第二十五話 補給されるようです
紅憐が我を取り戻した頃を見計らって、イルマが話を切り出した。
「ま、口で言うだけでは信じられないだろう。証拠を見せてやろう」
そう言って、イルマは蒼耀の首筋に触れ、巻かれている革ベルトを取り外した。
「って、ちょっと待て。おまえさん、何をやっている?」
「いやな、そろそろ『補給』が必要な頃なんでな」
「そーいやそうだったな。それはいいとして、派手な喧嘩のあとなので少しは手加減してほしいんですが……」
「善処はする。……保証はできない」
いったい何を?と紅憐が問おうとする前に、蒼耀の顕わになった首筋の素肌に二つの小さな傷跡が見つけられた。まるで、何か鋭いものがその部分を貫いたように。
「ッ!」
イルマが何をするつもりかを気が付き、紅憐は目を見開いた。
吸血姫が『補給』する言えば、安易に想像がつく。
「では、いただく」
イルマが小さく整った唇を開くと、発達した犬歯が覗く。顔を蒼耀の首筋にあてると、ちょうど二つの傷跡に牙をあてがい、カプリと噛みついた。
「ん──」
チュ──っと非常に分かり易い音が聞こえる。
口をパクパクとする紅憐に、首筋から現在進行形で吸血されている蒼耀が苦笑気味に付け足した。
「吸血姫っつっても、イルマは俺以外からはほとんど血を吸わないから安心しろ」
「いや、安心しろと言われても……」
紅憐にも吸血鬼の知識はある。
そもそも吸血鬼は内包した莫大な魔力を納める器を維持するために、異なる生物から《気》を分け与えてもらわなければいけないのだ。その行為の最も効率の良い手段が『吸血』であり、彼ら――あるいは彼女たちが吸血鬼(姫)と呼ばれる所以である。
吸血とともにイルマの躰に《気》が満ち溢れていくのを紅憐も感じることができた。なるほど、確かにイルマは吸血種であることは間違いない。血液に含まれる《気》を、魔術式を介さずに取り込むことからして分かる。人間であるなら、特殊な術式を隔てなければ意味がないからだ。
それにしても、血液とともに大量の《気》を吸われているのに、蒼耀の調子には何ら変化が起こらない。並の術者であれば失神しているだろうし、魔とかかわりを持たない人間ならばとっくに致死量。相変わらずとんでもない《気》の保有量だ。
一般的に、吸血鬼に血を吸われるとその支配下──眷属にされるとされているが、一概にそれが全てというわけではない。人間を眷属にするには、吸血行為に合わせて人間に吸血鬼自身の魔力を注ぎ込む必要がある。つまりは魔力を与えなければいくら血を吸っても人間を奴隷にすることはない。
もっとも、それ以前に人間の血液を吸いつくして死に至らしめる輩もいたりするのだが、現代社会においてはごく少数派だ。
大昔であれば、人が一人行方不明になったところで騒ぎの範囲はせいぜい村か町単位で止まるだろう。だが、今は人間が一人、原因不明に失踪しただけでも大騒ぎするような時代だ。安易に死を撒き散らせばたちどころにその情報が拡散しすぐさま注目を集める。下手をすれば吸血鬼を目の敵にしている宗教関連の組織に目をつけられて即座に討滅対象にされる。
現代に生きる吸血鬼は、ごく一部を除けばその辺りを弁えており、人が死なない程度に生きるのに最低限の吸血を置こうなう程度にとどめている。
「ふぅ、御馳走様」
蒼耀の首筋から牙を抜いたイルマは、フゥッと熱い吐息を洩らした。若干に頬を上気させるどこか色香を放つ表情は、同性の紅憐でさえドギマギさせた。
「これで、イルマが吸血姫であることは信じてくれるかな?」
「……とりあえずは」
よしっと、蒼耀は頷いてから首に革ベルトを巻いた。あれは、首筋の傷跡を隠すために付けていたのか。
「で、ようやく本題に入るわけだが」
小さな前置きから、語りが始まった。
「俺たちが日本に来た目的は、イルマの一部を探してのことだ」
「イルマさんの……一部?」
そのまま躰の一部をさすことではないこと位は、紅憐にも分かった。
「細かい話は端折るが、イルマは俺が開放する間での二百年前に、とある魔術士に嵌められて封印されてたんだ。その時に、同時にイルマ本体とは別に、魂の一部を七つに分けられちまったらしい」
「魂の分割──それって、禁術じゃ……」
数世紀近く前ならともかく、現代の文明社会では人間が一人行方不明になっただけで大問題である。それに加えて、生命の根幹である魂を弄ぶことは禁忌とされている。特に、宗教関係の魔術結社に発覚すれば、審問対象にされかねない。
「外道にとっては禁術も手段の一つにしかならん。それに、奴らにとっては吸血鬼など恰好の実験材料だ。遠慮する必要などなかったろうに」
イルマが忌々しげに言葉を吐いた。嫌な思い出が蘇り、怒りが込み上げているのだろう。紅憐は、それ以上は何も言えず、兄に話の続きを促した。
「俺達が探しているのは、その七つに分かれた魂の一つだ。俺とイルマが出会ってからもう二年になるが、手元にある欠片はたった一つ。でもって、この数日間で、この日本にイルマの魂――俺達は便宜上『欠片』って呼んでるが、この二つ目があることを確信できた」
そこでようやく、蒼耀の質問の意味が理解することができた。
「……ということはつまり、時形家を襲った魔獣が、その『欠片』にかかわっている可能性が高いと、兄さんは睨んでいるのですね」
「さすがは蒼耀の妹だな。兄と同じく話が早い」
イルマからの純粋な褒め言葉は、紅憐にとっては意外だった。
「……なんだ、今のは褒め言葉だぞ?」
「あっ、いえ。ただ、イルマさんに嫌われていると思っていたので」
初対面の最後の時にあれだけ威圧をされれば、紅憐の考えも自然であるろう。
「そうだな。確かに私も思うところはあった。だが、先ほどの話を聞かせてもらった限りでは、ちゃんと蒼耀のことについては反省しているようだしな。っと、盗み聞きしていたことについては後で謝罪しよう。それよりも、蒼耀の話が先だ」
「ええ、それに関しては後ほどで」
先を促された蒼耀だったが、彼は困ったように頭を掻く。
「さっき紅憐が言ったように、時形を襲った魔獣が俺たちの『目的』に関わっているって考えてるのはその通りなんだが。……実は具体的な理由は後付けなんだよなぁ」
「は?」
「めぼしい手がかりがないから怪しいもの目星をつけて手を出してたら、偶然それっぽいのに突き当たったって感じだな」
何かしらの根拠があって行動をしているとばかり思っていた紅憐だが、兄の言葉を受けて呆気に取られた。
「落ち着け妹君。後付けではあるが今では我々の中に相応の根拠がある。完全に勘で動いてるわけではない。それに蒼耀も、それをわざわざ妹君に伝える必要はあるまいに」
「悪い。お兄さんは妹の期待する眼差しに耐えられなかったんだよ」




