという。ご禁制の賭博の最中だったので、盗難届を出せ無かったらしい。奪われた金額が少ないと言っていたが、旦那衆が十人ぐらいいたというから、一人二十両としても二百両は奪われているだろう。それと、殺された妾の楓に男がいたらしい。これがどうやら、今回の盗みと関係しているらしいのだ。殺された板前はこの男とひたしかったらしく、板前が盗みの三人組を手引きして、殺されたらしい」
「という事は、盗んだ奴が証拠隠滅の為に板前と妾を殺したのか」
「それはおかしい。盗んだ奴がわざわざ殺し屋まで雇って殺すか」
「それでは旦那衆が殺し屋を雇って盗んだ奴を殺しているというのか。すると、殺しはまだまだ続くな」
「それで妾の男の名前は何という名前なのだ」
「山崎右京という江戸生まれの浪人だそうだ。元は日光奉行のもとで勘定方をしていたらしい。使い込みがばれて、追放になったらしい。それも誰かに嵌められたと言っているそうだ」
哲吉は博親分と真岡屋を訪ねた。
「殺された妾に男がいたそうだが、何か知っている事は無いか」
「さあ、私は時々行くだけで、別に男がいたなんて知りませんでした」
「楓という女はどういう女だ」
「どういう女だと言って、私が日光の取引先に行く時によく使った料理屋の女で、気に入って宇都宮に連れて来て囲っていたわけで」
「日光の何という料理屋だ」
「立花屋という料理屋ですけど」
翌日、博親分と孝吉が日光に向かった。博親分が立花屋の女将に
「楓という女に日光奉行所の山崎右京という者が通っていなかったか」
と聞くと、女将は
「よくいらしていましたよ。楓さん目当てで。楓さんが店を辞めると、ピタッとお見えにならなくなりましたけど」
と答えた。
「真岡屋は今でも来るのか」
「はい、日光彫りの業者さんとお見えになります。それから、日光奉行所の方とも時々お見えになります」
「という事は、真岡屋は山崎右京と顔見知りだな」
「ええ一度、山崎様が真岡屋さんにエライ剣幕で騙したとか騙されたとかで怒鳴り込んできた事が有ります」
「宇都宮の桔梗屋という料理屋は知らないか」
「よく、存じております。今の主人は元々うちにいた男で、独立して宇都宮に店を出しました。少し強引な男で良からぬ噂も聞きます」
「店で賭博をさせていることか」
「よく、ご存知で」
「ところで、殺された板前の男はご存知か。確か弥七と言ったが」
「ええ、よく知っております。うちにいた時も博打が好きで、辞めさせたところを桔梗屋に拾われた男です」
博親分が日光に行っている間に、哲吉と真吉親分は殺された板前の弥七と妾の楓の周辺を洗った。すると弥七の長屋に数人の男が出入りしていた事が分かった。そしてそのうちの一人は上河原の黒崎道場の門弟だったという。哲吉は真吉親分と黒崎道場に向かった。門弟の名は横田歳三と言って、御用方の次男で、ここ二、三日道場に姿を表していないという。哲吉と真吉親分は一条町の横田家を訪ねると、歳三は出掛けたまま屋敷に帰ってないらしい。
博親分と孝吉が日光から帰ってきた。博親分の報告によると
「妾の楓と山崎右京は日光にいた時からの仲で、真岡屋と右京とも日光奉行所での知り合いで、真岡屋と右京は何かトラブルが有ったかして、奉行所を辞めさせられていた。桔梗屋も殺された弥七もどちらも立花屋の出で、弥七は立花屋を辞めさせられた後に、桔梗屋に拾われていた」
という話だった。
それから数日経った夜、中河原の料理屋加納屋の座敷で人が殺されているのが見付かった。
二階のお客さんがなかなか下りて来ないので、仲居が見に行くと殺されていた。哲吉たちが来て、殺された者を見ると、歳三だった。仲居に聞くと、
「座敷で町人と二人だけで会っていた」
と言う。哲吉が
「他に誰か見かけなかったか」
と聞くと、仲居が
「三味線を持った芸者と階段ですれ違った」
と答えた。どうやら歳三は町人と別れた後、芸者に殺されたらしい。
哲吉たちはもう一度黒崎道場を訪ねた。そして、
「歳三と特にひたしかった者は居なかったか」
と尋ねると、門弟の一人が
「江戸からやって来た浪人で、今、鬼怒川の船頭をしている吉崎謙三という男とよく稽古をしていた」
と言った。哲吉が
「その吉崎謙三の住まいを知らないか」
と聞くと、門弟が
「中河原の銀杏長屋にいるはずだ」
と答えた。殺された妾の住まいも歳三が殺された料理屋も中河原だった。哲吉たちは急いで銀杏長屋に向かった。しかし、謙三は銀杏長屋には居なかった。ところが、長屋の住人に聞くと、山崎右京もこの長屋に住んでいる事が分かった。
「謙三が居ない時は何処に居るのか」
と聞くと、
「鬼怒川の方だ」
と答えたものの、鬼怒川の何処だかは知らなかった。仕方が無しに、哲吉たちは孝吉を見張りに残して、一旦引き上げた。
哲吉の家の離れに真吉親分と博親分と三人で戻ると、井上彦之丞がよし若とゆり籠を揺らしながら待っていた。祐太郎は気持ちよくゆり籠の中で眠っていた。哲吉が
「今日はまたどんな御用です。まさか、祐太郎の子守に来たわけでは無いでしょう」
と言うと、彦之丞が
「また抜け荷だ。今度は日光のお寺が絡んでいる」
と言った。それから、抜け荷に関わっていると思われる店の名前の乗った紙片を哲吉たちの前に広げた。紙片には江戸の薩摩屋、唐津屋、長崎屋、宇都宮の真岡屋、栃木屋、佐野屋などが載っていた。そして彦之丞が真吉親分に
「ところで、真吉親分はどんな御用です」
と聞くと、真吉親分は
「こっちは殺しだ。その紙片に載っている薩摩屋が殺しを依頼したメモ帳に、哲吉の名前が載っていたので飛んで来た。その殺し屋が哲吉の幼馴染の女らしい。もう、宇都宮で三人殺している」
と言った。するとよし若が
「そんな怖い女が居るのですか」
と聞いた。哲吉が
「そんな女でも、小さい時は、剣術と三味線の好きな少女に過ぎない。それが十年の歳月を得て変わってしまった。恐ろしい事だ」
と答えた。
博親分は杉原町の真岡屋を見張った。真吉親分と彦之丞は哲吉の家の離れで待機した。
二日後、真岡屋が動いた。馬場町の栃木屋と釜川の江野町河畔から川舟に乗って田川に出て、
