56 キノコVSタケノコ
ちなみに僕はきのこ派です(直球
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青葉一風の作った味付きキノコ。
薄切りなので見る見るうちに冷めていくが、温度自体はそれほど重要じゃないのだろう。
それを一切れ箸でつまみ、口に放り込む。
不味いということはないだろうと思いつつも、それだけの料理が一体どれほどのものか、俺は半信半疑だった。
しかし口に入れたキノコを一噛みしたその時、ジローに電流走る……!
「これが、宇宙の真理……!?」
それはもう、食を超えたスピリチュアル体験だった。
食い物を口に入れる。噛み砕いて嚥下する。美味しいもので腹がいっぱいになると生きていてよかったと思える。
それは間違いなく生きている上で体験できる極上の幸福の一つだ。
三十年近く生きているから時には恐ろしく不味いもの、特に感動のないものも食うことはある。
それでも俺と言う人間を構成するにあたって、美味しいメシ、自分好みのラーメンを食べた幸せな記憶や経験は、人生の上でかなり大きなウェイトを占めているつもりだった。
しかしそれら素敵な経験、記憶の積み重ねが、たった一切れ、たった一口のキノコに「体験した幸福の総量」で負けそうになっている……!
「これが、ヨウセイモドキ本来の味……」
いつしか俺の目からは涙があふれていた。
加熱しすぎないことで失われずに保たれた、まさしく異世界レベルの旨味が怒涛のように押し寄せる。
柔らかく、しかし歯ごたえるのあるキノコを一嚙みすると溢れ出すエキス。
濃厚過ぎ、あるいは暴力的と言っていい旨味の襲撃が、青葉一風の手によるタレの爽やかな味と絡まり合う。
荒々しく雄々しい力と、それを優しく受け止めるたおやかな力。
大地と太陽、風雨の恵みを象徴する太陽神や大地母神のごとき。
青葉一風の仕事ぶりがこの料理に与えた力はもちろんそれだけではない。
火の通し加減もそうだが、おそらく湯には俺のまだ知らない食材で出汁が取られていると思われる。
どんなに美味しいキノコでも野生の山林で育つ以上、多少は「木っ端臭さ」「枯葉っぽい香り」を持っているものだが、それを完全に洗い流す効果があるのではないか。
そして極めつけはキノコの「形状」だ。
なんの変哲もない薄目の短冊切りに思われるその形こそ「タレの付着する表面積、浸透する部分の体積」と「タレのついていない部分」とのバランスが最も良い、完成された形状なのだろう。
しかもこの切り方、身が「柔らかくホロホロと崩れるように味わう部分」「歯ごたえを残し、プリっとした食感、プツッとした歯切れを楽しめる部分」「その中間的性格を持った部分」という、大まかに言うと三層構造になっているのだ!
一風が表面に無数の細かい切れ目を包丁で入れていた仕事。
あれはキノコ繊維の口触りを良くしたりタレの浸透を調整する以外にも、小さなキノコ片一つで3つの歯ごたえ口触りを表現する効果を発揮しているのだ!!!!
俺も包丁仕事には多少の自信を持っていたが、俺の技術は基本的に先人の積み重ねを習得したに過ぎない。
どんな食材でも器用に切り刻みはするが、言ってしまえばそれまでだ。
いっぱしの職人を気取っていても俺はまだ若手。
しかしこの青葉一風と言う男は違う。
包丁一本(魔法だが)で完璧に自己表現しきっている。
まさに包丁人と呼ぶにふさわしい。
使える魔法が包丁と言うのは、青葉一風と言う男を最も明確に象徴するものが包丁だからに違いない。
包丁一本の仕事だけでここまで差を見せつけられて……ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべる青葉一風の世界に、俺は文字通り引きずり込まれた。
☆
音が見える。
俺が呆然としているのを心配して、一風の娘であるクォータードワーフのガキがなにごとか話しかけている声だ。
赤と肌色を混ぜたような生命力あふれる声の色が俺の周囲に満ちているのがぼんやりと見える。
音色と言う言葉の意味を俺ははじめてちゃんと実感した。音には色があって、ちゃんと見えるものなんだな。
奥に引っ込んでいたはずの白エルフ娘の声も聞こえる。こっちに来たのかな。
こいつの声はごく薄く明るいレモン色だ。
色が聞こえる。
