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金の切れ目がイクサの切れ目~是清とシフ(下)

 しかし是清は簡単に1,000万ポンドを手に入れたのではありませんでした。

 最初に訪ねたアメリカでは鼻にもかけられず、ロンドンに渡った二人は銀行を片端から訪ねますが色よい返事はもらえません。


 それも当然で、欧米人にとってはいくら日清戦争に勝ったからと言って、あの巨大なロシアに東洋の後進国が勝てるとは考えられなかったのです。もちろん、ロシアの強引さを知っている欧米の人たちは同情してくれます。しかし、自分のお金を「ドブ」に捨ててまで応援する気はなく、逆にロシアの国債がよく売れていました(当然、敵方も国債を売ります)。

 本物の戦場とは逆に、お金の戦場ではロシアが初戦完勝だったのでした。


 それでも是清の得意技「苦境も対人関係で何とかする」が炸裂、パース銀行ロンドン支店の副支店長アレクサンダー・アラン・シャンド(この人は明治初期に横浜に駐在していて、少年時代の是清に英語や銀行の仕組みを教えた人物です)を始めとするロンドンにいた友人関係の伝を頼り、4月26日頃には何とか500万ポンド分の国債販売をイギリスの銀行などに引き受けて貰えることとなりました(パース銀行・香港上海銀行・横浜正金銀行による販売)。ただし条件は厳しく、100ポンド国債1枚に付き7ポンド割り引かれ93ポンドでの買い取り、利率は高利の年6%、7年間で満期という期間の短さに加え、担保(もしも払えなかったらこっちをいただく)は日本の輸入関税収入というすべてに銀行有利の取引でした。


 ちなみに国債の「販売を引き受ける」とは、今回の500万ポンド分がそうであったように日本が額面100ポンドの国債を93ポンドで銀行に売り(割引発行と言います)、銀行は7年後を満期(支払期限)で利率年6%を受け取る、というやり方です。実際1億円(1,000万ポンド)が欲しい日本政府ですが、この時点で実質9,300万円(930万ポンド)で我慢となります。

 銀行はこの額面100ポンドの日本国債を市場に売りに出します。

 銀行が93ポンドで買った日本国債が市場で100ポンドちょうどで売れたなら、銀行は100ポンド債券1枚につき7ポンドが収入になり、100ポンドで買った人は年利6%ですから1年後に106ポンドになるという計算です。最長7年間、支払いが行われなければ142ポンドになるわけで、日本は100ポンド得るために銀行へ49ポンド(最初の銀行取り分7、後に買い手へ支払う利息42ポンド)払う計算になります。


 この国債、一旦売り出され買われた後は転売が可能です。株式と全く一緒で「買い手」がいくらで買う、と値を付けて買い取ることが出来ます(ただし額面100ポンドなので100ポンド以上にはなりません。下がるだけです)。

 ですから表に100ポンドと書いてあっても価値がない(つまりは信用がない)と思われれば90ポンドとか85ポンドでも売れなくなります。例えば80ポンドで買った人がいるとすると、額面100ポンドの6%・年利で6ポンド貰えるのは100ポンドで買った人と同じなので20ポンド得をしたことになります。ただし、満期で本当にお金(元金)が還って来るのか、それは分からない、という訳です。

 買ったときの値段以下でも売りに出されるということは、倒産のおそれが出た会社の株式を「紙切れ」になる前に少しでもお金に変えて回収しようと売りに出す行為と全く一緒で、戦争の場合はきっと負けるから元金含めて払って貰えない、と思われた、ということです。

 この日露戦争開戦直後の日本も欧米の投資家に「きっと負ける」と思われていて、ロンドンでは日露戦前の1899年に売り出されていた「四分利付英国貨公債(年利4%ポンド国債)」がただでさえ額面100ポンドを80ポンドで売買されていた(戦う前から信用のない日本)ところ、開戦後60ポンドに下落していました。


 全く引き受け手のいない日本国債を予定1,000万ポンドの半分でもさばくことが出来たのは是清と深井英五(後に日銀総裁)の努力のたまものです。

 ただでさえ日本は本当にお金を返すことが出来るのか、と疑われていて、更に大国ロシアとの戦争ですからハンデが有り過ぎです。フランスは仏露同盟により機会があれば対日参戦してもおかしくないくらい(これを防いだのも日英同盟のおかげです)ですから銀行は見向きもせず、ドイツの銀行も皇帝がロシア皇帝のいとこですから様子見に徹して簡単には応じませんでした。

 この時点まではロンドンの是清を知る銀行家たちが表向き半分同情、半分ギャンブルで買ってくれたようなものだったのでした。


 ところがこの直後、とんでもない「幸運」が是清に訪れました。


 5月3日のこと。何とか予定の半分をさばけた是清のお祝いとして、旧知の間柄のスパイヤーズ社(ニューヨーク本社の商社)ロンドン支店長アーサー・ヒルが晩餐会を開いてくれました。

 このパーティでのこと。是清の隣の席に見知らぬ紳士が座ります。白人の中年で是清とさほど年格好の違わない男はシフと名乗り、ニューヨークのクーン・ローブの者だ、と付け加えました。もちろん是清は日銀の副総裁で欧米金融事情に詳しかったのですから、それだけで緊張したのではないでしょうか?


