将の器って?
「将器」という言葉があります。将軍となるにふさわしい器量、人物のことを指しますが、これは何も軍事に限らず人の上、組織の上に立つ指導者の器量、「器の違い」を示しているのでしょう。
史書や戦記などを読んでいればどなたも気付くでしょうが、実際、将器と言われるものは大切で、会戦などの勝敗はこの将器が大いに影響しているものです。もちろん全てが将器に掛かる訳ではありませんが、この将器、運・不運も含んでいるように思われますから軽視出来ません。
三国志周辺でよく言われる「劉邦最強説」はこの将(王者)たる器(うつわ)の「大きさ」を言ったもので、現代でも経営セミナーなどで良く耳にします。
曰く、「策謀にかけては張良にかなわず、兵站・民生にかけては簫何にかなわず、軍の指揮にかけては韓信にかなわず。しかしこの三人を思いのままに使いこなしたのが劉邦」というものです。
人間誰もが得手不得手があり、その全てを持っている天才など世紀に一人いるかいないか、です。
その天才たち、たとえば、アレクサンドロス3世やガイウス・ユリウス・カエサル、カール大帝やフリードリヒ2世、ナポレオン・ボナパルトなどの戦いを見ても、その誰よりも優れていると言うことが逆に弱点となっています。
その英雄の体調の善し悪しや集中度によって勝敗が分かれたり、余りにも天才過ぎるため、部下が頼り切ってしまい失敗したり、又は本人がいない戦場では大敗したり。
天才も人間ですから調子の出ない時もあり、また、その版図が大きくなればなるほど一人では全てを賄い切れない。
全てを一人で出来ないなら、信頼出来る部下を「見つけて」「育て」「任せ」ればよい、と言うことです。
天才は一代で終わりますが、天才が部下をそこそこに育て上げ、システムを構築出来ればその「帝国」は次代へと続きます。歴史はそれを証明しますし、現実の経営者などを見ていてもそれがはっきりと現れます。
また、将器は人格の善し悪しにも影響されます。リーダーになるには部下を実力でねじ伏せ従わせることも大事ですが、それ一辺倒ではついて行く部下が全力を出すことなどあり得ません。
部下には「ムチ」だけでなく「アメ」も必要だ、ということです。
信賞必罰という言葉は当たり前でいてなかなか実行できないものです。これをきっちりやることが出来る人なら、それだけで将器の一片があります。
そしてよく言われるのが、「人の話をよく聞くこと」。
セールス至上主義を標榜する会社のリーダーが「トップセールス」だと言うことはよくある話ですが、一見「実力で他者を上回り、ねじ伏せた結果」に思えます。これではそこそこ出来る人間はトップ目指しがんばりますが、底辺の人間はやる気が出ず、ほんの一部の人間だけががんばるだけの会社となってしまう。
ところが、こういう会社はそのリーダーが「独裁者」でない限り大概成長し安定しているものです。
なぜならばトップセールスを打ち出すセールスマンは得てして「聞き上手・ほめ上手」だからです。
この手のリーダーたる人々は、組織が結束すればするほど成績が上がることをよく知っていますから、隅々まで目が届くようなシステムや信賞必罰が実行出来るような体制を作ることを目指すものです。
「よく聞き、的確に要点のみ話し、叱り、励まし、ほめる」
本当にこう書いてしまうと単純ですが、これは凡人にはとてもじゃないですが出来るものではありません。
「よく聞く」人は寡黙が多く、「的確に話す」人は他人がバカに見えることが多く、「よく叱る」人は人の話を聞かず「よく励ます」人は信用がなく「よくほめる」人は単純に「いいひと」で自分では何もしないもの。
これを一人でこなせば天才で、それが出来る「組織」を作る人が将器のある人だと思うのです。
この将器、組織と名の付くものには付き物であり、会社だって政治だってリーダーたるもの多少の将器が必要です。
そして、率いる組織の規模・ポジションにより、上は将というより王者の「風格」が必要となり、下は自分も汗をかく「兄貴」の存在ということにもなる。これが逆だと上手く行かないのは、みなさんリアルの部活や会社でよく知っていらっしゃるはず。
人には人の最も活きるポジションがあるものです。
ここまでお話したことは、古今東西、思想家や偉くなった将軍や軍師などが盛んに指摘し説いています。
特に有名なのは諸葛亮で、この人は「心書」で将器を「将材」として九つにまとめ、なるほど、と唸らせてくれます。これは有名なので詳細はお調べいただくとして、その九つの「字」を上げて置きます(実際はこの文字に将が付きます)。
仁・義・礼・智・信・歩・騎・猛・大
最初の5つは「人」としても大切な要素、後の四つは「軍人」として大切な要素でしょう。
前半の五つは字面から分かると思いますが、後半の四つは調べないとわかりにくいかも知れません、簡単に言えば、
歩=足が速く土地を知り武術に通じる
騎=体力に優れ、馬を巧みに操り、攻めるときは先頭、引くときは最後尾に付く
猛=気迫と強い意志、細心の注意と大胆不敵さを併せ持つ
大=素直に学び、忠告は聞き、寛大ながら剛毅、勇敢だが熟考出来る
ああ、こんなのぜーんぶ出来たら大変だ!
