金の切れ目がイクサの切れ目~是清とシフ(上)
お金・お金・お金!と言って来ましたが、何をするにもお金が必要な世知辛い現実世界、なんでも「魔法」で賄えるファンタジーと違い自衛隊がミニミ軽機関銃を撃てばものの十数秒で私のお小遣いなど消えてしまうのです(計算しないように)。
ここまで軍事にお金が掛かると、クラウゼヴィッツさんやビスマルク時代のように「戦争が政治手法の選択枝のひとつ」なんて悠長なものではなくなります。
逆に言えば、インフラ整備も未だ全土に行き渡らない後進国や、先進国でも財政破綻寸前の国は、昔ながらの全面戦争など手段として行えないことになります。地域紛争が小規模な強行偵察風の遭遇戦か特殊部隊の浸透ゲリラ戦術風の様相を見せるのは多分そのためで、これは陰惨な紛争の長期化を招きます。
お金が掛かるとはいえ、先進国の正規軍や自衛隊とは違い、アフリカの政情不安な国などではアサルトライフル(一般的な歩兵用小銃)が露天で売っていたりするくらいなので、通常兵器や弾薬はそんなにお金が掛かりません。当然人件費も先進国に比べ微々たるもの(むごい話ですが兵隊の調達は村を襲って青年や子供を捕まえ育てるのがごく一般的だったりします)。
しかし反政府ゲリラ(と言ってもアルジェリアで日揮の皆さんが亡くなったあの事件の首謀者のように山賊のような連中も多いのですが)では大砲や装甲車やヘリはまず無理です。精々四輪駆動車に迫撃砲(分解して歩兵が人力で運べる軽砲)、携帯ロケット(バズーカ)と手榴弾止まりでしょう。政府軍側も多少マシなだけなので、ヘリ数機に装甲車数十台、中古のロシア由来の戦車が十両もあれば立派なものです。
お互い資金源が細ければ一気に勝負を付けられません。決め手を欠くのです。ですからアフリカや南アジア、中南米では独立運動などの内戦で政府に強力な軍を維持出来るお金がないため、弾圧出来ずに独立派に支配領域を与えてしまい、長期化しているケースが多々見られます。
逆にその独立派なり反体制派の支配領域で麻薬の原材料を栽培したり鉱物資源を掘ったりしてそれを密貿易、活動資金源となっているなどという問題も発生しています。これはその逆で独裁政権の資金源だったりもします(ブラッドダイアモンド問題)。
そういう世界を横目に正規軍を維持し続ける国は本当に大変です。
先進国が装備をどんどん軽量化(重さだけでなく威力も)し命中度を高め、無人化して行くのは何も人命尊重のためだけではありません。その人命尊重だって本音は「兵隊が死んだら昔みたいにお悔やみひとつで済まず、残された家族にお金が掛かるし反戦運動やら大変だし」になる。人を減らす自動化は企業が工場で行うオートメーション化と同じ、経費節減が一番の理由です。
米軍が進めている軍の「スマート化」「無人化」は、うなぎ登りの高い人件費を抑え、装備自体の価格は高くとも数量も少なくて済むようにして効率を上げることで、予算を圧縮しようとしているのです。
ですから、大陸さんが日本に上陸する!などと思っている方は、60年前の半島の戦いで米海兵隊が遭遇した「人海戦術」を思い浮かべているのかも知れませんけど、あれは兵隊さん一人の「命の価格」というより「人ひとりの価値」が現在より相当劣っていた時代のこと。今、あんな風にやったら後で莫大な保証を残された家族に与えねばならず(人口が多いとはいえ一人っ子政策で跡取り息子は大切なのです)、その保証が昔のように強権で取り消されでもしたら、さすがに国民の怒りで党は保たないでしょう。簡単に本格的戦闘など仕掛けられないのです。
閑話休題、というやつで……
戦費の調達は大変だ、といいました。
どの戦争のケースも国債を発行し買って貰うのが普通の調達方法です。当然なんだかんだと国内から寄付を募り税金を高くしてお金集めをしますが、やりすぎは禁物。徴兵制の国は働き盛りを兵隊にとられ、お金までむしり取られたら不満が蓄積し、厭戦気分も高くなってしまう。
