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プロローグ 某所の辺境にて


 人の賑わう都市から離れた森の奥底。

 

 そこは人の『常』から隔絶した『異界』。秩序と安念はそこには無く、その場に置いて人間は霊長類の長と言う地位は無意味となる。力強き存在が明日の生を獲得し、力弱きも存在が糧とされる世界。

森の一際奥に位置する洞穴。その最奥部に置いて、二人の人影が立ち並んでいた。


「おい、イルマ」

 片方の人影。蒼みが掛かった黒髪を持つ東洋系の青年──そろそろ少年を卒業しそうな年頃──が、自然の中に作られた人工物を目の前に、苛立たしげに口を開いた。森の奥だというのに、格好はおよそ探検とは遠い。上は藍色のシャツに黒のジャケット。下は動きを重視した構造のジーパンに鉄板入りのスニーカー。おしゃれのつもりか、あるいは違うのか、両手の人差し指にはシンプルなデザインの指輪。そしてひと際目立つ、首筋にまかれた青の革ベルト。


「なんだ、蒼耀そうよう?」


 傍らで若干の疲れを帯びながら答えるのは、紅の瞳を持った少女。肌は血が通っていないかのように白く、一品級の腕を持った職人が歳月を掛けて作り上げたような美しさを持つ、洋人形の如く整った美しさを秘めている。こちらも場にそぐわない、ドレスのような衣装を纏っている。


 青年は問う。


「言ったよな。ここに《欠片》があるってよ」

「言ったな」

「それって……何年前の話だ?」


 二人がいるのは洞穴の底に作られた『研究室』だった。

床に散乱する書物は長年放置された事に朽ち果て、奇天烈な構造を持ったオブジェが入り乱れる机の上には埃が高く積み重なっている。片隅には例外なく蜘蛛の巣が張り巡らされ、そこにしばらく人の手が加わった様子は見られない。


「確か……三十年位前かのぉ? 《欠片》に私の『意識』がまだ宿っていた時には、まだこの場所に存在を確認できたのだが」

「………はぁ」


 まだ十代の半ばを過ぎた位の少女がさらりと答えた年数に、青年は深い深い溜息を洩らした。まるで、それまでの苦労を全て吐き出そうとするかのように。


「む、どうしてそこで溜息を付く」


 青年のやるせなさを百分の一も理解していない美少女は、心底不思議そうに問う。


「あのなぁ………」


 吐き出した息を吸い込み、腹に力を込めてから口を開いた。


「齢六百歳の化け物ならともかく、たかが寿命百年の人間がこんなド辺境にんな長い間居座るかっての! その微妙に常識ぶっ飛んだ思考回路を直せと何度言わせる!」

「………そういうものか?」


 新事実発覚、とばかりに少女は首をかしげた。


「そういうもんだろ、普通! 十年前だったらギリギリ話は分かるが、三十年つったら美少女もおばちゃんになるぐらいの年数じゃねぇかよ! 過去の栄光が懐かしくなるお年頃だぁ!」

「私は百年後も美貌を保てられるが?」

「そらお前ならそうだろうよ………ってちげぇよ! そこじゃないっての! 俺が言いたいのは、三十年前の記憶を頼りに付き合わされた俺の苦労を理解しろや! この場所に来るまでに何度死にかけたと思ってんだ!」

