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第三十話 開かれる扉


「──ッッッッッ」 


 ギリッと、歯が折れんばかりの軋みが蒼耀の口から響いた。


 悲鳴を堪えたのは、その時に排出される空気と共に《気》が漏れるのを嫌ったからだ。痛みのあまりに視界が明滅し、それでも続けざまに放たれた光線は、悲鳴を上げていれば回避気できなかっただろう。だが、激痛が動きを阻害し、右の下瞼を浅く焼き切る。


 破壊された縁側から家の中に転がり込み、光線の的にならないように身を隠す。


「──……ッ、はぁッ……」


 かろうじて無事だった柱に背中を預けると、蒼耀はがっくりと膝を折った。静かに深く息を排出し、それと共に痛みに慣れるように深呼吸。


 光線に貫かれた右肩からは出血はない。血管類を高熱が焼却し、傷の断面を塞いでしまったからである。流血による体力の減衰はないだろうが、しばらくは右腕が使い物にならない。指を軽く曲げただけで痛みが走る。


「……ッ、──るほどね。余裕の意味はこう言うことだったのかい」


 焦りの元になる痛みを、動きを阻害しない程度に《気》を操作して遮断する。


 完全に遮断しないのは、そうしてしまうと肌に触れる空気の感知もできなくなるからだ。極限状態の戦いでは、五感に触れるありとあらゆる微細な変化すら危機感知の材料となる。だからこそ、痛みを抱えてでもある程度の感覚は残しておかなければならない。


 肩の痛みに脂汗をにじませながらも、蒼耀は足に力を込めた。


「思慮が浅かったかね、これは」


 後悔の念を軽口で抑え付ける。


 少し考えれば行き当たらない可能性ではなかった。その少しに思い当らなかった自分が悪い、と蒼耀は結論を出し、それ以上の無意味な思考を切り捨てた。


 律儀に待ってくれたのか、少年は青年が姿を現すと笑顔で迎えた。


「あ、逃げなかったんだね。偉い偉い」

「外道に褒められても、全く嬉しくないね」


 苦々しげに言う蒼耀の眼は、少年の隣にたたずむ父親に向けられた。


 記憶の中の父は蔑みと憎しみ、怒りといったあまり良い表情はなかったが、それでも感情と呼べるものがあった。今の峰和は、マネキンのような──瞳からは理性の光が失われていた。


「──細工してたのか、半年の間に」

「あ、分かるの?」

「ああ。さっき触れた拍子にな。おかげで今回の主犯――お前のマスター主人が誰なのかが確信できたよ」


 決め手を得た代償は大きいが、と蒼耀は音にせず口の中だけで付け加えた。


 峰和の体内には、何者かの手による『術式』が施されていた。それも、蒼耀でさえ直に触れなければ特定できないほどに、峰和の《気》に擬態をしていた。


「よくも半年間も家人達の眼を誤魔化せたな。不本意ながら、称賛に値するよ」

「お兄さんに褒められても、あんまり嬉しくないね」

「だろうな。つーか、仕掛けたのはお前じゃないだろうが」

「……それもそうだね」


 蒼耀が悠長に会話をするのは、下手に手を出せなくなったからである。


 ダッダッダッと、木造の廊下を荒々しく踏みしめる音。倒れて動けなかった峰和が突然動きだし、それを追いかけて樋上が走ってきたのだ。


「────ッ、峰和様ッ!?」


 少年の隣に立つ前代宗主は樋上の慌てた様子を虚ろな瞳に写しながらも、何らリアクションを取らない。


「蒼耀、峰和様になにがッ──」

「見りゃわかんだろうが。あのクソガキに操られてんだよ」

「なんだとッ!?」


 途端に樋上の表情は厳しさを増し、術者の意を組んで式神が雷撃を放とうとする。蒼耀はゆっくりと手を挙げてそれに待ったをかける。


「なっ、貴様ッ! 敵を庇う気かッ」


 激情の矛先を向けられるも、蒼耀は冷たくあしらう。


「落ち着け阿呆が。今の親父はあのクソガキの傀儡に近い状態だ。そこらへん、あせらずに考えてみろ」


 峰和に施された『術式』が何の類なのかは不明だが、自我を封印されているのは間違いない。程度こそ読み取れないが、最悪は命を握られていると考えた方が良いだろう。


「だ、だがッ──」


 なおも術を構築しようとする樋上に、蒼耀は論で叩き伏せる。


「だから落ち着けってのッ。親父を死なせたいのか!」


 二度の制止に、樋上は魔術式を解体した。だが、いつでも術を放てるように、魔力を練り上げるのは止めず、それは蒼耀もさせるがままだった。


(助ける余地があるってのも、問題だよな……)