そのまま南に下って行った。博親分はすぐに、御用舟で後を追った。真岡屋と栃木屋を乗せた舟は田川を南に下り、やがて鬼怒川に出て、久下田河畔に横付けに成っている三百石船に乗り移った。船は大隅丸で薩摩屋の船だった。大隅丸はゆっくり帆を上げて北へ上った。そして、阿久津河畔に帆を下した。すると今度は、真岡屋と栃木屋に薩摩屋が加わって、屋根船に乗り換えると、鬼怒川をどんどん上って行った。やがて、船生で大谷川に入り、今市を通って、日光へ向かった。そして、三人は日光河畔で舟を下りると、輪王寺に入って行った。
博親分はすぐに今市の勘吉親分と連絡を取った。勘吉親分が駆け付けると、博親分が
「どうも輪王寺の坊主たちと江戸の商人とで抜け荷をしているらしいのだ」
と言った。すると、勘吉親分が
「前からそんな噂は有る。ご禁制の品物をめぐって、日光奉行所の勘定方が罷免された。
確か山崎右京という奴だ」
と言った。博親分が
「そいつが宇都宮の料理屋で、旦那衆が博打をしているところに踏み込んで、金銭を奪った。旦那衆の中に、今輪王寺の中にいる真岡屋と栃木屋が含まれている」
と言うと、勘吉親分が
「右京の野郎は真岡屋に騙されたと恨んでいたから、その復讐で襲ったのか」
と言った。
「料理屋は桔梗屋と言って、日光の立花屋にいた奴が開いた店で、そこの弥七というこれまた立花屋を首に成った板前が手引したらしいのだが、これが殺された。そして、右京と通じていた真岡屋の妾も殺された。襲ったのは右京を含めて三人なのだけれど、こちらも身元は分かっている。一人は宇都宮の黒崎道場の門弟で宇都宮藩の御用方の次男の横田歳三、もう一人は同じ門弟の浪人で今は鬼怒川で船頭をしている吉崎謙三という男だ。ところが、横田歳三の方はこの前、宇都宮の料理屋で吉崎謙三と会った後に殺された。つまり、盗みを働いた奴らが次々と殺されているのだ。この殺し屋がどうやら薩摩屋が雇った殺し屋らしく、三味線の吉弥という女殺し屋で、哲吉親分の幼馴染らしく、それも恨みがあるのかどうか知らないが哲吉親分を狙っていると言うのだ」
その晩、博親分は勘吉親分の手下に輪王寺を見張らせると、勘吉親分の所に泊まった。
次の日、真岡屋と栃木屋は川船に荷物を積むと、薩摩屋に送られて大谷川を下って行った。博親分は薩摩屋の事を勘吉親分に頼むと、御用舟で後を追った。川船は船生で鬼怒川に入ると、すぐに西鬼怒川に分かれて入り、御用川を通って錦川に入った。そして、田川の上河原河畔に川船を着けると、真岡屋の上河原の倉庫に運んで来た荷物を入れた。
博親分は哲吉の家の離れに行って、哲吉たち三人に今までの経過を報告した。彦之丞が
「薩摩屋が三百石船で鬼怒川を上って来てご禁制の品物を日光の輪王寺に持っていき、代わりの品物を真岡屋と栃木屋が受け取って宇都宮の倉庫に持って来たという訳だ」
と説明した。そこに孝吉が飛んで来た。
「右京と謙三が銀杏長屋に戻って来た」
五人は慌てて銀杏長屋に向かった。すると銀杏長屋で謙三が殺されていた。匕首で胸を一突きだった。遺体は殺されたばかりだったので、まだ温かかった。そして、右京の姿は見当たらなかった。博親分が長屋の住民に聞くと、
「ガタッと音がしただけで後は何も聞こえなかった」
と言うだけだった。ただ三味線を持った若い娘が遠ざかって行くのを目撃されていた。
それからしばらく経ったある日、桔梗屋で真岡屋たちの寄合が開かれるという情報が今市の勘吉親分から知らされた。
哲吉と真吉親分と博親分と孝吉は桔梗屋の周りで張り込み、彦之丞は黒装束で桔梗屋に忍び込んだ。寄合は江戸から薩摩屋、唐津屋、長崎屋、宇都宮から真岡屋、栃木屋、佐野屋の六人が参加した。主人が参加したのは、薩摩屋と真岡屋と栃木屋だけで、後の三店は番頭だった。寄合は薩摩屋が中心に行われ、今回のご禁制の品物の話題は大半が鉄砲だった。今まで抜け荷で様々なご禁制の品物で儲けた分を、これからは鉄砲に変えていくという話だった。しかし、薩摩屋は何故鉄砲なのかという事は話さなかった。
寄合が終わって、六人は桔梗屋の離れの賭博場に移った。壺振りは片肌を抜いた粋な姐さんだった。それから、それぞれが小判を数両ずつ賭けて始まった。小一時間程経った時、佐野屋の番頭が厠に行く為に、立ち上がった。そして、真岡屋の後ろを通り過ぎようとしたその時、いきなり懐から匕首を抜いて、真岡屋の胸に突き入れた。そのとたん、壺振りの姐さんが飛び上がると、佐野屋の番頭に匕首を首に差し込んだ。その場に真岡屋と佐野屋の番頭が重なるように倒れると、壺振りの姐さんは一目散に外に飛び出して行った。一瞬のうちに賭博場は修羅場に成った。彦之丞は慌てて屋根の上に飛び出したけれど、もう壺振りの姐さんの姿は見えなかった。桔梗屋の騒ぎに、周りに張り込んでいた哲吉たちは、一斉に中に踏み込んだ。薩摩屋と栃木屋の主人は逸早く逃げてしまい、江戸から来た二人の番頭はただおろおろするばかりだった。
哲吉たちの調べが始まった。真岡屋も佐野屋の番頭も胸を刺されて即死だった。そして、真岡屋に襲い掛かった佐野屋の番頭は山崎右京の変装だった。それから、事情を聞こうと桔梗屋の主人を探すと何処にも居なかった。そこに孝吉が飛び込んで来て、
「庭に桔梗屋の主人が倒れている」
と言った。哲吉たちが駆け付けると、桔梗屋の主人は胸を刺されていて虫の息で一言、
「壺振りは殺し屋だ」
と言った。
彦之丞は薩摩屋を追いかけて、阿久津河畔に走った。しかし大隅丸は何処にも見当たらなかった。哲吉たちは杉原町の真岡屋と上河原の倉庫を捜索した。すると、ご禁制の品物と大量の鉄砲が見付かった。しかし、死んだ主人以外は鉄砲が何に使われるのか知らなかった。
馬場通りの栃木屋に行くと、主人は何処にも居ず、店や倉庫には不審な物は何も無かった。
さらに、日野町の佐野屋に行っても、店や倉庫には不審な物は何も無かった。ただ、右京と入れ替わった番頭は店を出たまま行方不明に成っていた。
彦之丞と真吉親分は、唐津屋と長崎屋の番頭を連れて、大量の鉄砲の抜け荷の真相を調べる為に、江戸に戻って行った。
それから二日後の午後、哲吉に三味線の吉弥から呼び出しの手紙が届いた。持って来たのは近所の子供で、
「清巌寺の裏手に一人で来い」
と書いてあった。
