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「――陛下。失礼いたします」
取りかかろうとした丁度そのとき、扉の外から声がかかった。わたしが身を正す一拍を置いてから開かれた扉の先にいたのは、侍従長であるクライン。
「緊急の早馬が到着し、陛下の耳に入れたい件があると伝令が申しております」
……物々しいな。
とはいえ、緊急だと言われているものを聞かない選択肢はない。
「よかろう。通せ」
「は」
クラインが身を引き入室の許可を与えると、騎士が一人進み出てきた。数日分の埃と汗の臭いを身にまとったままで登城するのは王宮では異質で、だからこそ彼がどれだけ急いているかがよく分かる。
「その見苦しい様を妾の眼前に晒してまで申そうというのだ。さぞ重要な報告なのだろうな? くだらぬ話であれば、死刑ぞ」
「はッ。わたしはハスヴァロに駐在しております騎士のジュノスと申します」
ハスヴァロ、と聞いてわたしは机の上に視線を走らせる。さっき魔獣被害を確認した町の名前だ。
「現在ハスヴァロは魔獣の襲撃を受け、交戦中。既存の戦力では防衛しきれません。至急、援軍の手配をお願いいたします!」
「な……」
何、それ!?
この世界には魔獣がいる。人や町を襲うこともある。だから当然、備えもある。充分な備えが。それで護り切れないって、どういう――
――いや、違う。
備えがあったから、今、持ちこたえているのだ。過去との違いを数えることに意味なんかない。
「それが報告のつもりか? 数は、種は、力はどうだ」
「数はおよそ二百。四つ足の獣型です。鱗狼に似ておりますが、大きさはその一・五倍程。新種である可能性もあります。戦力比はおよそ獣一に対して騎士三名でどうにか……」
どうにか、か。
ハスヴァロの常駐軍は確か百五十。余裕を持って六百人ぐらいは送りたいところ。
だけど、どこから出す?
この四印の世界、地球と比べて人口が大分少ない。ここ、王都であるローズクォーツでも七万人ぐらいしか住んでいない。
魔獣から防衛するための外壁の都合とか、医療技術とか農業技術の問題とか諸々あるけど、まあ、我が国が特別少ないってわけではないことは主張する。
国土は多分イギリスぐらいだと思う。開発の人手が足りなくて手つかずの所も結構あるから、使用面積は少ないけど。
その中で軍人と呼べる職業にある人は、ざっと五千人ぐらい。
……どこからどうやって援軍を送るにしろ、これはわたしが一人で決められる案件じゃないな。色々な部署へのすり合わせが必要になる。
「ご苦労、下がれ。クライン、緊急会議を招集する。各部、長以上の者をすぐに呼び出せ」
「承知いたしました」
伝令に駆けてきてくれた騎士とクラインを下がらせ、わたしは再び、窓の外を見た。
さっき見たときと何も変わらない、長閑で平和な光景。けれどその先で今まさに、凄惨な戦いが起こっているのだという。
……どうしてこんなに、いきなり。
わたしが知ってる四印のアリスは、この世界をモデルに作られただけのものだから、物語に存在していないことが起こっても不思議じゃない。
分かっているつもりだったけど、それでも、こういう暴力的なことが起こるのが、信じ難い気持ちになったのは確か。
わたしはまだ、ここを現実だと受け入れていなかったんだろうか?
