Trick or candy〜少女と骨のハロウィーン〜
※直接的なスプラッタ表現はありませんが、匂わせる程度の残酷描写を含みます。苦手な方はご注意下さい。
『女の子は何で出来てるの?
お砂糖とスパイス
それと、素敵な何か
そういうもので出来てるよ』
眠る前のほんのひと時、それは少女が母を独占できる唯一の時間。
ベッドの上でパクリと自分の指を加えた少女は、不満気な表情を浮かべた。
「やっぱり、うそだわ! 全然甘くないじゃない」
それを聞いた母親は読み聞かせていた本を枕元へ置き、優しく微笑む。
「ふふ、自分では分からないものなのよ。でも、モンスター達は皆、甘くて美味しい女の子が大好きだから、決して森へ近づいてはダメ。それから……」
「知らない人について行ってもダメ、でしょう? 何度も言わなくても分かってるわよ」
「ええ、そう。キャンディスはお利口さんね。じゃあ、良い子のキャンディスはそろそろ眠る時間だわ」
「イヤよ。続きを聞かせて。もう少しだけ、いいでしょう?……ダメ?」
そう、せがむ我が子へ困ったように微笑むと、母親は「もう少しだけよ」と告げ、続きを読み始める。
柔らかな声は、まるで子守唄の様。
次第にキャンディスの瞼は重たくなり、眠りの淵へと落ちた。
「おやすみなさい、私の可愛いキャンディ。良い夢を」
母は娘の額に優しく口付け、頭を撫でるとそっと部屋から去って行く。
それが、キャンディスの感じた母の最後の温もりだった。
******
「でね、ママの口癖はこう。『知らない人について行ってはダメ。モンスターに食べられちゃうから、森に近づいてもダメ』だから、わたし考えたの!」
「はあ……、何を考えたって?」
「もー! それを今から言うのよ。骸骨は人が死んでからなるもので、人じゃない。でも、人の一部だから、モンスターでもない! だから、あなたに助けてもらっても問題なし。ね、ほら私、とってもかしこいでしょ?」
「ほー……、そりゃすごいな」
いくらなんでも、それは暴論じゃないか?
分類的に、オレも立派なモンスターだぞ。
えへんと胸を張る少女の手を引き、パーカーを着た骸骨、もといスカーは、そんなことを思いながら気のない返事を返した。
そして、何でオレがこんな目に……と遠い目をする。
事の発端は数時間前に遡る。
芸人であるスカーが、いつもながらネタ出しのため、森を散歩していた時の事だ。
ふと、風景の中に違和感を感じ下を見れば、何故か八歳前後の子供が地面に横たわっていた。
死んでるのか!?
始めはそう焦ったスカーだったが、よくよく見れば寝息を立てている。
ホッとし、改めてしげしげと少女を眺めた。
甘栗色の豊かな髪に、白雪の様に白い肌。
洋服こそ質素だったが、誰もが目を引く美しい容姿の子供だった。
人が森に来ることは滅多にない。
貴重な体験をネタに出来るかもと、すぐその場を離れなかったのが失敗だった。
気づけば、がばりと顔を上げた彼女に腕を掴まれ、「一緒にママを探して!」ときたものだ。
断ろうと思ったが、彼女のあまりに真剣な眼差しに、つい頷いてしまった。
「ねー、ねーったら! 骨さん、きいてる!?」
「おーおー、聞こえてんぞ。あんまり耳元で騒ぐな。まあ、オレに耳は無いんだけどな?…………スカルジョークだ! ちびっ子にはちょっと難しかったか?」
沈黙に耐えかねて、スカーがおどけて笑えば、キャンディスはキョトンとした後、つられて笑った。
「あはは、確かにあなたに耳はないものね!」
それに気を良くしたスカーが、続けて口を開く。
「そうさ! 面白いだろ? オレの渾身のジョークだ。それからちびっ子、オレは骨さんじゃなくて、スカーな。スカルのスカー。覚えやすいだろ?」
「スカーね。じゃあ、私もちびっ子じゃないわ! キャンディスよ。ママはよくキャンディって呼んでた」
互いに自己紹介を済ませ、スカーは改めて言葉を続けた。
「じゃあ、キャンディ。何度も言うが、オレはオマエのママを知らない。分かったら森の外へ帰りな」
キャンディスから手を離し、森の外へ向け指を指せば、キャンディスは嫌々と首を振る。
