十の千五百乗年後の世界へ
西暦二〇五五年、世界は少しずつ変化していた。
地上の乗り物はすべて自動運転となり、投影型の小型デバイスも多く普及していた。近年では、量子コンピューターの実用化に成功、とか言うニュースも騒がれている。
ただ、アンドロイドは街を歩いていないし、月面基地なんかも出来ていない。微妙に夢が無い未来である。
大学から帰ってきた佐々井ナコトは、カバンをしまい、スマートブレスレットを無造作にベッドに放り投げた。
自身もベッドへとダイブする。
天井を見つめながら、考える。
もうすぐ、大学に入って初めてのゴールデンウィークだ。何をしようかと。
大学での友達付き合いは、なんとかうまくやれている。人の確保の方は何とかなりそうだけど、問題は懐具合だ。
「バイト、でもするかなー」
そんなつぶやきを漏らしながら、スマートブレスレットを拾い上げた。
中空に映し出される画像を操作し、メッセージのチェックをする。友達からのメッセージには適当に返信し、広告などは即削除。
削除している中で、一つの広告に目が止まった。
大学からのメッセージである。
『脳生理学実験のモニター募集中! 勤務地:ラグダサク大学ルビス教授ラボ 勤務時間:月~金 十時~十七時 一日一時間ほど 報酬:十万円 バイト内容:極秘、詳細説明はラボにて』
たった一時間で十万円。
普通なら胡散臭いところであるが、うちの大学が行っているのなら、怪しい実験ではないはず。
早速、ルビス教授のラボへ、バイト希望のメッセージを送った。
バイト合格の連絡をもらい、指定の日時にルビス教授のラボへと赴いた。
「失礼します」
部屋には、今年六十五歳になるというルビス教授と、助手だろうか、三十代程に見える男性がいた。
「バイトに来ました、佐々井です」
「待ち合わせ時間の五分前、実に素晴らしいね。そちらへかけたまえ」
流暢な日本語で返され、少し驚きつつも、指定された席へと座る。
今の素晴らしいは、どう意味だったのか? 遅過ぎ? それとも言葉通り、時間通りだったことへの讃美か?
画像では見たことがあっても、初めて会う教授である。どうにも感覚が掴みにくい。
「バイト内容は極秘、とありましたが」
「極秘としたせいで、みな警戒しているようだな。今のところ、バイトに来てくれたのは君だけだ」
「はあ……」
そういえば、バイト内容に安全性への言及が無かった。
バイト代が高額とはいえ、応募したのは早計だったかな? 今更ながらに不安がよぎる。
「まあ、そう緊張しなくてもいい。やってもらうことは一つ、君の脳のバックアップを取らせてもらいたい、それだけだ」
「脳のバックアップですか?」
ネットなどで見かけたことがある。
コンピューター内に脳スキャンデータを保存しておき、脳死などが起きたときの修復に利用しようというものだ。
教授と話している間、助手がテキパキと準備しているのだ、そのスキャン装置なのだろう。
「量子コンピューターが普及したことで、人の脳構造を取り込む、複雑な演算が出来るようになった。世界中でその研究が行われている所だが、このラボでは他の研究チームとの合同作業で、大量のスキャンデータを取り込み、さらにその精度を向上させようとしているのだ」
「危険性は無いですか?」
「元々ある脳のスキャン装置を流用している。受信装置であり、電気を体内に流す類ではない。何の問題も無い」
それを聞いて安心した。
既存の脳スキャン装置で障害が起きたというニュースは、今まで聞いたことが無いのだから。
一通りの理論的な基礎などを講義してもらってから、スキャン装置に腰を下ろした。
無数の受信装置がついたヘルメットをかぶる。
頭皮に触れる受信機が、ちょっと刺さるような感じで痛みがあったが、実際には刺さっていないし、気になる程度の痛みでしかない。
「では、画面の指示に従って下さい」
助手の指示に従い、目の前にあるモニターに視線を集中させる。
発声練習や質疑応答、動体視力試験的なものから、音の感応試験まで、様々な指示に応じていく。
これが勤務時間、一日一時間の実態のようだった。
一つ一つは簡単な作業であったが、一時間集中しっぱなしだったので、存外に疲れた。
それが、生まれてきた体で体験したであろう記憶の、最後であった。
次に意識が戻ったのは、周囲がデジタル画像で埋め尽くされた世界だった。
今まで寝ていたのか? 寝起きの感覚とは違う、一気に意識が鮮明になった感覚である。
「おはよう、佐々井ナコトくん」
いきなり声が聞こえてきた。
周りを見るが、声の主は見つからない。
ただただ空間が広がっているだけだ。
「ここはどこだ? お前は誰だ?」
「今の状況は、理解できないか? わたしはルビス教授だ」
ルビス教授!? これはスキャニングの副作用か何かか?
