第七話 〝才能ある者〟の愚行
「日本の魔術や常識についてはとんと疎くてな。悪気は無いんだ、すまん」
イルマは素直に謝罪を述べた。
「いえ……わかっていただければ良いのです。ですが、武神の領内でその発言は気を付けてください。気難しい者であれば、それだけで敵と見做す者もいますから」
「心に刻んでおこう」
紅憐はそれから、興味本位にイルマに尋ねた。
「どの様な魔術を習得しているか、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「構わんよ。……《精霊術》を体得している、とだけは言っておこう」
「精霊術……ですか」
精霊術は全ての事象の元とされている四元素。地風火水に宿っている自我無き意思。すなわち《精霊》を使役する術を指す。
「話にはよく聞きますが、実際の担い手に会うのは初めてですね」
「私とて、日本の魔術士で精霊術を扱う者に出会ったのは片手指で足りるほどだ。傾向としては日本人の血統は精霊との感応には不向きなのかもしれん。だが、だからと言って日本出身の精霊術士が凡才なのかと言えば、答えは否だが」
どこの出身であろうが、ポッとでの精霊術士だろうが、才能とそれを磨きあがる努力を積み重ねれば、一流になれる可能性はある。
「……私の場合、磨くだけの時間だけは腐るほどあったからな」
最後に付けたされたような独白は、蒼耀にだけは聞き取れた。
(……どーやら、思っていたよりは好感触)
ずっと危惧していたことが徒労に終わったと思い、蒼耀は内心で安堵した。
が、それは激しい勘違いだったという事を、ほかならぬイルマによって思い知らされる。
「もっとも、元より才能の無い者に、『それ』を強要するのもまた酷くだろうが、な」
イルマから何気なく発せられた言葉は、何も知らない者ならば『才能の無い者』への糾弾に聞こえるだろう。だが、この場に居る者はそれとは真逆の意味合いを捉えていた。
──才能ある者が、才能ない者へと同じ事を求めるのは、愚行以外の何物でもない。
「おい、イルマッ」
それ以上の言葉を止めようと、慌てた蒼耀は口調の語尾を詰めるが、青年の厳しい視線を受け止めながら、少女は穏やかと言ってもいい表情を作る。
「悪いな蒼耀、これだけは言わせてくれ。仮にこれを言って私達の目的が達せられなくても、それはそれで構わん」
「………」
「頼む」
そうまで言われては蒼耀は押し黙るしかなかった。ほかならぬイルマが目的よりも優先したのだから。
「すまんな」
相棒に我がままを付き合わせている自覚はあれど、イルマは止まらない。
「子狐の後を歩く最中、私達は歓迎されてなかった事は理解できていた。少なくとも蒼耀は望まれぬ客人だろうからな」
客観から見た蒼耀の立場を口にするイルマ。過去に蒼耀が行った立ち振る舞いを考えると無理もない。
それを踏まえた上で、あるいはイルマ個人として、別の客観から見てもやはり言わなければならない。
「そんなことをせざる負えなかった蒼耀の立場を、お前達は本当に理解しているのか?」
多少の失望は許されるだろう。一族の血統を最も色濃く受け継いだ者が、実は才能の一欠片も受け継いでいなかった。将来を期待されていただけに、落胆も大きいはずだ。
だからと言って、その口実を長年続けて良い通りは無い。本来であるならば、周りの者が彼の持つ本当の才能に気が付き、成長を促すべきだったのだ。
「才の無い事で蔑みを受け、その上で己の持ち得る『限り』を磨き上げて強くなった彼を、お前達はどうして認めないのだ?」
「………………」
「どうして蒼耀が家を出ることを選択したのか。お前達は本当に理解しているのか?」
「………………」
紅憐は何も言わず、黙ってイルマの責め言葉を受ける。
「仮に理解していたとして、そこまで彼を追い込んだのが誰なのかを、覚えておけ」
イルマが紅の瞳が、紅憐を見据えた。
──この時になって初めて、紅憐は己の勘違いを悟った。
「彼を蔑み続けてきたお前達を、私は許すことが出来ない」
宗主代理の背筋が震えた。
