決心をすれば終わりは一瞬
「其方……」
そして意外なことに、シスト王子の発言にミラも大きく動揺を見せる。
彼のそれは、慄くわたしたちのとはまた少し毛色が違う動揺な気がした。
とんでもない予想外に見舞われてというより、隠していた何かを言い当てられた、みたいな……。
そのミラに目を向けてから、シスト王子はわたしに視線を戻し、微笑する。
「確かに、貴女の猫だったようですね」
「……そう、申しました。そしてもちろん、心配は無用です。と、申しております」
あまりの得体の知れなさに、通訳してくれたニーナの声も僅かに震えていた。
「そのようです。貴女には良き縁があるようですね。――私と違って。それでは、また後日」
いい縁じゃないと思う、絶対!
シスト王子の背に向かって、心の底からの否定を言葉にしないまま投げ返す。彼の言葉への否定を、ここまで確信したのは初めてかもしれない。
エディルさんはまだもの言いたげだったけど、シスト王子が本当に問題にしないつもりなのが分かると、黙って彼の後を追った。もっとも、不安と不満を眉に現しつつ、ではあったけど。
さて、わたしは――
「ニーナ、フェデリ、来い。無論、ミラを連れてな」
徐々に人がばらけ始めた現場から、二人を誘って踵を返す。
向かう先は庭園『愛の女神の祝福』を眺めることができるバルコニーに続く廊下の一つ。……そこに、ミラが出てきた鏡の国への入り口がある。
「陛下……」
行き先を悟って、ニーナがためらうような声を上げた。多分、これから先のわたしのことを案じて。
不安はある。でも、元々そうするつもりだったんだもの。踏ん切りがつくような事件が起こるまでダラダラしてしまったのは、わたしの弱さだ。
わたしたちが足を止めたのは、壁の中に不自然に存在している両開きの大扉の前。これが入り口だ。
自分で張った結界を解き、振り返る。
「フェデリ、それをさっさと投げ捨てろ」
「……エリノア」
わたしはやっぱり、鏡の国の魔物という存在を、甘く見ていたんだろう。
警戒しないとと思いつつ、心のどこかで、ハートの国編のシナリオは終わってるからきっと大丈夫と、楽観している部分があった。そうでなければミラを側に置いたまま見過ごしてなんかいないもの。
ミラはわたしを害するつもりはないと言っていたし、事実そうなのかもしれない。
だがそれは、ミラが改心したからじゃない。本性が変わったわけでもない。自分のために、自分にとって都合がいいからそうすることにしただけ。それを思い知った。
「さっさとしろ」
ためらう様子を見せるフェデリを急かし、扉を開ける。
「まあ、仕方あるまい」
それでも動かなかったフェデリに代わって行動を起こしたのは、ミラ本人だった。フェデリの腕の中から抜け出すと、軽やかに着地。
「己の身の多少の不自由などで、混乱を招く種を許容する其方ではあるまい。明るみに出た時点で諦めねばならぬのは自明。我輩は一度戻るとしよう」
一度って何だ。
「――待ちなさいよ。もし、もし本当にあんたにエリノアへの情があるなら、呪いを解いて行きなさい。帰るんだから、もう理由もいらないでしょう? それとも、嫌がらせとして残していく気?」
「……ふむ」
ニーナの言葉に、道へと向かおうとしていたミラは足を止めて、振り向く。そしてわたしを見上げたあと、少し考える素振りを見せてから首を振った。
「やはり、そのままにしておこう」
「あんた……!」
「今の其方らに納得はできまいが、どうも状況が変わった感がある。その呪いは、今後女王の益となろう。ゆえに、解くことはせずにおく」
「何だと……?」
い、意味が分からない。この毒舌に一体どんな益があると?