「教授、姿が見えませんが、どこにいますか? 今の状況を説明して頂きたい」
「自我はあるのかね?」
質問への答えは無く、逆に問い返された。
「え? ええ、問題なく。ただ、視覚がおかしいようで、ゲームの中のような、デジタルな世界が広がっています。ルビス教授の姿も見えない」
「混乱するといけないから、少しづついくぞ。まず、自分について話してくれたまえ」
何かあったのかな?
不安ではあるが、今はルビス教授の言う通りにしておいた方が良さそうだ。
まずは、自身について全部述べた。名前、年齢、今の住所や実家の場所、家族構成、大学でのことなど。
「最後の記憶は?」
「教授のラボで、脳スキャンした記憶までは、鮮明に思い出せます」
「オーケー。実験は問題無いようだ」
問題無い?
「しかし教授。今、視覚がおかしいんですが?」
「いいか、落ち着いて聞くんだ」
言葉が打ち切られる。
言われた通り落ち着くよう、深呼吸をしようとするが、変な感じだ。胸に力が入らない。
手を上げてみたが、上げた感覚があるのに手が見えない。それどころか体も見えない。
「まだ、体は出来ていないが、いずれ作る予定だ。ナコトくん、今の君は、脳のバックアップデータの方なんだ」
教授の言葉に、思考が追い付かない。
なにせ、こんなにも自分を感じられるのだ。
今、異常に感じているのは、視覚だけなんだ。
教授からの次の言葉が無い。
しばらく待つと、急に心の興奮が落ち着いてきた。
「待たせたな。本当はあまりスキャンデータに干渉を加えたくなかったが、あまりにも混乱が激しかったようなので、副交感神経系に刺激を与えさせてもらった」
教授の言葉から、まるで自分が実験動物になった気分になった。
少し考えを整理してみる。
「今の自分は、脳データだけの存在ですか?」
「そうだ」
「ここは?」
「こちらで設定した仮想空間だ。声は、聴覚神経に直接データを流し込むことで伝えている」
ショックにはショックだが、さっきの副交感神経への作用のおかげか、冷静に考えられる。
「今の自分が偽物ってことですか?」
「それは難しいな。今のところ、バックアップした脳についての明確な国際規定が存在しないし、倫理的にも非常にナイーブな問題だ」
「けど、今の自分がバックアップとして取られた存在であることに、間違いは無いですね?」
一瞬の沈黙。
「そうだ」
自身の置かれた状況がハッキリと分かった。
非常に危険な状況、ということも。
教授の気分次第で、いつでも簡単に自分のデータは消去されてしまうのだから。
「今の状況は?」
「君の状態確認だ。これからどうなるかは、ハッキリ言って決まっていない。元の肉体が死んだときに戻されるのか、それとも新たな肉体が作られるのか……。最も、どちらもまだ技術が確立しておらんがな」
「一つ、要望があります」
「なんだね?」
「そちらの顔が見たい。どこから来てるか分からない声との会話は疲れるので」
教授の笑い声が聞こえた。
嫌な笑い声ではなく、普通に楽しそうだ。
それが聞けただけでも、気持ちがリラックスできた。
「そうだな、今すぐは出来ないが、そうなるように調整しておこう。他には?」
「視覚も、デジタル画面で覆われているのは不安になるので」
「それも、カメラを用意しよう」
それから、ルビス教授や他の教授との会話などが、複数回行われた。
耳や目など付けてもらうと、自分でも驚くほど、生身の頃と違和感が無かった。
会話の中で、こちらも外界のことを理解できた。
今はあの脳スキャンした日から、十年程経過しているらしい。元の自分は、すでに大学を卒業し、大手の通信会社へ就職を果たしているという。
本人は、今の自分のことを知らないようだ。研究資料を外部に漏らせないかららしい。
ちょっとガッカリである。
一度会ってみたくもあったから。自分同士での会話とか、試してみたかった。面白い会話になりそうだ。なにせ互いに誰よりも、お互いを知っている者同士なのだ。