哲吉が清巌寺裏の田川の畔に行くと、縞の着物を着て、三味線を抱えた吉弥がいた。
「久し振りだな。真田家がお取り潰しに成って、あれからどうした」
「母親の実家が有る長野の松代に行った」
「どうしてお取り潰しに成ったのだ。俺は小さくて何も知らなかったが」
「父は公金を着服した罪に問われたが、実際は上役の罪をなすりつけられた」
「その上役はどうした」
「五年前に私が殺した」
「母親はどうした」
「やはり五年前に病で亡くなった」
「何で殺し屋などをしている」
「薩摩屋には母親が病気になった時に、色々と面倒を見て貰った。元々真田家の出入りの商人だった。上役の殺しの手引も薩摩屋にして貰った。薩摩屋には切っても切れない恩が有る」
「それで殺し屋か」
「私は上役を殺すために、松代の道場で必死に修行をした。だから、私には剣しか道がない」
「それと、人殺し稼業は違うだろう。それだけの腕があるなら、剣術道場でも開いたらどうだ。それくらいの金なら、薩摩屋でも出してくれるだろう」
「男と違って、女の剣術使いなど誰も相手にしてくれない。それに、私は父を切腹させた幕府に恨みが有る。その恨みを果たしてくれる薩摩屋の為なら、人殺しなど平気だ」
「ところで、俺は呼び出した訳は何だ」
「薩摩屋の事を見逃して貰いたい。貴方の事は薩摩屋を邪魔する者の暗殺者名簿に載っている。私は昔のよしみで貴方を殺したく無い」
「薩摩屋の野望とは何だ。抜け荷をして、大量の鉄砲を集めて何を使用というのだ」
「それは今、言えない。とにかく薩摩屋には手を出さないでくれ。そうでないと、貴方を殺す事になる」
と、吉弥は言うと、ひらりと田川に用意していた猪牙に飛び乗ると、南に下って行った。
次の日、哲吉と博親分は奉行所のお奉行戸田三左衛門を訪ねて、今までの一連の抜け荷の事件のあらましを説明した。桔梗屋の板前の殺しに、桔梗屋の賭博場の窃盗が絡み、真岡屋の妾殺しには、真岡屋と元日光奉行所の勘定方の山崎右京の確執が有り、賭博場を襲った三人のうちの宇都宮藩の御用方の次男の横田歳三と浪人の吉崎謙三を殺したのは、抜け荷の首謀者である薩摩屋の殺し屋三味線の吉弥という者だった。そして、この前桔梗屋で開かれた賭博場で真岡屋を山崎右京が殺し、その右京と桔梗屋の主人を壺振りに化けた吉弥が殺し、真岡屋の蔵から大量の密輸の鉄砲が発見された。哲吉がお奉行に
「ここ数か月に宇都宮と日光で何か行われる行事はないか」
と尋ねると、お奉行が
「秋に将軍の日光社参が有る」
と答えた。そして
「大量の鉄砲を集めているという事は、薩摩藩は日光社参の将軍を襲うという事か。これが事実だとしたら、大変な事になる」
と言った。哲吉がお奉行に
「輪王寺は薩摩藩と何か関係が有るのか」
と聞くと、お奉行は
「今の輪王寺の管主の奥方は薩摩藩の城主の養女だ」
と答えた。お奉行は桔梗屋と真岡屋を財産没収の上に廃業、栃木屋と佐野屋は業務停止として、他にも鉄砲などの武器を集めている店がないか調べさせた。そして、日光奉行所に連絡を取って輪王寺を見張らせた。御用方の横田家は次男が亡くなったので不問にした。
しばらくして彦之丞が江戸から戻って来た。
「唐津屋と長崎屋の番頭は御法度の賭博をしていた罪で追放になったが、店はご禁制の品物もなかった事で何の処分もなかった。薩摩屋の主人は薩摩に戻っているとの事、ご禁制の品物などは何処かに隠してしまっているのでこれもお咎めなしだ。殺し屋の娘も多分薩摩屋と一緒だろう。実は、今回の抜け荷の事件は厄介な事が絡んでいる。将軍の世継ぎ問題だ。
秋の日光社参に世継ぎの陽之介様を連れて行く事に成っている。この時に、陽之介様を鉄砲で暗殺する計画なのだ。今陽之介様の下に、錦之介様が居る。この錦之介様の母上は薩摩から入られたお由良の方様だ。つまり陽之介様が亡くなれば、薩摩方の錦之介様が世継ぎになる。
そうすれば、大奥は薩摩の息の掛かった者の天下になるし、錦之介様が将軍になれば、幕府は薩摩の自由になる。だから何としても陽之介様の暗殺を阻止しなければならない」
「薩摩屋は薩摩藩の代わりにその準備をしている。吉弥はそのために邪魔になる者を暗殺しているのだ。これは何としても止めなければならない」
日光社参まで四ヶ月、哲吉は長い戦いになると思った。
梅雨がいつもより長く、葉月に成ってやっと開けた日、生福寺境内で、恒例のゆかた会が開かれた。
「狐は人をたぶらかし、人は人をば欲のわな、かかりておとす、邪人組、がきのものでも」
と、哲吉がよし若の三味線で新内「白波源太」を唄っている。そばで弟子に囲まれて、祐太郎がゆり籠の中で気持ちよく寝むっていた。そこに、石島秀之進が現れた。
「何か御用でしょうか。祐太郎に何かお祝いを持って来たという訳ではないでしょう」
「いや、持って来た。これだ」
と見せたのは、銀の飾りの付いた小さな十手だった。それを秀之進はゆり籠の中にいる祐太郎の小さな手に握らせた。そして、一緒に手を握って差し出すと
「御用だ」
と叫んだ。そう言えば秀之進の屋敷のある白銀町は銀細工の職人のいる町だ。それから秀之進はおもむろに
「結城城下で献上の結城紬が盗まれた。盗んだのは「奥匠」の職人で店の娘を連れて逃げる時に、大量の結城紬を持ち出して、その中に献上品も混ざっていた。宇都宮の方に逃げたらしくて、追いかけて来た」
と言った。結城は結城紬でも有名な城下町だ。「奥匠」はその中でも献上品を製作するので有名な店だった。哲吉が
「そうだ。同じ町内の福田屋のお内儀は結城から嫁に来ている。さっそくいってみよう」
と言うと、秀之進と福田屋呉服店にむかった。哲吉がお内儀に
「奥匠の娘が訪ねて来たか」
と聞くと、お内儀は
「ええ、番頭さんと二人でお見えになりましたよ。奥匠さんの娘さんが来る事なんて、滅多にないことですので、喜んで四反ほど買わせて貰いましたけど、何か不審な事がございましたのですか」
と答えた。
「いや、別に不審な事はない。ちょっと、娘と連絡が取れなくなって、探しているところだ」
奥匠には、献上品の結城紬と娘だけを探していて、他の結城紬に対して通常に売買されていれば、店の信用にも関わるのでそのままにしておくように言われていた。今回の秀之進の捜索も、極秘に進められているもので、献上品の結城紬も間違って売買された事に成っていた。
