44 異世界麺酒場「すみれ」
すみれパートの三人称です。
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☆ ☆ ☆
時は前後し、二郎とエルフ料理長が白エルフの屋敷から狭間の里へ出発する準備をしている頃。
青葉すみれは港町に構えた自分の露店に戻っていた。
「ずいぶん休んじゃったなあ。面白い体験できたからいいけど」
二郎たちと同行してあちこち回った日々から、気持ちをリセットして本業である露店の若き女店主モードへと切り替わる。
すみれの鼻歌が鳴り響き、港で作業している多くの獣人やドワーフ、通行中のエルフの精神が汚染された。
基本的にこの店はラーメン屋である。
しかし、しばらくの間はラーメンも出しつつ、他の注文も受けつつ、この世界の食材に慣れるつもりで色々試してみようとすみれは思っている。
体力的な問題もあり、営業時間は夕方から夜に限定した。
「異界のメシが食えるみたいだぜ」
「島に帰る前にちょっくら食ってみるか」
「いい土産話になるな」
その判断は成功だったようで港湾での作業を終えたドワーフや獣人たちが、自分の寝床、あるいは自分たちの拠点としている島なり、村なりに帰る前の夕飯として多く利用していった。
千客万来とまでは行かないが、物珍しさで立ち寄った割にはちゃんと美味いモノが食えて満足だ、という好意的な評価をいくつか得て、その日の営業は終わった。
「ふう、まずまずと言ったところね。もっと繁盛させてもっとちゃんとしたお店を建てられるだけ稼ぎたいな。従業員も増やしたいし」
自分一人の体力や時間はどう頑張ったところで自分一人分でしかない。
すみれは従業員を増やして分業することで、自分のやりたいことをもっと発展させ、もっと突き詰めることができると考えている。
元いた世界、日本にいた頃から若くして自分の店を持った経験のあるすみれなので、労働や商売に対するスタンス自体は現実的でシビアである。
ラーメンの品質を追求することに妥協はしないが、金銭を稼いで正当な利益を得る、そのために経営を合理化すること自体は完全な善であり正義であると、すみれは固く信じている。
性格や能力が資本主義に合致しているタイプの職人なのだ。
深夜の港町、人通りもほとんどなくなった。
しかし店の後片付けをしているすみれのもとに、一人の客が現れる。
バンダナ状に黒い頭巾を巻き、黒い襟巻で口元を隠しているため、顔がわかりにくい。明かりの少ない深夜なのでなおさらだ。
記憶力や観察力が常人離れしているすみれであったが、現代日本人らしく視力自体はあまり良くない。
「酒はあるんかいのう」
営業時間外ではあるが、ここで客をむげにあしらって悪い評判でも立ってはたまらない、という打算が働く。
「もう厨房の火は落としちゃったんですけど、お酒と簡単なものでよければお出ししますよー」
極端に忙しすぎる日でもなかったので、すみれの体力にもまだ余裕があり、そう答えた。
「余りもんでええけえ、適当に見繕ってくれや。そがあにたくさんは要らんわ」
その声と独特のイントネーションに、すみれは聞き覚えがあった。
「……って、黒エルフのお父さん!?」
「大きな声を出さんといてくれると助かるんじゃがの」
来店した客は、黒エルフの族長であり、つい先日まですみれや二郎と行動を共にしていた男だった。
☆ ☆ ☆
「野菜と海藻とクラゲっぽいなにかのピリ辛サラダ、それとチャーシューです。お酒はドワーフさんから仕入れた大麦の蒸留酒。水割りでどうぞ」
ドワーフは大麦原料の発泡酒や蒸留酒を好んで飲む。
特に蒸留酒は樹の樽で寝かせるものもあれば、陶製のかめに入れて石室に閉じ込めて熟成させるものもあったりと、種類も楽しみ方も豊富である。
「さすがにドワーフのやつらはこういうもん造らせると、巧いのお」
男の酒、ともいうべきパンチのある味に黒エルフ父も舌鼓を打つ。
「これ絞っても美味しいですよ」
すみれが手にしているのは、二郎がエルフレモンと呼ぶ、エルフの森で豊富に採取できる柑橘系の果物だった。
しつこくない甘さと目が冴えるような酸味が、酒の持つ荒々しさを程よく和ませる。
ちなみに、すみれはあらゆる酒の中で日本酒をもっとも愛好しているが、この世界、すみれたちが今いる大陸において稲、米は貴重品である。
