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戦闘の原則その四・「戦力節約の原則」って何?

 

 人は一度獲得したもの・自分の所有した土地や物に執着するものです。国や政治も例外ではなく、あれもこれも守りたいと奮闘します。

 しかし、その数や範囲が広がれば広がるほど、奪われるリスクも高まる。当たり前な事ですね。守るべきものが多くても守る人材・資源は限られているのです。


 戦いの歴史でも、広範囲に守備を分散したために「集中の原則」によって敵に突破されたり、逆に、目標が複数あって戦力を分散し、結局「二兎を追うもの」の例え通りになってしまったりした例など、枚挙に暇がありません。

 軍隊では「二兎を追うもの一兎も得ず」の戦力分散や、敵の動きに合わせ戦力を逐次投入する事を最も恥ずべき戦い方として戒めます。

 あれもこれも、ではどんなに優秀で数的有利な軍でも手に余るものです。


 戦力節約(自衛隊では「経済」)の原則とは、いわば取捨選択と目的の絞り込み、そして非情な決断の原則です。限られた資源や人を上手に使い、時に非情な犠牲の上で最大限の効果を引き出し、目的を達成する事ですね。


 今回も戦史の例を上げましょう。

 紀元前480年、場所は古代ギリシャ。

 時に世界一の帝国ペルシアのクセルクセス大王は、アジアから西方のヨーロッパ大陸へ覇権を広めようと準備を進め、虎視眈々と機会を狙っていました。

 ヨーロッパへの進出。それは父、偉大なるダレイオス大王が実現出来なかった宿願です。その前に立ちはだかっていたのは、ギリシアの地に点在する都市国家ポリスでした。


 この五十年にも及んだペルシア戦争では、マラソンの語原となったマラトンの戦いやプラタイヤの戦いなど、有名な戦闘が発生しますが、中でもこれから語るサラミスの海戦は少数劣勢が大艦隊を打ち破った戦いとしてつとに有名です。


 クセルクセスによる第三次遠征と呼ばれるギリシャ侵攻はポリス諸国家最大の危機となります。大王は諸国家ギリシャに総勢三十万余、千二百隻の艦隊で侵攻します。迎え撃つギリシャのポリス連合軍。その内情は互いを牽制し合う小部隊の寄せ集めに過ぎませんでした。


 ここにテミストクレスという人物が登場します。有力ポリス・アテナイの政治家にして優れた軍人です。


 十年前のペルシア軍侵攻で発生したマラトンの戦い。アテナイ・プラタイア連合軍がペルシア軍を破って撃退し、アテナイ市民が狂喜乱舞して祝う中、彼だけは憂鬱な顔で「再びペルシアはやって来る」と予言します。その後、アテナイ市民を半分騙すようなことをして軍艦を多数建造させ、将来の対ペルシア戦に備えます。今回のペルシア軍侵攻はその予言が当たったことになり、テミストクレスはアテナイ市民や他のポリス国家から一目置かれる存在となっていたのです。


 彼はポリス同士が集まってペルシア対策を話し合う会議の席上、諸国家の代表に力強く訴えます。ポリス間の軋轢を超えて結束し、強敵ペルシアを迎え撃つ態勢を整えよう、と。

 優れた知性と目的達成のためには汚い手段をも厭わない天性の謀略家だったテミストクレスは、ここでも本領を発揮します。敵対するポリス間を立ち回り、困難と思えたギリシャ連合軍を立ち上げることに成功するのです。


 こうして、海軍力に優れたアテナイと陸軍国家として名高いスパルタを中心として、十倍に近い敵と戦うこととなりました。しかしその数の差はいかんともしがたく、ある国家は戦う以前にペルシアへ投降し、ある国家は中立を決め込むなど、ポリスは揺れ動いていました。

 そしてついにギリシャ北部で戦いは始まります。ギリシャ連合軍は果敢に戦いますが、多勢に無勢、敵に損害を与えつつも後退を繰り返すことになります。


 テミストクレスは山岳地帯の隘路(両脇を山に狭められた土地や道)テルモピュライで精鋭・スパルタ軍を中心として防衛線を敷きます。数に勝るペルシア軍は隘路や勇猛なスパルタ軍などものともせずに進んで来ました。


 この「テルモピュライの戦い」では、様々な要因で全力発揮出来ずにいたポリス連合軍七千人に対し六万人近いペルシア軍が襲い掛かります。

 猛将で名高いスパルタ王のレオニダスは部下と共に果敢に戦い、長時間ペルシア軍の猛攻を防ぎます。ところが仲間に裏切り者が出、ペルシア軍に秘密の迂回路が知られて戦線は崩壊、他のポリス軍が見切りをつけて撤退する中、スパルタ軍は孤軍奮闘、全滅するまで戦い抜きました。


 山間のテルモピュライを突破し、アッティカの平原に出たペルシア軍。有力ポリス、テーバイとアテナイはすぐそこです。遂にギリシャ南側ペロポネソス半島の入り口まで攻め上がられたわけです。


 スパルタを中心としたペロポネソス半島内部の国家は、アテナイやテーバイなどを捨て、半島基部の狭いコリントス地挟で戦うべき、と訴えます。アテナイらは大事な街の放棄を渋り反対します。

 議論は紛糾、追い詰められたギリシャ連合。そこで知謀テミストクレスの打った手は?