「二人に変わった事は無かったか」
「別に気が付きませんでした。ただ、番頭さんが随分若い人だなとは思いましたが」
職人が番頭に変装しているのだった。
「二人はその後、何処に行ったか知らないか」
「何処かお店を紹介してくださいと言うので、前の丸井屋さんを紹介しましたけれど」
二人はすぐに前の丸井屋呉服店に行った。丸井屋の主人が
「この前、娘のかどわかしの時は若旦那に大変お世話になりました。この度はお坊ちゃまがお生まれに成って、おめでとうございます。ところで、今日はどんな御用です」
と言った。哲吉が
「他でもないが、結城の奥匠の娘が訪ねて来なかったか」
と聞くと、丸井屋の主人が
「はいはい、前の福田屋さんの紹介だと言ってお見えになりました。うちの店は余り高級品を扱わないのですが、娘さん直々にお見えになりましたので、一反だけ買わせて頂きました」と答えた。
「何か変わった様子はなかったか」
「ええ、何か急いでいるようで、私が一反しか買わないと、安くするからもっと買わないかと行商人のような言い方であれは頂けませんな、奥匠さんの娘さんのする事ではありません。それに一緒に付いてきた若い番頭さんは、何もおっしゃられずに黙って俯いているだけで、あれも頂けませんね」
「その後、二人は何処に行った」
「他のお店を紹介しろと申しますから、日野町の白木屋さんをご紹介しました」
哲吉と秀之進は、三軒目の白木屋を訪ねた。哲吉が白木屋の主人に奥匠の娘の事を聞くと、
「はい、丸井屋さんの紹介でお見えになりまして、相場ですと結城紬は一反五両するものを、五反まとめて十両でいいと、間違いなく奥匠さんの印が付いていましたので、十両で買いました。中に素晴らしい品物があったので、それは高くても買うというと、これは将軍様に献上するものだから売れないと言う。なんでそんな品物を持っているのか不思議に思いましたが、奥匠さんの娘さんなら仕方が無いのかと思いました」
「それでその娘は何処へ行くと言っていた」
「結城紬を将軍に献上する為に、幕府の偉い人と会うと言っていました」
「幕府の偉い人とは一体誰だ」
「そこまではちょっと分かりません。でもその偉い人に会う為に、お金がいるから急いで結城紬を処分しているのだと言っていました」
哲吉と秀之進は急いで奉行所に走り、お奉行に面会を申し入れた。そして、お奉行に結城藩で献上品の結城紬が奥匠の娘によって持ち出された事を述べた。そして哲吉は
「今、誰か幕府の偉い方が宇都宮藩にいらっしゃる予定があるのですか」
と聞くと、お奉行が
「秋の日光社参の下見に若年寄様がお見えになる」
と答えた。お奉行が
「ところで、その奥匠の娘の目的はなんだ。結城藩がお上に献上する結城紬を盗み出して、他の誰かに渡すという事は何の目的があるのだ。水野様も我々の殿様の戸田忠延様も、今回日光社参に同行される陽之介様のお味方だ。老中にしろ、若年寄にしろ、薩摩藩と外様大名を抜かして、誰も陽之介様に危害を加えるものはいない。いま一つ心配なのは、薩摩藩と加賀藩が抜け荷を通じて手を結ぶことだ」
「それで下見に来る若年寄は大丈夫なのですか」
「若年寄は高崎藩の松平様だ。問題は無い。問題なのは道中奉行だ。岡部藩の堀様だけど、これが加賀藩と通じている。加賀藩と薩摩藩が手を結んでいると、道中奉行が怪しい」
「という事は堀様が献上品の結城紬の紛失の失態を利用して、結城藩の水野様に薩摩藩のお味方になるように説得するという事ですね。道中奉行は何時宇都宮に入るのですか」
「明日、若年寄と一緒に宇都宮に入る」
「場所は何処ですか」
「家老の戸田保様のお屋敷だ。私の屋敷の隣だ」
明くる日、哲吉と秀之進は戸田保様の屋敷前、博親分と孝吉は戸田保様の御屋敷に通じてる今小路門を見張った。巳之刻、若年寄と道中奉行の駕籠がご家老の屋敷に入って行った。それを追うようにして、若い男女が道中奉行に直訴するように走った。その前を哲吉と秀之進が遮った。二人がなおも迫ろうとするのを、博親分と孝吉が捕らえた。そして隣のお奉行の屋敷に連れて行った。娘の名は華、職人の名は捨吉と言った。二人は、最初は興奮していたが、お奉行の前に出ると、観念したのか静かに成った。秀之進が
「何故、こんな事をしたのか」
と聞くと、娘の華が
「奥匠の主人が二人の結婚を絶対に許してくれず、婿を取る事になって、いっそ二人で死のうと田川の畔に立っていた時、江戸からの旅人が献上品の結城紬を江戸城の偉い人に持っていけば、二人の結婚を許してくれるように結城藩のお殿様から奥匠の主人に言って貰えるとそそのかされて、それをする為には口を利くのに少しお金がいると言われて、献上品の結城紬と他のたくさんの結城紬を持ち出した」
と告白した。隠密が二人を利用して、献上品の結城紬を盗み出させ、それを利用して結城藩を薩摩藩の味方に引き込もうとした陰謀だった。秀之進はお奉行に
「今回の薩摩藩の陰謀が無事に防げた事に感謝します」
と述べて、奥匠の二人には
「私が奥匠の主人を説得して、必ず結婚させる」
と約束した。お奉行も
「こんな事が世間に漏れたら、幕府の信頼は地に落ちる」
と言って、何も無かった事にして二人を許した。
そして、秀之進は二人を連れて、結城に戻って行った。
九月になると今年も野分が吹いて、釜川の水が溢れ大手門が水浸しになって登城出来なくなった日、水戸から陽次郎がやって来た。陽次郎は祐太郎を見るなり
「大きくなったなあ」
と抱き上げて
「うちの美佐江を嫁にどうだ。美佐江はもう歩けるぞ」
と言った。陽次郎と明恵には去年の秋に女の子が生まれていた。
「ところで、今日は何の御用だ」
「水戸藩の後金蔵が破られた。賊は那珂川を上って下野に逃げ込んだらしい。それで追いかけて来た」
「那珂川と言えば那須の方から流れて来る川だろう。それがなんで宇都宮なのだ」
「それが烏山から荒川を上って鬼怒川の大宮辺りで姿を消しているのだ」
「すると、西鬼怒川を使って宇都宮に逃げて来る事も考えられるな。それに宇都宮藩の後金蔵が狙われる可能性もある」
