68 恥ずかしながら、帰ってまいりました
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刺繍の婦人の住んでいた建物に俺たちが着くと、猫舌くんに会った。
彼は俺が元々暮らしていたドワーフ村の若者で、あちこちに出稼ぎして色々な仕事をしているはずだ。
「一仕事終って、出稼ぎから帰る途中なんだ。ここの刺繍はたまに見に来るんだけど、もう作る人がいなくて新作が買えないのが残念だよなあ」
そのように嘆いてる彼に朗報である。
「とりあえず二代目の刺繍職人を確保してきたぞ」
「どうも、二代目をやる予定の者だべ」
俺が紹介し、馬車から降りた中年女性が猫舌くんに自己紹介する。
ソーセージのような肉の練り物を衣に包んで揚げたフレンチドッグのような食べ物に、たっぷりと砂糖をまぶしながらほおばっていた。
肉、小麦粉、油、砂糖ってどれだけカロリー摂りたいんだよ。
「あ、あー。前の姐さんはほっそりしてたけど、これまたご立派な」
その頼もしい体躯に猫舌くんも舌を巻く。
なぜか大陸に着いてからも一風元嫁の体格は大きくなる一方だ。
そのうちマツココデ○ックスみたいになるぞ。
「一応あの人の娘のはずなんだがな」
「ホントかよ。でも後継者ができたってのはいい知らせだな。異世界情緒あふれる綺麗な刺繍は、新作が出ればこの辺の名物になるぜ」
そうだといいな。
俺もたまに贅沢していつか新しいエプロンに刺繍をしてもらおう。
「とりあえずこっちの暮らしが落ち着いたらジロー兄ちゃんの村にも遊びに行くべさ。そん時は料理教えて欲しいべ」
「たまにならな。今は母ちゃんと親子水入らずでゆっくり過ごせ」
俺は母子のことを近隣に住んでいるドワーフによろしく頼み、村に帰る猫舌くんを便乗させて馬車に戻った。
「誰かと思ったら馭者はエルフのねーさんかよ。久しぶりだね。まだジローと一緒にいるんだ。ひょっとして結婚でもした?」
「ふふ、さあな」
意味ありげな返答をしてんじゃねーよ。誤解されるだろ。
馬車の中で猫舌くんに下世話なことばかり質問され、閉口しながら俺は村に戻った。
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「おいっすただいま」
「おおジロー帰ったか。ずいぶん道草をくってたようじゃの」
村に帰ると、村長が出迎えてくれた。
俺たちを見送った後すぐに黒エルフの島を出たんだな。
寄り道しなかった分俺たちより速く村に着いていたんだろう。
白エルフ娘はうちの村長に父親からの親書を手渡していた。
「互いにとって利益のある話がいろいろ書かれているはずだ。よくよくご検討いただきたい」
「ふーむ。うちの村も黒エルフと共同で進める仕事があったりで忙しいんじゃがのう。とりあえず村の会議にかけてみるわい」
渋々ながらも、村長はエルフ娘からの親書を受け取る。
これから種族間で色々と調整が必要みたいだな。
「よく無事で戻ったのである。しばらく村に居られるのであるか?」
食品工房の親方もいた。
「当分はそのつもりだぜ。年に何回か留守にするとは思うが」
「そうであるか。ではかねてより試行錯誤していた『ミソ』の制作に取り掛かりたいのである。我も発酵食品の素材や菌床を各地を回って色々と調べたのであるが、中には驚くべきものがあったのである」
「ほう。いったいなんだい」
親方の口調はいつも通りなので驚いている風には見えないが。
「奥地に住む別のドワーフの村では、獣の肉を土に埋めて発酵させる珍味を生産していたのである。あまりの異臭と奇怪な見た目に天地が逆転する思いをした次第である」
カナダとかアラスカの原住民がなんかそんな伝統料理を持ってた気がするな。漫画で読んだわ。さぞ臭かったことだろう。
「そうだなあ。時間もあることだし、いろいろ試してみようか。まずはやっぱり味噌からだな。米味噌は無理でも、豆味噌や麦味噌はなんとか形にしたい」
などと勢い勇んでみたものの、俺と親方はその後に大量の納豆を作ってしまい村のみんなから異臭に苦情が出たのはまた別の話。
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「ここがお前の部屋か。見事なまでに料理道具しかないな」
俺が村で使わせてもらっている部屋に(俺の断りもなく勝手に)入り、感想を言ってのけるエルフ娘。
壁に造りつけた棚に並んでいる鍋や包丁、お玉、ギョーザをひっくり返す専用のヘラ、肉を叩いて柔らかくするトゲ付きハンマー、おろしがねなどを興味深そうに眺めている。