確かにこう、強引に自分の意見を押し通したりするのには、多少便利だったかもしれない。わたしの口がもし自由になるのなら、あんな態度は選ばないから。
――でも、そう。『選ばない』のだ。望んでない。別の方法を模索するし、そうしたい。人を傷付ける物言いなんかしたくないもの。
プラスとマイナスなら、マイナスの方がはるかに大きい。マイナスにするための呪いだから当たり前だけど。
「ではな、女王。落ち着いたらまた邪魔をする。楽しみにしていたまえ」
「この地に二度足を踏み入れてみろ。即座に処分してくれる」
「ふっ」
不可能な冗談を聞いたような嘲笑を後に残して、ミラは鏡の国へと続く道へと消えた。すぐさま扉を閉め、結界を張る。
ミラのことはこれでいい。そろそろシスト王子も視察を終えるだろうし、間際で慌てる必要もなくなった。
そして、もう一つ。
「フェデリ。貴様、ミラが魔法を使っていたこと、気付かなかったのか?」
ミラはエディルさんに精神支配の魔法をかけていた。おそらくシスト王子が言っていたように、ヴァーリズをクローバー王国に渡らせるために。何ならシスト王子が言っていたから確信に変わったまである。
そうじゃなくても、ミラはヴァーリズに別の国に行くよう勧めていた。協力するほどにその存在を気に掛けていたのなら、やはり無関係でもないのだろう。
そういうことをさせないために、フェデリにはミラの側にいてもらったのだ。
ミラに出し抜かれただけ? それなら仕方ないと言える。ジョーカーだって一人の人間。そういうことだってあると思う。
でも、でももし、そうじゃなかったら。
わたしの脳裏にかつてのニーナとの会話が甦る。
フェデリはハート王国を護ってくれた。なんなら、今回のミラだって多分、ハート王国に害を与えることをしようとしていたわけじゃない。……その代わりにクローバー王国を選ぼうとしていた。
問いかけたわたしに、フェデリは――微笑した。誤魔化すものを。
でもその笑みは、とても下手だった。無理に笑っているのだと一目で分かってしまったから。
「エリノア。俺は、そろそろハート王国を出ようと思う」
そして返してきたのは、質問の答えになっていない内容。
「そして、クローバー王国に行くのか?」
「さあ? それはまだ決めていないけれど」
――嘘だ。
「先程の質問にも答えていないぞ。妾を謀ろうとは、いい度胸だ」
誤魔化したのだから、それが答えであるのかもしれない。皮肉にも、フェデリがミラを指摘したのと同じように。
……けれどわたしは、フェデリからの答えが欲しい。
退かないつもりで見上げていると、フェデリは一つ、困ったような息をつく。
「……分からないんだ」
「分からない、だと?」
「俺は確かに、ミラが魔法を使ったのを知っていた。どういうものかの想像もついた。けれど、それを止めようとは思わなかったんだ」
あ、れ?
フェデリのその思考、わたしにも覚えがあるような……。
「君に話す必要性も感じなかった。ヴァーリズはただのオウムなのだから、クローバー王国に向かわせても問題ない、ってね」
言いながらも、フェデリはその言葉にも納得していない様子を見せた。
感じなかった、というより――感じないように捻じ曲げられた、そんな気持ちの悪さじゃないだろうか。
変だな。わたしにはそんな経験ない、よね? なのにどうして覚えがあるような気がしてるんだろ。現実感を伴って想像できてしまうんだろ。
「妙な話だろう? ミラがただのオウム相手に、そんなことをするはずもない。まるで、そう――邪魔をするべきではないと、俺の中に大前提があるかのような」
「……」
「エリノア。俺は、今の『俺』が一体何であるのかが、分からないんだ」
「知っているとも」
ある日突然『ジョーカー』になり、それまでの自分を失っている今のフェデリは、自身の感情、思考さえ、真実己のものである確証が持てない。
そしてそれの答えは、わたしも知らない。ゲームでも言及されなかったから。といっても、ここはゲームに都合のいい部分や設定を抜粋しただけの『モデルにした世界』でしかないから、たとえゲームでどう描かれてても、イコールと思い込むのは危険なんだけど。
「知らなくても構わないと思っていた。そんなものはなくても生きるだけならどうとでもなる知識があったし、自分のことなんかより、世界のことの方が余程興味深い。俺は、世界の真理を知らなくてはならない」
やっぱり妙だ。
途中までは望みのように語っていたのに、最後のそれは強制だった。
今まで必要がなかったから、深く考えたことなかったけど。
『ジョーカー』って、一体、何?
フェデリも自分の発言のおかしさに気付いたのだろう。舌打ちをして、振り払うように首を振る。それで晴れるようなものではないだろうけど、やらずにいられない心境、といった様子で。
事実、フェデリの表情は一切晴れてない。




