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65 この異世界からの、卒業

アクセスありがとうございます。

楽しんでいただければ幸いです。


 ☆ ☆ ☆

となっているパートは三人称客観視点です。


 ☆

となっているパートは二郎の一人称視点です。


予告通り、長くなりました。


 ☆ ☆ ☆


 青葉すみれは両親にとって待望の第一子であった。

 ラーメン将軍と呼ばれ、都内でも有数の人気点を経営する父、青葉てつやは一人娘をラーメン屋にするつもりはなかった。

 幼少期のすみれは感受性が鋭敏で、体力がやや低いくらいの、特に目立つところもない女の子だったのだ。

 普通に育ち、普通に幸せになってくれればそれでいい。

 すみれの両親はそう思っていた。


 しかし、すみれが中学生の時に転機が訪れる。

「塾の帰りに友だちと食べに行ったラーメン屋さん、全然美味しくなかった! 脂は臭いし麺はゴムみたいで味がないしチャーシューは味が染みてなくてボソボソだし!」

 帰宅するなり泣きながらそう叫ぶすみれに、父は困惑しながらこう答えた。

「いくら不味くても、泣くことはないだろ」

 至極もっともである。

「違う! アタシが泣いてるのは、そんなラーメンを食べて友だちは『美味しいね』『スープがイイよね』って言ってることなのよ! あんなの、あんなの、父さんのラーメンに比べれば全然、美味しくなんかない……」

 父はそう言われても複雑であった。

 おそらく一緒に食事をした級友全てが、本心からその店のラーメンを美味だと思っていたわけではあるまい。

 しかし、場の雰囲気を壊さないため、もちろん店内のスタッフの機嫌を損ねないために社交辞令を口にすることは、中学三年生にもなればあることだろう。

「このラーメンは出来損ないだ、食べられないよ」

 そう思っていてもそれを口に出して言うかどうかは、また別の話なのだ。

 普通の良識ある日本人は、そんなことを言わない。

「あんなの違う……本当のラーメンはもっと深くて、熱くて……」

 ボロボロと泣きじゃくる愛娘に、そんな本音と建前の区別を説いて聞かすだけの器用さを、父は持ちあわせていなかった。

 慰める言葉が見当たらずに立ち尽くす父を前に、涙をぬぐってすみれは言い放った。

「父さん、アタシにラーメン作りを教えて。本当に美味しいラーメンの作り方を教えてよ。もちろん一番下っ端からでいいから。家の手伝いもお店の手伝いも頑張るから」

「いきなりなんでそういう話になるんだ。俺の指導は厳しいぞ。店だって若いやつらが何人も辞めて行ったんだ。続く根性のあるやつはなかなかいない」

 父としては、娘の飛躍した要求を突っぱねるつもりでいた。

 しかしすみれは引き下がらなかった。

「アタシ、父さんのラーメンは本当に美味しいと思ってる。それって、プロとして責任のある、しっかりした仕事を父さんがしてるからだと思う」

「こ、子供が何を知ったようなことを言ってるんだ」

 そうは言うものの、愛娘に自分が日夜、精いっぱいにラーメンを作っている姿を評価されて、青葉てつやの頬は若干ゆるんだ。

「アタシもいつか大人になって、仕事をして自分の力で生きて行かなきゃいけないじゃない。だからアタシは、一番身近で尊敬できる父さんに仕事を教わりたいの。ちゃんと自分の仕事に責任と誇りを持てる大人になりたいの。そのためにどうか、背中を追いかけることを許してください。アタシを弟子にしてください」

 言い終って、すみれは父の前で土下座をした。

 