 彼は非情にもアテナイやテーバイの住民に街を捨るよう諭します。アテナイやテーバイなどに固執すればテルモピュライの再現、負けるのは確実と考えていたのです。

 テミストクレスはアテナイの人。当然街を防衛するだろうと思っていた人々は声を上げて彼を非難します。

 しかし彼は冷たく言い放ちます。街は再建出来るが人は(技術や知識)難しく時間が掛かる。ここは辛抱するしかない、と。

 近郊のサラミス島へ疎開した人々は、入れ替わりに襲来したペルシアの大軍に蹂躙され略奪・破壊される街を望見し涙しました。


 このアテナイ陥落を見た人々の間では、それまで二倍の敵を向こうに回して善戦を繰り広げていた海軍も根拠地サラミス島(アテナイ市民の疎開地でもある)を撤退してペロポネソス半島に待避しようとの声が上がり始めます。


 しかしテミストクレスは、これには猛反対します。地上での戦いに勝ち目がないと悟った彼は、海軍による逆転劇を謀ろうと考えていたのです。

 権謀術数、様々な手を使い諸ポリスを取り仕切った彼は、遂にサラミス放棄を止めさせ、この地でペルシアと対決することにこぎ着けました。


 ここに決戦の時が訪れます。場所はサラミス島と本土に挟まれた海峡。


 数に勝るペルシア海軍はギリシャ連合海軍を壊滅させようとアテナイの沖合に浮かぶサラミス島へ進みます。彼らは、サラミス島と本土との間の内海にいるギリシャ海軍を挟み撃ちにしようと考え、精鋭のエジプト海軍を反対側の海峡へ差し向けます。主力の艦隊はサラミス島の主要な入り口である海峡から奥へ進入する手はずでした。


 見通しの利く海峡の本土側高台には、クセルクセス大王が側近や近衛兵を連れて玉座に座って観戦します。大王はギリシャ海軍が壊滅する様を優雅に見物と洒落込んだのでした。


 遂に戦いの火蓋が切られます。まずは突進するペルシアの大艦隊を前に、数に劣るギリシャ海軍の海峡防衛隊は一目散、尻尾を巻いて海峡の奥へと逃げて行きます。それを見たペルシャ艦隊は意気盛んに次々と奥へ奥へと進入する。幅が九百メートルしかない狭い海峡は、まるで船の上を渡って島と本土とを行き来出来るほどの混雑振りでした。


 やがて、あまりの混雑振りに船が渋滞で動かなくなった頃合い。狭い海峡の横合いにあった入り江から、巧妙に隠れていたギリシャ艦隊主力がペルシャ艦隊に突進します。

 逃げる振りをしてペルシア艦隊を誘ったおとり艦隊も反転して挟撃します。ペルシア艦隊は大混乱の中、総大将の提督が戦死、指揮官を失った艦隊は各個に撃破されほぼ全滅の憂き目に合いました。

 黄金の玉座から観戦していたクセルクセス大王は苦渋の表情で席を立ち、立ち去りました。


 その後、海軍力で陸軍補給路の安全を確保していたペルシア軍は、海軍の弱体化で陸でも押され始め、翌年のプラタイアの戦いで大敗、ペルシア軍は順次ギリシャを去って行きました。

 テミストクレスは冷静沈着な決断と非情な態度で取捨選択し、限られた兵力を一点集中、敵を撃破したのでした。


 犠牲を恐れず目的のための取捨選択を行い、戦力を有効最大限に活用する。それによって無駄な消耗を防ぎ、目的を達成する。

 しかし、取捨選択と言うからには「捨」、即ち犠牲も発生します。ペルシア戦争では、時間稼ぎになったテルモピュライのスパルタ軍や、ペルシアに蹂躙されたアテナイ、テーバイの街がそれに当たります。その犠牲が勝利に貢献するのなら、心を鬼にしても実行しなくてはなりません。


 戦力節約の原則を実行する者は、こうした怜悧な思考、強い意志をも必要とされるのです。

 歴史上、この原則を活かすため犠牲となった囮や後衛の何と多いことか。やはり戦争とは犠牲を強いるものなのです。


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