「イヤよ! 帰ったって家には誰もいないわ。森に行けばママに会えるって、ママの会社の人に言われたの! だから……っ!」
なおも言い募ろうとした時、ぐーっと低い音が響いた。
キャンディスが腹部を押さえながら、顔を真っ赤にして俯く。
「……ハラ、減ってんのか? はぁ、しゃーねぇな」
スカーはそう溜息をつくと、骨が剥き出しの手をキャンディスへ差し出した。
「帰れって言わないの……?」
「メシぐらい食ってから帰っても、遅くないだろ?……あ、でも味に期待はすんなよ?」
キャンディスはパアッと顔を輝かせ頷くと、スカーの手を取り、再び歩き出した。
******
「それは大変でしたね」
黒髪をオールバックに纏め上げ、バーテンダーの衣装をまとった男が相槌を打つ。
スカーの家へ連れて行き、キャンディスに特製のミルクたっぷりシチューを振る舞った後、疲れていたのか彼女はそのままテーブルで眠ってしまった。
仕方なく、一晩泊めてやることにして、キャンディスをベッドまで運ぶ。
そして、寝床を奪われたスカーは、家を出て行き着けのBARのマスターへ愚痴をこぼしていた。
「だろう!? オレ、めっちゃ頑張ったよ。は〜、ミルクが骨身に沁みるぜ」
「……骨だけに。ですか? ジョークを言ってもツケの代金は減りませんよ」
「ハッハー! こりゃ、一本とられたね」
"BAR蝙蝠の巣"
ここは、森に住むモンスター、とりわけ人肉を食さない者達の憩いの場。
そして、情報が飛び交う場でもある。
「しかし、その子も思い切った事をしましたね。一歩間違えれば、モンスターに喰い千切られていたかも知れない」
「そうなんだよ。早く帰れって言ってるんだが、ママを見つけるまで帰らないの一点張りでな。森に人間がいるなんつー、デマ吹き込んだ大人も大概だが」
人はこの森では、まず生き残れない。
マスターが言ったように、人、とりわけ女の肉は多くのモンスターにとって、甘く芳しいスイーツに他ならないからだ。
モンスター達は、人とは違う強靭な肉体を持つ。
そんな物に一度捕まれば、逃げ出すことは叶わず、あっという間にペロリと食べられてしまうのも当然といえる。
人は弱い。けれど、彼らには数の利と知恵があった。
彼らは数でもって森に大規模な結界を張り、モンスターを閉じ込め、人とモンスターの世界を隔絶した。
しかし、結界は完全な代物ではない。
それはあくまで、モンスターを閉じ込めるためのものであり、人間であれば簡単にすり抜けることが出来た。
だから、人の親は子供へ脅し文句のように言うのだ。
『森に近づいてはいけないよ』と。
スカーが牛乳の入ったグラスを揺らし、カランと中の氷がぶつかる音が響く。
マスターがふむ、と考える素振りを見せた。
「どうかしたか、マスター?」
「いえ、さっきスカーが話した、その子の母親が働いていた会社に聞き覚えがある気がしまして」
「ん? ああ、ブラック・エンプティ社か。こんな社名、どこでもありそうだが」
スカーが社名を再び告げると、マスターはハッとした表情を浮かべカウンターの奥へと引っ込んでいく。
「おい、マスター!?」
「すぐ戻ります! 少し、待って下さい」
そう言われ、待つこと数分。
マスターは、何かを小脇に抱えて戻って来た。
見れば、それは輸血パックというやつで、赤黒い血が袋の中に固められている。
「おいおい、マスター。食事中になんて物持ってくるんだ。オレは吸血鬼じゃねえ。アンタと違って血は飲まねえぞ。分かったらさっさとしまってくれ、ミルクが不味くなっちまう」
シッシッと手で追い払うようにジェスチャーすれば、マスターが首を振った。
そして、輸血パックのラベルを指差す。
「違います。ここ、見て下さい」
「……ん、なんだ?」
スカーが不思議がりながら、指示された場所を仕方なく見る。
そこには、『提供元:ブラック・エンプティ社』と記されていた。
「聞き覚えがあった筈ですよ。この会社、こっちで有名な食用人肉製造会社です」
「ちびが言うには、母親は医療品メーカーの受付嬢だったって話しだぜ? つまり、なんだ。表向きは普通の会社、裏ではモンスターに人間を売り捌くブラック企業ってわけかい?」
スカーがハンっと鼻を鳴らせば、マスターが神妙に頷く。