 父は泣きたくなった。

 仕事が忙しいながらも、親として愛情を注いで育ててきた一人娘。

 真っ直ぐに育ってくれていると信じていたが、すみれは真っ直ぐ過ぎたのだ。

 涙が出そうになったのは、嬉しいからではない。

 その融通の利かない真っ直ぐさを、我が子として不憫に思ってしまったからだ。

 なにも悪いことをしていない自分の娘が目の前で土下座をして、嬉しがる親がどこにいるだろうか……。


 受験勉強と高校選びの日々を送る中で、すみれは「自分はなにになりたいのか」という答えを探し求めていた。

 なんのために努力をするのか。

 どんな道に進み、どんな大人になりたいのか。

 迷いの中で得た答えは「父のようなラーメン職人になりたい」というものだった。

 父として、職人として、妥協せずに誇りの持てる日々を送ってきた父、青葉てつや。

 彼は自分がそう振る舞ったからこそ、娘がそのような答えに至ってしまったのだと悟った。

「さっきも言ったが、俺の指導は厳しいぞ」

「うん、わかってる」

「店では俺が店長で、お前は下っ端だ。俺にも他の店員にも敬語を使え」

「はい、店長!」

 育てたように子は育つ。

 父はその責任を取らなければいけないと覚悟した。

 しかし弟子を得て娘を失うということまでは、人として、父親としてできるわけはなかった。

 ラーメン将軍と呼ばれ一部のファンから畏怖の念を持たれている男も、家庭では妻を愛し娘を可愛がる父親でしかないのだ。

「……家では変わらずに父さんは父さんだからな。あと、ちゃんと高校に行って卒業しろ。友達を作って、勉強も頑張るんだ。それができないなら、店の仕事の手伝いもさせない」

「は、はいっ! ありがとうございます!」

 東日本ラーメン選手権チャンピオン、青葉すみれという職人はこうして生まれた。


 それから十年後、青葉すみれは謎の失踪を遂げる。

 東日本ラーメン選手権の祝勝パーティーを終え、そこから自宅への帰り道で姿を消したのだ。

 ラーメンの道に進むことを許し、店が持てるまでの技術を叩きこんでしまった自分の責任だと、青葉てつやは悔いているかどうか。

 遠く離れているすみれが知る手段はない。


 ☆


 翼をはためかせてゆっくり、ゆっくりと龍神が祭壇の前に降りてくる。

 威容と形容するほかないその姿に、その場にいる俺たち一同息を飲み、文字通り神の降臨を目の当たりにしていた。

「あの龍の神さまがアタシたちの作ったラーメンを食べてくれるのかな……? 神棚や仏壇のお供え物みたいに、結局は食べてもらえないからあとでアタシたちが食べることになるのかな……?」

 ぽつりとすみれが呟く。

 そう言えば龍神のかまどは、お供え物を形式的なものと言っていた。

 そもそもあのデカい口、デカい鉤爪で人間サイズのメシを器用に食うのは不可能だよな……。


 それは杞憂だった。

 着地し、猫が小さくしゃがみこむようなポーズでその場に収まった龍神が大きく口を開ける。

 その口の中、舌の上に一品ずつ、龍神のかまどが丁寧に料理を乗せていったのだ。

 基本的に、一飲みである。

 なにを出されても、口を閉じてゴクン。次の料理を舌に乗せられて、ゴクン。

 あまり味わって食べてる風じゃないな……まあサイズ比が違いすぎるから仕方ないが。

「あの食い方だと刺身の飾り菊とか、貝殻付きのペスカトーレとかも丸飲みだよな……」

「ドラゴンだから大丈夫なんじゃない?」

「気を損ねて暴れたりされると大変でございますね」

 思いのほかカワイイ食べ方をしている龍神さまに親近感を覚え、失礼なことを思い思いに口にする料理人トリオ。

 あ、リヴァイアサンの白子を飲み込んだ時、龍神が目を細めてイイ感じの溜息を吐いたぞ。美味かったのかな。

「つ、次はラーメンよね……」

 俺たちの作ったラーメンが供される番だ。すみれは手に汗を握って緊張している。俺も多少はドキドキ。

 龍神のかまどが亀甲縄文式土器を抱え、龍の口の中にザバーッとラーメンを汁ごと、具ごと流し込んだ。

 ザバーって……。

 まあ、食い方は自由だからいいけどさ。

 そして、噛んだ気配もなく飲み込まれる。

 ラーメンはドラゴンにとっちゃ飲み物だったんだな。


「不味い!」 

 とか言って火を吐かれたり暴れられることもなく、並べた全ての料理が龍神の胃に収まった。

 いさかか緊張もほぐれた俺たち料理スタッフ三人は、安堵の表情でハイタッチを交わす。もちろん料理長くんはそんな文化がないので戸惑っていたが。


 ☆

 

