目標を定める事は難しい
自分のような人間というのは、仕事に行っている間以外はずっとパソコンの画面の前に座っている、廃人みたいな人間である。神聖かまってちゃんの曲の歌詞に「あんな大人になりたくない」みたいな歌詞があったが、正に僕はその代表である。僕がもし年長者として、年下の人間にアドバイスする機会があるなら「自分のようにだけはなるな」と言うに違いない。
とはいえ、そういう言い方というのも考えものである。例えば、小説家志望者が「将来、村上春樹みたいな偉い作家になりたい」と言っても、一般人は頷くだろうし、それはそれほど不遜な考えではないように見える。しかし、実際、僕の理解では村上春樹よりも、同系統で言えば、ミシェルウェルベックの方が作家としては力量が上である。しかし、小説家志望者が「将来、ミシェルウェルベックみたいな作家になりたい」と言えば、普通の人には「?」と思われる事だろう。
こういう言い方で、僕が何を言いたいのか。それは簡単な事だが、目標を定めるという事は普通に考えられているよりもはるかに難しいという事である。(ドラッカーも言っていた) 手回しオルガン弾きさんも言っていたが、人は目標を、夢を実現するための努力はするが、夢そのものを吟味する努力は怠っている。だから、ここに、天才にむずかしい事は凡人にはたやすく、凡人にむずかしい事は天才にはたやすいという奇妙な事態が現れる事になる。天才というのは常に凡人より遅れてやってくる。しかしその代わり、天才は現れるやいなや、凡人をものすごいスピードで抜き去っていく。それは天才が人一倍才能が溢れるからではない。そうではなく、彼の目的意識、彼の夢そのものの設定が凡人のそれより圧倒的に優れているからだ。しかし、この目標の設定に、過去の天才はおそらく、かなりな神経と努力を払った事だろう。しかし、この努力は一般には努力とは見えまい。普通の意味では努力とは、机の上で十時間ぶっ続けで勉強する、みたいな事だからだ。そしてその勉強の方向性についてはほとんど吟味されない。
そういうわけで、目標や目的、夢を設定するという事は極めて難しい事である。個人的には、村上春樹やノーベル賞文学賞や芥川賞、直木賞なんてのは、個人の持つ夢としてはかなり低い目標設定だと思っている。(一般にはそう言われないだろうが) そして、僕にとっての目標設定は(馬鹿げていると思われるだろうが)、とりあえず、神聖かまってちゃんというバンドを芸術的に乗り越えるという事である。これは笑われてしまうだろうが、僕は、自分のしている事が神聖かまってちゃんの思想を乗り越えるという目標は、ノーベル賞を取るよりもはるかに難しい事だという確信を抱いている。
まあ、一般的には笑われてしまうだろうが。