「そうですね、人間社会で合法的に人肉を売れるわけがありません。メーカーとしての移植用臓器提供はカムフラージュで、提供された臓器や血液をこちらの世界に売っていたというのが実情でしょうか? その子の母親が、それに関わっていたかは分かりませんが」
「まあ、受付嬢なんて末端の社員だろうしな。知らなかったんじゃないか?……会社に行ったきり帰らない母親、森へ行ったと子供に教える会社、か。キナ臭い話しだぜ」
「何があったのかは分かりませんが、少なくとも、その母親は無事ではないでしょうね……」
最悪の想像をして、重い沈黙が流れる。
見ず知らずの人間の話とはいえ、誰かが死ぬのは気分が悪いものだと、スカーは思った。
「しかしなあ、そうすると、あの子供をどうするか……。ちびっ子に今の話は酷だろ。かといって、言わないで納得するほど聞き分けの良い子じゃない」
そう、スカーが溜息を吐くと、マスターが再び思案顔をした。
「……森で母親と会えるというのも、強ち嘘じゃないかも知れませんよ。今日は何月何日です?」
「今日は十月三十一日だが。……そうか、ハロウィーン! 死者の霊が現世に舞い戻る日だな」
そう言うや否や、スカーは椅子から立ち上がると出口に向かって歩き出す。
「スカー、代金は!」
「すまねぇ、マスター。ツケといてくれ! いずれコツコツと返すさ。骨だけにな!」
「まったく、またそれですか! 万年売れない芸人がよく言います。……貴方、死者の居所は分かってるんですか」
マスターの呼びかけに、スカーが足を止める。
「すまんな、マスター。教えてくれるか?」
そう、引き返したスカーに、マスターはやれやれと首を振ると手短かにその場所を伝えた。
そして、スカーは礼を告げ、踵を返す。
向かうはサバト。魔女と死者の集うパーティー。
まずは急いで家に帰り、キャンディスを起こさなければならない。
なんたって、期限は今日の深夜まで。
日付けが変わるのは、もうすぐだ。
******
「スカー、どこ……?」
目を開ければ、そこにはキャンディスの知らない天井があった。
周りを見渡しても、辺りは薄暗く、よく見えない。
枕元の灯りを頼りに、見知った骸骨を探して歩くが、どこにも見当たらない。
冷んやりとした空気が肌を撫で、キャンディスは自身の身体をぎゅっと抱きしめた。
暗闇は嫌いだ。
母は毎日遅くまで仕事をしていて、一人で食べる食事も一人で過ごす夜も嫌いだった。
母が帰って来なかったあの日から、キャンディスは暗闇の中、一人で過ごす日々を送っている。
キャンディスにとって、闇は一人の象徴だった。
昼は相手をしてくれる学び舎の友人達も、夕方になれば各々の家へと帰って行く。
母が家に残していった金銭は多く、普段から帰りの遅い母に変わりキャンディスが家事をこなしていたこともあり、生活の心配は無かった。
けれど、寂しさに耐えられなくなって、言いつけを破り、母を探して森へ来た。
モンスターは怖かったけれど、初めて出会ったモンスター、スカーは良い骨で安心したのは記憶に新しい。
モンスターは怖いものだと人は言う。
だから、優しいスカーはきっとモンスターではない。
キャンディスはそう結論づけて、スカーを探す。
気がついたら眠ってしまっていて、シチューのお礼も、ベッドのお礼もまだなのだ。
スカーを見つけたら、まずはお礼を言って、それから、寂しいので眠るまで一緒にいて欲しいとわがままを言おう。
そうしたら、あの骸骨はどんな顔をするのだろうか。
キャンディスは悪戯を企むようにふふっと笑うと、優しい骸骨を探して家の外へ足を踏み出した。
******
「おい、キャンディー! キャンディス、どこだ。どこにいる!?」
スカーが急いで家に戻れば、ベッドは既にもぬけの殻。
見れば、枕元のランタンとキャンディスの靴が無くなっていた。
「嘘だろ。アイツ、一人で出て行っちまったのか!?」
陽は沈み、外は暗闇に包まれている。
人が寝静まる時間、それはモンスターにとっての活動時間に他ならない。
「マズイぞ。あんな子供、他の奴らにすぐ喰われちまう。急がねぇと!」
そう呟いて、スカーはふと我に返る。
なんで、オレはこんな必至になってんだ?