あと、あの後のゴールデンウィーク、何をしたかも知りたかった。彼女が出来たのか、とかも。
ルビス教授が辞められた後も、後任者が引き継ぎ、様々な研究が進められた。
言語能力や、演算力の高速化など。
おかげで、生前よりも賢くなったし、どんな言語でも話せるようになった。
西暦二一〇〇年を超えたあたりから、本格的なアンドロイド作製計画が進められ、二一四九年、ついに自分の肉体を手に入れることが出来た。
まだ、機械っぽい外観ではあるが、自身の意志で歩いて、物を掴んで、好きな場所へ行けるのは、非常に気持ちの良いものだった。
それから五年、すでに世間にアンドロイドが普及しているから、ということで外出許可が下りた。
九九年ぶりの外出である。
道はアスファルトのままのようであるが、凹凸が見られず、非常に滑らかだ。
現在は自動修復機能のある再生材が一般的であり、細かな傷や劣化が無いのが当たり前になっている。
道路は歩行者用、自動車用で完全に分けられており、信号機はもう過去の遺物となってしまっていた。
ただ現在だと、自動車自体減ってきており、自家用飛行機が今は主流となっているようだ。上空を見上げれば、空飛ぶ乗り物が縦横無尽に飛び回っているのが見える。
自分の目で好きなように見て歩くのが久しぶり過ぎて、楽しくてたまらない。
思わずスキップしてしまいそうになる。
町の散策を楽しんでいると、レストランが目に付いた。
当然、アンドロイドは人間の食料を必要としない。
帰ったら博士たちにお願いしてみよう。
食事は、人間にとって大切な娯楽なのである。
西暦二二〇一年、ついに有機物質で構成された人体の作製に成功した。
アンドロイドにも市民権が与えられるようになり、今後は自分の人生を歩むようにと、自由が与えられた。
それまで研究に協力した給与として、一四六年分のバイト代が支払われた。
十分なお金が手に入ったが、人との交流を新たに構築するため、職に就いた。
食品データを作り出す、クリエイティブ職だ。
現代では在宅勤務が当たり前だが、画面越しに打ち合わせなども普通に行う。
「うーん、肉のうま味って、肉汁から来てるんだけどな~」
画面の向こうにいる女性に、そんな愚痴をこぼした。
今検討している料理データは、ハンバーグステーキである。それも、軌道エレベーター上のホテルで提供される商品だ。
「無重力空間ですと、飛び散るものはNGなので、そこを何とかしないと商品にならないのでは?」
素っ気ない返事が返ってきた。
彼女は佐倉ミント、今年入社したばかりの新人で、同じプロジェクトの担当である。
両親がアンドロイドということで、新人類の第一世代。なので、アンドロイドの俺とも気兼ねない付き合いをしてくれる。
「肉汁がジェル状というのを、なんとかしたいよな」
無重力空間ではあるが、熱々の鉄板に乗った、普通のハンバーグステーキである。
食品を地上の重力と同程度に吸着する皿を使用しており、切り分けた肉を口に運ぶ際も、表面張力で肉汁は肉から簡単には離れない。
問題は切るときに微量に吹きこぼれる分である。
今は、それをジェル状にして代替え案としているのだが、もっと改良したいわけだ。
「ハンバーグを覆うように気体の対流を起こして、漏れ出ないようにします?」
前に草案を考えたヤツだ。
「うーん、その気体の制御が難しくて断念したんだよな……」
無重力状態でも、地上とほぼ変わらない食事が出来るようになったといっても、まだまだ課題はあるわけだ。
ここで作ったデータを元に、ホテルにある三Dプリンターが、食器ごと食品を作り上げる仕組みである。
なので、食器の機能やデザインも、うちの会社の仕事となる。
結局、当初の草案を地道に検証し、開発する方向で話がまとまった。――まとまってるのかな?