 龍神のかまどがドラゴンの横に並び、俺たちに向かって不思議と反響する声で語りかける。

「皆の者。至高の大神からお言葉がある。腰を低くして傾聴せよ」

 そう言われたのでとりあえず座る。

 っていうか、ドラゴンは喋れるのか。

 グフーン、と大きな息を吐いた後、その大きな口から神の声が放たれた。

「最後の汁物、熱いけれど美味しかったです」

 猫舌かよ!

 作りたてからけっこう時間が経ってるはずだが、それでも熱いとは……。

「ラード油膜の保温効果が裏目に出たわね。冷やし系の方が良かったかしら?」

 そうと知っていれば対策したのに、とすみれがブツブツ言っている。

「そもそもドラゴンは普段、加熱調理された食物を口にしないのでは……」

 料理長くんの正論がいちいち鬱陶しい。

 わかってたら最初っから言えや。

 燻製も完全に冷めたものを出してたわけだしな。温かい料理は俺たちの出したラーメンだけだ。

「今年も山海の美味を多くの者たちと分かち合うことができ、喜びに思います」

 龍神さまのありがたいお言葉は続く。

 なんかあまり偉そうじゃないと言うか、威厳のない喋り方だな。

「地上の子ら。私と同じ言葉を話す者たち。日々の糧に感謝し、命のつながりを喜び、末永く繁栄してください。日照りの続く乾期も、嵐が続く夜も、私はあなたたちと共にいます。この美しい島で共に暮らせる喜びを噛みしめながら……えーっと、この続き、なんでしたっけ?」

 途中で言葉に詰まり、横にいる助手(龍神のかまど)にスピーチ内容の確認を取る神さま。

「も、もうほぼ終盤ですので結構ですじゃ……ウォッホン! というわけであるからして、皆の者、神の大いなる力と共にあることに感謝しつつ、これからの日々も信仰に、労働に、繁栄に、命を輝かせるのじゃ」

