仁と涙の日常
「ただいま、っと」
砂を軽く落としてから、僕は家の中に入る。出迎えるのは、木とニスの香り。それと、天井に設置された人工灯。それらが殺風景な無の景色から、暖かみのある生の世界に僕を誘う。
この建築物の名は『副楽園』。この星最後の木材で造られたこの3階建てのログハウスこそ、僕達の住処なのである。
リュックを床に下ろし、まだ雨に濡れていないカッパを脱ぐ。外から帰って最初にするのは、いつ通り消費した分の燃料補給。
フューエルサーバーから2つのマグカップに、アンドロイドの燃料である『同善血液』を注いでいく。2つのマグカップが赤色の液体でいっぱいになると供給は自然に止まるので、僕はそれを片手で持って2階の寝室に向かう。
なぜマグカップが2つもあるのか。それは、この家の住人が僕の他にもう1人いるからだ。
『製造番号:ZD-570』。男性型の僕と対になるように造られた、女性型のアンドロイド。純白の髪を肩まで伸ばす彼女は、今日も穏やかに窓の外を眺めている。
彼女の部屋を訪れた僕は、空いた手で開かれた扉にノックする。彼女はその音に気付いて、僕の方に顔を向ける。
「ジン、帰っていたのね。おかえりなさい」
「ただいま、ルイ」
僕達は、いつものように互いの名を呼ぶ。相手が生きていることを、しっかりと確認するように。
彼女の顔の右半分は、人工肌の裏にある機械的な下地が無残にも剥き出しになっている。しかし、奇抜なファッションを着こなすように、機械的な下地すら彼女の美の一部となっている。
人類曰く、真に美しいものは黄金律で出来ているんだとか。なら、彼女は外見だけでなく、その中身まで黄金律で出来ているのだろう。
「はい、これ。君の分のマグカップも持ってきておいたよ」
「ごめんなさいね。今の私じゃ台所にも行けないから……感謝するわ」
そう言って、彼女は左手でマグカップを受け取る。6年も前に機能を停止した右半身は、ピクリとも動く様子はない。
「それじゃ、一緒に飲みましょう」
僕は彼女に笑顔を向け、ほんの少しの悲しみを隠しながら、イスに腰を落ち着けた。
『溶命病』――それが彼女を蝕む病魔の名前だった。
僕達の骨格である『成長金属:人道』は、無限に成長し続ける高次の地下資源だった。
説明を付け加えるなら、『成長金属:人道』は電気信号を流すことでその成長に方向性を持たせることが出来る金属だ。僕らの骨格に応用すれば、人類のように成長するアンドロイドが出来上がるという訳だ。
しかし、哀しいかな。ジュラルミンケースの錠前が砕けてしまうように、脆弱性のない物はこの世に存在しないんだ。
『成長金属:人道』は酸性雨に浸食されると、成長を止めて溶け始める。
もちろん、ちゃんと表面をコーティングすれば問題にはならない。人類が生きていた時代も適切な処置を施せたので、あまり問題視はされなかった。
しかし、今は状況が違う。資源が枯渇した現代では充分な表面のコーティングが行えなくて、酸性雨に晒され続けば『人道』が浸食されてしまう。
そうなれば、濡れた部位を切除しない限り浸食は止まらない。骨伝いに浸食は進み、体は機能を失っていき、最後には機械仕掛けの命を溶かす。
『溶命病』とは、『成長金属:人道』を用いて造られたアンドロイド特有の、クソッタレな不治の病のことだった。
ルイも、酸性雨を浴びすぎて『溶命病』にかかった。
6年前に1人で外に出た彼女は、不幸にも脚部の機能不全に陥り、3時間も酸性雨を浴びてしまった。
浸食レベルは3にまで達し、部分的な切除は不可能。徐々に右半身は麻痺していき、テクスチャを管理する人工肌と、触覚、聴覚は、辞表を提出することなく労働を放棄した。
今では寝たきりとなり、彼女は窓から外の世界を眺める毎日だ。
「いただきます」
「いただきます」
コツン、と互いのマグカップでハグを交わし『同善血液』を飲む。燃料が胃に送られ、1日分の喉の渇きが潤される。
「で、今日もまたガラクタ漁りをしていたの?」
ルイの言葉に、マグカップを傾けながら答える。
「例の如く、進み具合は牛歩だけどね。ああ、でも今日はとっておきを掘り出したよ。ふふっ、君も驚くぞ」
僕はウエストポーチから『全国民謡・童謡集』を取り出し、勢いよくルイに見せる。
「えっ、嘘……これって紙の本!? 夢じゃない、よね?」
「夢なもんか。正真正銘、僕が見つけたんだ」
「驚きだわ……この時代にもまだ残っていたなんて。もしかして、これをずっと探していたの?」
「いや、それはちょっと違うんだけどね。けど、ルイはずっと紙の本が欲しいって言っていたろう? だから君にと思ってさ。もしかして、気に入らなかった?」