言っちゃあなんだが、見知らぬただの人間。
ついさっきまで、煩わしいと思っていたはずだ。
喰われて居なくなるなら、森の外へ送り返す手間が省けて良いじゃないか。
そう思うと同時、ギャグを笑ってくれたキャンディスの、シチューを美味しそうにほうばり、幸せそうに眠る彼女の姿が、スカーの脳裏をちらつく。
「だああぁ!! クソったれ!」
スカーは頭を掻き毟ると、乱雑にドアを開け外へ飛び出した。
月明かりに照らされた薄暗い森の中を、全速力でひた走る。
途中、木の根に足を引っ掛け、足首の骨がパキリと鳴った。
あとでカルシウムとらねぇとなと独りごち、スカーは再び走り出す。
しばらく走った先で、がさりと茂みの揺れる音がした。
「キャンディ……?」
注意深く耳を澄ませば、ざわざわと複数人の話し声が聞こえてくる。
「子ども……、女の子だ。おいしそう」
「タダで食べられるなんて、今日はついてるわ! 人肉は高いもの」
「俺は腕をもらう」
「じゃあ、ワタシは足を」
「頭は誰が食べる? ニンゲンの脳みそは甘くてうまいんだ」
それに混じって、少女の引き攣ったような声が響いた。
「ひぃ……っ! や、ヤダ……来ないでっ! 助けて、誰か……っ、……スカーッ!!」
名前を呼ばれて、スカーは無我夢中で茂みの中へ突っ込んだ。
茂みの先、視界が開けた場所にキャンディスはいた。
足元には、割れたランタンが転がっている。
それを囲むのは、蜘蛛のモンスターや狼男、屍食鬼達。
スカーは、キャンディスを庇うように前へ飛び出す。
「スカー……!」
背後から、今にも泣き出しそうなキャンディスの声がする。
スカーは後ろ手に、キャンディスの頭を撫でた。
今向き合うべきは、食料を奪われて立腹する同胞達だ。
「なんだ、おまえ。この人間は俺達が見つけたんだ。横取りは感心しないな」
「まあ、貴重な人肉だし? どうしてもっていうなら分けてあげなくもないけど」
「ばっか、お前、骸骨は肉なんて食わねーよ。なんたって、骨には腹が減るための胃袋もないんだからな!」
そりゃそうだ!と、どっと笑い出したモンスター達をスカーは冷ややかな目で睨みつけた。
「すまねぇな。コイツは元々オレのもんだぜ。分かったら、お引き取り願えるかい?」
スカーの口から、ドスの効いた低い声が漏れる。
モンスター達は一瞬怯んだが、取るに足らない相手だと思ったのか、小馬鹿にするように笑う。
「なんだ。それは、悪かった。なら、言い値で買おう。いくらだ?」
そう言われた瞬間、スカーの中で何かがプツンと爆ぜた。
毛むくじゃらの横っ面を思い切り殴る。
拳に重い衝撃が走り、骨が軋む音がしたと同時、狼男は地に伏した。
モンスター達の悲鳴が辺りに響く。
「ちょ、ちょっと、殴ることないじゃない! 人間よ! 食料なのよ!? 何が不満だったって言うの」
「全部だ。……コイツはオマエらにはやらねぇし、食料でもない。分かったら、どこかへ消えろ。このイヌっころみたいになりたくなければ、な」
蜘蛛のモンスターを筆頭に何か言い返そうとするが、スカーが狼男の頭をゴリっと踏みつけたのを見て青褪めると、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「フンッ、小者め」
そう呟き後ろを振り返ると、瞳に涙をいっぱい溜めたキャンディスがスカーを見上げていた。
震える声で言葉を紡ぐ。
「あ、ありがとう、スカー。わ、私、スカーにお礼を言いたくて……探しに。シチューとベッド、ありがとうって。そしたら、怖いモンスターッ……いっぱい……っ!」
そして、しゃくりあげながら泣き出してしまった。
スカーはぎょとすると、躊躇いがちに頭を撫で、優しい声音で語りかける。
「大丈夫、大丈夫だ。もう怖いモンスターはいねぇよ。ただ、これに懲りたら夜の森は一人で出歩かないようにな」
キャンディスはこくりと頷くが、一度溢れた涙はとめどなく湧き出し、留まることを知らない。
スカーは考えながら言葉を続ける。