何となく持ち上げ、そっと窓に付いた手を見て、わたしは目を見張る。
意識なんて及ばなかった。見て初めて、わたしは自分の手が震えているのに気が付く。
……そうか。そうだよね。
現実感が薄いのは、わたしの今までの――前世含めての人生において、起こったことがない事態だから。
感覚は追いついてないけど、深いところはもっと素直だ。わたしは今、怖いと思っている。とても。
指を逆の手でゆっくりと折り曲げ、震えを抑え込む。そしてゆっくりと息を吸い、吐いた。
よし、行こう。
執務室を出ると、控えの間にいる侍女や侍従の皆が一斉にこちらを見た。早馬で騎士が駆けてきた時点で、不安を掻き立てるのに充分だ。皆、一様に強張った表情をしている。
「妾に仕える者が、何という顔をしている。顔を上げよ、背筋を伸ばせ、みっともない!」
「!」
いつもの通り高慢で失礼で、しかし強気にだけは満ち満ちている叱責をしたわたしに、一斉に視線が集まる。
「とても妾の側に侍るだけの有能さを持ち合わせているとは思えん姿だ。そうは思わないか?」
嘲笑を含んだ調子で視線を巡らせば、皆、しゃんと顔を上げて背筋を伸ばし、今度は毅然として見返してきた。
「仰る通りでございますわ。無様を晒したこと、お詫び申し上げます。陛下に仕えるわたしたちがうろたえては、下の者を余計に不安がらせるばかり。――揺らがぬ陛下のお姿、頼もしく存じます」
同じ職業に付く多くの人たちの中から、選ばれてここに立つ人たちだ。仕事に、立場に、プライドを持っている人しかいない。
挑発に対して自らを奮い立たせ、精神を持ち直すことのできる彼らをこそ、頼もしく思わずにいられない。普通はむしろ折れる。
「当然だ。妾は貴様らとは出来が違うのでな」
しかし残念ながらわたしが返せるのは、嫌味と意地の悪い笑みだけなのだ……。
「ニーナ、供をせよ。会議室へ行く」
「承知いたしました」
ニーナを指名し、部屋を出る。廊下に出ると、執務室の警備にあたっている騎士二人が、揃ってわたしに敬礼をした。
真っ直ぐにわたしへ向けられたその行動には、形が美しい以上に気持ちが伴った熱を感じて、つい目を瞬いてしまう。
女王になって毒舌の呪いをかけられてからこちら、目を逸らされることや追従の諸々はあっても、本心から肯定的な視線を受けることなんか殆どなかった。
でも彼らはきっと今、わたしを認めてその行動を取ってくれたのだ。
だからちょっと――顔が緩むのも許してほしい。
かなり露骨だったのか、騎士の顔も少し驚いたものになる。あまりヘラヘラしているのも恰好つかないので、扇で口元を隠す。表情が崩れたことは他言無用と軽く睨むと、苦笑と共にうなずかれた。
「行くぞ」
「はい、陛下」
いつもより、心なしかニーナの声が弾んでいる気がする。
「?」
疑問に思って目で問うと、ニーナは「ふふ」と楽しげに笑う。
「口が悪くても態度が悪くても、時間をかければ案外どうとでもなるかもしれないわね。行動だけは本当のあなただもの」
聞き咎められないよう小声で、そして早口でそう言ってくれた。
ニーナが二人きりと断言できる場所以外で、臣下以上の態度を取るのは珍しい。それだけ可能性を喜んでくれたってことだろう。
わたしのことでそうやって喜んでくれることが、わたしも嬉しい。
楽観的過ぎるのは良くないとは思うんだけど、だったらいいなと思うぐらいには、前向きになれる嬉しさが生まれた。
事が事だけに、会議室の席はすぐに埋まった。
「さて。呼び出しに来た者からすでに事情は聞いているな? 始めに言っておくが、これは迅速な対応が必要な案件だ。くだらぬ意見で妾を煩わせぬよう心せよ」
一同を見回したわたしの、発言をためらう物言いから会議スタート。しかしそんな空気をものともせず、即座に挙手をして発言を求める勇者が一人。
「陛下。理由は告げられましたが、情報共有が正しいかの確認をしたく思います」
近衛騎士団長であるジャックだ。
「よかろう。貴様が得ている情報を述べろ」
「はッ。青雲の月四日、ハスヴァロにて小規模な魔獣の襲撃が発生、これを撃退。後同月八日、大規模な襲撃を受け交戦中。現在援軍が求められています」
「相違ない」
各部への伝達は歪まず届けられたようである。
「どれ程の数がうろついているか分からん以上、近隣の街から兵力をすべて集めるわけにはいかん。五十かそこらが妥当だろう」
周囲の街の駐在兵力も、ハスヴァロと似たようなものである。むしろ少ないぐらい。そこから出すならそれで限界だろう。
そしてその人員は防衛のための時間稼ぎだ。
「援軍の本隊はローズクォーツから出す」
討伐に打って出られるだけの纏まった兵力のある近隣の町って、ここになるんですよ。
「そうするよりありますまい。しかし聞くところによると、魔獣は騎士三人で抑え込むのがやっとであるとか。千近くも王都から兵を割くのは、いささか心もとなくありますが……」
軍事を統括する軍務局長が、やや苦い顔をしつつもうなずく。しかし一部には否を唱えさせてもらおう。
「阿呆が。貴様の頭は飾りか? 急を要すると何度言えば理解する。ぞろぞろ連れ歩いて足を遅くするつもりはない。向かうのは近衛騎士百名で充分だ」
近衛騎士は騎士の中でも特に優れた人しかなれないエリートたちである。一般の騎士三人で抑え込むのがやっとなら、近衛騎士なら騎士一魔獣二でも戦えるだろう。いや、そんな状況にしないけど。
損傷が出ているとしても、外壁があればもう少し有利に戦えるはずだ。でなければハスヴァロはとっくに潰滅している。