この厭戦気分というものは馬鹿になりません。19世紀以降でこれが国民に蔓延しながら勝った国は皆無ではないでしょうか?どんな独裁国でもこれが起きるとどんなに国民を脅そうが最早逆転は難しい。当然と言えば当然で、外国と戦争しながら内部の締め付けなんか同時進行で出来るほど近世の戦いは甘くありません。ロシア皇帝もヒトラーも無理でした。スターリンは成功したかに見えますが、あれは「大祖国戦争」というスローガンが効いて老若男女みんな必死で戦ったのと相手のヒトラーがスターリン「並み」に悪役過ぎました。同じ悪なら身内の悪の方がいいに決まっています。身内の悪はへいこら頭を下げて働けばなんとかしのげます(それで死んだら運がないという諦め)が、敵の悪は何にしても簡単に命を取られてしまいかねないのですから。
すみません、また脱線でした。
国民にも多少の蓄えを残さないとまずい、となれば戦費を調達するにはやはり「戦後に普通の国債よりずっとお得な利率でお金が還るからゼヒ買ってね」と戦時国債をじゃんじゃん刷るしかないのです。
本題の戦時国債の話になったので、ここからは最近よく耳にする高橋是清とジェイコブ・シフの話をしましょう。
高橋是清は1854年、幕末の江戸で幕府御用絵師の息子として誕生します。ただし母親はこの絵師の奉公人で、いわゆる「お手つき」の子供でした。今なら愛人の私生児に救いの手を差し伸べるなどすごい慈悲に見えますが、当時は良くある話だったのか、絵師の正妻の計らいで仙台藩の足軽のところの養子となります。
頭の良い子に育った是清は13歳の時に仙台藩の命でアメリカに留学、ところが留学費は仲介した米人の貿易商に着服されるわ、逗留先の夫婦に騙され奴隷同然に売られるわ、とえらい目に遭い、一年後逃げるようにして帰国しましたが、このおかげで英語がすんなり覚えられたそうな。
その後は友人やつき合いにも恵まれて維新後の73年(明治6)に政府の役人となり、英語の先生として大学でも教えました。現・開成高校の初代校長も勤めます。この時の教え子が正岡子規と秋山真之と言うのは出来過ぎのエピソードで「坂の上の雲」で有名です。
役人としては文部省を皮切りに農商務省でも活躍、特許庁の初代長官も勤めました。ところがどうもギャンブラーらしく、よせばいいのに役人のキャリアを捨ててペルーに渡り銀山で一儲けを企てますが、騙されて一文なしの借金生活に。しょんぼり92年に帰国すると、どうもこの人、友達運は希代のものを持っていて、友人の伝で日本銀行に入行します。その後10年あまりで日銀副総裁まで出世をし、迎えたのが日露戦争でした。
対するジェイコブ・シフ。1847年、当時はプロシア王国のフランクフルト生まれと言いますから正にドイツが激動の時代に入った時(翌48年ベルリン3月革命)に生まれたものです。ユダヤ人ラビ(宗教指導者)の家系に生まれたヤコブ・ヒルシュ・シフ(シフのドイツ名)は銀行員だった父の影響を色濃く受けて成長します。このドイツ時代、シフ家は後に世界の銀行一家として君臨するロスチャイルド(ドイツ名ではロートシルト。赤い盾の意)家の人々と一緒に暮らしていました。この影響も大きかったはずです。
時がビスマルク時代となり普墺戦争直前の65年、18歳で単身渡米、ニューヨークにたどり着いたときには一文無しだったそうで、正に裸一貫から彼の成功物語は始まりました。
その銀行職の家系と才を活かし、銀行の出納係見習いからキャリアをスタート、1875年28才の時に67年創業のユダヤ人投資会社「クーン・ローブ商会」に入社します。彼の入ったクーン・ローブは直後77年のノースウエスタン鉄道への資金調達に始まり主に鉄道事業への投資で急成長を遂げ、85年にシフが創業家ローブ家の娘と結婚し頭取に就任した辺りでは「西半球でもっとも影響力を持つ二つの銀行家のひとつ」とまで言われます。もうひとつはあのロスチャイルドで、ここからあの「ユダヤが世界を牛耳る」論が囁かれていきます。
1890年代はロスチャイルドがバックにいる「モルガン商会」との投資合戦が世間を騒がせ、その力は米政財界に及んで行きました。
20世紀に入った直後にクーン・ローブとモルガンはノーザンパシフィック鉄道の株売買でついに全面衝突、手に汗握る攻防で痛み分けとなりますが数時間単位での株の乱高下でニューヨーク株式市場はほかの株まで大暴落、これを1901年恐慌とかノーザンパシフィックコーナーと呼びます。
