不肖小田中はなぜ似非ミリオタとなったのか
この項、多分に「ガールズ&パンツァー」(制作・アクタス)のネタバレが存在します。また、ミリ度もちょっぴり高めですが、GuPファンには全く物足りない内容となっていますので、あしからず。
ガールズ&パンツァー ――アルファベット表記ではGIRLS und PANZER、ガールズはまだしもアンドがドイツ語のund(ウント)、パンツァーはそのままドイツ語のPanzerkampfwagen(パンツァーカンプファーゲン/装甲戦闘車両=戦車)という確信犯的な表記―― というアニメがあります。茨城県大洗町が「母港」となる「学園艦」大洗女子学園の生徒が主人公となるオリジナルアニメで、戦車を使った「戦車道(せんしゃどう)」なる「大和なでしこの嗜み」といわれる武道が存在する世界で物語が展開します。って、絵なし文字だけで見ると既に訳わからないことになるのですが、まあ、ご存じない方は最初にネットで漁って(今まで記した軍人や会戦などより数倍詳細に調べられます)いただくとして……あ、ディスコグラフィ的なウィキも良いのですが個人的にはピクシブ百科事典も一読お勧めします。ただし両方とも完全にネタバレしますが。
このガールズ&パンツァー(以下GuP)、2012年10月から翌年3月に東京や大阪、名古屋ローカルの深夜枠で全12話(プラス前半・後半の総集編2話)が放送された時、小田中はその存在に気付かず、最初に知ったのは放映終了後の2013年5月か6月、DVDが出そろい、大洗が聖地巡礼でにぎわい始めた頃だったと思います。
ちょっと脱線しますが、この大洗町とGuP、今では「アニメで町おこし」や「聖地巡礼」ではトップクラスの成功例として語られていますが、実は「アニメには町おこしの力なんてない」と語るGuPのSプロデューサーのインタビューがASCII.jpのゲーム・ホビーページに載っていますので、気になる方は探してください。町の人たちとアニメ制作サイドの成功物語はドラマになるのではないかと思われるくらい泣かせますし、箱根とエヴァを連想させる関係性が目からウロコだったりもします。個人的には「ク○喰らえ、訳知り顔のコンサルども!」と思っております小田中が溜飲を下げた記事でもあります。
で、本線。
不肖おだなか、最初に「戦車と女子高生」と聞いて、まあ、アニメは既に完結し一部動画も見ることが出来る時期になっていましたので、放映前にあったという「パンツァー≦パンチラ」なんではないかとの「疑惑」は晴れていたものの、「けっこー悲惨なんじゃないかな」疑惑はありました。
元より実弾(GuPでは試合は全て実弾使用です)で戦車「戦」やれば命の危険は多分にあるし、「プライベートライアン」から「バンドオブブラザース」など80年代以降の戦争映画はリアリズムを追求し戦争の悲惨さをこれでもかと盛り込むのが当然、と言うのもあるし、そもそもこのパターン(=女の子と兵器)、昔から「陰」を含んでいる話が多いものだから、主人公の親友が「戦死」したり悲惨なこと(傷や精神崩壊など)になったりするのではないか、とも思ったものです。
とは言うものの、「戦車」です。似非ミリオタとしてはびっくりするほどリアルで繊細(せんしゃだけに?)な描写を見て「これは!」と思うわけです。しかもちゃんと観ないで一見だけでもミリオタさんが狂喜乱舞しそうなシーンは出て来るし、「これ観始めたらハマるな」との思いがありました。でも、当時は避けたのですよね、おいしそうなので、ちょっと後に取っておく、みたいな。
結局、ちゃんと視聴したのは劇場版が出るころ(15年末)になっていました。
ま、世に言うところの「ガルパンおやじ」になった要因を考えれば、いくつも出て来ます。
前述した戦車の詳細描写は当然ですが、ストーリーが60年代後半から70年代前半に掛けて流行った「スポ根モノ」の王道に沿っていること。とは言っても「根性!」とか言っているのはアヒルさんチーム(バレー部)だけで、後は緩くある意味チートなシロウトがクロウトに勝って行く王道・安心のストーリー。各所に秘められたミリさん大喜びの小ネタ。軍事監修の本物ミリ諸氏が大喜びするその筋ウケのCV(声優さん)――上坂さん、中村さん、金元さんになぜか能登さん……なんじゃそれ――そして主要キャラの一人・秋山優花里の存在……(後述します、たぶん)