 仮に、父親がもはや手遅れの状態というのなら、あるいはほかに手が無いのであれば、蒼耀は樋上の攻撃を止めなかった。だが、蒼耀としてはそれは最後の手段。できることなら、紅憐を悲しませる結果に終わらせたくはない。


(イルマは……まだ時間が掛かりそうか)


 離れた場所では、イルマと紅憐が絶えず三つ頭の魔犬に攻撃を加えている。どうにも予想を遥かに超える頑丈さに手こずっているようだ。彼女たちの加勢があれば、別方向からの攻撃で油断を誘えるのだが──。


(これは──)

「打つ手なし、だよね?」

「人の心の中を読むな。それに、打つ手がないのはお前もだろうが」


 少年の言葉と蒼耀の言葉は等しく正解であった。少年が峰和を操って蒼耀たちにけしかけないのは、何も人質の存在を見せびらかすだけではない。


 表情は未だに笑みを湛えたままだが、その内心は少年にも余裕がないのだ。疑似人型生命体(ホムンクルス)の少年は、蒼耀の『正体』を知っている。だからこそ峰和を人質として留めるしかないのだ。もし彼がもう一度峰和に触れれば、その時点で少年の優勢は崩される。だが、逆を言えば峰和を蒼耀に触れさせなければ少年の優勢は崩れない。


 まさしく膠着状態。状況の天秤は等しく揺れあい、切欠がない限りは均衡を保ち続ける。


 

 そして、切欠を生み出したのは、この場に新しく登場した者だった。

「兄さんッ!」


 妖狐姿の紅憐。おそらく、埒が明かないとみてイルマが先行させたのだろう。それは常時においては至極正しく、ただこの時に限っては失策としか言いようがなかった。


「にひっ」


 少女の声を耳に、少年は邪悪な笑みを蒼耀に見せ付けた。


 しまった、と蒼耀が動き出す前に、操られた峰和は愛すべき実の娘に向けて駈け出しす。その手にはすでにある種の術式が広げられている。


 いきなりの展開に状況を理解できない紅憐は、殺気はおろか意志すら感じられない父の行動に動きを止める。


「──!」


 父の背中を追おうとする蒼耀の視界の端に、少年が手を振る様子が写る。


「バイバイ」


 まるで子供が友人に別れを告げるように、少年は軽やかに言い残して跳躍した。方向からしてイルマに足止めをされている魔犬と合流するつもりだろう。いくらイルマであっても、高性能の疑似人型生命体(ホムンクルス)と三つ頭の合成魔獣を同時に相手にはできない。


 ここで見逃せば確実に逃げられる。


(親父に仕組まれていた術式。俺の予想が正しければ──ッ)


 この場であの疑似人型生命体(ホムンクルス)を逃せば、先に待ち受けるのは困難を極める強敵。


 紅憐を見捨てて少年を追えば、それで蒼耀が日本にまでやってきた目的は達せられる。それは誰よりも大切な人の願いであり、蒼耀が心に誓った事である。


 だが──武神蒼耀として、兄として譲れない。 


 たとえその先に困難が待ち受けようとも、彼は眼の前の『大事な人』を選んだ。そしておそらく、それは蒼耀の『大切な人』も分かってくれるだろう。それでも後悔とも呼べない自責が心に圧し掛かる。


(すまない、イルマッ)


 ようやく父の異変に気がついたのか、紅憐は慌てたように魔力を練りだした。

だが、そこから術式へと移行する合間に、『剛力』を宿した父の右腕が振り上げられる。


 武神峰和の式神は『鬼』――その中でもとりわけ高位に属する『金剛鬼』。峰和がそれとの契約で得た魔術は『剛力』。そのかいなをもって、ありとあらゆるものを破砕する無双の力。単純な攻撃力であれば現代宗主である紅憐さえも足元に及ばない。


 全てを破砕する剛腕が、紅憐に向けて振り下ろされる。


 防御の具現は、間に合わない。間に合ったとしても、中途半端な障壁はその剛腕の前にはもろすぎる。


 紅憐と蒼耀の間は歩数にして三十。


 それは一秒さえあれば届き、


 だがその一秒があまりにも長い。


 蒼耀が到達するころには、峰和の拳が実の娘を穿っている。


(だったら!)



 ──我は導き手にして理解者。 



 蒼耀の意識が引き延ばされる。


 刹那の間に、彼は己の内面へと意識を向けた。


 イメージするのは、厳重な鍵に閉ざされた巨大な扉 



 ──我は理解者にして導き手。



 蒼耀は躊躇うことなく鍵を破壊し、扉を開放した。


 その瞬間、蒼耀の体内に莫大な量の『生命力』が流れ込んだ。



 ──我は生命の導き手にして、生命の理解者なりッ!



 ズガンッと、大地が爆発する。そう思わせるほどに、地面が抉れた。


 その瞬間、蒼耀の体はその場から消えていた。

 

風の聖痕、大好きだったんだよ

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