 クーン・ローブのシフ。2年前、王手鉄道の株取得合戦で堂々モルガン商会と渡り合った、アメリカの金融市場を裏で操る超大物マーチャントバンカー(手形の売買や信用付けを行う銀行家)。


 とは言うものの、アメリカでは日本国債など紙屑同然とばかり見向きもされなかったのです。中小の銀行さえ相手にしないのに財界の大物が気にする訳もないだろう。是清はもって生まれた社交性と楽天で、とにかくご馳走と会話を楽しもうと料理に取り掛かりました。すると、シフが口を開き、意外なことを聞くのです。

「ミスタータカハシ。少し日本の様子をうかがってもよろしいかな?」

 それからパーティの間中、シフは様々な質問を是清にぶつけました。

 日本軍の士気はどうか?日本の産業はどうか?物価は上がっているのか?人々の様子はどうか?政府は?軍部は?財界は……是清は出来るだけ丁寧に、そして熱心に答えます。きっと彼にもこれが思いがけない「面接試験」だと気付いたのではないでしょうか?

 是清はここぞ、というタイミングでさりげなく切り出します。

「ご存じないかも知れませんが、日本政府から1,000万ポンドの債券を募集するよう仰せつかって参ったのですが、ロンドンの銀行家たちは500万以上はとても無理、と言うので、ようやく半分だけさばくことが出来たのです。それも7ポンド割り引いて年利6%、期限7年で関税を担保にするという破格の条件でして……」

 丁重な挨拶で別れたシフの顔色からは何一つ伺い知ることは出来ませんでしたが、是清はきっと胸の高鳴りを抑えることが出来なかったはずです。


 その予感はズバリ的中します。

 翌日、今回の国債販売に手を貸したパース銀行のシャンドが興奮した面持ちで是清の居留先の安ホテルを訪れます。

「タカハシ、いい知らせだ!クーン・ローブがアメリカで残り500万ポンドを引き受けたい、と言って来たぞ!」

 高橋是清と深井英五の喜びは想像に難くありません。是清は後に自伝で「正に天佑だった」と己の幸運を喜んでいます……しかし。


 この出会いは偶然や幸運ではありませんでした。

 シフは最初から巧妙に調べ、戦略を立ててからロンドンに渡り絶妙のタイミングで是清に「偶然」出会うよう仕組んでいたのでした。


 日露開戦直前の04年2月上旬、底冷えのするニューヨーク。シフの豪勢な屋敷でユダヤ系アメリカ人の有力者たちの集まりがありました。

 その席上、シフはこう熱弁したと言います。

「多分3日以内に日露は戦争状態となるでしょう。私どもクーン・ローブは日本への資金供給を検討しております。この計画に対してみなさんのご意見を賜りたい。我々の行動がロシアにいる同胞にどのような効果を及ぼすかについてご検討頂きたいのです」

 「ロシアの同胞」については後述します。この会合でのアメリカンユダヤの日本評がどうであったのか、気になるところですが、国債引き受けが実行されたところを見ると、先を見るに聡いユダヤ人たちは日本を「有望な国」と見ていたのではないでしょうか?

 時の米大統領で後に日露終戦に尽力するセオドア・ルーズベルトも日本に好意を寄せていて、米世論も日本に同情的、ロシアの強引な進出に警戒感を抱いていました。シフはその辺りも冷静に計算していたと思います。


 シフに対してはロンドンの大物バンカーたちも「日本は『買い』だ」と押してくれたとも言います。ロシアは巨大な国であり、資源も手付かずで残っているので、欧米のバンカーたちはロシアに投資している者が多くいました。ロシアは帝国であり、皇帝の機嫌を損なえばたちまち商売から閉め出されてしまいます。しかも英王室は露皇室と親戚関係(独皇室とも)です。そういう事情もあって表立って日本国債を買えない彼らがユダヤ人の権利を訴えロシア嫌いで有名なアメリカ人のシフに話を持ちかけるのは自然な流れでした。今回の国債もロンドン金融街だけでなく、アメリカ大手のマーチャントバンカーが一枚加わりニューヨークで売り出されれば信用が大幅に増して売り切りも楽になるというものです。


 こうして残りの500万ポンドの日本ポンド建て国債はクーン・ローブ商会がロンドンの銀行と同じ条件で引き受け、直ちに売りに出されました。

 ちょうどその時、4月29日から5月6日に「鴨緑江の戦い」が発生、黒木大将の第一軍4万人はロシア満州軍東部兵団の3万人と鴨緑江の中州で交戦し、日本軍はロシア軍の陣地を突破して鴨緑江の渡河に成功、ロシア軍は満州へと後退します。