「つーかなんでお前はこの村でゆっくりしてるんだよ。他の村にも挨拶しに行く予定があるんだろ。ちゃんと働け」
「馬にも私にも休息は必要だからな」
開き直りやがった。
「好きにしてくれりゃいいがよ。俺は夕食の時間前になったら共同食堂に行ってみんなのメシ作らなきゃなんねえんだ。お前の相手してる暇はねえぞ」
「さっき帰って来たばかりなのにもう仕事に戻るのか」
俺の発言にエルフ娘は目を白黒させて驚く。
いや、コイツの瞳は緑色だから白緑なんだが。
「ドワーフの世界だと働かないやつに居場所はないからな。その分、頑張って働くやつは出来不出来にさほど関係なく全肯定される。だからここに住んでると、自分から頑張って働きたいと思えるんだよ。みんな頑張って汗水たらして働いて、ゲハハって笑ってメシを食って酒を飲んで寝るのが最高だと思えるんだ」
地球、日本から異世界に飛ばされてきた先がこの村で俺は本当に幸運だったと思う。
ここは成果主義と努力主義のバランスがとれた、まさにユートピアだからだ。
もちろんそれは、俺のように「好きなこと」を仕事にした立場だから言えることだが。
労働、特にドワーフが尊ぶ生産労働(製造業や建築業だけでなく、料理や食材加工も含む)に興味を示せない人間がここに飛ばされても、生きる意義を見出すのは難しいかもしれない。
人の役には実際立っていないのになぜかお金を稼げてしまう仕事が地球には色々あったし、そういう仕事が好きだという人間もいたからな。
そういう仕事を否定するつもりはないが、この世界ではなかなか通用しにくいだろう。
「なら私も皿を並べたり皿を洗ったりくらいはするとしようか」
「いやお前は客だし、別の用事で来てるんだから食堂を手伝う必要はねーだろう」
食堂でエルフのご令嬢が下働きしてたらドワーフたちもなにごとかと思うわい。
「私も旅というものがわかってきたんだ。せっかくドワーフの村に来ているのだから、ドワーフの暮らしぶりを多少はこの体で体験してみたい。これからの仕事にもいろいろと良い影響があるかもしれないしな」
エルフという種族はドワーフとの付き合い方をもう一歩、踏み込んで考えなければいけない時期に来ている。
敵対するつもりなど毛頭ない。
しかしドワーフばかりが精力的に活動し権益を広げ、エルフの持つ権益がただ圧迫されていくのを指を咥えて見ているつもりもない。
その調整役として今後長く活動していく必要があるエルフ娘は、まず何より自分がドワーフという種族を知ること、理解することが大事ではないかと言うのだ。
「そうか。それなりの考えがあるなら、やってみりゃいいさ」
邪魔にならない程度の仕事は振れるだろう。
なにせみんなが仕事を終えて集まる夕食時は猫の手も借りたいくらいに忙しい。
俺の了承を得ると、今までに見せたことのないような、切ない微笑でエルフ娘は言った。
「私も、お前やスミレが愛してやまないラーメンの作り方くらいは覚えたいんだ」
そんなエルフ娘の言葉にほだされたわけではないが、帰村記念に今夜はラーメン定食を作ることにした。
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ドワーフの多くは大食漢である。
その小さい体(平均150センチほど)のどこにそんなに入るのかと思うくらい、メシもガツガツ食うし酒もガブガブ飲む。
そんなドワーフの、働き盛りの連中が日中の仕事を終えて腹を空かせて食堂になだれ込んでくるのだから、料理の供給が遅ければ俺たちが食い殺されかねない勢いだ。
「というわけで、みんなが帰って来るまでの間に下準備できることはしてしまう必要がある」
俺はエルフ娘や食堂で働く同僚のおばちゃん衆とともに、戦の準備に取り掛かった。
「今日は時間がないから強火でグラグラと豚骨、鶏ガラを煮てスープを出すぜ。臭みや雑味は出るがそれはアク取りや薬味、他の複合スープでなんとか調整する。スミレはどんな裏技使ってるのか、強火で豚骨を煮てスープをとっても何故か全然くどくないんだ。それを教えてもらうのを忘れてたな。まあ聞いても教えてくれやしないだろうが」
俺がスープの準備をしている間に、おばちゃんたちは肉の揚げ物やデザート、生野菜サラダの準備に取り掛かる。
「二度揚げってのをジローに教わってからずいぶん評判がいいよ。男衆はみんな美味い肉が好きだからねえ」
「野菜も辛くしたり酸っぱくしたりするとみんなモリモリ食べてくれるからね。野菜を間に挟めば肉をもっとたくさん食えるって喜んでるさ」
「へえ、この海藻の煮汁を冷やすと茹で卵の白身みたいに固まるのかい? これは果物なんかと合わせると面白そうだね!」