大変だなこれは。
「ミント、いつも付き合ってもらって悪いな」
「仕事ですから……」
「お礼と言っては何だが、今度、飯でもおごるよ」
「口説いているんですか?」
ミントが眉をひそめた。
ミントはとても可愛いので、そんな仕草もドキリとする。
まあ、今の世の中、生まれる前に遺伝子操作をしてしまうので、不細工な子なんて存在しないんだけど……
「まあ、いいですよ。日時はあとでメッセージを下さい」
よし!
心の中でガッツポーズを決める。
「なんというか、先輩って、不器用というか、誘い方やら何から、下手ですよねー」
ミントのため息が聞こえてきた。
「しょうがないだろ、お前らみたく遺伝子レベルで英才教育受けてる訳じゃあないし……というか、一五〇年前の感性舐めるな」
ミントが何がおかしかったのか、笑みを浮かべた。
「はあ、しょうがない人ですねー」
その後、紆余曲折を得て、とでも言うのだろうか、オレとミントは付き合うようになった。
当時のオレでは想像も出来なかっただろう、年の差一三〇歳の恋人なんて――
十年後には結婚し、子供にも恵まれた。
夫婦別姓が普通の昨今、嫁の苗字は佐倉のままだ。
子供の姓も自由に決められるが、二人の子供には、それぞれ佐々井と佐倉の苗字を与えた。
子供たちが独り立ちした後、ミントもサイボーグ化した。
「あなただけ永遠の二十代、私はもう五十代ですもん。若いまま生き続けたいのよ」
ミントと初めて会ったころの写真を元に、サイボーグは造られた。
もっと若くも出来るが、その年――オレと出会ったころの姿に成りたかったようだ。
生まれ変わった彼女を優しく抱きしめた。
「もっと、強く抱きしめても大丈夫なのよ? 十トンの衝撃にだって、耐えられる構造なんだから」
「夢が無いなー。優しくでいいじゃないか」
「これからもよろしくね」
「こちらこそ!」
西暦二三〇〇年代には、二人で月へも旅行に行った。
人類が不老不死に近くなったこともあり人口が増加。
それに伴い月にはたくさんの都市が誕生しており、各都市を見る観光をしたのだ。
今現在、火星にも基地が作られており、十分整備されたら、そこにも観光に行こうと約束し合った。
西暦二四〇八年、画期的な計画が進められた。
人類のデジタル化である。
現実とまったく違いの無い仮想空間が完成したことが大きいようだ。
また、人口爆発対策、隕石やガンマー線バーストなどの宇宙からの脅威への備えとも言える。
「私たちは、デジタル化はまだしない?」
ミントが聞いてくる。
特に急かしているわけでは無い。世間でよく話題に上がるので、その流れで話をすることがあるだけだ。
「うーん、前に話したけど、オレが実験に協力していたころ、電脳世界に居たことがあって、その時の居心地の悪い感覚を、今でも鮮明に憶えていてね……」
「前にバーチャル体験した感じだと、この世界とまったく変わらなかったよね。体の感覚も」
ネットを通して体験型のデータが流布されているので、気軽に確認出来るのだ。
「空気がキレイで、向こうで食べたステーキは旨かったな。君に触れた感触まで、まったく違和感なかった」
「バカ」
バカとか言われたが、ミントから感じる感覚は凄く重要である。
特に、性干渉的に――
それを言ったら、またバカと言われそうだから、黙っておくが。
西暦二五〇〇年丁度、人類の過半数がデジタル化しているのを受けて、オレたちもデジタル化に踏み切った。
体験版で確認済みであったが、いざやってみると何のことは無い、まるで違和感がない。
街並みまで現実そっくりに再現されてしまっているので、違いがまったく分からなかった。
「デジタル化おめでとう!」
「おめでとー!」
二人は抱き合って、進化したことを祝福し合った。
この世界では、貨幣は不要である。
望んだものがいくらでも出てくるし、物理的限界も無い。
「さて、家へ帰るか」
「そうね」
二人で手を繋いで想像する。
それだけで、家の中に着いた。
「さて、まずはどうしようか?」
「自分たちの家を作りましょうよ!」
「そうだな」
元は三LDKのマンションの一室。
だが、内部空間の広さはいくらでも広げられる。
制限は特別設けられていない。今の人口の一兆倍が、各自、地球規模の面積を作り上げても、余りある容量があるのだから。
「いくわよ!」
ミントが、魔法でも使うかのように腕を振りかざした。
いや、実際、魔法みたいなんだけど。
瞬間、目の前に見たことのあるテーマパークのゲートが現れた。
「ここに住んでみたかったのか?」
「憧れだったのよ!」
ミントが走ってゲートへと向かって行った。
「まあ、最高だよな、これは」
自分たち以外に誰もいない。
完全貸し切り状態である!