 ははーっ、と黒エルフたち全員平伏。

 何かグダグダな場面があったようだが、儀式としての龍神祭祀はこれで終わった。


「はあ、緊張したわ。はやくお酒をちょうだい」

 スピーチを終えた龍神がそう要求した。

 屈強なエルフ男たちが総出で龍神の前に、子供用ビニールプールよりさらにデカい桶を持ってくる。

 そこに大量のカメから酒が注がれる。

 酒のプールが出来上がった。

「ああ、生きている間、一度でいいからお酒のプールに入りたいって思ったことあるわぁ~……」

 すみれが涎を垂らしながら、プールの酒をぴちゃぴちゃ舐める龍神を見ている。

「今年は珍しいお客さんがいるのですね。ちょっとこっちにいらっしゃいな。とって食べたりしませんから」

 うふふ、と全長20メートルのドラゴンに微笑まれ(表情はわからない)、とりあえず俺たちも近くに寄ることを許された。

「う、鱗に触ってもいいべか?」

 怖いもの知らずなのか、無礼なことをぶっこんでいくチビガキ。

「ええ、いいですよ。鱗一枚一枚、少し角が立っているから手を切らないように気を付けてくださいね」

 いいんだ。

「うひゃぁ、かってぇ~。どんな包丁もこれじゃ通んねえべ」

「お腹の方は柔らかいんですよ。と言っても牛の革なんかよりは厚いし堅いですけど」

 ゾウやサイの革より堅いんじゃねえかな。とは思ってても言わない。

 ガキの無邪気さからか、背に乗ることまで許してもらえている。

 いいな。ちょっとうらやましいぞ。ドラゴンライダーとかかっこいいじゃん。

 と思ったら、俺以上に羨ましそうに、あうあう言いながら挙動不審な動きをしているのが、少し離れた場所にいた。白エルフ娘だ。

「おい、すみれ」

「なによ」

「エルフ娘をこっちに連れて来い。ドラゴンに触りたがってるぞ」

「あ……」

 すみれが白エルフ娘の方を向くと、その視線に気づいたのか白娘はハッとした表情をして気まずそうに顔をそむけた。

「で、でも……」

「いいから連れて来い。細かいこと気にすんな」

 もし、この世界から出ていくのが俺ではなくすみれだった場合。

 気まずい空気のまま別れることになってしまうんじゃないか。

 それはなんか、つまんねえだろと思う。


 ☆ ☆ ☆


「あ、あのさ。一緒に龍神さんとお話しよ? 凄く気さくで、いい神さまだよ……」

 白エルフ娘のもとに駆け寄り、共に龍神と語らおうと誘うすみれ。

 白娘は顔を伏せて、すみれと目を合わせようとしない。

「わ、私はお前の祖父を殺そうとしたんだぞ……」

「おじいちゃんって言ったって面識もない人だし、名前を父さんから聞かされてただけだし。それに、殺さなかったんでしょ? それとも、おじいちゃんの孫であるアタシも憎い?」

 卑怯な質問であることはすみれも自覚していた。

 しかし聞かずにはいられなかったのだ。

「そ、そんなことがあるわけない……!」

 二人の目が合った。

「アタシも、おじいちゃんを殺そうとしたあなたのことを憎んでないよ。だって大事なお母さんを殺されちゃったんだもん……」

 先に泣いたのはすみれであった。

 母を殺されたエルフ娘が泣いていないのに、祖父を殺されていないすみれが泣いてしまうのではまるで話があべこべである。

 泣きじゃくりながら、すみれは同じ言葉を繰り返した。

「ゴメンね……ゴメンね……うまく言えないけど……ゴメンね……」

「馬鹿っ、なぜスミレが泣くのだ。スミレは何も悪くない。スミレは私の、かけがえのない大事な友達だ。憎むなどあるものか……」

 女二人、抱き合いながらすすり泣いた。

 なぜこんなにも哀しいのだろう。

 なぜお互い大事なのに、それだけなのに、こんなに涙を流さねばならないのだろう。

 二人とも答えを見つけられず、ただ抱き合って涙を流した。


 しかしそんな純粋な二人の魂の抱擁を邪魔するものが現れた。

「お、オークどもの海賊船……!? 一隻や二隻じゃないっス! ものすごい数っスよ!! みんな浜辺から離れるっス!!」

 視力が良いうえに夜目が効く黒エルフ。

 その中でも特に危機察知能力に敏い、黒エルフ長男が海原を見て警戒の声を上げたのだ。


 すみれはこの時、一つのことを思い出していた。

 狭間の里に二郎たちが赴くということを決めたときのこと。

 すみれは何か嫌な予感がするので渡航を断ったのだが、その悪い予感と同じ感覚が、今まさにその身に生じたのだ。


 ☆ 


「なんじゃあ? 狭間の里の連中じゃと?」

 黒エルフ親父の叫び声。

 俺たちが龍神さまと和気藹藹して酒を飲んでいるさなか、急に浜辺が喧騒に包まれた。

「な、なんだいったい。なにが起こってるんだ?」

「おそらくは、アオバ・イップウとその配下の者たちがこの島に攻め込んできたのでございましょう。彼らの領域に踏み入って勝手なことをした我々への復讐行動でございましょうか」