で、ふと考えるのです。
自分はなぜ「戦車」が好きになったのか。
なぜ「戦史」が好きなのか。
自分はどうして「似非ミリオタ」を名乗るようになったのか。
この後はしばらくオヤジの「昔はよかった」になりますのでげんなりという方はずっと下へ進むか「撤退」してください。
小田中がなぜ「似非ミリオタ」を名乗るようになったか。その入り口は「プラモデル」だったと思います。
もうとっくに歳バレしているので気にせず語ると、小田中が子供のころ、プラモデルは「ガンプラ」のようなものではなく、街のおもちゃ屋さんに積み上げてあるタミヤ、アオシマ、ハセガワ、フジミ、イマイ、そしてバンダイのようなメーカーの戦闘機や軍艦、そして飛行機の1/35(戦車)、1/48(飛行機)、1/72(飛行機、戦車)、1/144(飛行機、戦車)、そして1/700(軍艦)縮尺モデルで、お小遣いを手にどれにしようか目を輝かせて見ていたものです。特にタミヤ(当時は田宮模型)のプラモデルの精密度は他社から抜きん出ていて、作る側としては、他社では当たり前のバリ(型からはみ出た不要なプラスティック片)が一切ないことも素晴らしい点でした。あの「ツインスター」ロゴの「白箱」を持って帰って開ける時の喜びは「ご同輩」の方々、同意してもらえる向きも多いのでは、と思います。
このプラモデル、特に1/35のミリタリーミニチュアシリーズ(戦車を中心とした将兵のフィギュアを含むモデルシリーズ)からミリタリの扉を開けたご同輩なら解ると思いますが、GuPの戦車描写(3DCGでガンガン動く!CG制作グラフィニカさんのご苦労偲ばれます)は想像を遥かに超えた出来栄えで、キャタピラ(GuPでは常に履帯と呼んでますね)や転輪(キャタピラを支える車輪)、駆動輪の動きは鳥肌もので、描画もビスの一つ一つ、装備品の一つ一つ丁寧に描かれています。更に唖然としたのが戦車内部の描写の細かさ。PzKfpw.38(t)、おだなかはサンパチ・ティーと呼びますが、これの内部(操縦桿が特徴的な2レバー式だったなんて初めて知りました)なんて写真すら見たことなかったものが描かれています。
戦車といえばドイツのパンサー(パンター戦車)、タイガーⅠ型(ティーガーⅠ)、キングタイガー(ティーガーⅡ/ケーニヒスティーガー)や、アメリカのシャーマン(M4各種)、ソ連(ロシア)のT-34など、第二次世界大戦で使用された戦車をまず思い浮かべますが、GuPでは上記の有名戦車だけでなく、それこそマイナーな戦車(人気薄の日本軍も)がゾロゾロ登場するわ、なんと戦車の背面まで見せる(勿論メンテハッチや突起などの描写も)サービス?あるわで、戦車好きはグッと引き寄せられてしまうわけです。
つまりはプラモの箱絵や写真集などでしか見られなかった過去の「動かない」戦車が活き活きと動いているのです。有名戦車はネット時代になって動画を見ることが出来るようになりましたが、マイナーな戦車は無理、そう、GuPではそれが動いているのです。
あ、また「GuPはいいぞ」になって来たので戻します。
今のようにケータイもなくネットもない、当然ファミコンもネトゲもずっと先の世の中、プラモデルは趣味の王道でした。石油ショックなどと言うものもありましたが、概ね経済は順調でずっとインフレですが給料はそれをものともせずにガンガン上がって行った時代、次第に親の懐具合もよくなって、こっちのお小遣いもちょっぴりですが上がって行く、なんてすべてが右肩上がりの時代でした。激動の1960年代から70年代、「冷戦」「東京オリンピック」「ビートルズ」「ベトナム戦争」「人類月面着陸」「学園紛争」「大阪万博」「ハイジャック」「連合赤軍」「沖縄返還」「ドルショック」なんてキーワードが並びます。
TVは定番の歌謡曲番組とドリフターズ、コント55号などのお笑い1時間番組に水戸黄門や遠山の金さんなどの勧善懲悪時代物、鉄腕アトムから始まったヒーローアニメと巨人の星、あしたのジョーに代表されるスポーツアニメが次々と、という時代。変身モノ(仮面ライダー)もこの時代が元祖。鉄人28号が元祖のロボットモノはマジンガーZとゲッターロボで最盛期を迎え、この流れはやがて戦隊モノに続きました。