「本当に、これがバーチャルなのか……」
走るとき、地面を蹴る感覚があるし、建物のそばに行くと、存在感が感じられるのだ。
「もう、じっとしてないで、早く行こう!」
「おわっ! ちょっと、待ってくれ!」
実体感はあるが、都合のいいことに、疲れなどは一切感じず、暑くも無く寒くも無い、完璧に快適な環境であった。
二人で散々走り回り、アトラクションにも乗った。
他に人がいないのに、ライドが全部自動で動くのだ。しかも連続乗車は元より、途中停車も自由自在。
「ココ! 前から気になっていたの!」
ライドから降りて、普通では立ち入れない個所を探索する。
完全に記憶だけで再現されているわけでは無く、現実のデータも含めて、コンピューターが最適の形を作り上げてくれているようだ。
「意外に狭いな。お、ここの扉から出られるぞ?」
噂で聞く地下空間かなと思ったが、普通に建物から出れてしまった。
「なんか、あっけないね」
「そんなもんだろ」
夢は叶わないから夢なのだ。
「ショップに、人がいるのかな?」
ポップコーン売り場に人影があった。
「行ってみるか」
近寄ってみる。
「すみませーん、ポップコーンバケットで下さい」
「はい、少々お待ちを」
随分と気さくに答えられ、ポップコーンを渡してくれた。
「あなたは人なのですか?」
「いいえ、佐々井様、佐倉様に仕えるプログラムの一部です。周りの建物と、なんら変わりがありません」
「すっごい、使用人ロボットみたいなものでしょ?」
ミントが驚くが、自分も驚いている。
「このテーマパークを運営出来る規模の使用人とか、大富豪になった気分だな」
さらにテーマパークを建造し、それと隣接するように巨大な屋敷も設けた。
屋敷の中だけでも使用人は百人以上だ。
ミントには内緒だが、全員可愛いメイドというのもポイントが高い。
さらには、いくら食べても食べ物が無くならないレストランや、いくらでもモノを取って来れるショップなどが入った複合施設も作り上げ、全部を結ぶ鉄道網も作製した。
「いやー、夢中になって作り過ぎたかな?」
「際限無く、いくらでも好き勝手に作れちゃうからね。楽しすぎるわ」
「確か今現在は、一人地球百個分の面積しか与えられてなかったはずだぞ?」
「あー、百個分かー。もう全部テーマパークで、埋め尽くしちゃおうか?」
「そんなに沢山の種類のテーマパークを、思い付けないよ」
リアル街作りゲーム、資源範囲無限という、非常に贅沢な仕様である。
仮想世界では、現実と同じ生活が出来ますとか宣伝文句があったが、まったく同じ生活を営む人はいないだろうな。
西暦二六〇〇年頃になってくると、太陽系全土に都市が建設され、太陽を巡る宇宙ステーションも複数作られていた。
オレとミントは、自身のコピーを複数作成し、各都市へ飛ばした。
デジタル化された体であれば、他惑星に行くのは簡単だ。量子テレポートで一瞬で到着する。
そうやって飛ばしたコピーたちと定期的に記憶を共有することで、別々の場所で起こる、様々な事象を体験することが出来た。
この頃になると人類は、地球に執着しなくなっていた。
仮想現実の中では、どの星に居たって、快適さは変わらないからだ。逆に、見慣れない星へ行く方が楽しい、という認識を持っている。
西暦三〇〇〇年代に入ると、他恒星系へも多数進出しており、オレとミントのコピーも各恒星系へと飛ばしていった。
大量にコピーがあり、記憶を共有していると、たくさんの情報が手に入るが、中には余計な情報も含まれていた。
「くじら座T星のナコトは、何なのよあれ!」
ミントが目くじら立てて怒ってきた。