宇都宮藩の後金蔵は哲吉が見破った例幣使の金塊のお礼で増えていた。
「よし、さっそくお奉行に進言して後金蔵を警戒するようにしよう」
お奉行は
「この後金蔵破りは後一ヶ月後に迫った日光社参に関係が有るかも知れない。充分に警戒をするように。特に田川付近の警備は万全にしろ」
と言って、御用舟の数を三隻に増やした。それから哲吉たちは毎日御用舟で田川周辺の捜索に当たった。すると、前の阿片の抜け荷事件の時に、西鬼怒川で舟に乗せて貰った百姓の爺さんに会った。田川の随分上流にいるので、爺さんに
「西鬼怒川と方向が違うだろう」
と聞くと、爺さんは
「洪水で今、西鬼怒川が使えないので山田川を使っている」
と言った。哲吉たちは山田川の事は知らなかったので、さっそく案内を頼んだ。山田川は八幡山の北の外れで田川と合流していて、豊郷村、田原村と逆上って行って、上河内村で鬼怒川と合流していた。すると上河内村に入ったところに羽黒山があった。羽黒山は前のマタギ事件の時にマタギが隠れていた場所だ。哲吉たちは羽黒神社に向かった。羽黒山神社に近づくと、神社の中に人影が有った。よく見ると、マタギの格好をしていた。マタギの残党が残っていたのだ。麓に下りて地元の百姓に聞くと、時々マタギの連中が集まって何かしているようだと言う。それで、孝吉を残して山田川を宇都宮に戻った。しばらくして、孝吉から繋ぎが入った。
「今夜、マタギの連中が動く」
という繋ぎだった。哲吉たちはすぐに田川で網を張った。
丑三つ時、田川に黒い覆面をした黒装束の男たち四人が川舟に乗って現れた。一人は川舟をこいでいた。田川を下って、古多橋の所でお堀に入って、御用米蔵の下河原門の所で川舟を止めると、堀を上って中に入った。そして、小野脇門の横から三の丸に入り、二の丸裏門の横から二の丸、伊賀門の横から本丸に入った。本丸に入ると、すぐ横の御金蔵の屋根に上って行った。賊は三人だった。すぐに御金蔵の屋根に穴を開けた。一人が中に入り、二人で千両箱を引き上げた。千両箱を二つ引き上げると、縄を二の丸の裏門に縛り付けて、御金蔵の屋根から一気に三の丸へ縄を伝って下りたった。
その前に、哲吉たちは三人の黒装束が舟を離れた時に、残りの黒装束の船頭を捕らえていた。そして、黒装束三人が千両箱二つを担いで、三の丸の堀を下りて来るのを待った。一人が川舟に近づいた時、哲吉が
「御用だ」
と言って黒装束に飛びかかった。その後に続いて、陽次郎が後から千両箱を担いで下りて来た黒装束を切り付けた。それと同時に博親分と孝吉が城の取り方と一緒に飛び出して、一瞬のうちに三人の黒装束は捕えられた。
黒装束はやはりマタギの残党だった。阿片の時は、東北のマタギの仲間の所にいて無事だった。戻って来て、幕府に復讐を誓った時に、薩摩から御金蔵破りを持ち掛けられた。水戸藩と宇都宮藩の御金蔵を破って、幕府は失態させる事が目的だった。水戸藩の御金蔵から盗まれた千両箱は羽黒神社の中に隠されていた。陽次郎は水戸の御金蔵の千両箱を川舟に積むと、荒川、那珂川経由で水戸に帰って行った。
日光社参が後二週間にせまった日、彦之丞が哲吉の家の離れにやって来た。
「鬼怒川に放って置いた隠密によると薩摩屋の大隅丸が阿久津河畔に現れた。それと金沢にいた隠密から、金沢藩が越後の新発田から阿賀川を使って、鬼怒川温泉に川舟で鉄砲を運んでいるらしい。どうやら、日光社参の陽之介を襲撃する場所は今市だ」
哲吉と彦之丞と博親分と孝吉は御用舟で山田川を遡り、鬼怒川を通って、大谷川の今市河畔に舟を着けた。そして、勘吉親分の所に塒を定めた。それから、日光奉行所に行って、日光社参の当日の今市杉並木の道順と通り過ぎる時刻を確認した。その後、襲撃し易い場所を幾つか選び出して、日光奉行所の取り方と一緒に襲撃に備える事にした。もちろん彦之丞率いる隠密たちも、襲撃に備えた。
日光社参の当日の未の刻、行列は今市の町並みを過ぎると、杉並木の中に入って行った。すると、大谷川の方から鉄砲の銃声が聞こえた。それと同時に、陽之介様の駕籠に周りから一斉に鉄砲が打ち込まれた。そして、駕籠の横から数人の侍が切り込んで来た。哲吉たちも一斉に陽之介様の駕籠に駆け付けて来た。駕籠の周りは乱闘の修羅場と成った。その修羅場の中、隙を付くように黒装束の女が駕籠に忍び寄り、小刀を駕籠に突き入れた。しかし、小刀は空を切った。慌てて黒装束の女が駕籠の扉を開けると、中には誰も居なかった。哲吉が黒装束の女の前に来ると、いきなり十手で小刀を払った。そして、その手を掴むと大きく投げを打った。黒装束の女は尻餅を付いた。哲吉は抑え込んで
「吉弥あきらめろ」
と縄を打った。彦之丞たちの隠密も駕籠の周りの侍たちを次々に倒していった。日光奉行所の取り方たちも杉並木の周りから鉄砲を打った侍たちを捕らえていた。勘吉親分は大谷川の畔に留めて有る猪芽を見張っていて、逃げて来た薩摩屋を捕らえた。その頃、博親分と孝吉はもう一人の手下を連れて、大谷川の畦道を東照宮に向かって歩いていた。手下に扮装しているのは陽之介様だった。陽之介様が無事に東照宮に着いた頃、陽之介様の空駕籠を襲った者も切られるか、捕らわれるかして騒ぎは収まっていた。そして、襲撃した者たちは日光奉行所の牢屋に入れられた。鉄砲を打った侍たちは金沢藩の者で、駕籠を襲撃した侍たちは薩摩藩の者だった。それぞれの侍たちは極秘に江戸に護送され、それぞれの江戸屋敷に引き渡された。薩摩屋と吉弥も駕籠で江戸に護送された。ところが利根川の渡しで、吉弥が自ら縄をほどくと、薩摩屋の駕籠もろとも川に飛び込んで、行方をくらましてしまった。慌てて川の周りを探したが、二人の姿は何処にも見当たらなかった。
霜月の半ばには松ケ峰の大銀杏も黄葉の真っ盛りを迎えた日、哲吉のところにお城の
お牧の方から呼び出しが有った。以前、お牧の方襲撃事件の時に、後ほど大奥で新内流しを披露する約束を実行させるためだった。
「あの蘭蝶どのと夫婦の成立、話せば長い高輪で、一つ内に、互に出居衆」
哲吉がよし若の三味線で新内「蘭蝶」を、奥方様とお牧の方様の前で披露している。そばでお世継ぎの新之助様も大人しく新内を聞いていた。お披露目が終わって、哲吉がお牧の方様と二人きりになると、お牧の方様が