「武神蒼耀に仇成そうとする者は、このイルマスカ・クリムゾン・ブラッドロードが、この身の全てを賭けて迎え撃とう」
震えを帯びる喉を意思の力でとどめ、紅憐は平静を装った声を絞り出した。
「…………心に、刻んで置きましょう」
──目の前の金髪の少女は、己の式神と同じく、見た目の通りの存在では無い。
不意に、イルマの眼から力が抜ける。切れる寸前にまで張りつめていた緊張の糸が解けた。
「言いたい事はそれだけだ」
イルマは音もなく立ち上がると、部屋の出口に向かった。
「私は一足先に外に出ている。このような場所、一時たりとも留まって居たくないのでな」
「……ああ、資料に目を通したらすぐに行く」
そうして、少女の姿をした『それ』は出て行った。
残された兄妹達は、しばらくイルマが去って行った襖を眺める。
「気にするな……って言っても無理だよな」
「いえ、全てが事実です。反論の余地はありません」
「俺としては、もうどうでもいいことなんだけどな。恨んじゃない──って事はないが、少なくとも武神に進んで喧嘩を売るつもりはない」
紅憐にはその言葉が、『来るならば喜んで迎え撃とう』とも聞こえた。
「……………」
「ん? どうかしたのか?」
「……いえ、何でも」
妹の態度に小さな違和感を覚えながらも、本人の否定に蒼耀は追及しなかった。
「お待たせしました」
しばらくして、紙束を抱えた蓮が戻ってきた。
「こちらが、この二年間に紅憐様に〝縁談〟を設けた方々の資料です」
「縁談ねぇ──縁談!?」
予想外の単語に、蒼耀はマジマジと紅憐の顔を見てしまった。
「驚くことはありませんよ。自分で言うのも変でしょうが、私も年頃の娘です。縁談話が持ち上がっても何ら不思議ではありません」
「あ、いや。だからってお前。お兄ちゃん的にはまだまだ早いと思うんだけど?」
「世間一般で言えばそうかもしれませんが、私は仮にも将来の武神を率いる者。入り婿の形であろうとも名を上げようと考えている者にとっては優良物件なのでしょうね」
己の事であるはずなのに、まるで他人事のような口ぶりだった。
蒼耀は妹に一言や二言を加えたい気持ちもあったが、次期当主の座を放り投げて妹に放り投げたのは己だ。とやかく言う資格は無いに等しく、結局そのことに関して追及することはやめた。
気持ちを切り替え、手渡された資料に軽く目を通す。紅憐に寄せられた縁談の数は十を超えており、添えられた相手側の写真はどれもがなかなかの美形であった。
「本当はもう少しいらっしゃるのですが………」
「嘘……、まだいるのか?」
「はい。今お渡ししたのは、どこかしらに『錬金術』と繋がりを持たれる方達の資料です。お役に立てば幸いなのですが──」
「……いや、これだけ詳細が分かれば十分だ」
外にはイルマを待たせているのだ。時間を掛けるのは心苦しい。蒼耀は書類の内容を流し眼で通すだけに留めた。
「……ふむ」
蒼耀は一声音を発し。
「さすがに、武神に喧嘩を売る様な大馬鹿はいなかったみたいだな。この資料、持って帰っても大丈夫か?」
資料の束を持ち上げ、紅憐に聞く。
「構いません。さりとて機密事項ではありませんから」
「ん、ありがと」
蒼耀は少し冷めたお茶を一気に呷ると、膝を立てて座布団から腰を上げた。
「そろそろ帰るわ。長居しちゃ悪いだろうしな」
「……分りました。蓮」
「はい。蒼耀様、玄関までお送りします」
立ち上がった蒼耀を先回りし、蓮が襖をゆっくりと開いた。
「兄さん」
襖を跨ぐ手前、蒼耀の背に妹の声が掛けられた。
「日本にはどの位おられますか?」
「さぁな、たぶんその時の気分次第だ」
ずいぶんと投げやりな答えだった。
「じゃあな。変な男には捕まんなよ」
セリフの内容とは裏腹に、友人との一時の別れとばかりに蒼耀は後ろ手を振った。最後に妹が見せた小さな感情すら無視し、薄情にすら思える気軽さ。
『俺はもう『武神』との縁は切り捨てた』
背中は、雄弁にそう語っていたように、紅憐には見えた。
本文の導入部分。それと縁談の話が持ち上がった所がちょっと強引だった気もしますが、温かい目で見てやってください。