 混乱する俺と、冷静に状況を推察する料理長くん。

「敵襲ーーーーッ! 敵襲ーーーーッ!」

「闘えるものは武器を取れ! そうでないものは海から離れろ!!」

「怪我人が出たときのために、女たちは薬をありったけ備えるよ!!」

 多数の黒エルフが男女入り乱れて、有事の際の行動をとる。

 見ると少人数のグループごとにまとまって動き、縦の指示系統、横の連携もきっちり機能しているようだ。

「ジロー、ここにいても足手まといじゃ。ワシらと一緒に奥に行った方がええ」

「もう少し若ければワシらも助太刀するんだがの」

 村長たちに避難を促される。そのほうがいいのだろう。

 しかし、砂浜に仁王立ちして敵の船団を睨みつけている一人のバカエルフと、そいつに対して必死に逃げるよう説得しているすみれの姿を見つけてしまった。

「俺、ちょっとあいつら引っ張っていくからよ。村長たちは先に行っててくれ。あ、一応あのガキもドワーフの血を引いてるからよ、村長たちと一緒に連れてってやってくれ」

 そう言い残して俺は海岸っぷちに走り出す。

 村長がチビの手を引いて逃げてくれるのを確認。よしよし。

「どのようなことがあってもジローさまとお嬢さまは当方がお守りいたします。この命に代えてでも」

「頼りにはしてるが、こんなつまんねえことでいちいち死んでちゃ命がいくらあっても足りねえぜ」

 一緒に走る料理長くんにそう言ってやった。

 まあ俺の命は二つあるようなもんだがな。一度死んで、今二度目だし。


 しかし、腑に落ちないことがいくつかある。

 黒エルフたちがここまで敵の接近を許したこと、それは島の者総出で祭りに取り組んでいたからある程度は理解できる。

 それよりも、この場にはやたらでかいドラゴンと、魔法使い放題の龍神のかまどがいるんだぞ?

 こんなところに攻めてくる狭間の里の連中、もちろん仕切っている青葉一風は単なるバカか自殺志願者だと思うぜ。

 いや、あの爺さんは破滅願望みたいなものを持っていたか。

 死ぬにはいいタイミングだと思ったのかもしれんな。

 なにせ異世界に来てドラゴンと闘って死ぬんだから。

 アホの極致だが、命の使い方、死に方としては派手だ。そういうのが好きな奴には本望だろう。


 そして黒エルフたちの戦闘配置にも違和感を覚える。

 こっちには神さまパワーの持ち主がいるじゃないか。

「防御に徹して、アイツら超常な存在に攻撃、撃退を任せればいいだけじゃないのか?」

「確かにそれが最も被害を抑えられる方策だとは存じます」

 料理長くんに話を振り、彼も同意見のようだが。

「神器や神域を害したわけではないからの。基本的にわらわたちが迫って来る輩を撃退することはないのじゃ」

 走る俺らと同じスピードで飛んでいる龍神のかまどがそう言って、またすぐどっか行った。

 なるほど、この島も厳密には神聖エリアは北側半分だけで、俺たちがいる南側は黒エルフたちの住む「俗域」なわけだな。

 ロリババアが青葉一風を狭間の里で直接的に牽制したのは、あくまで神器を取り戻すという目的があったから。

 今回のような直接的な勢力争い、戦闘行為には神は力を貸してくれないという理屈のようだ。

 人当たりがいい割に線引きが厳格と言うか。

 あの龍神さまもなかなか食えない存在のようだぜ。


 ☆


 浜に近づいた敵の船から、無数の矢と大量の魔法の包丁が飛んできた。

 しかし白エルフ娘の風の魔法、竜巻の壁により敵の攻撃は阻止される。

 そばにいたすみれも無事だが、こいつは白娘が魔法を使えることをはじめて知ったらしく、腰を抜かしている。

「アオバ。イップウ……ッ!!!」

 殺意に満ちた白娘の瞳。

 彼女の口から洩れた名前にすみれは驚きを隠せない。

「え、攻めてきた人たちの中に、おじいちゃんがいるの……!?」

 混乱して頭を抱え、その場にうずくまるすみれ。

「おい、逃げるぞ! ここは黒い兄ちゃんたちに任せよう!! 俺たちがいちゃあ邪魔だ!!」

「で、でも……」

 俺に手を引かれて力なく立ち上がるすみれは憎悪の炎をメラメラと燃やしている白エルフ娘を見やって、その場から離れることを躊躇する。

「お嬢さまもおさがりください。敵の数が多すぎでございます。お嬢さまの風の魔法で対処なされても、いずれ魔力切れを起こされるでしょう」

「うるさいっ!!」

「グワーーーーーーーーーーーーッ!!」

 白娘を後ろに下がらせようとした料理長くんが、風の魔法で遥か彼方に吹っ飛ばされた!