「否定するわ、私はとっても嬉しい。……でも、同時に疑問もある。どうして、そんな貴重な物を私に?」
彼女はこれでもかと首を傾げ、僕に疑問符を投げつける。
彼女が問うているのは、僕の行動基準についてだろう。
アンドロイドは人間が使っていた物に対して、収集欲と独占欲が働く。つまり、普通なら「人間が使っていた物を自分だけの宝物にしたい。他のアンドロイドに渡したくない」という考えが働くのだ。
でも、僕らは『撥条の花』が最後に造ったアンドロイド。最後に死ぬべき知的生命体として造られた僕らは、独占欲が少しだけ薄い。
おそらく、既存のアンドロイドとは思考回路が異なるのだろう。
「僕達はセットで造られたアンドロイドだ。身長も、体重も、体の構造も、多分心だって同じだ。だから、僕が生きている以上、君がいなくちゃ駄目だ。君が歩けないと言うのなら、僕が君の脚になろう。僕が見つけたハードボイルドを、君と共有しよう。だから僕のために、その本を受け取ってはくれないかい?」
「……拒否するわ。こんな物、受け取れない」
彼女は手を突っぱねて、また窓の方を向く。
変な所で頑固というか、意地っ張りというか。そういう所は昔と何もちっとも変わらない。
しかたがない。ここは1つ、人間達の知恵を借りるとしよう。押して駄目なら引いてみろ、ってね。
「分かったよ。君が受け取らないのなら、仕方が無い。とっても残念だけど、これは外に捨ててくるとしよう」
「え、ちょっと、なにを考えてるの!? 私が受け取らないからって、なにも捨てることはないじゃない!」
「言ったろ、僕は君のために拾ってきたんだ。だから君が受け取らないのなら、この本はその辺の石ころと同じだよ。持っていても意味が無い。価値がない」
「抗議するわ。……それ、本気で言っているの?」
「本気も本気、僕の言葉は真剣そのものだよ。おっと、こうしちゃいられない。外も暗くなってきたし、雨が降ってくる前に捨ててこなくちゃね。それじゃあ、僕は今からこいつを外に――」
「待って! 分かった、分かったから! ……承諾するわ。その本、私が貰うから」
先程の態度が嘘のように、彼女は紙の本にすがりつく。頑固な彼女が折れた瞬間だった。
「君なら、そう言うと思っていたよ!」
「……意地悪」
そう呟いて、僕から本を引ったくる彼女。僕を数秒睨んだ後に、ペラペラとページをめくり始める。僕は椅子に座りながら、その様子を満足に眺めた。
暫くして、彼女の手が止まった。どうやら、気になる詩が見つかったらしい。
「かごめかごめ。籠の中の鳥は、いついつ出やる。夜明けの晩に、鶴と亀が滑った。後ろの正面だあれ」
「気に入ったのかい?」
「いいえ。ただ、私達みたいだなって思っただけ」
僕達みたい? 一体どういうことなんだろう。
『かごめかごめ』。円を描くように並んだ子供の絵と共に、その詩は本に書かれていた。
命について唱っているわけでも、喜びを表わしているわけでもない。不思議な詩だ。
「何だろう、こう、深い意味を感じるんだけど……僕には難しいな。ルイは何を感じたんだい?」
「哀しみよ。私達は、籠の中でしか生きられない。無理に羽ばたこうとすれば、翼をもがれて自由を失う」
そう言って、彼女は本をゆっくりと閉じる。手をグッと握りしめ、暫く沈黙が続いた後に彼女は僕の目を見る。
「あのね、ジン。私、もうそんなに長くないみたいなの。保って、あと2週間が限界」
「うん、知ってる」
「だからね、その……ジンにはあまり遠くに行かないで欲しい。私が死ぬまで、私の側にずっと居て欲しい」
それは、真剣な眼差しだった。僕はその想いに応えたかったけれど、グッと堪えてルイの瞳を見返した。
「……それは無理だ。僕には、君が生きてる内に叶えなきゃならない夢がある。だからこれからも、僕はガラクタの山を漁り続ける」
「私とその夢。どっちが大切?」
「どっちも大切だ。だから家は空けるけれど、君のことを蔑ろにしたりはしないよ。約束する」
「そっか……それじゃあ、それで我慢する」
寂しさを隠しながら、彼女は口を閉じる。
もうじき彼女は死ぬ。不治の病に命を溶かされて、この世界から居なくなる。
そこには容赦などなく、資源も、添える花も、希望すらない。
……クソッタレだ。
そんなこと、許してなるものか。
主である人類はいない。同族であるアンドロイドの導き手もない。ならば、僕が彼女に教えなければ。
「安心してくれ、ルイ。君が死ぬ前に、僕はとびっきりのハードボイルドを贈るから」
「ジンは前向きなのね。……尊敬するわ、心から」