「確か………七回ほどか?」


 丁寧に指折りで数えながら、少女は記憶を掘り起こす。


 どこまでもペースを崩さない相方の調子に、青年は頭痛を起こしそうになる。


「常人だったら躰の指全部使ってもたりねぇぐらい昇天してるわい!」

「そこはほら、お主の修業の成果が実を成したと考えればよかろうに」

「七回も死にかけてりゃその感動も希薄になるっつーの!」


 ぜはぁぜはぁ、と青年は胸に鬱憤していた苛立ちを一気に吐き出した。


 それからもう一度だけ深い溜息を付き、気を取り直した様に頭を掻いた。


「ああッ、もう。ここで愚痴っても仕方がない」

「言いたい事をぶちまけてスッキリしたようだな」

「お陰様でなッ!」


 青年が怒りまかせに最後に叫びに、流石の少女も己の失敗を実感したようで。それまでの偉ぶった様な口調には似合わない、外見に合わせた少女らしい仕草で視線を外した。


「……その、悪かったな。こんな場所にまで付き合わせて」


 バツの悪そうな少女の顔に、青年はしまったと後悔した。最後の怒鳴り声はあまりにも余計だった。


「………いや、いい」


 今度こそ心の中に鬱積していた心労が消え失せてきた。


「口で言うほどは怒ってない。声を荒げて悪かったな」

「………気にするな。お前の気持ちもわからないでもないからな」

「そうしてくれ」


 さて、とそれまでの会話を一旦切りあげると、両者は互いから部屋の内部に目を向けた。


「イルマ、ここが捨てられて何年か分かるか?」


 七度も死にかけた苦労を、その全てを徒労に終わらせたくない。少しでも手がかりがあれば、それだけで報われる気が──しないでもない。


「そうだのぉ………。少なく見積もっても五年以内では無さそうだが………」


 イルマと呼ばれた少女は、そっと目を瞑り、意識を集中した。


 ──目に見えない感覚の触手が、部屋に張り巡らされる。


「《欠片》の残留思念みたいなのは残ってないのか?」

「残っていたとしても、それもとうの昔に朽ち果てておるだろうに。………ん?」


 目を閉じていたイルマの眉間がピクリと動く。


「どうした?」


 少女はゆっくりと双眸を開いた。


「………ここが捨てられておよそ十五年以上は経過している。だが……」 


 イルマの視線は、部屋の一角に向けられるとピタリと止まる。


「おそらく、一年前後の以内だ。私達が訪れる寸前に、人が侵入した形跡がある」

「………ふん?」


 少女の視線の先に、青年は振り向く。


 埃の膜で覆われた本棚。書棚にはぎっしりと本が並べられている。


 ………なるほど、彼女の言うとおりだった。 


 上から数えて四段目の棚の一部分が、よくよく観察すればそこだけ埃の積もり具合が浅かった。


 普通なら見落としてしまいそうなほどの極微細な不自然を、まさに広大な砂浜の中でただ一粒の宝石を見つけるかのように少女は目敏く発見していたのだ。


「さっすが。物探しには事欠かない」


 拍手をしないのは、それで埃が舞うのを嫌ったからだ。


「かく言うお前は人探しに置いて右に出る者は居ないだろう。限定範囲内での人物探索は、おそらく蒼耀以上の者はそうそういないだろうに」

「ごもっとも」


 青年──武神たけがみ蒼耀そうようは人の手が加えられたと思わしき本棚に歩み寄る。


「うわっ、改めて見るとすっげぇ埃」


 舞い上がる粉塵にむせ返りそうになりながら、本の一冊を手に取る。


 ページを捲ってみれば、紙は劣化しているが読むには十分な程度だった。

幾何学の模様が手書きで描かれ、それを解読した理論と発展。それに伴った効果と実用性が記されていた。


「どんな内容だ?」


 イルマの問いに、蒼耀はしばらく答えず、パタリと本を閉じてから口を開いた。


「この場に《欠片》があったってのは、どうやら間違いなさそうだな」

「では、やはり」


 こくりと、蒼耀は頷く。


「ああこいつは手書きの──『イモータル』についての研究内容だ」


 蒼耀は本をイルマに手渡すと、他の本に手を伸ばした。


 他の書籍も、最初に目を通したものと同じような内容と書き方。


「元の持ち主はかなりの実践派だな。この場所に研究室を設けたのは、材料と実験動物の確保が目的か」

「らしいな。どうにも『イモータル』に執心らしいな。実に、実に下らん」


 汚らわしいとばかりに、イルマは蔑みの感情を含めて吐き捨てる。


「まったく、『永遠とわ』のどこが良いというのだろうか。人は刹那を力の限りに生きるからこそ、霊長類の長と成り得たというのに」

「大衆の永遠の憧れってやつだろう。俺だって不老にはちょっとだけ惹かれるさ。さすがに不死は無理だがな」


 肩をすくめて見せる蒼耀。


「………にしても、相当にエグイ実験してんなぁ。軽く人道を超越してる」

「『魔』に通ずるものはいずれにしても人道を踏み外しているのが当たり前だ。特に『イモータル』に手を出すような輩は、な」

「だとしても、こいつはちょっとキツイ」