こんな中で、第2次世界大戦終了から四半世紀前後、朝鮮戦争からベトナム戦争と続いた流れと「東西対立」冷戦の影響もあってか「戦争」や「軍隊」「兵器」に対する世間一般の目は不思議と「仕方がないもの」という一種「見て見ぬ振りをする」風潮に思えました。もちろん反戦の声も大きく取り上げられますが、当時は「過激派」と呼ばれた連中が暗躍していた時代なので、その行動はかなり過激で眉を顰める向きも多くあったのではないかと思います。
経済に余裕が生まれ世界にも再び認められた当時の日本では、「あの戦争」を「肯定的に捉える」ことには抵抗があるものの、「原爆」や「B29」に象徴される都市無差別爆撃焦土化という「身近に地獄」を見たためか、忘れてしまいたい感情優先からなのか、「戦争は大変だった」で片付けられ、いわゆる「戦争モノ」に対する感情は先に言いました通り「無関心を装う」だったように感じていました(あくまで置かれた環境下、個人的限定的な感想ですよ、念のため)。
まあ、そんな背景の中で、プラモデルの主流は第二次大戦時から現代(70年代)までの戦闘機に戦車、軍艦でした。これは子供のおもちゃというより一般的な趣味として普及しており、小田中の周りでも親戚のおじ宅には「戦闘機の部屋」があり、天井から釣り糸(テグス)で吊られた戦闘機や爆撃機がところ狭しと並んでいた(まるでスミソニアンみたいです)り、同級生にはプラモ作りの「天才」がいて、プラ板で自作のパーツを作り、既製品では足りないリアルさを加えてみたり、塗装が実に丁寧だったり、作業風景は見ていて惚れ惚れするほどだったと記憶しています。同級生の彼は後に趣味が高じて模型店に就職し、出世して店主にまでなりました。
こんな世の中でプラモデルが青春の1ページだった(寂しい青春だこと)小田中は、次第に作るプラモデルの「背景」を知りたくなって行きます。だってそうでしょう。作ることに次第に慣れて行けば、もっと極めたくなるもの、プラモの世界では、その極めは「ジオラマ」になります。ジオラマを作るには当時の戦場を再現するため資料が必要となり、戦史や図録を探して戦場の写真や兵士たちの記念撮影写真などを見て情景を写し取って行きます。そして調べれば調べるほど、プラモの戦車や装甲車、または戦闘機や爆撃機、戦艦や空母の歴史を知りたくなるのです。こうなるともう、ミリの細道まっしぐら……
こうしてすっかりミリ道にハマった小田中でしたが、その手の本を漁って行くとやはり「歴史」に行き着きました。ここで「歴史」を横目にふーんと通り過ぎて行く人も多いと思いますし、逆にもっと知りたいと掘り下げる人もいるでしょう。で、小田中はそのほぼ中間を行きます。図書館で軍事関係の書籍をあたり、国会図書館なんてものも覗いてみました。しかし、世にあまたいる「軍事評論家」の方々や「軍史研究家」になるなんてことも考えたことはなく、単に興味あるものを多少掘り下げて自己満足していたのです。自衛隊に入る、又は防衛大学校を目指す、なんてことも考えませんでした。
こんな調子ですから、この「ミリオタでなくても」で書いたものは一昔古く、多少偏見ある代物、詳しくは読者ご自身で確認して頂けたら幸いです。これは全く「軍事」に興味のなかった方々に「入口はココ」と示すのが目的でした。その先は自分で扉を開くなり引き返すなりご自由に、ということで。
ただ一つだけ皆さんに伝えたいのは、歴史って「正確無比なものなどない」ということ。
何時何分に何が起きた、なんてものがあっても、それが現代の変更不可能なPCによって記録されたものでない限り(それでも公表するとき改ざん出来ますが)、いくらでも誰かさんに都合の良いよう改変することが出来ます。
特に戦争の歴史なんて「勝者に利ある」よう伝えられていること(または伝えられないこと)請け合いなので、頭から信じてはいけません。
では、どうして歴史なんてものがあるのか。それは自分が「いま」存在しているのはどうしてなのかを知ることに繋がるからじゃないか、と小田中は考えるのです。ルーツを知ることって、今の自分は、じゃあどうやって生きて行けば「気持ちがいい」のかを知る手掛かりにもなる、ってこと。
更に「嘘を吐けない」「隠すことが出来ない」ものもあり、それを学ぶことで「今」や「未来」を「少しはマシに」出来るから。