そのため日本酒に近いものを飲む機会も得られないままでいる。
「白エルフには豊かな森があって、ドワーフは粗末なもんも美味くしてしまう技がある、っちゅうことかのお」
美味い酒を味わっているというのに、どことなく寂しそうな、悔しそうな口調で黒エルフの男は呟いた。
「なら、きみたちには何があると言うのかね」
その呟きに、別の客がすみれの店を訪れ、言葉を挟んだ。
「あ、白い方のお父さん。いらっしゃいませ~」
すっかり馴染みである客の来訪に愛想よく声を出すすみれ。
「……やっぱり気付いとったんか、ワシが大陸に来とることを」
黒エルフ父は、大陸側白エルフの重鎮である男の方を振り向かずに言った。
白黒エルフ双方の重鎮が、営業時間の過ぎたすみれの露店で邂逅した。
☆ ☆ ☆
「なにか召し上がります? それともお飲み物だけ?」
白エルフ父が席に座り、営業時間外ではあるもののやはり客として饗応するすみれ。
「私にも彼と同じものをいただけるかな」
「かしこまりました~。ご注文ありがとうございます~」
てきぱきと品物を用意し、客の眼前に出す。
「ドワーフの酒か。さすがに強いな」
ほう、と熱い息を吐いて白エルフ父が感想を述べる。
この酒はすみれの舌と鼻の感覚で測った限りにおいて、約20%のアルコール度数がある。
多くの白エルフは度数のそれほど高くない果実酒、要するにワインをさらに水や果実の汁で割って飲むことを好む。
そのため度数が20前後ある酒は強く感じるのだろうとすみれは考えた。
しばらく無言で杯を重ね、皿の料理をちまちまと食べていた二人だが、話の本題に黒エルフ父が切り込んだ。
「あの異界ビトのあんさんは今どうしとんのじゃ」
「狭間の里に行くと言っている。我が家に滞在して必要なものを準備している最中だよ」
表情を変えずに白エルフ父が言った。
「あのあんさん、おかしなやつじゃとは思っとったがそこまでとはのお。なんでお前は、行く言うとるのを止めんのじゃい」
「本人が行きたいと言っているのだから仕方あるまい。それに、龍神のかまどのお告げでもあるそうだよ。狭間の里に行けば探し物が見つかるかもしれない、と」
「佐野、本当に行くつもりなんだ」
すみれはもちろん、狭間の里がどのようなところであるのか、話に聞いただけで実情は全く知らない。
しかし女の第六感とも言うべき不思議な虫の知らせで、自分は行かない方がいい、言ったらタダでは帰って来られないという確信があった。
そのため、同行はせずに大人しく自分の仕事に戻ることを即決した。
そんなところに行く二郎のことを気がかりに思っていないわけではない。
しかし二郎は二郎なりに好きなことを好きなようにやって、その結果どうなろうといちいち後悔するような男ではないことをすみれは知っている。
余計な口を出す必要を感じないのですみれは黙っていたのだ。
☆ ☆ ☆
男二人はまた黙って酒を飲み始めた。
すみれはその横で、今日の店じまいと後片付け作業をほぼ終えてしまった。
「お客さんいるところ申し訳ないんですけど、アタシも夜ご飯にさせてもらいますね。お酒、大瓶置いておきますんでご自由にどうぞ。アタシも飲みますけど」
そう言ってすみれも男二人と同じ卓に席を構え、飲み物や料理の器を並べた。
すみれ自身、ラーメンを毎日食べても全く苦ではない人間ではある。
しかし寝る前の食事は軽く済ませるタイプのため、今から食べるのはラーメンではない。
量も少なく、夜の食事と言うよりは晩酌のアテだ。
「……む? 嬢ちゃん、その魚の切り身はなんじゃあ。そがあな色の魚、この辺の海におったかいのう」
すみれが食べようとしている料理を見て、黒エルフ父が質問した。
さすがに海の男だけあって、近海の魚には詳しいようだ。その彼が知らないという。
「しかも、生魚か。異界のニホンジンは生魚を好んで食べるとは聞いているが」
白エルフ父は生の魚と言うだけで若干の苦手意識があるようだ。表情が渋い。
すみれが食べようとしている料理は、生野菜を刻んだものの上に、生の魚の切り身が乗った料理だった。
厳密に言うと完全な生ではなく、短冊状の魚のブロックを熱湯にくぐらせて表面だけを加熱した「湯霜」である。
