第2回 小説『ぼくのメジャースプーン』
ぼくのメジャースプーン
辻村深月の作品と聞いて思い浮かべる作品は何でしょうか。
直木賞を受賞した『鍵の無い夢を見る』だろうか。映画化もされた『ツナグ』でしょうか。それともデビュー作にして漫画家『新川直司氏』のデビュー作にもなった『冷たい校舎の時は止まる』でしょうか。
彼女もデビューからいくらかの時間が流れ、様々な作品を書き上げてきています。私も一ファンとして追いかけ、ラストに仕掛けられたカタルシスに衝撃を受ける楽しみを持っています。
さて、冒頭に戻りましょう。
私が辻村作品の中で真っ先に思い浮かべるのが『ぼくのメジャースプーン』です。
この作品を、私なりに一言で言い表すのならば『心が抉られる』です。
辻村作品の多くには現実に起きた事件をモチーフにしていることが多々あるように見受けられます。ツナグなんかは顕著でしたね。あからさま過ぎて映画からはカットされてしまいましたが。
この作品は、語り手である『ぼく』がとある事件から心を閉ざしてしまった『ふみちゃん』のために行動を起こす物語です。
こういうとどこか心温まる物語を期待されてしまいそうですが、実情は全然違います。心を抉りに来ています。
最初は『ぼく』と『ふみちゃん』の関係性を描いています。この時点での『ぼく』にはあまり個性がありません。おそらく、わざとそのようにしているのでしょう。一方で『ふみちゃん』は個性の塊のようなものです。
作中、彼らは小学生として登場します。皆さんの小学校時代を思い出してみてください。女の子の中に『可愛いわけじゃないけど、すごく真面目な子』はいませんでしたか?
私の場合、なんとなくいた気がしています。
この『可愛いわけじゃないけど、すごく真面目な子』というワードは凄く重要です。寧ろ、『ふみちゃん』がこんな子だったからこそ、『ぼくのメジャースプーン』という作品は成立しています。
さて、話をストーリーテラーである『ぼく』に戻しましょう。
この『ぼく』の家系には、稀に特殊な能力を持った人が生まれてきます。いいですね、凄く中二的なワードです。でも、異能バトルは起きません。
『ぼく』の能力というのは平たく言ってしまえば『強制力の低いギアス』のようなものです。「○○しなければ、××になる」というよ
うにして相手に半ば行動を強要するものです。『ぼく』はプレッシャーからピアノの発表会から逃げ出そうとしていた『ふみちゃん』に無自覚にこの能力を使ってしまいます。目に見えて分かる能力ではないため、この件がおきるまで本人はおろか、家族も知らなかったのです。当然、この能力は他人の行動を縛るものであるため、『ぼく』は母親から使用を禁止されます。
これが、『ぼく』と『ふみちゃん』が小学校低学年の頃の話です。
『ふみちゃん』は皆に頼りにされています。別のグループの女の子が喧嘩して、グループが分解しているときはその子の居場所にもなります。でも、仲直りすれば『ふみちゃん』だけが元の場所に残ったままです。『ふみちゃん』は強度の近眼で分厚い眼鏡とその奥の歪んで見える瞳、歯並びが悪くて歯列矯正器をしていて、見た目にも『可愛い』とは言えず、クラスの男子からは女子として扱ってもらえません。作中では語られませんが『名前』もその一因を担っているようです。
少し時は流れて、彼らが小学4年生になると、飼育当番がまわってきます。『ふみちゃん』はウサギが大好きだったので、これを本当に楽しみにしていたのです。そして、それを差し引いても強い責任感があり、ウサギの生態を図書室で調べてきて、土日の餌やりが必要で、当番を決めたり、遅刻やサボり対策を嫌味にならないようにやんわりとしていたり。
ここまでする子がいたかは別として、でも責任感の強い子はいますよね。