「あー……、キャンディ? これは朗報なんだが、オマエのママが居るかも知れない場所を見つけた。今から行こうと思うが、ママにもそんな顔見せるのか?」
キャンディスはふるふると首を振ると、袖で涙を拭う。
そして、にっこりと笑ってみせた。
「……泣かない! キャンディスは強い子だもの。ママは笑ってお出迎えするわ」
「そうか、キャンディは良い子だな。じゃあ、行くか」
「うん!」
スカーはゆっくりとキャンディスの手を取ると、目的地へと歩き出した。
******
トネリコの木の間を抜けた、拓けた場所でそれは開催される。
立食パーティーのように並べられたテーブルの上には、パンプキンパイやキャラメルアップル、ドライフルーツのケーキに色とりどりのお菓子達。
それに、温かそうなポタージュスープ、マッシュポテト、かぼちゃの容器に入ったグラタンなどが所狭しと並び、美味しそうな香りを漂わせていた。
会場の中央には、生贄の羊が飾られている。
照明は月明かり、それと、ぼんやりと柔らかな光を出すかぼちゃ型のランタンだ。
時折、魔法なのか、謎の光や動物、紙吹雪が宙を舞う。
行き交う人は皆一様に白い服を着ており、肌は青白く、生気がない。
反対に全身黒いローブを着た魔女や魔法使いたちは、生き生きと楽しげに語り合っていた。
魔女のサバト、そしてそれに混じって、死者が集う場所。
この国では、死霊も生者を惑わせる良くないものとして扱われており、森の結界から外へは出られない。
元は人間なのに、難儀な話だとスカーは思う。
「すごいわ! ジャックオランタンがこんなにたくさん。それに、お菓子だって!」
「おい、あんまりはしゃぐなよ。人間だってバレないよう、なるべく下を向いて歩くんだ。死者のふりをしろ。でないと、魔女に捕まるぞ」
スカーが嗜めれば、キャンディスは「はーい」と返事をして、俯きがちに辺りを見渡す。
スカーもそれに習って、周囲を見回した。
キャンディスの母親がもう亡くなっていると仮定して、居るのは十中八九この会場のどこかだ。
留まる時間こそ人それぞれだが、ハロウィンの日、死者は現世で束の間の休息をとるのが慣例になっている。
森の中の娯楽は少なく、休むとすれば、この祭り会場くらいしかない。
だが、会場は広大だ。
スカーはキャンディスに訊ねた。
「オマエのママはどんな見た目だったか、教えてくれるか?」
「うん! えっとねー、私をそのままおっきくした感じ。周りの人達によく、似てるって言われてたの。髪も目もおんなじ色なのよ」
そう言われ、キャンディスを盗み見る。
甘栗色の髪に翡翠色の瞳。
今、それらはランタンの光に照らされ、キラキラと輝いていた。
「ふーん。きっと、綺麗な人だったんだろうな」
「もちろんよ! ママは町一番の美人って評判だったの」
会場内を暫く練り歩いていると、ふとキャンディスの足が止まる。
「どうした、キャンディ?」
「……いた。ママだわ! ママ……っ!」
キャンディスはそういうや否や、スカーの手をすり抜け、ある人影の元へと駆けて行く。
スカーは慌てて跡を追った。
人波をかき分けた先、少し喧騒から離れた場所に彼女達はいた。
キャンディが抱きついているのは、彼女と同じ甘栗色の長い髪を持つ美しい女性だった。
スカーは少し悩んで、背中のフードをかぶってから近づいて行く。
「……キャンディ」
「スカー! ママ、この人が私を助けて、森を案内してくれたのよ。……あれ、なんで顔を隠しているの?」
キャンディスは嬉しそうな表情を浮かべると、母へスカーを紹介しようとして、疑問を投げかけた。
「まぁ、そういう気分なんだ。ちょっと冷えてきたから、着込もうと思ってな」
スカーは軽く笑うと、フードを深く被り直す。
「そうなの? じゃあ、仕方ないわね。ママ、この人がスカーよ。スカーが作る特製のシチューは、とっても美味しいの! それに、強くてかっこいいんだよ!」
