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戦闘の原則その二・「主動の原則」って何?

 主導権という言葉があります。対戦型のスポーツでは重要な要素だということは、もう皆さんご存じですよね。敵より「先に・速く・動き」、敵をこちらの思うように動かす・又は動けなくする。これは古代から数多くの戦いの歴史より導き出された戦闘の原則の中で重要なもののひとつです。


 自衛隊の教則(教範と言います)では、これを「主動の原則」と呼びます。米軍の教則でOffensiveと呼ばれるものと同じです。米軍は「攻勢」と名付け、自衛隊は「主動」とする。これも興味深いところですが、自衛隊は専守防衛をモットーとするので「攻撃」という文字よりはしっくり来る気もしますね。


 それにしても、主動とは言い得て妙だと思います。

 「導」くのではなく「動」く、の字の方ですね。そう、この原則は導くだけではまだ半分、動くという部分がとても重要な意味を持つのです。


 敵の機先を制する、という行動は敵よりも早いだけではだめです。そこには第一原則の「目的」によって定められた目標、会社に例えればビジョンによって定められた方向性がなくてはなりませんし、緻密で柔軟性に富んだ計画・準備が必要です。そしてもうひとつ大事な要素があります。それは強い態度です。


 敵が自分と同等、又は強い力を持つ場合、この主動という要素はとても大事です。主動が力の差を生み出し、又は埋めるからです。その時、どんなに優秀な計画や個人技を持つ兵士がいても、心が弱ければやがて敵に隙を見せたり、些細な失敗が大きな失敗へと繋がったりして逆転を許す事でしょう。


 主動という原則は主導権だけでなく、この強い意志や積極果敢な態度の事も示していると思います。

 サッカーを思い出して下さい。「XXの悲劇」と呼ばれる多くの試合は、先制しながら逆襲された苦い記録です。最後の最後まで気を抜かず積極性を維持し最後の瞬間まで敵に本来の力を発揮させない。これが主動の原則です。


 戦例を挙げましょう。

 1796年5月のことです。場所はイタリア北部のロディという町。折しもイタリア北部ではフランス革命に端を発した共和制フランスと君主制の周辺国家、特に東側で国境を接するオーストリア(神聖ローマ)帝国との戦いが佳境に入ろうとしていました。フランス軍を率いるのは新進気鋭のボナパルト将軍。後のナポレオン皇帝その人です。


 遡ること一ヶ月。彼が赴任して見るとイタリア遠征フランス軍の士気は最低で兵はだらしなく、彼より年長の部下たちも将軍に対し帽子を取ろうとしなかった。そこでボナパルトは将兵を前に有名な演説をします。


「兵士たちよ。君らは着るものもなく補給不足で飢えている。政府はそれを正すことが出来ないでいる。私は君たちを世界一豊かで肥沃な土地に導こう。君たちはそこで栄光と名誉、富を手に入れるだろう。君たちはもはや忍耐と勇気を欠くことはないであろう」


 こうして将兵の士気を高めた彼は、手始めにフランスと接していたイタリアの国家サルディーニア王国軍と交戦、これを破り、次いでオーストリア軍と戦います。その時のフランス軍の進軍速度は旧弊なオーストリア軍の将軍たちを驚かせるに十分過ぎるほどでした。若いボナパルト将軍(当時27歳!)は積極果敢に兵を用い、自ら駆け回って将兵を掌握、敵の先手、先手と戦いの主導権を握ります。


 オーストリア軍は数で勝っていたものの、フランス軍のスピードに翻弄され前哨戦に敗れ、一旦退却を始めました。彼らは北部の主要都市、ミラノを目指し退却して行きます。ボナパルト将軍も後方から襲撃しようと兵を急がせました。


 そして遂に、ロディという町の郊外でオーストリア軍の殿軍に追いつきます。ここでもフランスの前衛はオーストリア軍を破り、負けたオーストリア軍は町を隔てるアッダ川の向こうへと退却します。フランス軍は追撃しますが、川には一本の細い木の橋しかありません。浅瀬もありますが、そこからは大きな兵力を動かすことが出来ない。そこへボナパルト将軍が幕僚と手勢を連れて現れます。


 彼は隊を整えると命じます。「砲撃を開始しろ。この橋を渡って突撃する」

幕僚や部下の将軍たちは顔を見合せます。

 ロディの木橋は直線で、幅も人がすれ違えるだけ。対岸にはオーストリア軍の兵士が銃を構えて狙っています。そんなところを突撃すれば先頭から順番に撃って下さい、と言うようなもの。だが、この橋を渡らねばロディの町に籠る敵を掃討出来ないのも確かです。


 意を決してフランス軍は突撃を開始します。しかし、やはりというか橋を渡る兵士に向けオーストリア軍の銃砲が火を噴きました。たちまち橋の上は死傷者で溢れ、突撃は浮足立ち止まります。さすがの歴戦の勇士たちも逡巡しました。


 その時、ボナパルト将軍はすぐさま部下を叱咤、隊列を作り直して「突撃!」と命じます。すると今が重要な時と感じた彼の幕僚たち、指揮官たちが橋に向かって走り出しました。

「突撃!突撃!」いつもはボナパルト将軍の傍らにいる参謀長までもが軍旗を掲げ、橋を突進します。

 さあ、こうなったら部下も行かないわけにはいかない。兵士も将校も、将軍までもが慌てて走り出し橋に殺到します。


 慌てたのは対岸のオーストリア軍もです。追い立てられ疲れ果てていた彼らは、敵がこの橋を除いて簡単に渡河出来ない状況を見て取り、ほっとしていたところでした。

 そんな時、なんと敵がこちらに向かって突撃してくる。橋は見る間に兵士で埋まり、まるで長い芋虫が信じられないスピードでこちらに迫り来るような感じでした。泡を食った彼らは射撃を開始します。 ところが銃砲撃で一度は止まったかに見えた隊列が、何故か突然息を吹き返し、後から後から押し寄せる。遂にフランス軍は対岸に達し、慌てたオーストリア軍と乱戦になります。


 ボナパルト将軍はその後から悠然と橋を渡り陣頭指揮を続けます。将兵は彼の大胆な作戦術に惚れ直します。

 疲れ果てて翻弄され、しまいに驚愕の突撃を受けたオーストリア軍の殿軍は、ほうほうの体で町から逃げて行きました。


 常に先手を取り、大胆に機動し敵を翻弄する。ボナパルト将軍のその後を予見するような戦いでした。


 そう。「動」は行動のみならず心(精神)の動き、すなわち態度も示すのです。その行動と態度が「主」であること。敵より行動も態度も上であること。それが成し遂げられれば勝利は目前です。


「我が(常に・先に)行動する。それにより敵を思うように動かす」(大モルトケ・プロシア軍参謀長/意訳)


 さて、この項はここでおしまいですが、注意をひとつ。

 目的や主動だけでは現代戦は戦えません。特に主動は裏付けがあっての事ですが、それは以降ぼちぼちと書いて行きましょう。


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