ならず者の巣窟である狭間の里と言っても、山や丘の木々たちは鮮やかな緑色の葉をつけている。美しい自然が奏でる音はショパンのピアノのように愛らしく爽やかで耳に入ると安心する。
目の前にまだ二切れ三切れ残っているキノコの黄金色は、俺の耳には讃美歌のようにすら聞こえる。しかし濃褐色のタレがそこに悲しい調べを演出して、ただひたすらおめでたいだけの耳当たりではない。
匂いに触れる。
一風が沸かした湯の匂い。
単なる真水が沸騰する慣れ親しんだ匂いは、もっとこう、新品のシーツみたいな、サラサラしているけどそっけない手触りのはずだが。
その中にほんのわずかだが花の香りのようなものが含まれていて、その手触りがもっちりむにむに、まるで巨乳を揉んでいるかのよう。
いつまでもこうしていたい。
「あれ、なんでお前らこんなところにいるんだ。ひょっとしてお前らも異世界に飛ばされたのか」
俺は目の前に突如として現れた、懐かしい顔ぶれに向かってそう語りかけた。
アイスピックではりつけにされたアル中のキリスト。
ロックバンドのドラマー。コイツが叩いてるのはドラムではなく赤ん坊だ。
歯ぎしりのひどい天使。
やたらと説教くさいゴリラ。
地図にない川で溺れ死ぬ老婆。
会話の音声がすべてブレーキ音の女。
凍った鉄より冷たい温泉。そこの常連の河童たち。
西成で野良猫ホルモンを焼くガンジー。
みんな死んだか殺されたはずだが、さすが異世界。こういう連中とも再会できるんだな。
みんなが手招きしている。どす黒い空気の漂うその中へ、俺も足取り軽く進む。
ああ、幸せだ。絶望が俺の中を満たしている。
異世界に来て、青葉一風の作ったキノコ料理を食べ、俺は自分の負けを完全に自覚し、この旅が無駄だったことを知り、俺の人生に意味はなかったと理解した。
自分を知るというのはこれ以上ない幸福なことだ……。
俺の命はここで答えを得て、幸せなままに終わる。
☆
「目を覚ませーーーーーーーーッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
エルフ娘に思いっきりビンタされて、おそらく風の魔法の追加効果で漫画のように吹っ飛ばされ、俺は我に返った。
「あ、あれ? 天国のひい婆ちゃん、じゃない!? ここはどこだ? この世? 嘘? 俺の年収低すぎ?」
佐野二郎は混乱している。
白娘は泣き腫らしたような赤い目をしている気がしたが、吹っ飛ばされて遠いことと混乱していることでよくわからない。
「急に違う世界行っちゃうから、もうだめかと思ったっスよ」
倒れた俺を助け起こすために手を貸してくれるイケメンの黒エルフ長男くん。
「一風が作ったキノコを試食して、愉快な連中とどこかへ行こうとしていたことだけは覚えてるんだが」
「そがな連中、どこにもおらん……」
暗い目で俺を見る黒エルフ親父。
今冷静に考えると愉快どころの騒ぎではない連中だったかもしれない。
いったい俺はあんな連中とどこへ行こうとしたんだ。
「おぬし、幻覚を見ておったのじゃ。おそらくあの人間が一服盛ったのじゃろう。効果から察するにゲンソウユリの鱗茎かの。毒を抜いて正気を取り戻す術はかけてやったから、心配するでない」
龍神のかまどが推察して説明してくれた。
俺が食ったキノコ料理の材料、おそらくタレか出汁の中にそのユリがあったのだと。
「この世界では百合の根食うとトリップするのかよ」
正月に茶碗蒸し食いまくってる家庭はそりゃもう凄いことになりそうだな。
ここの世界に正月や茶わん蒸しがあるのかどうかは知らん。
「ゲンソウユリの鱗茎にはごく軽い幻惑作用、麻酔作用があるのじゃ。しかし普通に調理しておぬしのようにひどい状態にはならぬ。おそらくそこの人間、植物から幻覚作用のある成分のみを高純度に抽出する方法を知っておるようじゃな。もしくは、ヨウセイモドキの持つ成分と合わさることでより幻惑効果が格段に高まるのやもしれぬのう」
どこまでマジカルなマッシュルームやねん、ヨウセイモドキ。
しかし油断した。そう言えばこいつ、ヤクの元締めだったんだ。
「狭間の里のスラムだか街はずれだかに、廃人同然のオークやゴブリンがゴロゴロしてるってのはそのユリ根の精製が原因か。しっかし恐れ入ったぜ。薬物がもたらす多幸感と料理の持つ美味さをここまで完璧に合致させることができるとはねえ」
しかも即効性があるときやがる。
ハマるやつもたくさんいるだろうし、コイツの子分になって美味い汁を吸いたいやつもわんさか出てくるだろうよ。
