一生付いて来る「ハンモックナンバー」
ここまでお読み頂いた辛抱強い方々にお詫びがあります。
前々回の「参謀ってよく聞くけど云々」の回の最後に、あたかも昭和の軍部暗躍を描くかの様な期待を滲ませる「To Be Continued」を仕込んでしまいました。スミマセン。そんな大それたつもりはありません。
特にミリオタを自負される諸姉兄には「秋山真之や上原勇作の失敗の研究かな」とか「服部や辻の新たな暗躍の証拠が白日の下に」とか期待されていたら滝汗……とにかく、この後は題名通り「ミリオタでなくても」分かるような内容で通したいと思います。新しい情報など無理無理な作者ゆえ、ご失望されている向きには陳謝。
では、気分を変えて……という訳で、少し急ぎ過ぎましたので、逆戻りする様ですが軍隊の階層について話しておきましょう。
「階層」?「階級」でなくて?
はい、階層です。説明して行きましょう。
参謀さんがとても頭が良くなくては勤まらない商売、ということはお分かり頂けたと思います。で、軍において参謀が重大な位置を占めるようになると、その頭のいい人の数を増やし、隅々まで配置しなくてはならなくなって来ます。
更に、参謀が考える作戦を理解し、それを使うか使わないかの判断をする指揮官の方も頭が良くなくては勤まりませんから、こちらも養成が必要になる。
指揮官については戦功によって決める方法や、年功序列によって順番に、という方法もあります。しかし、戦功といっても戦闘などやたらと起きる訳でなく、年功序列ばかり重視してもよい指揮官は得られません。
そこで軍隊は「学校」を作ります。軍には士官や将校と呼ばれる指揮官クラスと、実際にその下で汗や血を流す下士官や兵士に大きく分けられますが、この「上」と「下」では教育方針が違って来ます。
国や時代でまちまちですが「士官」とは、少尉という階級を一番下として一番上を元帥(それがない国は大将)とする階級制度。「下士官」とは兵と士官の間で、兵長や伍長という最下層から准尉(それがない国は軍曹や曹長)までがそれにあたります。
で、兵はとにかく身体鍛錬と武器類の操作、そして一番大切な組織の一員としての行動方法を徹底的に反復して教え込まれます。
一般の学校に例えれば、クラスの班分けみたいなもので、班員は兵士、班長は伍長や軍曹、級長は曹長、といったところです。軍隊では一体感や仲間意識を醸し出すような仕組みや教育をしており、平時では、いわばクラス対抗球技大会優勝を目指すみたいに、隣の部隊にライバル心を持ち、実技を競い合ったりもします。
例えを続けると「先生」に当たるのが士官です。士官は自分の部隊(クラス)を統率し、一定以上の成績、目的達成(球技大会優勝)を目指します。
学校を卒業し、教員免許を取って先生となる人がいるように、兵から下士官に昇進して、士官になるための昇進試験を受けたり、上から特別に功績を認められ、士官になる人もいます。
しかし、通常は大学卒業で任官試験を受け、最初から少尉として軍隊に入るケースが一般的で、特に士官養成学校(現自衛隊の防衛大学校がこれ)を卒業し、課題をクリアして卒業した者が晴れて少尉となり入隊するケースが一番多いパターンです。
で、本題です。士官とはこうして最初から指揮官としての教育を受け兵を率いるのですが、軍隊としては当然ながらこの中から参謀さんや未来の将軍を見つけなくてはならない。軍隊も国の一機関です。だから士官や兵士も公務員であり、選考基準には明確なルールがあるのが普通です。頭がいい人間を見つけ、人間としての能力も見極められる。そして認められた人間だけがエリートコースに乗ります。
そのフルイにかける行為は既に士官養成学校から始まっています。ここでの成績がその後の人生を決めてしまう場合が多い。特に、日本はその傾向が強かった。ここで、旧日本軍の士官養成を見てみましょう。
士官養成学校は、日本では陸軍士官学校や海軍兵学校(何故か海軍は「兵」)というように昔は軍種別にありましたが、そこでの卒業成績順位、これが実に大切でした。卒業時の成績(「席次」といいます。更に海軍では「ハンモックナンバー」と呼びました)がベスト10に入れば、よほど人間としての素養が劣悪だったり勤務で大ポカしなければ将来、将軍になれたものです。
逆に200人中170位なんて人は、現場でかなりの功績を上げない限り将軍にはなれません。実際成績が悪くても将軍になった人は目覚ましい功績で有名な人ばかりです。
例を挙げると、キスカ島撤退作戦で名をあげた旧海軍の木村昌福中将(最終階級)は兵学校を118人中107番で卒業しましたが、実戦で叩き上げ、その兵を大切とする性格や果敢な指揮が認められて昇進しました。
また、吉川潔少将(最終階級)も兵学校を272人中176番と平凡な成績で卒業しましたが、大戦中駆逐艦艦長として激戦地で大活躍、壮絶な戦死の後、異例にも二階級特進で提督(海軍の将官)になりました。
しかし、これらは希なケースで、ほとんどが学校の成績でその後の進路が決まってしまいました。
士官養成学校を上位で通過した人は、最初から軍の中枢や花形部隊に配属されエリートとしての道を進み始めます。それ以外の人たちは、ほぼ成績や人柄によって各地へ分配赴任して行きます。
こうして将軍目指し、昇進レースがスタートするわけです。
数年間実務を経験した士官は、ここで軍隊の「大学」へ入学するための選抜・選考を受けます。
軍隊の「大学」とは、普通の大学ではありません。軍のエリート候補生が集められ、徹底的に能力を向上させるために猛勉強させられるいわば軍隊版「虎の穴」です。
この難関を突破した者だけに明るい未来が開けます。もちろん、ここに入るだけでも大変なことで、相当頭が良くなければいけません。旧陸軍は六十四年間この陸軍大学校を運営しましたが、その間の卒業生はたった3485人だったそうです。この「大学」卒業が事実上、上層部への唯一の道で、ここを突破することがエリートの証明でした。
しかし、単に頭が良い「切れ者」というだけではトップは勤まらないようで、兵学校の席次がトップでも大将や元帥といった最高点に上り詰めた人は案外少なかったようです。
熾烈な勉強で体を壊したり、ちょっと「難しい」性格だったり、そんな人も多かったといいます。また、軍隊では階級だけでなく兵学校の先輩後輩という間柄や出身地方も昇進に大きな影響があって、先輩ににらまれたり、出身地によって差別されたり、ということがありました。
このように、軍隊の上層部へ上がるためには相当頭が良く、また、要領も良くなければなりませんでした。これはどの世界でも、いつの世の中でも変わりませんね。