 そして、龍神の目の前の酒プールに落ちた。

「邪魔をするな。あの男は私が殺す。半生をかけて探し求めた、母の仇なんだ」

「そんな、そんな……」

 絶望するすみれの嘆きも、白エルフ娘には届かない。

 第二陣の矢と包丁が飛んできて、やはり白娘の風がブロックした。


 クソッたれ、最悪の展開だな。

 白娘は、怒りに我を忘れている。

 前に一風に会った時に母の仇を取り損ねたことも起因しているのだろうが、ここで何としてでも一風を仕留める気満々だ。

 そして、それは敵の大将である青葉一風も知っている情報だ。

 奴は上陸する前に飛び道具を何度も放つことで、白娘に魔法の防御を乱発させ、魔力切れを起こさせるつもりなんじゃないか。

 迎撃する黒エルフたちも弓で応戦しているが、こちらは砂浜で向こうは大型の船の上。

 高さがある分向こうの方が弓の打ち合いは有利に思われた。


 案の定、白エルフ娘は息が切れてきた。

 魔法のことなんざ詳しく知るわけもない俺だが、今の白娘の状態を見れば、何度も気軽に使えるようなものじゃないことはわかる。

 額に脂汗が浮き、肩で息をする有様。立っているのもつらそうだ。

「もう十分だ。相手の矢をずいぶん無駄遣いさせただろうさ。あとは黒い兄さんたちに任せよう」

「ふざけるな。母の仇が目の前にいるのだ。ここで引き下がるわけには……ッ」

 話しているさなかでも前から飛んでくる敵の矢。

 それをなんとか小さな風の壁ではじいたものの、白娘の魔力は誰がどう見ても限界のようだった。

 明らかに無駄遣いだったんだろうな、コイツの魔法の使い方は。

 

 しかし、攻撃はそれだけでは終わっていなかった。

 時間差で、船から一筋の光る物体が放たれる。

「危ないッ!!」

 とっさにすみれが、白エルフ娘の体を突き飛ばした。


 魔法の包丁がすみれの胸に刺さり。

 役目を終えたかのように、霧散した。


 ☆


「あ……ああ……ス、スミレ……? う、嘘だ……」

 衣服の胸の部分を赤く染めて倒れるすみれの体。

 それを抱きかかえる白娘の目は焦点が合っていない。

「逃げるぞっつってんだろ馬鹿野郎がーーーーーーーーッ!!!」

 俺はとりあえず大声を出すことで白娘の思考を停止させて、二人ですみれの肩を抱えて敵の飛び道具が届かない位置まで後退した。


「嫌だ……スミレ、死ぬな……目を開けてくれ……」

 すみれの頬を叩き、肩をゆすり、必死で目を開けさせようとする白エルフ娘。

 俺はこいつに言ってやらなきゃならないことがある。

「お前は、自分の行動が招いた結果ならどんなことが起こっても後悔しないと言ったな!? 吐いたツバ飲むなよ!? 今この状況で、すみれが死にかかってるこの有様を前にして、同じことをもういっぺん俺の前で言ってみろ!!!!!」