魔法と呼んでいいなこいつの料理は。
文字通り、魔の世界どっぷりだが。
「お前みたいに粋も甘いも知らん若造に食わせるには過ぎた味だったか」
ネタばらしをされつつもなお、笑いながら憎まれ口をたたく青葉一風。
「ああ、俺は人生捨てきってないんでな。歳食って死ぬ直前ならもう一度食いたいかなって気もするが……いや、やっぱり死ぬ直前もシラフでラーメンを食ってから死にてえから、ナシだな」
俺も笑って言い返す。
実際、俺はドーピング料理を食わされて廃人になる直前だったわけだが、不思議とこの男に怒りも憎しみもわかなかった。
文字通り死の世界が見えるほど美味かったし、こいつの包丁技術に感銘を受けた。
それは幻覚じゃなくリアルだ。
青葉一風のやり方は間違っている。認められるべきでないことははっきりとわかる。
しかしこいつは間違ってはいるが本物だ。
魔道に落ちたが、自分の持つ技術と感性と知識と経験を最大限に振り絞って料理を作っている。
薬物の力による幻覚だとしても、料理で人を幸せな気持ちにしている。
薬の是非、善悪は別として、そこははっきりと分かった。
「アンタには礼を言うよ。俺もラーメン狂いに関しては他人に負けねえ自信があるが、アンタみてえにはなりたくねえってはっきり思った。アンタの作ったキノコ料理を食わなかったら、いつか俺もあんたみたいにおかしな道に、知らず知らず突っ走ってたかもしれん。せいぜい感謝の念を込めて、ラーメンを作らせてもらうぜ」
皮肉ではなく、純粋な本心から俺はそう言って、自分のラーメン作りに戻った。
☆
「あれだけの腕を持ちながら、どうしてあの男はああなってしまったのでございましょう……」
手伝いの最中、料理長くんが悲しそうにつぶやいた。
仕える主人に喜んでもらうために料理の腕を振るう。
そうした日々を送っている彼は、まさしく他者を喜ばせることを命題とした料理人だ。
料理長くんの場合「食べてくれる相手は自分にとって大事な存在」である。
しかし一風は違うのだ。
「そりゃあ、あいつにとっては『メシを作って食わせる相手』なんか、どうでもいい存在だからだろうな」
理解できない、とばかりに無言で首を振る料理長くん。
「……これ、使えるか?」
調理中の俺たちのもとに、白娘が寄って来ていきなり言った。
やっぱりちょっと目の周りが赤い気がするな。
それよりなにより、その手にはなんとメンマを持っているではないか!
「在庫は切らしてたはずだが、どこから持ってきたんだ?」
「……お前が旅の間、何度もこれを仕込んでいるのを近くで見ていたからな。作り方は自然と覚えた。自分で食べる用に、作って持っていたのだ。これが最後だがな」
「そう言えばお前に会ってすぐ、メンマ作ったよな。まあラーメンやその材料に興味を持ってくれるのはイイことだ」
今となっては懐かしい話だが、実際どれくらい前の話かは忘れた。
実はそのときからそれほど期間は経ってないのかもしれない。
藪蛇になりそうなのであんまり考えないようにした。
ひとつ味見してみると、俺が作ったものとほとんど同じ味だった。
普段は自分で料理をしないから、俺がやったことを本当にそっくりそのまま真似したんだろう。自己流アレンジを入れられると味は変わるからな。
「育ち過ぎたタケノコなど、おおよそ食材だとは思えなかったがな。しかしお前はそれを食べられるようにしてしまった。独特のクセはあるが、不思議と後を引く味のある食べ物に。ずるずると後を引いて、気が付いたら旅路はこんな最果ての島まで及んでしまった」
おかしな話だ、とおそらくは自嘲するように小声で白娘は言った。
「必ず勝て。あんな男には、負けてはいけない」
「当たり前だ」
メンマも手に入れた。大一番のラーメン作りにこれ以上はない助っ人だ。
一風の作ったキノコ料理なぞに全く負ける気がしねえ。
いや、なにも、タケノコはキノコより強いとか、そう思ってるわけじゃないぞ。
第一、キノコはこっちにも材料として確保してるわけだし。
そもそもメンマはタケノコと言うより竹だしな。
「……今回も美味しいラーメンを期待しているぞ」
去り際、白娘がなにか言った気がしたが、よく聞こえなかった。
作中のジローくんは巨乳に目がない人物として描かれていますが、筆者はどちらかと言うと微乳派です。
次回予告
57「傲慢、奔放をモットーに生きております!」