地上二四〇〇メートルの空中庭園で、景観を楽しみながらお茶をしていた午後だった。
「えーと、惑星eのやつか……」
この前記憶共有したときに、あんまり嬉しくない事実が発覚したのだ。
今頃、他のコピーたちも、ミントに問い詰められていることだろう。
「いやけど、ココにいるオレがやったわけでは……」
「けど、あれも、あなたでしょ!?」
そう言われてしまうと弱い……
オレのコピーがやった不祥事というのは、分かり易く言えば――浮気である。
当の本人は、土下座しまくり、何日も謝って許してもらえていたようだったが……
「今ここにいるあなたの、通信記録を見させて!」
「ええーっ……まあ、それで気が済むなら、仕方ないか……」
自身の記録フォルダーへのアクセスキーを、ミントに転送した。
ミントの動きが一瞬止まる、さっそく確認中らしい。
「見たわ。確かに、浮気まではいって無いわね。危うそうなのはあったけど」
「さすがに未遂は許してくれ!」
ミントがこちらをじーっと睨んでいたが、やがてため息を一つつき、力を緩めた。
「まあ、しょうがない。許してやろう」
「おお、ありがとう!」
嵐は回避された様だ。
「ただちょっと……」
「うん?」
まだ何かあるのか?
「アダルトフォルダーの容量多くない?」
「そこは男だし、しょうがないと思ってくれ!」
そこまで見られたのかと思うと、ちょっと恥ずかしい。
自分への戒めとして、ミントへの好感度メーターを上げておいた。
結婚制度は意味を持たなくなり、既に存在していないが、パートナーを決めて一緒に住むことは現在でも当たり前である。
そして、酷い結末にならないためにも、好感度を調整しておくこともエチケットとなっていた。
何が好きで、何が嫌いかを、自由に設定出来る時代なのだ。
西暦三五〇四年、人類史上最大の悲劇が起きた。
シリウスの連星が衝突、ガンマー線バーストが発生したのだ。
物理学者の予測では、まだ衝突も起こらないし、そもそも衝突してもガンマー線バーストは起きないとされていた。
予想に反して発生したため、まったく準備が出来ていなかった。
地球は直撃こそ免れたものの、オゾン層が破壊され、有害な紫外線や宇宙線等の直撃に晒されることとなった。
デジタル化された人類のデータベースなどは問題無いが、地球上のすべての生物は死に絶え、わずかに残っていた生身の肉体を持った人間たちも死滅した。
地球は死の星となった。
様々な追悼式が行われ、長い間、人類全体の議論として話し合われることとなる。
オレとミントも、長い間、悲しみに暮れていた。
自分たちが生まれた故郷が、死滅してしまったのだから。
西暦四五五一年、画期的な技術が誕生した。
重力波を利用し、三次元空間の外、別の次元方向から情報を送り込むという手法である。
超長距離の情報伝搬は、今までは量子テレポートが存在していたが、送受信機が必要であり、基本、行ったことのない恒星には瞬時には行けなかった。
それが出来るようになったのだ。
それまでの宇宙進出技術では、天の川銀河全域に人類が進出するのに、二〇〇万年かかると言われていた見積もりが、数千年にレベルにまで短縮されたのだ。
西暦六二一二年、人類は天の川銀河を制圧した。
制圧した恒星の数は二〇〇〇億以上、オレやミントのコピーも一兆に達していた。
オレたちの、いや人類の倫理観も、劇的に変わっていった。
コピーたちとは記憶が常に共有される。
それだけの記憶があっても問題は無い。それだけの演算能力が、今の人間には十分にある。
コピーがそれだけあると、人間関係も複雑になっていく。
そして、一対一のパートナー関係という概念が薄れていっていた。