「マグロとカツオの中間みたいなお魚の切り身を醤油ベースの調味液に漬けたんです。和風ヅケサラダ、って感じで。よければどうぞ。お店で出したやつの残りですけど」
表面を加熱しさらに醤油漬けにした理由は、営業中の時間経過によって魚の品質が劣化するのを防ぐためであった。
黒エルフ父が怪訝そうな表情で一切れをつまみ、口に放り込む。
「こりゃあ、ハラグロマグロの若子じゃのお。なるほど汁に浸かっとったから見慣れん色をしとったんか。若い身はどうも味気が足りんもんじゃが、こりゃあいい塩梅に味が染みとるのお」
「黒エルフさんたちはこのハラグロマグロって、よく食べるんですか?」
すみれの質問に気分良く黒エルフ父は答える。
「おお、それこそ祭りの準備ンなるとのお、島の若衆が総出でマグロ狩りじゃあ。大の男10人分以上の目方はあるかっちゅうくらいのマグロが獲れた年は、そりゃあ盛大な祭りになったわい。尻尾に近い身がまた美味いけえ、水揚げしたら真っ先にそれを鍋でガーっと炊くんじゃあ……」
精悍な黒エルフの男たちがマグロを獲って誇らしげに島に帰る、その光景がすみれにも想像できる気がした。
粗野で荒々しくはあるが、きっと賑やかで生命力にあふれた、楽しい祭りなのだろうと。
「マグロいいなあ。近いうち遊びに行きますね。お刺身切るのはアタシより佐野の方が全然上手いんですけど」
包丁技術全般ですみれは二郎の足元にも及ばない。
すみれは知性と感性で料理を作るタイプだが、二郎は体に繰り返し身につけさせた技術や経験の引き出しから料理を作るタイプである。
「……黒エルフの新年祭、無事に迎えられそうなのかね。いろいろごたついているようだが」
白エルフ父の質問に、黒エルフ父は無言の回答しか出さなかった。
黒エルフの島からは今現在、伝説の厨具である「七十二宝のまな板」が失われている。
神器もなく、巫女神もいない現状、島を挙げての大きな祭りを執り行うことができるのか、白エルフ父は言外でそう問うたのだ。
すみれや二郎が隠し事をしていても、白エルフ父は自分なりの情報網からこの世界で起こっている様々なことを探っているのだろう。
相手が黙っているので白エルフ父は言葉を続ける。
「これは私の独り言だが、私は近々、二郎どのを巻き込んでこの海岸地域の再開発とでも言おうか、投資活動をする予定だ。そのためにも向こう岸にいる黒い民の中に、政情不安があるのは好ましくない。もちろん、狭間の里の連中も、今のまま放置黙認するつもりはない」
「なにをするつもりかは知らんが、たいそうなことじゃのお」
「そう、大きな仕事だ。ドワーフや獣人たちの有力者の力を借りることもあるだろう。きみはどうだね? 私や二郎どのに投資するつもりはないか。金を出せとは言わないが、その代りに力を貸してくれると、計画は進みやすい。おそらくは、きみにとっても利益のある条件を提示できる」
「なんじゃあ、そりゃあ。なんの話をしとるんなら。わかるようにはっきり喋らんかいや」
持って回った実体の見えない話ぶりに黒エルフ父が苛立ちを覚える。
白エルフ父は、皿の上に盛られたハラグロマグロのヅケを一切れ口に含み、目を閉じて味わった。
「黒エルフが好むこういった魚は、われわれ白の民にとって少々血生臭すぎる。しかも生だ。しかし異界の味付けをすることで、こんなにも美味しく食べられる。この力に私は賭けてみようと思う」
「この魚が美味いんはわかるが、なんじゃあお前、長生きしすぎてとうとうおかしくなりよったんか」
異世界から流れてきた料理人に、大それた賭け金を乗せるなど正気ではない。
呆れたような口ぶりで黒エルフ父が言うのももっともだった。
しかし、最後に白エルフ父は告げた。
それを伝えることが、この店を訪れて、黒エルフ父と接触したそもそもの目的であった。
「この世界はそう遠くない未来、いずれドワーフに支配されるだろう。他の種族は彼らの奴隷状態に貶められるか、ドワーフと多種族の混血が進んで種族の個性や伝統が次第に消え失せる。私はドワーフと敵対することなく、それを阻止したいのだ。どうか力を貸してほしい、黒の同胞よ」
次回予告「異世界島戦記」
飯屋で飯食ってだべってるだけの回になってしまいましたね。
次からは二郎パートに戻ります。