「奥方様の実家に不穏な動きが有る。世継ぎの幸太郎様が行方不明なのだという。仔細を芳賀に行って、調べて貰えないだろうか」
「承って候」
哲吉は下城すると、芳賀屋を訪ねた。芳賀屋が言うのには
「芳賀藩はお世継ぎの幸太郎様の下に、次男の喜次郎様がいます。ただし、幸太郎様とはお腹が違いまして、側室の直の方様のお子様です。直の方様は烏山藩の家老の娘で、奥方様の綾の方様とは余り仲がよろしく有りませんでした。その奥方様が昨年、急の病で亡くなられてから、直の方様の力が強くなって、お味方するお家来衆も増えていると伺っております」という話だった。
哲吉は孝吉を連れて芳賀に向かった。芳賀の城下は茂木に有り、芳賀藩はそれで茂木藩ともよばれ、九州の熊本藩の細川家の支藩で、一万石のために、お城を設ける事が出来ず、陣屋だった。哲吉と孝吉は油問屋芳賀屋の本店に草鞋を抜いた。芳賀屋の本店の主人は
「どうやら幸太郎様は、大瀬の那珂川の烏山藩の館に捕らえられているようです」
と言って地図を拡げ、大瀬の場所を示した。烏山藩の館は那珂川が大きく左に曲がった崖の上に有った。哲吉たちは館の周りを遠くから観察した。館の正面は階段が一つ有るだけで、周りは崖に成っていた。川の方は舟を着ける小さな艀が有った。哲吉たちは、小舟を探して夜になるのを待った。そして夜になると、小舟を艀のそばに止め、小さな階段を上って館の中に潜り込んだ。幸太郎様は四方を部屋で囲まれた真ん中の部屋にいた。警備の侍が数人いるだけで、幸太郎様はどの部屋にも自由に出入りしていた。哲吉たちは皆が寝静まるの待って、そっと幸太郎様に近づくと、外に連れ出した。そして、小舟に乗せると、那珂川を下り、途中から逆川を上って、茂木の芳賀屋の別邸に入った。直ちに、陣屋のお殿様に幸太郎様の無事を報告すると、側室の直の方様に謹慎を言い渡した。
次の日、哲吉と孝吉は細川のお殿様に、陣屋に召し出された。
「我が藩は本藩が九州の熊本に有るために、いざという時は助けにならん。それで近くの烏山藩と親しくするために、家老の娘を側室に貰った。しかし、側室に次男の喜次郎が生まれると、長男の幸太郎に代わって世継ぎにしたいと言うようになった。奥が生きているうちは良かったが、亡くなると特に望むようになった。世継ぎを変える事は無いので、曖昧にしていたら、烏山藩の者を使って拉致してしまった。烏山藩と敵対するのはよろしく無いので、困っていたところだった。これに懲りて、烏山藩も余計な手立ては慎むだろう。本当によくやってくれた」
「もったいないお言葉をありがとうございます。宇都宮城の奥方様やお牧の方様が大変ご心配になり、我々に様子を見て来るように命じられたのです。出過ぎたまねをお許し下さい」「妹やお牧は生息か。連絡を取りたいと思っていたが、あちらは譜代大名なので敷居が高い」
「いやいやそんな事はございません。烏山藩など頼らずに宇都宮藩をお頼り下さいませ。その方が奥方様もお牧の方様もお喜びになります」
それから哲吉と孝吉はしばらく芳賀屋の本店に滞在して、烏山藩の動向を見定めてから、帰路に着いた。
今年の正月は見事な快晴に成った。哲吉はお店の初売りを新内のお弾き初めで出迎えた。
「太夫といふも松の名の、君は姫松笑顔よき、恵比寿白粉清らかな、初後朝の約束を」
と新内「初日の松」をよし若の三味線で唄っている。そばで、祐太郎が一人立ちして、祖母と親父がお正月のお餅を背負う準備をしていた。手には秀之進が持って来た飾り十手を握っていて、
「御用だ、御用だ」
と振り回わしていた。店では手代と小僧が年賀用に使う扇子や手拭いを求めてくる客の対応でおおわらわだった。
博親分と孝吉は二荒山神社の参道の広場にいた。すると
「スリだ、スリだ」
と言う声があがって、一人の男が人混みのなかを博親分と孝吉の方に逃げて来た。すかさず二人はその男を捕まえた。男はなお逃げようとしたが、孝吉が後ろ手に縛り上げた。見ると常連の俊吉だった。博親分が
「こら、また懲りずに人の懐を狙っているのか」
と言うと、俊吉が
「えへへ、手が勝手に動いてしまうのです」
と言った。博親分は
「とにかく掏り取ったものを懐から出せ」
と言って、孝吉に俊吉の懐を探らせた。すると、立派な財布が出て来た。その後、博親分と孝吉が周りを見回すと、野次馬はいるものの、財布の持ち主を名乗る者は居なかった。博親分が財布の中を見ると、小判が一枚と一分銀が二枚、後はばら銭ばかりだった。立派な財布の割には、二両とちょっとと少ない金額だった。その他に折りたたんだ紙が出て来た。拡げてみると、家の間取り図だった。結局、誰も財布の持ち主が現れないために、俊吉を曲師町の番屋に入れた。
次の日、哲吉の家の離れに博親分と孝吉が来た。
「昨日、二荒山神社の参道でスリを捕まえたのだが、掏られた奴が誰も名乗り出無いのだ。それで、財布の中身を調べたら、家の間取り図が出て来た。どう思う」
「盗人の見取り図か。どんな奴から掏り取ったのだ」
「スリの俊吉が言うのには、老人の町人で懐が温かそうだったので狙ったのだと」
「でも名乗り出ないところを見ると、その初老の町人は盗人か」
「分からない。とりあえずその間取り図を見てみよう」
と、博親分が間取り図を懐から出してそこに拡げた。
「これが何処の店かというのが問題だ」
すると、間取り図のなかに「シナノの間」という文字が有った。
「シナノと言えば、信州だ。信州出の店と言えばどこだ」
「日野町に信濃屋という両替商の店が有る」
「よし、その店に行ってみよう」
三人は日野町の信濃屋に向かった。信濃屋で間取り図を見せると、間違いなく信濃屋の間取り図だった。信濃屋の主人は
「シナノの間とは善光寺さんから頂いた小さな仏像が置いてある部屋で、信濃屋の者しか知らないはずの部屋です」
と言った。
「そう言う事は信濃屋をよく知っている者が書いた間取り図だという事だ。心当たりはないか」
「いえ、うちの奉公人はみんな信州の親戚の村から来た者ばかりで、そんな不埒な考えを持つ者はいません」
「とにかく、よく注意しているように」
と言い残して三人は信濃屋を後にした。