オレには複数のパートナーがいるし、ミントにだっている。
それが当たり前の世界となったのだ。
西暦一〇〇〇四年、地球再生計画が始動した。
文字通り、元の地球を復活させるのだ。
岩石の原子構造を変化させて海を生成し、大気を元の空気の成分へと変更、オゾン層も復活させた。
生物も元の生態系を通りに配置したが、そこで少し手心が加わった。絶滅種の復活である。
一部の離島では古代生物まで作り上げてしまっていた。
都市までも復活させたことで、一つのブームが起きる。
生身の人間での生活である。
昔の一対一のパートナー関係で、古代の夫婦生活を楽しもうと、複数いるパートナーからミントを選んだ。
オレを選んでくれた一人のミントと共に、肉体を授かる。
「昔を思い出すね」
「ああ、アンドロイドじゃない、完全な人間の肉体だ」
完全な人間の体、非常に懐かしい。
それを失ってから八〇〇〇年も経過しているのだ。
「そういえば、ミントの生身は見たことあるが、オレの生身を披露するのは初だよな?」
「そういえば、そうね!」
そういえば、というところはオレの口調をマネようとしたのか、変な声になっていた。
まったく似てないので、突っ込むのは止した。
「よし、この肉体での生活を楽し――うおぁっ!」
ミントの手を繋ごうとしたところで、足がもつれて転んでしまった。
何千年ぶりかの痛みに、悶絶する。
「大丈夫? 気を付けないと」
ミントが差し出した手を握って、起き上がらせてもらおうとするが、今度は二人そろって倒れることになった。
「わたしって、こんなに力が無いんだ」
「そういえば、仮想空間でもアンドロイドでも無かったな。力も無いし、うまく動かないし、痛いしで散々だな」
「けど、こういう大変なことって、新鮮だよね」
今まで、全知全能の神にでもなった気分だったのだ。
不自由さも、たまには面白い。
不自由さを楽しむためか、この肉体は、脳の機能は普通の人間レベルに落とされ、ケガや病気にもなるように設計されている。
仕事は、こんな時で無いと出来ない、肉体労働系を選んでみた。
建築現場で働く作業員だ。
苦労して、悩んで、葛藤して、疲れて、けど家に帰るとミントが迎えてくれる日々。
これも、中々に楽しいものだった。
一五〇年後、肉体寿命が訪れて、オレとミントは土へと帰っていった。
その記憶は、全ての自分と共有された。
西暦一〇二〇五五年、今の自分が生まれて丁度十万年が過ぎた。
記念すべきこの日は、すべての自分が、パートナーや友人たちを集め、盛大なパーティーを催した。
全長百キロにも及ぶ、巨大な花火を無数に上げ、上空に飛ばしたテーマパークで、自分たちの作った仮想地球の上を周遊して、何日も楽しんだ。
西暦一〇〇八七〇〇年、全宇宙の恒星を人類が支配することに成功した。
全サーバー内で、盛大なお祭りが、十年にわたって行われた。
オレの総数はすでに十の二十四乗(一兆×一兆)人を超えていたが、それらがすべて同時に処理され、統合された一つの人格として形成されていた。
「オレの生誕百万年記念のパーティーよりも、遥かに凄いな」
主催者が送信する情報の奔流が圧倒的過ぎて、処理が追い付かなくなるほどだった。
「それは、全世界規模のお祭りだもん」
オレの横にいるミントがそんなことを言ってきた。
「けど、残念なのは、地球人以外に巡り合えなかったことよね」
「そうだな」
地球外生命体の探求は、ついに失敗に終わったのだ。
生物になる前の、有機物のスープはいくつか見付かっていた。しかし、知的生命体はおろか、まともな生命は結局一つも見つからなかった。
「宇宙人、いても良かったのにな」
