始めに・軍人さんは戦争がイヤ
このエッセイでは参照を極力示しません。引用は避けたつもりですが、かなり似ている部分もあるかと思います。オリジナルでない、と思われる方はこっそり教えて下さいね。
まずは、最初に。
ミリオタの方々ならご存知の事実をひとつ。軍人さんで戦争が好きな人などほとんどいません。どちらかと言うと反戦ですね。
平和な時代の軍人さんは、災害救助や訓練、社交(宣伝)が主なお仕事となります。軍隊内は規律の厳しい学校そのものと思えば分かり易いでしょう。上下(先輩後輩)関係と同期(同級)生、単位としての部隊(クラス)の結束はとても強いものです。そして、実際に事が起きたら即応出来るように日々許される範囲内(予算・法律)でシゴかれ鍛えられています。
で、平時の軍隊内では、実際に事が起きる事態を願う風潮などほとんどありません。何故ならば、一旦事が起きたら軍隊はたちまち楽しい「学校」ではなくなってしまうのですから。好戦的なのは政治家とポピュリズムに燃え上がった国民(=マスコミに煽られた世論)です。彼らは「やってしまえ!」と叫ぶだけで、実際戦場に赴く人たちを「人間」とは見ていません。軍は国の道具、武器だからです。
例外はあります。平和が続き、実際に戦闘をしたことのない人たちが軍の上部に溢れると「腕試しをしてみてもいいかな」などと言う考えが起きます。実際に試合をしないと試合感覚が鈍るスポーツと同じ理屈でもあります。自分の地位や命が危うい全面戦争は嫌だけど、限定的で短期間の地域紛争なら良いか、くらいに。
追い詰められた軍も危ない。不祥事や権力闘争で存在意義を問われたり、政権が強い軍部を恐れて粛清などを始めたりすると、クーデターという非常手段に訴える場合もあります。クーデターの結果、軍部が政権を掌握すると、意外かもしれませんが対外戦争は滅多に起きません。逆に国内に戒厳令が出され、外出禁止や言論の自由の弾圧などが起きて、国民が厳しい事になります。
しかし先進国家では軍事クーデターなど滅多に起きません。それはシビリアンコントロール(文民統制・政治家の軍掌握)というルールも大きいのですが、軍自体に票があり政治参加をしているからでもあります。軍人さんも国民であり、軍を離れて政治家になる方もいます。このように軍人さんは国の事も考えていますが仲間と組織を守りたいという気持ちも大きいものです。
ここまで語った事は平均的にどの国の軍隊にも当てはまります。それは北朝鮮軍も人民解放軍も米軍も自衛隊(軍隊ではないという建前ですが、ここでは実態から軍隊と同等とします)もそうです。違いは政治と国民性です。先程のクーデターを除いて、軍隊が勝手に戦争を起こす、等と言うことは歴史上滅多にありません。軍が先走った(満洲事変での関東軍の例など)ケースも、背景に右傾化した世論の後押しと政治(無力or黒幕)の存在があります。
こういう風に考えると、一番恐ろしいのは偏向した報道、目立つ過激な主張、身勝手なデマなどに踊らされ煽られる国民や、日和見と保身しか考えない政治家たちだ、と思うのです。
さて、これに関連して。戦争を恐れるあまり独裁者に妥協したある島国の首相のお話です。
昔、ヨーロッパのE国に「ちぇんばれん」という首相がいました。島国首相の彼は、大陸のG国が約束事を違えて入ってはいけない地帯に軍を進駐させたり、近隣諸国を恫喝し領土を割譲させたりしているのを苦い思いで見ていました。けれど、世論や主要政治家はちょっかいを出さずに静観すべき、との考えです。彼も敢えて火中の栗を拾う気などありません。
それは当然です。彼らE国や海を隔てた隣国Fや新大陸の大国Aは前の世界大戦で信じられない位多くの兵士を失いました。それは出生率にまで影響する大損害だったのです。彼らは二度とあんな戦いはこりごりと考え、対岸の火事は火の粉が降りかからなければ我慢するつもりだったのです。
しかしG国の野望は留まるところを知りません。遂に隣のC国に対し、かねてから民族対立が起きていたG国と同じ民族が多く住む地帯を割譲しろ!さもなくばどうなるか知らないぞ!と脅します。後にC国の大統領が心臓マヒを起こす程の恐喝です。さすがにこれはイカンと大陸西のF国首相が沈静化に動きます。
F国はC国と同盟関係にあり、首相は「これ以上お隣のG国が野心を遂げるのを止めなければ危険」と考え、ちぇんばれん氏と話し合います。ちぇんばれん氏もF国と歩調を合わせることで合意し、折しも調停役を買って出たG国総統と仲の良い南のI国首相と三人、G国の南部にある大都市での会談に臨みました。
ところが驚くことに、会談にはC国が参加出来ませんでした。締め出されてしまったのです。当事者の片方がいない会談では、G国総統が「もう領土の要求はこれっきり最後にするから、ぜひC国のあの地帯を頂戴」と駄々をこねます。I国首相は総統をなだめつつも、F国首相とちぇんばれん氏に「彼もこれっきりって言っているから」と譲歩を迫ります。決裂すればF国は同盟関係上C国を助けねばならず、その場合は戦争の可能性が高い。ちぇんばれん氏の国も火の粉を被るのは間違いない。背後(世論の支持・厭戦の風潮)が気になる二人は強気になれず、とうとう折れました。
会談から排除され、隣室で固唾を飲んで待っていたC国大使は、これっきりという約束を記した協定書を見せられ悔しさで大泣きしたそうです。本国に帰還したちぇんばれん氏は、その同じ協定書を振りながら「この宥和で我らの時代の平和が約束された」と大見得を切り、F国首相と共に国民から喝采を浴びました。
そして。C国が会談で放棄した地帯どころか全土を分割され、国がなくなったのは会談から僅か半年後の事でした。そして会談から約一年後。それまでの戦争より遥かに巨大で悲惨な大戦が始まったのです。
今ではネヴィル・チェンバレンの名は愚かで狭視な政治家の代名詞となっています。しかし彼に全てを被せるのは卑怯な事でしょう。当時の政治家、国民全てがその責任を負わねばなりません。相手側が同じ価値観や同じ正義の意味を共有している、との考えはチェンバレンと同じ過ちを呼びます。
軍備もそうです。過剰な軍備は近隣に緊張を呼び、過少な軍備は近隣に付け入る隙を与えます。どのような場合でも話し合いは一番であり大事です。が、それも裏付けあっての事です。チェンバレン氏には戦いを嫌がる国民の支持がなくその裏付けがなかったのです。もしも彼に裏付けがあったのなら、歴史は変わったのかも知れません。
最後にもうひとつ。軍備の裏付けは行使する人間で良にも悪にも替わるのは当然です。良い刀を持つ素人より、なまくらを持った剣豪の方が怖いのと同じです。行使するのは自衛官や政治家ではありません。民主主義国家では国の主は国民です。平和が良いと軍事を軽視するのは戦いを招く良い方法であることはちぇんばれん氏が証明しています。