いくら勝者が隠したい「事実」もどこかにタイムカプセルのように埋もれているもので、それを数多くの歴史家が文字通り掘り返し研究や論争の挙句、「いまのところコレが一番真実に近いんじゃない?」と示しているのです。
でも気を付けて欲しいのは、いまは「新事実発見!」「あの歴史は間違っていた!」なんてやっている「真相」なんてものにも「フェイク」を紛れ込ます世の中だ、ということ。どれが本物かわからない、だったら自分を信じるしかない、なんか哲学だけどそういう世の中なんだな、と。
歴史は大切、でも「昔は良かった」といって逆戻りするのもどうかな、って思う。それが良かったとしても、もう戻れない。戻ったとしても「いま」の自分に「気持ちいい」はずもない。なぜなら、「いま」存在する便利なものは昔にはないし、それを知ったまま「むかし」に戻れば不便で「気持ち悪い」に決まっているから。便利な上に立って「昔の良いところ」に戻ればいいじゃない、と言う人も多いけど、それもどうかな?と思う。なぜなら「いま」は「むかし」の反省(もしくは発展)の上で至っているから。その反省(発展)も間違っているかも知れない。だからそれを修正して先に進んでいる。でも人間って結局おばかなんで、失敗を繰り返す。そして反省し、少しだけ良くなって行く。この「七転び八起き」は人生と一緒で、「良い時もあれば悪い時もある」、これが歴史だと思うのです。
マンシュタイン(第二次大戦時ドイツ最高の智謀と謳われた将軍)も言っています。
「われわれ(若い)世代が先輩の考えた作戦に倣うことしかできない、などということは、どう考えてみても情けないことに思えた」
エーリッヒ・フォン・マンシュタイン「失われた勝利」より(筆者意訳)
そう、年寄りの多少都合よくバラ色に改変された歴史と「昔は良かった」「今の若いものはたるんどる!」「戦前はよかった」なんて聞いて「そうだよな」なんて言ってないで、歴史を自分で調べて「いま」そして未来を自分で考えてね、ってことで……
何を言いたいのかぐちゃぐちゃになりましたので、そろそろ結びたいと思います。
とその前に「秋山優花里」について。
GuPファン言うところの「秋山殿」は真正のミリオタ・戦車オタ。
「学園艦」の床屋が実家で、ここから学園に通う高校2年生ですが、部屋に溢れる戦車グッズや幼少時にパンチパーマだったため?に友達と呼べる友達もなく戦車が友達の寂しい青春。ところが大洗女子に「戦車道」が復活したおかげで活躍する日々が訪れ、まあ、その活躍ぶりや「西住殿」への敬愛振りは観て頂くとして、現時点では生徒会副会長にまで「出世」すると言う、ミリさんなら同感するわ尊敬するわの愛されキャラとなっています。
この秋山殿の存在が、まあ似非ミリオタとしての自分に訴えるモノがあったのは確かで、「裏」で評判の「秋山優花里の戦車講座」もgoodですねぇ。
まあ、ミリオタと言う、ある種マイノリティに光を与えた存在と言ったら過言でしょうか。
と言うわけで。
お別れを言うときが来ました。
これをツイッターにのせた頃から世の中だいぶ様変わりしたものです。軍事(軍隊や兵器)に関心を持ち一家言持つ方が一気に増えました。小田中が言っていた「感覚だけ」で軍隊なんて要らない、と言う人たちは相対的に目立たなくなり、逆に軍事力を強化して軍備増強や強圧的態度を示す諸外国と対せよとの声も多く聞こえ始めました。
しかしこれが良いこととは決して思いません。小田中は似非ミリオタであることが単に趣味として眉を潜める向きはあろうとも、非難される事が無いような、寛容で穏やかな世の中でいて貰いたいだけです。
ただ単に戦前懐古と国家統制強化を夢みる年寄りも小田中は「趣味」として眺めます。まさか本気でアレが良かったとか、実行しようとは思わないだろうな、と。
過激や炎上が商売になる小田中にとっては奇妙な世の中、タダでさえ生きて行くのも大変なのに、余計な事で悩みたく無いな、が本音と言えば本音です。
なんだか教条めいて来たので止めましょう。せっかくこの駄文のことを「偏りなく軍事の初歩が見られる」と言って頂いた方々の感想がとても嬉しかったので。
本当の最後に。お付き合い頂きまして誠にありがとうございました。