いや、こういうの懐かしいものですよね。飼育当番。ウサギも可愛かったのですが、私の場合は鶏小屋で我が物顔で餌を啄ばんでいた鳩が印象に残っていますね。
それはともかく。
このウサギ小屋に、脚を悪くしたウサギがいたのです。このウサギに罪は無いのですが、このウサギの故に、このあと事件が起きます。
『ふみちゃん』たちは、このウサギのために何とかしてあげたくて、ウサギのための車椅子を作ります。そして、この取り組みはテレビでも取り上げられることになったのです。テレビには調子のいい子や、可愛い子が出演し、『ふみちゃん』は車椅子の発案者でありながら、出演を辞退しています。
本人曰く「緊張するし、歯がかっこ悪いから」とのこと。
この後、『ぼく』と『ふみちゃん』はクラスの中の班変えで同じ班になろうと約束しますが、この約束は果たされません。
ここから、本編のプロローグに名前が出てきた『市川雄太』が重要になってきます。
この『市川雄太』は環境的には凄く満たされています。裕福な親に養われ、大学は医学部に行っています。しかし、この満たされている、満ち足りていることが不満だったのでしょう。彼は『刺激』を欲してしまいました。誰もがやらない新しいことがしたくなったのです。
その日、『ぼく』は風邪を引いて学校を休んでしまいますが、飼育当番の日でした。そこで、代わりを『ふみちゃん』に依頼します。『ふみちゃん』はその依頼を快諾し、のどが痛いなら、と差し入れにイチゴミルク味の飴を母親に預けていきました。
そして、事件が起きてしまいます。
この事件を起こしたのが『市川雄太』であり、被害者がウサギと『ふみちゃん』だったのです。
以来、『ふみちゃん』は心を閉ざしてしまいました。
それから若干の時は流れて、『ふみちゃん』は心を閉ざしたまま。でも、『市川雄太』は着実に自由を取り戻そうとしていました。そんな中、『市川雄太』が事件を起こした小学校と被害を受けた児童たちに謝りたい、と申し出てきます。期限は1週間後。
ここから『ぼく』の戦いが始まります。
『市川雄太』の申し出を断り続けていた先生に能力を使い、自分が代表として謝罪を受けることを承諾させた『ぼく』は、事態を知った母親によって、同じ能力を持つ人のところにカウンセリングに行くことを約束させられます。
それが『ぼく』の親戚で、大学の教授をしていている『秋山先生』です。
因みに、これによって前々作『子どもたちは夜と遊ぶ』において残されていた謎が解明されたりもしています。
この『秋山先生』は事件発生当初、テレビにコメンテーターとして出演し、『市川雄太』を『悪の王様』と称し、彼をバッシングしたりするさまを『現実を消費する』という表現を使ったりしています。
ここから1週間、『ぼく』は『秋山先生』と能力についての説明を受けたり、様々な話を聞いたりしつつ、心を閉ざしたままの『ふみちゃん』と交流したりして『市川雄太』との対面の日を迎えます。
『ぼく』は何を思って『市川雄太』との対面を望むのか、それで何を得ようとしていたのか、『ふみちゃん』はどうなるのか。
気になることは多々ありますが、『ぼく』の求めていたもの、それは読み手の心を抉ります。前半で起きた『ぼく』や『ふみちゃん』を襲った事件も十分すぎるほどに心を抉ってきましたが、その上で抉ってきます。
でも、最後には少しいいこともありますし、その後の作品でも彼らの姿を見ることが出来ます。
私は、こんなにもハートフルに心を抉ってくるくせに、最後にきっちりとカタルシスを用意してくれる辻村作品が大好きです。
まぁ、太陽の坐る場所とか水底フェスタとかはひたすら抉りにきてたような印象ですけどね。
因みに、本当に上手にやってくれるなら映像化希望です。あまり画面が動かないのと中盤に見栄えのするシーンがあまり無いので難しいと思いますけどね。
あと、『ぼく』を完璧に演じきれる子役がいるとも思わないので。