にぎやかな声とともに精力的に働くおばちゃんたちに囲まれ、俺もラーメン作りに精が入る。
海や島を巡った旅の後なので、寒天の素材となる乾燥海藻をたくさん持ち帰ることができたのは心強いな。
果実フレーバーの酒やエッセンスは工房の親方がいろいろ作ってくれているので、それと寒天を組み合わせてちょっと贅沢な異世界餡蜜としゃれ込むこともできそうだ。
あわただしく動き回る厨房スタッフ、燃え盛る炎、こだまするドワーフたちや俺の掛け声。
その勢いに圧倒されつつも、エルフ娘は食卓一つ一つに匙や飲み物用のカップを並べている。
この村のドワーフは俺との交流の成果から、箸を使える者が少数いる。だから箸も数十組用意する。
「ジローがいつ帰って来てもいいように、麺の玉は熟成しておいてたんだよ。いない間は私らで食っちゃってたけどね」
一人のおばちゃんがそう言って俺のもとに小麦の練り物の塊を持ってくる。
それはラーメンの麺になる素材、小麦粉と水と塩と卵を練り合わせて熟成させたものだった。
「ありがとう。やっぱりここが一番仕事がしやすいぜ」
そう言って俺は、手延べ式の製麺を始める。
棒状に伸ばす。
折る。
伸ばす。
折る。
伸ばす。
折る。
伸ばす。
折る。
まるで日本刀の折り返し鍛錬のようだな。
ねじってこよる。
伸ばしていくつかの小さな塊に分ける。
小さな塊を一玉、一人前として、打ち粉をしながら細く細く繰り返し伸ばす。
別に麺切り包丁を使って普通に平らに伸ばして折って重ねて切ってもいいんだが、久しぶりに帰ってきたのでこんなこともやって見せびらかしたくなる年頃なのである。
粘土のようだったひとかたまりの小麦の玉が、道具も使わずあっという間に細い麺に変わっていく様子を見て、エルフ娘が呆然としていた。
「俺の使う魔法もなかなか見事なもんだろう」
ドヤ顔で尋ねる俺。
「とっくに魅了されている。いちいち聞くな」
わずかに朱に染まった極上の微笑で返すエルフ娘。
マジで答えんなよ。なんか恥ずかしくなってきたじゃねえか……。
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「ジローが帰ってきたんかあ」
「またあのラーメンが食えるんだな!」
「おお、今日は揚げた肉も山盛りだぜ」
「このプルプルしてる半透明のはなんだ?」
肉体労働から帰って来たドワーフの男衆が、やいのやいのと言いながら食堂になだれ込んできた。
「も、森でとれる果実の皮で作った茶だ。味の濃い食事に合わせると、口の中がさっぱりしていいぞ」
いささか緊張した面持ちで、エルフの森果実茶をアピールして回る白エルフ娘。
あんまりドワーフたちの口の中をさっぱりさせると、二人前三人前と際限なくおかわりするんでほどほどにしてもらいたいところだがな。
食事をしながらドワーフたちは様々なことを話している。
「なんでエルフのお嬢さんが給仕をしてくれるのかはわからんが、ジローも帰ってきたことだしメシも美味いし今日はめでたいな!」
「今日の焼き豚は炭火焼じゃないのかあ」
「そう言えば山間部の村で作ってる冷燻の魚、めちゃくちゃ美味いよな」
「また売りに来てくれねーかなあ」
「港町でなんか食い物の祭りやってたけど、来年もあるんかな?」
「そう言えば黒エルフの島も港をもっとしっかり整備するって話だったろ」
「おお、うちの村から職人が行って造るって話だな」
「次の会議が終わったら村長から正式に発表があるんじゃねえか」
みんなが席に着き、メシを食いながらやいのやいのと話している。
ここに帰って来たなあ、という実感が強く沸いた。
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「それほど大きくない村だと思ったが、なかなかどうしてものすごい活気だな」
夕食時の仕事を終え、俺は自室に戻って軽く酒を飲んでいる。
その横でエルフ娘が疲労と共に食堂で見たことへ感想を述べた。
こいつは客人用の部屋をちゃんと別にあてがわれているのに、なんでここで暇をつぶしてるんだか。
「これでも今は少ない方だ。なんだかんだ外に稼ぎに行ってる兄ちゃんたちが多いからな。たまにそいつらが一斉に帰って来た時なんかはそりゃもう芋洗い状態だぜ。忙しい分には大歓迎だがな」
食堂に腹を空かせた連中が大挙して押し寄せる光景自体は、俺も料理を生きがいとしている人間として嬉しいから問題はない。
軽く仕事中毒なもんで、働いてないと不安になるんだよな。休みの過ごし方を知らないとかそういうわけではないんだが。