 三冊目の『研究成果』に軽く目を通した所で、蒼耀はゲンナリとし始めていた。何せ内容が内容だけに、気の弱い者ならそれだけで嘔吐を催しそうなほどに醜悪な研究だ。


「必要な物に目を通したら、この場は滅した方が良さそうだな。これらは後に残しておいて正しい道理が無い」

「同感……って、あれ?」


 ページを捲る手が不意に止まる。


「何か見つかったのか?」


 気になったイルマは、蒼耀の手にある本を横から覗きこんだ。


「見つかったっつーか、見つからなかったみたいだ」


 蒼耀の興味を引いたのは、それまでの内容と大して変わらず、実験の経過と次の段階への理論をまとめたものだった。 


 ただし、イルマもやはり違和感を覚える。


「………? どうにも前後が不自然だな」


 左のページから右のページへ移りに当たり、どうにも内容が『飛んで』いる。


「ああ、途中の部分がすっぽり抜けてやがる。たぶん、俺達よりも先に来たって奴が抜き取ったっぽいな」


 さらに注意深く観察すれば、本の継ぎ目に紙を破り取った後が残されていた。


「ただの盗掘人って訳じゃないな、これは」


 研究の内容をピンポイントで抜き去る辺りに、何かしらの意図を感じられる。金品狙いなら、本棚にある物を手当たり次第抜き去ればいいし、そもそも机の上に散乱している器具の方がよほどに高価だ。


「もしかしたら《欠片》の手掛かりがあるかも知れない」


 どうにも、苦労も少しは報われるようだ。


「だが、これだけではさすがに分かるまい。そもそも、知りたい部分が無いのだからな」

「いんや、諦めるのはまだ早い」


 どこかしらの自信を持った物言い。青年の口端が少しだけ吊り上がる。


「イルマ、こいつを書いた人間がどんなタイプ性格か分かるか?」

「そうだな……」


 ページが破られた以外の書籍に改めて目を通し、イルマは推し量る。


「………レポート研究内容の記し方から推測するに、几帳面で理論派。それでいて机上の空論にならないように実験も重ねているリアリスト現実家。ひらめきよりも経験と結果で物事を進める性格だな。研究内容が逐一、前の実験成果を元に組み立てられている」

「俺もそう思ってる。ってことは──」


 そこまで言われて、イルマは合点が行く。


「なるほど。破られる前と後を照らし合わせれば、持ち去られた部分もある程度は予想が付くという事か」

「ご名答」


 パチンっと、蒼耀は指を鳴らした。


「こんな秘境の奥底にまで足を運ぶような物好きだ。目的が《欠片》狙いな可能性は高い。そいつが持ち去った研究内容さえ分かれば、今後の方針にはなる」

「死に目に会いながらも来た甲斐があったというものだ」


 イルマの言葉に蒼耀は頷き──。



「…………────」


 

 ──かけたが、顔を蒼白にさせて凍り付いた。


 喉が一瞬にして干上がり、冷汗が背中に、それこそ滝のように流れ出す。


「………イルマ」


 極めて冷静に、動揺しそうになる感情を抑えつけながら、相棒の名前を短く呼んだ。


 彼の様子が尋常でない事を悟り、少女は笑顔を瞬時に真剣に切り替えた。


「………敵か?」 

「そーいや、色々と見落としてたんだよ、俺達」


 少女の質問には直接答えない、青年の掠れた声。


 ゴクリっと、水分を失い粘り気の強くなった唾を飲み込む。


「これだけの研究成果を残せる《魔術士》なら、その研究を邪魔されない様に手を打たないはずがないって」


 几帳面で理論派でなおかつリアリスト現実家。

それはつまり、常に最悪の事態を考えるキレ者とも考えることが出来る。


「不当に成果を横取りしようとする同業者や、外にうろつき回る猛獣や幻獣を迎え撃つ罠を仕掛けとかな」

「……まさか」


 イルマの整った顔立ちが盛大に引きつる。事態の重さが分かったのだ。


「でもって、この実験で出来上がった『代物』が、その後どうなったとか」

「……やばいのか?」

「人生で五指に入るぐらいに、超ヤバい」


 ────ゥゥゥゥゥォォォォオオオオオオンッッッッ……。


 腹の底どころか、魂を震え上がらせる様な咆哮がどこからか響く。


 生物としての本能が瞬時にレッドゾーン危険信号を点滅させた。


 同時に、独特の感触を持った『勘』が去来する。


「逃げた方が良さそうだな」


 その言葉に激しく同意をしようとした蒼耀だが、残念な事に。


「いんや、もう遅い………」


 それを合図とばかりに、それなりに広い空間を誇っていた研究室の天然の壁が、轟音を立てて粉砕された。


 姿を現したのは、一体の獣。

 

 背中からは一対の翼。長い首と尻尾を持ち、鋭いを角を誇る幻獣。


 ──ドラゴン。


 地球上の全生態系、その最上級に位置する幻の獣。


 ────グギャァァァァァァァァァッッッ!!


 殺意の雄叫びを上げる獣と対峙し、二人の顔が盛大に引きつったのであった。。

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