「ち、違う……私はこんなことを望んでいたわけじゃ……」

 俺がコイツに説教できる義理でないのはわかっている。

 俺も勝手なことをしてきたし、それでもどん底になっていない、取り返しのつかない状況を回避できたのは、単に運が良かったというだけだ。


 ま、イジメるのはこの辺にしておいてやろう。

 俺は起死回生の一手が残っていることを知っている。

 50%の確率ではあるが、なんとかなる道はギリギリ残っているんだ。

 すみれの息はまだかろうじてある。

 祭壇の奥に引っ込み、黒エルフたちの奮闘を黙って眺めている龍神に向かって俺は尋ねた。

「なあ、俺かすみれのどっちかは、本来ここに来るべき存在じゃなかったって話を聞いたんだがよ。結局それはどっちなんだ?」

 俺の問いかけに、さっきまでのくだけた印象が若干消えた、厳かな声色で龍神は答えた。

「それは、そのスミレという女性です。本来であればその女性は、あちらの世界でまだまだ命を輝かせるはず。魂の色がこちらの世界の生き物とまるで違っていますので」

 なんかそんな気はしてたんだよな。根拠はないが。

「じゃあよ、ここでこんな風に死に掛けになってるのはおかしい話じゃねえか。さっさと向こうの世界に帰して、まっとうな運命に戻してやってくんねえかな?」

「い、いったいどういうことだ……? スミレが元の世界に帰る……?」

 事情を理解し切っていないエルフ娘が困惑の顔を浮かべる。

 それを置き去りにして、龍神は話を進めた。

「それがもちろんあるべき運命ですから、頼まれなくてもそうするつもりです。私もドラゴンという一つの命には違いませんが、それと同時にこの世界における神の一柱でもあります。世界の理をあるべき姿に戻すのも役目の一つです」

 よし。なんとかなりそうだ。


「ス、スミレは、死なずに済むのか……?」

「ああそうだ。だがもう会えない。俺ともお前とも、永遠の別れだ」

 唐突な別れになる。残された時間を惜しんで使うこともできないだろう。

 しかし、すみれは生きて向こうの世界に帰る。

「スミレに、もう会えない……」

「オッカナイが腕のいい父ちゃんと、人の良さそうな母ちゃんのいるコイツの故郷に戻れるんだ。お前もすみれの友達のつもりなら、それを祝福してやれ。笑って送り出せるなら、俺もすみれを死に掛けの目にお前が遭わせたこと、これ以上ネチネチ言ったりしねえからよ」

 自分で言っていて、突き放している言い方なのか、甘やかしている言い方なのか、よくわからん。

 しかし、これはもう「しょうがないこと」であり「こうあるべきこと」なのだ。

 目に涙をため、それでも必死で笑顔を作って白エルフ娘は言った。

「ス、スミレが愛する家族のもとに生きて帰って、幸せに暮らすなら、それが一番いいに決まっている……」

「そうだな。俺もそう思うぜ」

 すみれがあっちの世界に帰れるということは、俺はあっちの世界に帰れないことが確定したということでもあるが。

 この際どうでもいいし、何をどうあがこうがそれは変わらないならどうしようもない。

「スミレ……お前のことは決して忘れない。幸せに生きてくれ」

 息の弱ったすみれの手を握り、涙ながらに語りかける白エルフ娘。

「その女性が今生死の境をさまよっているのも、本来この世界にいるべきでない存在だからです。世界の理がその女性を排斥しようと力を働かせているのです」

 龍神が補足説明する。

 じゃあエルフ娘のバカ行動に巻き込まれてなくても、遅かれ早かれすみれはひどい目に遭って死に掛けるのか?

 これも運命ってやつなんだろうか。なにか釈然としないものがあるが。

「さあ、お別れの時間です。異界の魂はあるべきところに帰ります」

 龍神が宣告し、すみれの体全体が白く光る。


 すみれともお別れか。

 せいぜいこの世界での経験を活かして、向こうでのラーメン作りに励んでほしいものだ。


「ン……あれ? アタシ、なんか胸に包丁が刺さって……」

 などと俺がまとめに入っていたら、すみれが目を覚まして普段と変わらない口調で喋り始めたんですけど……。

 胸の傷もふさがっている。

 服は裂けたままだが、ドクドク流れ出ていた血は完全に止まっている。

「異界の人間、そしてそこな白いエルフ娘。七十二宝のまな板がこちらの手元に戻ったのはおぬしらの功績も大きい。褒美としてこの娘が帰る前に、別れを惜しむ時間をやろうと龍神さまはお考えじゃ」

 ロリババア巫女が横に現れ、あっけらかんと言ってのける。

 俺も白エルフ娘も、開いた口がふさがらない。

 コイツら神のくせにくだらねえドッキリを仕掛けやがったのか!

「あら、いい顔で驚いてくれますね。すぐにいなくなっちゃうと思いました? 私の演技もなかなかでしょう」

 この先、何があっても龍神の信者にだけはならないでおこうと決心した瞬間であった。

次回予告

66話「私、普通のラーメン屋に戻ります」

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