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参謀ってよく聞くけど、一体なに?

 軍隊で指揮官と言えば、戦場の後ろでどっしりと座り、周りに才能溢れる部下を置き、戦いの推移を黙してじっくりと見極め、勝機と見ればすかさず命令を下し……と、こんなイメージを持つ方も多いでしょう。現代なら司令部の回転椅子に威厳をたたえて座り、目前の巨大スクリーンパネルに映し出される戦況を顔色一つ変えずに……みたいな感じでしょうか。


 今も昔も指揮官の責務は重大です。その指揮命令により、行き着く先が一国の存亡にもなってくる。責任重大です。だから軍隊では指揮官を、自分たちの中でも頭が良く決断が速く性格も落ち着いた安定感のある男にしようとします。


 しかし、一個人では何かと限界があります。そこは会社と一緒で、いくらワンマン社長でも何から何まで一人で考え一人で決めたのでは物事の早い流れに追いつかない。ナポレオンはそれを事実上やっていたみたいですが、皆が皆彼のような一世紀に一人という天才ばかりではありません。

 しかも、兵器の革新的進歩や情報伝達速度の驚くべき進歩で、いくらナポレオンでも一人では無理になって来ます。

 ナポレオンの十九世紀と現代。マスケット銃と機関銃、望遠鏡と偵察機、騎馬伝令と無線通信。これらの違いは指揮官が決断する時間も日単位から秒単位にしてしまいました。

 こうなって来ると体と頭は一つしかないのですから、優秀な部下に仕事を割り振り、考えさせなくてはなりません。


 軍隊では指揮官の周りでその職務を補助する人たちのことを「幕僚」と呼びます。幕僚は国や時代でその形態は異なるものの、大体次のような職務に分かれて仕事をします。


1;総務(行政)

2;後方(兵站)

3;作戦

4;通信(情報)


 1はお役所や会社の総務と同じ様な仕事。人事異動や給料計算(戦争中でも給料は支払わなくてはなりませんから)もここです。2は補給や武器弾薬食糧などの調達、運送計画など。3は文字通り知恵を絞って作戦を練り、4は通信連絡の確保と情報収集、記録など。

 どうです、会社組織の本部・本社機能とあまり変わりませんね。

 

 この下にもそれぞれ細かく部署が分かれていて、例え戦争中でも戦闘とは直接関係のない業務が行われます。郵便や歯医者、牧師さんに料理人まで、実に様々な仕事があるものです。

 そしてこの「幕僚」を取りまとめる長を「参謀長」と呼び、その直属の副官や、庶務や医療衛生などを除いた戦闘に関連する幕僚たちのことを特に「参謀」と呼びます。

 

 彼らは昔で言うところの「軍師」に近く、知恵袋とも目されます。特に指揮官が頼りにするのは3の作戦参謀で、彼らの出来・不出来がその上司である指揮官の栄達にも関わり、戦いの帰趨を決めてしまいますから責任は重大です。一般的に参謀、と呼ばれている人たちは、この作戦参謀さんですね。


 前回までお話ししていた「戦闘の原則」でも参謀さんが何人か出てきましたが、この参謀、一体いつから組織されたのでしょう?


 80年間に及ぶオランダ独立戦争(16世紀中頃~17世紀中頃)で大活躍したオランダ総督、マウリッツ・フォン・ナッサウは「軍事革命」と呼ばれ賞賛される一連の軍事改革を行い、軍隊を中世から近代へと導きますが、彼が具体化した「軍事教練」や「士官学校」、歩兵・騎兵・砲兵の連携による「三兵戦術」と共に、平時の教練や戦時の作戦・兵站などを計画する「本部」も組織し、これが「参謀本部」の原型と呼ばれています。

 これをスウェーデンのグスタフ・アドルフ王が磨き上げ、それをオーストリア軍やプロシアのフリードリヒ大王が更に研ぎ澄ませて行きましたが、「参謀」という職種自体は軍の中で大きな存在とはなりませんでした。


 この「参謀」を軍の中で無くてはならない存在としたのが、ナポレオン戦争直後のプロシア(プロイセンとも言います。現在のドイツ北部)王国と言われています。


 「マウリッツ改革」を経た後も指揮官の周りに侍る「参謀」は、助手や秘書の域を超えるものではありませんでした。

 中には軍師や指南として事実上指揮官と肩を並べるくらいの大物もいましたが、現実は指揮官が全て自らの裁量で状況判断し決定、命令を出しました。

 ナポレオンの参謀長(この職務は、その後の同名称の職務と違い「秘書長」に近い)だったベルティエは勇敢かつ頭の良い軍人で、ナポレオンの下す命令の意図をよく理解し、それを即座に実行に移す行動力もあった人ですが、天才指揮官の下では自ら作戦を練ることはなかった様です。この時代まではそれが普通でした。


 しかし、ナポレオンを相手にして敗れた(後にイギリスと組んで勝ちますが)プロシアは、指揮官が何でもやるという風習のお陰で天才に敗れた(つまりプロシアの将軍たちはナポレオン以下だった)との反省から、とかく指揮官に集中し過ぎた職務を「参謀部」という存在を作ることで軽減させることにします。

 これまでは何でも自分で考えなくてはならなかった指揮官は、部下の進言を聞き判断すればよくなった事で、指揮に専念出来るようになります。つまり、一人で考えるより皆で考えれば天才にも対抗出来る、そういうことですね。


 これが指揮官にも好評で、実際の戦闘でも効果を発揮します。それを知った各国はこれを真似して、やがて参謀部は軍隊になくてはならないものとなります。


 参謀本部とは通常、陸軍の中枢部にあって、平時においては軍の戦略を練り、仮想の敵国の情報を得ながら研究し、いつでも戦える準備をしています。いざ戦争ともなれば、ここが実際の作戦全般を指揮することになり、実際に戦う部隊はここからの指示で作戦を遂行することになります。

 そういう重大な責務を負う参謀さんは、並の人では勤まりません。軍隊が参謀本部の重要性を認識し出すと、ここは軍の中でもトップクラスの秀才、天才が集う場所となって行きました。


 軍人さんは腕っ節が強ければいい訳ではなく、どちらかと言えば、上に立つ人間は頭が良く勤勉でなければ勤まりません。トップクラスの人たちは、今で言うなら東大京大クラスをトップで卒業するくらいの頭脳を求められました。


 日本を例に挙げると、明治の中頃までは維新で活躍した薩摩・長州の藩士上がりの軍人がトップを占め、戊辰戦争で功績を上げた人たちが指揮官となってにらみを利かせていました。やがて明治になって開校した士官学校を卒業した秀才たちが頭角を現し始め、日清戦争直後から力比べの野武士タイプよりも勉学語学に強い秀才タイプの軍人が参謀として発言力を増して行きます。


 さて、その結果どうなって行ったのか。

 その前に、参謀の生みの親とも言える、ある軍人のお話をしておきましょう。



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姉妹作品「プロシア参謀本部」編はこちら↓クリック!
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