「あらあら、まあまあ。とっても良くして頂いたのね。スカーさん、娘がご迷惑をお掛けしました」
そうたおやかに微笑み、頭を下げる母親の顔は他の道行く人間と同様に青白く、生気がない。
美しい容姿と相まって、ビスクドールのような無機質さを放つ彼女は、きっともう、この世の者ではないのだろう。
スカーは曖昧に笑い、言葉を濁すと、ことの成り行きを見守った。
母親は再びキャンディスを抱きしめ、囁く。
「ああ、キャンディ、まさか会えると思わなかった。とても嬉しいわ! けれど、あれ程森に行ってはダメと言っていたでしょう? 危険な目には合わなかった?」
「ちょっと危なかったけど、大丈夫。スカーが助けてくれたの。それより、ママ。なんで何日も私を放って、森へなんて来てたの? 私、さみしかった! すっごく、すっごくさみしかったんだから!」
キャンディスが、母の胸に顔を埋めると母親は困った表情を浮かべる。
そして、意を決したように口を開いた。
「ねぇ、キャンディ。昔読んだ、ハロウィーンの日のお話を覚えている?」
「うん。死んだ人があの世から、家族のところへ戻ってくるお話だよね?」
「ええ、そう。ママもね、それと同じなの」
「……え?」
驚くキャンディスの頭をひと撫でし、母親は言葉を続ける。
「あの日、ママが家へ帰れなかった日にね。ママ、会社で急に眠くなって、倒れてしまったの。帰ろう、キャンディに会いたいって思ったのだけど、どうしても体が動かなくて……。気づいたら死んでしまっていたの」
「そんな……、ウソよ。だって、ママは今ここにいるじゃない!」
キャンディスがそう叫んだ時だった。
母親の手と足の先が、光の粒となりゆっくりと消えていく。
スカーが辺りを見渡せば、同じように他の死者達の身体も溶け始めていた。
ーー日付けが、変わってしまったのだ。
「イヤ、嫌よ、ママ……っ! お願いいかないで! 私、良い子にお留守番できるわ。言いつけだって、次からはきちんと守るし、嫌いな野菜もちゃんと食べるようにする。だから、だから……っ!」
嫌々と泣きじゃくるキャンディスをあやすための腕は、既に光となり空へ消えてしまった。
母親は、心底申し訳無さそうに呟く。
「ごめん、ごめんね、キャンディ。ずっと側で貴方を愛してあげたかった。でもダメなの……もう、出来ないのよ。無責任なママで、本当にごめんなさい」
そうする間にも、母親の身体は徐々に光へ変わっていく。
キャンディスがしゃくりあげながら、絞り出すような声を漏らす。
「ひ、くっ……ふっ、ぅ……やだよ……。ママがいなくなったら、私、どうすればいいの……? 一人に、なっちゃう……」
泣き腫らすキャンディスを見ていられなくなって、スカーが背後から包み込むように抱きしめた。
「スカー……?」
「泣くな、ちびっ子。オマエ、さっき言ってたじゃねぇか。ママは笑顔で迎えるんだろ? なら、行くときも笑顔で送り出してやれ」
キャンディスはその言葉に、ハッとして涙を拭い、必死で笑顔を作った。
母親はそれを見て目を丸くすると、泣き笑いの表情でキャンディスへ近づく。
身体はもう、殆ど消えかけている。
「キャンディは良い人を見つけたのね」
母親はそうスカーへ向けて笑うと、最後にキャンディスの額へ口付けた。
「さようなら、私の可愛いキャンディ。いつまでも、ずっと愛しているわ」
そして、月の綺麗な夜空へと溶けていく。
会場全体が眩い金色の光に包まれ、その幻想的な光景に、皆が暫し言葉を噤む。
そして、最期、瞬く星のように一際強く輝くと、光の粒が弾けて消えた。
少しの沈黙の後、何事も無かったかのように、魔女の宴が再開される。
先程より、幾分か静寂が辺りを包む中、スカーがぽつりと言った。
「……なあ、キャンディ。オマエ、これからどうするつもりだ?」
「……そんなの、わかんないよ。ママがいない家に価値なんてないもの」
キャンディスがそう呟けば、スカーはぽりぽりと頬を掻く。
「ならよ、オレの家で一緒に暮らさないか?」
「え?……でも、良いの?」