博親分がと孝吉は信濃屋の周りで聞き込みを始めた。すると一年程前に、手代の一人が首を括って自殺していた。手代の元吉は先代の主人が今の主人に子供が生まれないのを心配して、信州の親戚から跡取りとして貰って来た子供で、その後今の主人に長男の長吉が生まれたために、手代として信濃屋で働いていた。しかし、長男の長吉からイジメを受けて、先代の生きているうちはそれ程でも無かったが、先代が死ぬとイジメが酷く成って遂に自殺してしまった。その他に何か信濃屋の噂を聞き込むと、信濃屋は相当強く取立をしているらしく、評判は余りよくなかった。すると一週間程前、亡くなった手代の親戚の者という老人が訪ねて来た。老人は元吉も先代の主人も亡くなった事を知らなかったらしく、大変がっかりして帰って行った。哲吉は信濃屋を訪ねて来た老人と財布を掏り取られた老人が同じではないかと思い、博親分と孝吉の三人で老人の探索を始めた。そして、石町の旅籠に泊まっていた事を突き止めた。宿帳には江戸在、英五郎と名前が書かれていた。しかし、二日前から荷物を旅籠に残したまま姿を消していた。
旅籠の主人は
「何でも十年程前までは宇都宮で大工をしていたらしく、それから江戸で仕事をしていて、久し振りに宇都宮にいる甥っ子を訪ねて来たと言う。甥っ子は自殺していて、信濃屋に殺されたと言い、必ず仕返しをしてやると言っていた」
と言った。哲吉は
「すると、あの間取り図はその老人が書いたもので、信濃屋に侵入して何かをするためのものなのか」
と思った。哲吉は十年前まで宇都宮にいたとなると、日光社参のための宇都宮城本丸改築工事に参加していたのではないかと思い、その当時の大工の名簿を調べた。すると、かの例幣使金塊事件の時の房吉の仲間の中にいた。哲吉はさっそく上河原町にその仲間を訪ねた。すると、その仲間のところを英五郎は訪ねていた。哲吉がその仲間に尋ねると
「はい、十年ぶりだと言って、英五郎棟梁がお見えになりました。甥っ子を訪ねて来たがお亡くなりになっていたので、がっかりした様子でした」
「何処かに行くと言っていなかったか」
「甥っ子の墓参りに行くと言ってました」
「信濃屋の墓はどこだ」
「確か清巌寺だと言ってました」
哲吉は清巌寺を訪ねた。清巌寺の和尚は哲吉に
「信濃屋の亡くなった手代の事は先代の信濃屋の主人からよく聞いておりました。実はその手代は親戚の子供ではなくて、先代が店の女中に生ませた子供で、しばらく外に住まわせて置いたのを、間もなく母親が亡くなったので、先代が親戚の子供だと言って引き取ったのが真相です。今の主人も先代が可愛いがるので、訝しく思っていたようで、先代がいる時は何も無かったのですが、先代が亡くなると倅と一緒になって邪険にするようになり、とうとう自殺してしまって、可哀想な事をしました。先代が亡くなった母親の墓を密かに信濃屋の墓の傍に設けましたので、今回、手代の亡骸も密かに母親の墓に入れました。大工の英五郎が訪ねて来た時に、初めて母親が英五郎の娘である事を知りました。母親は小さい頃に事情が有って家を飛び出した英五郎の事は知らなかったそうです。後で娘が信濃屋に奉公していた事や信濃屋の主人の子供を産んだ事や亡くなって子供が信濃屋に引き取られた事を知ったそうです。でも孫が幸せに暮らしているならそれでいいと名乗り出無かったそうです。でも今回、孫が自殺した事を初めて知って、今の信濃屋の主人は許さないと英五郎は言っていました」
と言った。哲吉は和尚の案内で信濃屋の女中と自殺した子供の手代の墓に行った。墓は信濃屋の墓から数十間離れたところにポツンと立っていた。数日前に英五郎が訪れたのか綺麗に花が飾って有った。
それから一か月程、何も無く、英五郎の消息も分からなかった。
そして、事件が起きた。何者かが音もなく信濃屋に忍び込み、千両箱一つとたくさんの書付け証文が盗まれた。後で解った事だが、外塀には中に忍び込めるように細工がしてあり、金庫が置かれていたシナノの間の床下には簡単に忍び込めるような細工がして有った。信濃屋はここ数十年普請をした事がなく、先代がこの建物を建てた時からの細工だった。
その後も、信濃屋に入った賊の手掛かりはなく、半年も過ぎる頃には信濃屋の店の商いもおかしくなり、一年後には店を閉めた。盗まれた千両箱の影響はそんなに多く無かったが、両替商にとっては書付け証文がなくなったのが痛かった。証文が無くてはお金の取り立てが出来ず、両替商としては致命的だった。それからしばらくして、清巌寺に百両程の金が送られてきた。添えられた手紙には恵まれない子供たちのために使ってくれと書いて有った。
同じように他のお寺にも数十両ずつのお金が届けられ、同じような手紙が入っていた。
哲吉は一連のこれらの話は英五郎の仕業だと思った。多分、英五郎は大工仕事をしながら、あちこちの店に細工をして、その細工をした店の間取り図を盗賊に売る舐め役だったのだろう。だから、一時は所帯を持ったもののそれがばれるのを恐れて、逃げ出したのだろう。娘が大きくなるのを影ながら見守っていて、偶然にも自分が細工した店に女中として雇われた為に、間取り図を売るのを止めたのだろう。ところが今回、久し振りに宇都宮に戻ってみると、可愛い孫がイジメにあって自殺している事を知って驚いて、復讐の為に自ら盗みに入ったのだろう。だから、お金よりも証文の方をたくさん盗んだのだろう。英五郎の思惑通りに信濃屋は商売が出来なくなり、店を閉める事に成った。
それからしばらくして、清巌寺の和尚より英五郎が現れたと連絡が有った。哲吉は和尚に
「もし、英五郎が現れたら連絡をしてくれ」
と頼んで置いたのだ。さっそく、哲吉が駆け付けると、英五郎は庫裡で和尚とお茶を飲んでいた。哲吉は懐から信濃屋の間取り図を取り出すと英五郎に
「これは、スリの俊吉という者が町で老人から掏り取った財布の中に有った物だが見覚えはないか」
と言うと、英五郎は
「さあ、分かりませんが何で私に」
と答えた。哲吉は