 日露戦争は当時世界各国の注目を集めており、報道陣や観戦武官(戦争を中立の立場で観察し本国に伝える役目の士官)が双方の現地軍に派遣されています。電信や伝書鳩などによりニュースは素早く世界を駆けめぐります。

 この「日本軍朝鮮国境で勝利、満州に進出」というニュースが販売開始した直後に伝わると、投資家の間で日本軍が決して東洋の未開人ではなく軍事力でもロシアに劣っていないとの空気が生み出され、売りに出されたばかりの日本国債には注文が殺到、ロンドン市場で募集額の30倍近く、ニューヨーク市場では5倍となり即日完売の大成功を納めました。


 さて、シフという男は別に日本への同情から日本国債を引き受けたのではありません。


 シフは熱心なユダヤ人擁護を打ち出しており、当時のロシアはユダヤ人差別と弾圧の温床でしたから、間接的にロシアを苦しめる手に出たのでした。「ポグロム」と呼ばれるロシア帝国でのユダヤ人虐殺はナチスの「ホロコースト」に並ぶユダヤ受難の歴史であり、敬虔なユダヤ教徒でユダヤ人の誇りを胸にのし上がって来たシフにとって、日本国債を通じて資金を日本へ供給し、逆にロシアへの資金供給を妨害することは彼にとっての「対ロシア戦争」だったのです。


 もちろん、一流のマーチャントバンカーだったシフは商売も忘れません。元より後進国への投資に熱心な彼は1880年代にはまだリスキーな国と思われていたメキシコやカナダと取り引きしており、その後もトルコや中米、アジアへ資金を投入しています。つまりハイリスクハイリターンの投資でクーン・ローブを成長・巨大化させて行ったのでした。その天性の「勘」が日本買いは可だ、としたのだと言えそうです。

 

 その後、シフは是清の頼みを聞き入れ、日本国債発行に協力を続けます。日本は04年11月に2回目のポンド国債を発行(1,200万ポンド)、この後、日本が有利に戦争を進めたこともあって三回目の05年3月発行分は利率4.5%と条件が緩和され、金額も3,000万ポンドと倍増しました。結局日本は計6回、最後の2回は無担保での販売に成功し、合計額面1億1千万ポンド(11億円)の外債を売り切ったのでした。


 シフはこれでユダヤ人バンカーとして大いに名前を売り、アメリカ財界とユダヤ人社会の大物となります。日露戦争で日本は勝ったとはいえロシアから賠償金を得ることが出来ませんでしたので、日本はシフら海外の銀行に利子を払い続け、苦労して国の借金を償還(完済)して行きました。ですから「日露戦争で勝ったのはジェイコブ・シフ」などと陰口を叩かれ、ロシア打倒の強力な力となったそのやり口から「ユダヤの国際支配」を体現する存在として敵視されて行きました。

 なお、この日本への協力により、日露戦後の06年3月、来日の折に明治天皇から日本の最高勲章、勲一等旭日大綬章を授与されています。


 シフはその後も事ある毎にロシアの資金調達を妨害し、それはクーン・ローブだけでなくロスチャイルド系の銀行やナショナル・シティ・バンクやロンドン全ての銀行までに及び、ロシアの公債はヨーロッパやアメリカでは売るのが難しい事態となって行きます。それはロシアにとって正に「ユダヤの陰謀」だったのです。


 シフは第1次大戦後の1920年9月、73歳で亡くなりました。ロシア革命で憎きロシア皇帝一家が処刑されたのを知って、晩年のシフは何を思ったのでしょう?

 シフ亡き後もクーン・ローブ商会は続いて行きましたが1977年、あのリーマン・ブラザースに吸収されています。天国のシフは後輩が引き起こしたリーマンショックをさぞや嘆いたことでしょう。


 一方の高橋是清もこの日露戦争での成功で「財政の神様」への道を歩んで行きました。

 都合8回も大蔵(現財務)大臣を勤め、首相にもなっていますが、岡田啓介内閣で8回目の大蔵大臣だった時に「2.26事件」に巻き込まれ、「昭和維新に邪魔な『君側の奸』を排除する」と叫ぶ陸軍若手将校率いる「反乱軍」により斎藤實(まこと)内大臣らと共に殺害されてしまいました。インフレを防ぐため軍事費を圧縮する方向を打ち出したことが直接の原因と言われています。


 このように戦争では弾が飛び交いますが、お金も飛び交います。前線での戦いも大変ですが、シフと是清の逸話通り、裏での「金銭合戦」もまた熾烈なるものなのです。



※「金の切れ目がイクサの切れ目」は一応ここでお終いです。

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