いや、こっちの世界に来てから、休むと決めた日は寝るか酒を飲むかしてない気がする。これは休みの使い方を知らないおっさんの休日ですよ。どうしてこうなった。
「……仕事か。私も今こうして、父さまの代理としてドワーフの村々を渡り歩いて連絡や調整の役割を担うことになったが、続けていればなにかしら自分のうちから湧き上がってくるものがあるものなのかな」
「俺にはわからんが、せいぜい前向きに頑張れ。そういう心持ちを保つ秘訣はな、この仕事がうまく行ったときに、こんな楽しい未来が待っている、ってことを具体的に想像することだ」
イメージは実現する。ビジョンをはっきり持てばそれはリアルになる。
精神論ではなく、あくまでもモチベーションを保つための方法論でしかない。
しかし大きな何かを成し遂げるためには、自分の理想や空想に具体的な肉付けを執念深く、諦めることなく続けることがなにより必要なんじゃねえかなと思う。
「具体的な未来か。そうだな。私は大陸の遠く離れた奥地に住む者たちや、海を隔てた島、さらにその先の別の大陸に住む種族ともいずれ交流し、彼らの土地や種族に伝わる神話や伝説を見聞きしたり学んだりしたいものだ」
根っこはやっぱり厨二なんだな。
しかし楽しそうな夢で何よりだ。
「ちなみにお前らエルフの神話ってのはどんなのなんだ。白いのと黒いのが分かれる前の時代とか」
ここでこんな質問をしたのがいけなかった。
「ほう、知りたいのか。では教えてやろう。まず原初の世界、天と呼ばれる空洞の中にいつしか地が生まれた。天や地そのものに意志はあるのかないのか、エルフの学者たちの間でも意見は割れているな。龍神たちの口ぶりからするとなんらかの理はあるようだが。その後植物や虫、魚や獣などが誕生し、知性のある最初の生き物はドラゴンだった。生き物が増えていくにつれ、生命とはまた別の存在である精霊も地に満ちた。最初のエルフは精霊たちが魔法の力を駆使し、水や土や樹木を素材として作り上げたと伝わっている」
それ以降もエルフ創世神話の話は長々と続き、大陸全土を統一してすべての他種族を従えた伝説の大エルフ王がどうのというあたりで俺の記憶は途切れている。
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真夜中、ふと目が覚めた。
いつの間にやら俺は着の身着のままで寝具の中に放り込まれていたが、なぜかその横にエルフ娘も横たわっている。
狭い。密着状態である。
「これからが面白くなっていくところだというのに寝るとは何事だ」
「いや、まあ、続きはおいおい聞くとするわ……」
話してくれればそれはそれで睡眠導入剤として便利かもしれない。
「なら、お前のいた世界の神話を教えてくれ。父さまも少しは知っていたようだが、お前から直接聞きたい」
想定外のパスが飛んでくる。
「う、う~ん? 神話ねえ。ああ、最初に現れた神さまは、一人で出て来ただけですることがなくてどこかに消えたっていう話を昔誰かに教えてもらって笑った記憶があるな」
「なぜそれで神なんだ……」
そういう神さまでもとりあえずありがたがっておくのが、日本の精神的な豊かさだと俺は思ってるんだが。
日本神話のエピソード自体、時に野蛮と言えるくらいに素朴でおおらかで、良く言えば懐の深いものが多い気もする。
「そのちょっと後に出てきたイザナギとイザナミって神さまが、国を作ったり生物や文化の源になる神さまをたくさん作ったりしたはずだな」
大雑把な説明だが大意としては間違っていないと思う。
「ほう。その神たちはどのようにしてそれらの、世界の基礎となるものを作り上げたのだ? やはり我々で言うところの魔法のようなものか」
体を摺り寄せ、イザナギイザナミの国産み神話について詳細をなお聞きたがる白エルフ娘。
こんにゃろう。純粋に神話好きの知的好奇心からこの話を振ってきたんだろうと油断した俺がバカだった。
「お前、父ちゃんに聞いたかなにかして、日本神話の国産みを知ってるだろ」
知ってて俺をからかいやがったな。
「ん? なんのことだ。私は知らないから、お前の口から教えて欲しいと言っているのだ」
白を切るつもりだ。
「じゃあなんでニヤニヤ笑ってるんだよ」
「神話や伝承を聞くのはなにより楽しいからな」
まったく、ちょっと油断するとこれだ。
こうしておかしな流れではあるが、俺と白エルフ娘は日本神話の尊い神さまであられるイザナギやイザナミの国産み神話を、実践的講義という形で模倣しながらお互い学ぶことになった。
かの二神にはその後悲劇が待ち受けているが、そうならないようにしたいものである。
次回予告
69話「異世界でラーメン屋を開いたが、常連客がドワーフしかいない」