この買収劇はモルガン勝利に終わり(肝心なときに敬虔なユダヤ教徒のシフが教会の礼拝に出ていて売買指示が一瞬滞ったことが原因とする専門家もいます)ますが、クーン・ローブはロックフェラー(スタンダード・オイル)やウェスティングハウスなどの財閥に資金供給・財政アドバイスをして、その陰の力は大統領にも及んでいきます。そしてこの頃、日露戦争が始まりました。
高橋是清は日銀副総裁として政府を通して日銀から英国貨幣1,000万ポンドの公債(戦時国債)を売りさばくよう命じられます。
おっと、この先、経済用語を知らない方にもわかりやすく乱暴な言葉に変換しますのでお許しを。
日本は巨大な帝国ロシアと戦うに当たって裏工作も考え、開戦直後の1904年2月末、ヨーロッパの言論工作(日本に同情させロシアを悪く見せる政府やマスコミ操作)に末松謙澄、アメリカの同様任務に金子堅太郎を送り、同時に債券売買のため是清と深井英五の二人をアメリカへ送ります。
国内で軍資金を調達しようと円で買える国債を発行すると「ロシア憎し」の世論も効いて順調に売れ、予定金額に達します。しかし、喜んでもいられません。当時の軍備はほとんど外国頼みであり、日本円を集めても外国の兵器や弾薬、燃料は買えません。戦争を継続するためにはどうしても外国のお金(外貨)を集めなくてはならなかったのです。
当時世界の基準となる通貨は米ドルではなく英ポンドです。当時の大英帝国は正しく今のアメリカと同じ立ち位置「世界基準」でした。ですからポンドで売買する「日本の国債」を外国人に売らなくてはならなかったのでした。
なお、日露戦争用に公債で集めたお金およそ12億8千万円のうち、大体4億8千万が「円」で販売した分(内国債)、8億が外国で売った分(ポンド建て国債・第5回発行分まで)です。かかったお金の8割以上を公債で賄ったのですから、外国で国債が売れなければ日本軍はたちまち現地で弾薬もなく立ち往生したことがわかります。
しかも最初日本政府は、軍資金は日清戦争当時かかった2億円の倍くらい4億5千万円でなんとかなるだろう、などと考えていて、そのうちの2億円くらいなら日英同盟を結んだ直後だしイギリスが貸してくれるだろう、などと甘く考えていました。しかし開戦が決定的となり、きちんと計算すればするほどお金が合わなくなり、こりゃもっと掛かるぞと分かったときには戦争が始まってしまいました。しかもイギリスは二国条項には当たらない(日英同盟の条項で、日本かイギリスが一度に二国以上の敵国と戦った場合に戦っていない側が助太刀で参戦する、という取り決めでした)として中立となり、お金も「中立国義務違反になるから」と貸してくれませんでした。
戦争はこの20世紀に入る前後で、それ専門にやってきた人たち、軍人の主計官や経済官僚なども信じられないほど今までの常識など吹っ飛んで、急速にお金がかかる「イベント」になってしまったのです。
日清戦争では戦費全体の3割が外貨を必要とする輸入に充てられました。今回の政府見積もりは4.5億ですから、その3割、1.5億円の外貨が必要とされ、その内5千万円分(500万ポンド)は日銀の金庫にありましたから、残り1億円の外貨(1,000万ポンド)が必要とされて是清に託されたのでした。
開戦後、黒木 為楨(くろき ためもと)大将の第一軍が朝鮮半島に上陸し平壌に入城、北上して朝鮮と中国東北地区(満洲)の境、緑鴨江でロシア軍と最初の大規模な衝突(緑鴨江の戦い)を始めます。
次いで奥 保鞏(おくやすかた)大将の第2軍が遼東半島に上陸、南山・金州城の戦いが起こり、ここで想像以上の犠牲の多さ(最終的に戦死傷者4,500名。大本営は最初の報告3,000名と聞いて300名の間違いだろうと質したほどでした)と、想定外に弾薬の使用量が多く、「このままいったら」と参謀本部の後方(兵站)担当参謀や大蔵省の主計官たちは慌てました。
陸軍は弾薬(特に砲弾)の追加発注を行い、輸入しますがこれで日銀の外貨は底を突き始めたのです。
もし是清が1,000万ポンド(当時でおよそ1億円)を持って帰らなかったら……
是清のポンド建て国債募集は、正に手に汗握る綱渡りの資金繰りだったのです。