「ああ、一人より二人の方が飯も美味いし、ジョークも楽しい。それにオマエ、一人だと危なっかしいしな」
スカーは豪快に笑う。
それに、頼まれてしまったのだ。
母親が空に消えた直後、柔らかな声がスカーの耳朶を打った。
『心優しい骸骨さん。どうか、この子をよろしくお願いします』
母親を驚かせないように、深くフードを被ったのだが、彼女はスカーがモンスターであることを分かっていたらしい。
全て理解した上で、彼女はそう告げたのだ。
死者の最期の願い。
叶えてやらなきゃ、男が廃る。
小さなキャンディの手を取って、スカーは家へ帰るべく歩みを進めた。
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『"人肉食品メーカー営業停止!モンスター社会に激震走る" 長年にわたり、我々の食品工業の一旦を担っていたブラック・メイスン社が、本日をもって営業を停止すると発表した。事が露呈した発端は、数年前のある匿名者による垂れ込みだったという。徐々に人間社会の明るみに出たモンスターとの取引事情は、世間へ広がり、人道に反する行いであるとして、同社社長が起訴された。同社へは、無期限営業停止命令が出され、今後も営業再開の目処は立たないものと考えられる。モンスター当局は、今回の発表を受けーー』
「スカー、また新聞読んでるの? ご飯の最中にお行儀が悪いわ。せめて、食べ終わってからにして」
「ん、もう食べ終わるところだ。大目に見てくれ」
スカーが一旦、新聞をテーブルへ置き、さっさと食事を掻き込むのを見て、キャンディスが「もう……っ」と溜息を吐いた。
食べ終わった食器を受け取り、流し台へと運びながら、キャンディスがスカーへ声を掛ける。
「新聞といえば……。ねぇ、スカー、知ってる? 森の外ではハロウィンの時、子供達が仮装して街中を練り歩くのよ。そしてね、こう言うの『trick or treat!』って」
「なんだそりゃ。『悪戯かお菓子か』ってか?」
「そうよ。この前、見つけた森の外の新聞を見て思い出したの。そう言えば、私も昔やったなーって」
「ハハッ、そりゃ、何年前の話だよ」
鼻で笑われて、ムッとする。
ハロウィンの夜、キャンディスがスカーの家で暮らし始めてから、もう数年は経つ。
スカーの外見は全く変わらないが、キャンディスの見た目は徐々に少女から女性へ変わろうとしていた。
「もー、ちょっとくらい感傷に浸ったっていいじゃない。大事なママとの思い出なのよ」
そう、不満を口にしながら、キャンディスが慣れた手つきで夕飯の食器を片付けていると、突然背後から頭をぽんぽんと叩かれた。
「……また、子供扱いする」
「そんなことないぜ? それよりもだ、『trick or treat』」
「え?」
「ほら、お菓子をくれ。無けりゃ、悪戯するぞ?」
脇腹を擽ぐるようなジェスチャー付きで、急に告げられた言葉にキャンディスは面食らう。
けれど、母との思い出に浸る度、こうして茶化すのはスカーの優しさなのだと、長い付き合いの中で知った。
でも、やっぱり子供扱いされたことが悔しくて、キャンディスは前から考えていたことを、実行に移すことにする。
「悪戯は嫌だわ。あいにく、手元にお菓子はないけど……」
キャンディスは素早く手を拭くと、背後を振りむき、お菓子の変わりにスカーへ甘い甘い口付けを落とした。
突然のことにスカーが固まり、遅れて顔を真っ赤に染める。
「……どういうつもりだ?」
「いつか読んでもらった本に書いてあったの。女の子は甘いものとスパイス、それに、素敵な何かで出来ているんだって。意味は、そうね……貴方で考えてみて」
そう蠱惑的に微笑んだ少女は、あの日泣いていた彼女とは似ても似つかず、スカーは困惑しながらその場に立ち尽くすのだった。
※冒頭『』内はマザー・グースより引用
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。