「宇宙人がいたら、パートナーにする気?」
少し考えてみる。
「うーん、見た目も分からないから、想像も付かないよ」
「わたしは、してみたいな」
「そうなのか?」
ミントは思ったよりも、開放的な性格に変わっているようだ。
「ええ、想像も付かないのが、面白いんじゃない」
「まあ、そうだな」
宇宙の全域に進出した今、観測出来ない地点は無くなっている。
もう少しすれば、すべての恒星、銀河を自由自在に操れるよう、調整が完了することだろう。
「宇宙人はいなかったんだ、今のパートナーで満足してくれ」
「そうするわ」
そう言って向けた笑顔を見ると、感じ入ることがある。
他にもパートナーは沢山いるとはいえ、ミントが一番キレイだなと、そんな風に思った。
百兆年、すでに天の川銀河は消滅していた、すべての恒星は燃え尽きており、新たな恒星は誕生しなくなっていた。
真空からエネルギーを取り出せる人類であったが、来たるべき宇宙の変化に対して対策を練っていく時だった。
十の三十乗年(一兆×一兆×百万)年、すべての星々がブラックホールに飲み込まれ、宇宙に暗闇が訪れた。
人類は、空間の位相変換により物質を生み出し、新たな資源を獲得するようになっていた。
光が無くなっても、宇宙全域は見通すことが出来た。
大きな変化は起こっているが、仮想世界での暮らしは快適そのものであった。
「わたしたちの子孫て、今何代続いていると思う?」
サマーベッドに寝転んでいるオレの傍らに、ミントが座ってきた。
「十穣(一兆×一兆×十万)代だろ? どうしたんだ?」
ミントがほほ笑む。
「ものすごーく、壮大だなーって」
「人数も凄いことになっているもんな」
確か十正(一兆×一兆×一兆×一万)人だったか。
頭上を照らす架空の太陽の光を遮りながら、ジュースを一口飲む。
いつの時代でも、食事は優良な娯楽として機能している。
「ちょっと泳いでくるね!」
「いってらっしゃーい」
自分たちのいる船から、大ジャンプで海へと入って行った。
巨大建造物に最近飽きて、小型ヨットでの仮想世界周遊中である。
「オレはちょっと寝てみよう」
寝る必要は無いが、そのように調整した。
穏やかな波に揺られ、その音だけを聞いているのは、とても気持ちが良かった。
十の三十六乗(一兆×一兆×一兆)年、陽子が寿命を迎え、宇宙は素粒子だけの世界となった。
人類は、陽電子を核とし、電子が公転する人工原子を作り上げ、それでデータベースを構築していた。それは巨大なものであった。
なにせ、原子一個の大きさが、冥王星の公転軌道よりも大きいのだから。
十の百乗(一兆×一兆×一兆×一兆×一兆×一兆×一兆×一兆×一万)年、素粒子もすべて崩壊し、ブラックホールすらも蒸発してすべて消えてしまった。
人類は空間を励起させ、位相空間上の回路を形成し、生き続けていた。
さらにその技術を発展させ、外宇宙へと情報を飛ばせるまでに発展していた。
十の千五百乗(一兆×一兆×……)年、この宇宙と、もう一つの宇宙とが衝突するという兆候が確認された。
この宇宙に留まっていると、宇宙同士の衝突、すなわちビッグバンに飲み込まれ、位相空間が大きく乱されてしまう。
つまりは人類の滅亡だ。
優秀な科学者たちが新技術を構築、人類は閉じた位相となり、宇宙空間からの束縛から離れ、他の宇宙へと進出出来るようになった。
無数のオレと、無数のミントが、無数の外宇宙へと旅立つのだ。
ビッグバンが終わったら、またこの宇宙へと戻ってくることもあるだろう。
もう一度、地球を作り、そこで生命としての一生をまた終えてもいいかもしれない。ミントと共に。