「この寺に葬られている信濃屋の自殺した手代はお前の孫というではないか。二十年前に信濃屋の普請をした時に、取って置いた間取り図ではないのか。この度、信濃屋に盗賊が忍び込んで、千両箱とたくさんの証文が盗まれた。それで、信濃屋は商売が出来なくなって、店を閉めた。お前は見事に孫の復讐をしてのけた。証拠は無いけど、今日、墓参りに来たのは、その報告に来たのではないか」
と言うと、英五郎は
「ええ、確かに誰かさんが盗みに入ってくれたお陰で、信濃屋は潰れました。有難い事です」
と呟いた。哲吉が
「ところでお前さんはこれからどうするのか」
と問うと、英五郎は
「へえ、江戸で仕事をした蓄えが有りますので、孫を生前に可愛いがってくれた信濃屋の女中を引き取って、こちらで小さな小間物屋でもしようと思っています」
と答えた。すると、和尚が
「この寺の門前に小さな小屋が有るので、そこで小間物屋をするとよい。寺に参拝する者に花を売ったり、他の物を売ったりしてくれればそれでよい」
と言ってくれた。哲吉は
「じゃあ、その時はよろしく」
と言って清巌寺を後にした。いまさら、英五郎を問い詰めても仕方が無いだろう。悪いのは信濃屋の方で、もう少し自殺した手代に気を付けていれば、こんな事にはならなかっただろう。自業自得も仕方がないことだった。
祐太郎が生まれて三回目の燕の巣に雛が誕生した皐月の末、中河原の遊廓で一人の武士が殺された。哲吉と博親分が駆け付けると、首の所に鋭い刃物で刺されたような跡が有った。
吉弥が現れた。哲吉と博親分はそう思った。武士の身元はすぐに解った。一緒に遊廓に来ていた武士は喜連川藩士だった。哲吉が藩士に様子を聞くと、
「夜、隣の部屋が静かなので様子を伺うと、殺されていた。相方の女は居なかった」
と答えた。店主に相方の女の事を聞くと、
「入ったばかりで、よく分からない。江戸から流れて来た女で三味線が弾けるというので直ぐに雇った。てっきり三味線で相手をしていたと思っていた」
と言った。哲吉が藩士に
「ところでこの宿に泊まったのは何か理由があるのか」
と聞くと、
「実はこの宿で密かに人と会う約束をしていたのだ。私は護衛でよく分からないが、殺された渡辺さんが会う人を知っていた。現れないので女を呼んで待っていた。油断してしまった」
と言った。それからしばらく、哲吉と博親分は遊廓で色々調べて見たが、それ以上の事は分からなかった。
その晩、珍しく隠密の彦之丞が訪ねて来た。そして
「喜連川藩の藩士が会おうとしたのは俺だ」
と言った。
「何か訴えたかった所、吉弥に先を越された。また、薩摩屋が何か企んでいる。喜連川藩に潜り込んで調べて見るつもりだ。吉弥が傍にいるから、お前も気負付けろ」
彦之丞はそう言うと哲吉の家を出て行った。
それから一週間後、水戸の陽次郎が訪ねて来た。
「薩摩屋の大隅丸を追いかけて来た。実は薩摩屋は一年前から水戸の弘道館の若い武士に色々と援助をして来た。元々、弘道館は勤皇の思想家が多く、京都の公家との関係も深い。そこに付け込んで色々な工作をして来たのだ。つまり薩摩藩が今の幕府を天皇中心の幕府にする為の工作なのだ。俺は水戸藩からその証拠を掴む為に探索を命じられてきた。そしてここで、新たな動きがあったのだ。薩摩屋の大隅丸が那珂川を遡って下野の烏山藩に接近して、そこから小舟で荒川を遡って喜連川藩とも接触し始めたのだ。喜連川藩は足利家で高家の勤皇派だ。どうやら薩摩藩は水戸藩、烏山藩、喜連川藩、そして元々、日光の輪王寺は勤皇のお寺だから、この三藩と一寺で勤皇派として攘夷をやるつもりなのだ。ところで宇都宮藩はどうなのだ」
「宇都宮藩はこの前の日光社参で薩摩藩の襲撃を退けた程の親幕藩だからそんな事はないと思う。一応、この事はお奉行に知らせよう。ところで殺し屋の吉弥が現れた。喜連川藩の藩士を宇都宮の遊廓で刺し殺した。この事に関係が有るかも知れない」
そこに彦之丞が現れた。
「今の話を天井裏で聞いた」
すると哲吉が
「家の天井裏などに忍び込むな。堂々と家の中に入ってこい」
と怒鳴った。
「いや、誰か分からなかったので用心した。どうやら今の話を聞くと、間違いない。薩摩は攘夷を理由に各藩の勤皇派の連中を焚き付けて幕府を乗っ取るつもりらしい」
それから、三人で宇都宮城にお奉行を訪ねた。直ちに対策会議が開かれ、それぞれの藩に密使がお奉行の手紙を持って出掛けた。哲吉は喜連川藩に、陽次郎は烏山藩に向かって、そのまま水戸に報告に帰って行った。彦之丞は江戸城の老中の元に戻って行った。
哲吉は一人で阿久津河畔から鬼怒川を渡って喜連川に向かった。喜連川城は荒川添いの丸山の上に有った。哲吉は喜連川城下に入ると、大手門近くの旅籠に泊まった。そして殺された渡辺氏の護衛をしていた藩士の竹内氏が通っている剣術道場を訪ねた。哲吉は竹内氏に
「亡くなった渡辺氏と浸しくしていた者を知らないか」
と尋ねると、門弟の一人を紹介した。哲吉は彼に
「今、喜連川藩士の中で攘夷の藩士はどのくらいいるのか」
と尋ねると、
「ほとんどの藩士が攘夷だ」
と答えた。哲吉はさらに
「その中で攘夷運動で何か起こそうとしている者はどのくらいいるのか。貴方もそうなのか」
と聞くと、
「私は違うが相当の者が攘夷運動に参加している」
と答えた。
「ご家老は攘夷運動に参加しているのか」
「いや、殿様やご家老はそんな運動には参加していない。そんな事が分かったら、喜連川藩は取り潰しに成る」
「それが本当ならば、ご家老に取り次いで貰いたい。実は、私は宇都宮藩のお奉行から密書を預かって来た者だ」
それから哲吉は門弟の案内で家老の藩邸に入った。そして、宇都宮藩のお奉行の密書を喜連川藩のご家老に渡した。哲吉は無事に役目を果たすと、宇都宮への帰路に付いた。喜連川の城下を出て、荒川の土手に差し掛かると、目の前に吉弥が現れた。
「よくも邪魔をしてくれたな。お前を切る」
吉弥はそう言うと、三味線の仕込み刀を抜いた。そして、哲吉にいきなり切り付けて来た。
哲吉は吉弥の懐に飛び込むと、刀を持った手を抱え込んで大きく投げを打った。それから抱え込んだ手を離さずに、刀を取り上げると、利き腕をいきなり捻って、折って使えなくした。吉弥は「うーん」と言ってその場にうずくまった。
「もう、これに懲りて静かに暮らすのだな」
哲吉はそう言うと、荒川を後にした。男体山から下野の風が吹き抜けていた。