実際、当の諸葛亮も軍人として戦えば敗れることの方が多かったといいます。まあ、これは敵が大き過ぎたからでもありますが。
さて、本当ならここら辺りで戦史を漁り、将器のある人物を紹介するのが「ミリオタで」式なのですが、これ、今回に限ってはキケンです。
誰もが認める英雄を紹介したらつまらない結果となりますし、それは誰もが知っています。逆もまたしかり。批判の矢面に立つ将軍たちも多いものです。
特に将器がないのに軍を率いた、などと批判される人を語ったら大いにキケン。こういう人には弁護者が多いものですから。
過去の将軍たちを眺めると、「人間面」と「軍事能力」、その評価が正反対、ということがままあります。これが厄介で、眺める角度で図柄が違うだまし絵のようなもので、「この人はすばらしい」と言っても「いや、違う」と反論殺到が結構あるものです。
でも、これって大概、「人間」はいい人「軍事」はだめな人、また逆に「戦上手」だけど「人間性」はだめ、を「人間的」に評価して「軍事面」に重きを置く方々に叩かれたり、「軍事面」をほめたたえて「人格」を叩かれたり、と、そもそも視点が違う場合が多いものです。
もっと突っ込むと、人物がステキなので軍事面での失敗を「彼だけが悪い訳じゃない」「彼以外の者がやっても失敗した」とかばい、それを突っ込まれたり、軍事面での成功をことさらに評価し、その陰で泣いた人々を無視「一将功成りて万骨枯る」を叩かれたり。
人格に?でも功績があった人物など掃いて捨てるほどいます。だから「一将功成りて」などという言葉がある。
逆に、人格が教育者並にキレイでいい人で、軍事で失敗した人もあまた多い。
怖いの覚悟で言うなら後者で一番やっかいな人は、乃木希典大将。まあ、ここでは詳細を省きますが(チキン)、一言で言えば「人格は上等・軍事能力は中より下」
ある方などに言わせると「皇太子の相撲のお相手(学習院校長)にはもってこいだが軍は率いちゃだめ」となる。
凡庸でいて不器用で、学問を志したのに望まぬ「軍人にさせられた」男が、若い頃にそれなりの無茶もして、でも外国に行って自分のダメさ加減に気付き、人格を磨かねばと努め、自分の弱さと戦いながら少しずつ前進して行くと、何故か周りの優秀な人材や政治力のある者たちが消えて行き、その立ち位置がいつの間にやら派閥の中央にあり、色々問題はあったし本人もそんなには望まなかったのに押し上げられ、でもやるからには、と必死でがんばった、けれど……
楠木正成を深く尊敬し、最期が殉死という部分。これを無視することが当時の日本に出来る訳がなかった、ということでもあります。ああ、このくらいで退散……
ですから、こういう例もある、ともう一人だけダメな例を上げておきましょう。
1940年5月15日。フランス、セダンの街は大混乱に陥っていました。
第二次大戦でドイツ軍がフランスへ侵攻、『機動の原則』でお話しした通り、ドイツ軍はフランス軍が戦車は突破出来まいと考えていたアルデンヌの森を越え、この街へやって来たのでした。
ここでフランス軍はよく抵抗しますが、デマがデマを呼んで戦線が崩壊、ドイツ軍戦車部隊はこの街を越えてフランス侵入に成功します。
ところがこの時、ドイツ軍の目と鼻の先にフランス軍の最新鋭機甲部隊がいたのです。
この部隊は「フランス第21軍団(自動車化)」。第3機甲師団を中心とする部隊で、その戦車を持ってすればドイツ軍の進撃を邪魔し、あわよくば撃退することも可能でした。
しかし、この部隊の指揮官、A.J.フラヴィニ将軍は優柔不断にも攻撃を延期、反撃作戦の命令を自ら破棄し、その戦車を薄く広く拡散して配置し、警戒するだけでドイツ軍の快進撃を見逃してしまうのでした。
戦後、彼はなぜ攻撃を中止したのかを説明しています。
「反撃は必ず失敗すると思っていた。だから私は攻撃を中止した。惨劇を避けたかったのだ」
呆れてものが言えません。この人は軍人ではなく聖職者なんでしょうか?仮にそうだとしても、戦わずして祖国を苦難のどん底に突き落とした一人になりました。
作家で戦史家のレン・デイトンは彼を評してこう言っています。
「兵士が恐れるべきなのは、必ずしも血に飢えた将軍ばかりではないということをわれわれに思い出させてくれるという意味で、フラヴィニ将軍の名は確実に後世に残るだろう」(『電撃戦』喜多迅鷹・訳)
最後になりましたが、将器にとなるもので言い忘れた大きなものがもう一つあります。
それは「運がよいこと」。
こうなるとオカルトみたいですが、深読みすれば「運」の内には「予測力」即ち「想像力」なるものの存在がある気がします。
特に「戦闘」には予測不可能な存在があり「勝利の女神」などとも呼ばれるものが確かにあります。
「予測力」とは何が起きるか分からない「霧」の先を想像する力、とでも呼びましょうか、そういう「心構え」のようなもので、どこまで想像外を「想像」出来るかと言うことでもあります。
そして想像外を想定内にどれだけ取り込んでいるか、そしてその対処の心構えが出来ているか、それにより「不運」を「運」に転換出来る力、これが将器にはあるのではないでしょうか?
日露戦争前、海軍大臣山本権兵衛が東郷平八郎を連合艦隊司令長官に推したとき、常備艦隊司令長官日高提督を差し置いて「地味」だった東郷を何故推すのか、という明治天皇の問いに対し、「東郷は運のよい男です」と答えたといいます。
その半生を振り返っても、東郷が特別運が良かったか、といえばそうとも言えません。確かに波乱の明治初期を生き抜き、海軍で昇進したことは「運」かも知れませんが、国際紛争直前まで行った事件の首謀者だったこともあり、山本や日高と比較してもそんなに幸運だとは感じません(この時までは)。
山本が言った「運」とは想像するに、この「予測力」のことではないでしょうか。
こういう能力のことを諸葛亮はまとめて「智将」としています。
心に備えがあれば、将軍は泰然としていられます。将器にはこの「泰然とした」態度もあり、その意味でも「運」の良さはとても大きな要素でしょう。