表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

「私ね、女王になりたいの」

作者: ぴょる
掲載日:2026/05/28

「私ね、女王になりたいの」


 それはある日の午後の事だった。

 学園の中庭。少し奥まった場所にある小さなガゼボにて。

 のんびりと本を読んでいた俺の向かいに座ったノール第一王女殿下はにっこりと笑った。


「……はあ、なればいいじゃないですか」


 ノール王女の言葉を聞いた俺はそう答えた。


「まぁ、ヴィクト様。女王になるのってそんなに簡単じゃないのよ」

 ノール王女はふふ、と笑った。

「この国で女性が王位を継いだのは、過去にたった二例しかないの。どちらも男系が完全に絶えた場合よ。どれだけ優秀でも男の血縁者がいる限り、女性の継承順位は後回しにされてきた」


「……まあ、そうですね」


 歴史的に見れば当然の話だ。この大陸において、女性君主が誕生する条件は極めて限られている。

 議会の承認、貴族の支持、軍部との関係、宗教的な権威。どれ一つ欠けても王位は遠のく。

 男性であれば血筋だけである程度押し通せるそれらを、女性は全て実力で埋めなければならない。


「私には弟がいるの」


「……存じております」


「宮廷ではもう次期王は弟っていう雰囲気が出来上がりつつある。ただ男の子というだけで、そういう空気になっていくの」


「……」


「ね、理不尽だと思わない?」


「まぁ……思います」


「だからね、私考えたの。まずは貴族の支持が必要だわ。でも古い家ほど女王に懐疑的。そこを崩すには実績が要る。問題は……実績を積むための機会そのものを与えてもらいにくいこと」


 俺はページをめくりながら口を開いた。

「……宗教側はどうですか。先代の枢機卿は女王容認派だったはずですが」


「今の枢機卿は中立よ。ただ……まだ取り込める余地はあるわね」


「なら宗教側は後回しでいい。先に軍部を押さえる方が重要です。北方の司令官、あの人は実利主義で知られていますから、条件次第では……」

 言いかけて俺は口を閉じた。

 なぜ俺はこんなに熱心に話しているんだ。

「……失礼、余計なことを」


「ねえ」

 声のトーンが変わった。


「私、貴方が欲しいわ」

 俺は反射的に顔を上げた。


「旦那様として」


「……え」


「貴方には野心がない。プライドもきっとそんなに無いでしょう。でも頭はすこぶる良い」


「……」


「去年の学園祭。予算の配分も、スケジュール管理も、当日の動線設計も、全部副会長の貴方が組んだわよね。会長は当日壇上で挨拶しただけ」


「い、いえ。あれは会長が中心になって」


「会長は何もしてなかった。貴方が全部やっていた。私、ずっと見てたもの」


 反論はできない。まあ事実だ。

 生徒会長はプライドが高く目立ちたがりで、しかし実務能力に難がある人間だった。

 そこへ侯爵家の縁で生徒会に入った俺が、表には出ず、会長を立てながら裏で全ての実務を処理し続けた。誰にも気づかれないように。そのつもりだった。


「貴方の家の話も少し聞いたわ。なんでも長男と次男が家督を巡って随分やり合っているって。でも三男の貴方はうまく距離を保ってきたようね」


「それは……」


「どちらにもいい顔をしながら、どちらにも加担しない。それって相当難しいことよ。うっかり片方に肩入れしたように見えた瞬間、もう片方の標的になる。それをずっと回避し続けてきた」


 どこまで知っているんだ、この王女は。


「私が必要なのはね」

 ノール王女は微笑んだ。


「私の野心に乗っかって暴走するような人じゃないの。かといって言われたことしかできない人でもない。私が動く時に、一歩先を考えてくれる人」


 それから、少しだけ声のトーンが柔らかくなった。

「貴方みたいな人が旦那様だったら、私、やっていけると思うの」


 それは、あまりにもあっさりとしたプロポーズだった。


 ノール第一王女は完璧な王女だ。社交の場では常に隙がなく、誰に対しても柔らかく正しく振る舞う。弱音は一切見せない。感情を乱さない。


 でも今この瞬間、彼女は少しだけその仮面の下を見せている気がした。女王になりたいという言葉の重さ。理不尽に対する静かな怒り。そして俺に対する真剣な眼差し。


 ……俺は今まで面倒なことから距離を置いて生きてきた。家督争いには首を突っ込まない。学園では目立たない。卒業したら家のコネで入れるだろう王宮のどこかで、文官として生きていけばいいと思っていた。


 ただ。


 目の前の王女が本当に女王になるなら。

 あの瞳に宿っている炎が本物なら。

 そして、夫という特等席からそれを見届けることができるなら。


「……俺を夫にして、後悔しませんか。俺は侯爵家の三男ですよ。表に出たくないし派手なことも苦手だし、基本めんどくさがりです」


「存じているわ。でも、貴方のことを調べれば調べるほど、一緒に歩きたいって思うようになったの」


「……俺のどこがそんなに」

「全部」

 即答だった。


「誰も見ていなくても丁寧に仕事をする。損な役回りでも文句を言わない。それでいて、ちゃんと自分を守る術も知っている」

 少し間を置いてから、静かに言った。

「そういう人間が私は好きなの。だって一番信用できるから」


 信用。


「女王になりたい私の隣に立ってくれる人には、野心じゃなくて信用が要るの。ヴィクト様、貴方は私が今まで見てきた中で、一番信用できる人よ」


 俺は黙った。返す言葉が見つからない。

 視線をどこに向ければいいかわからなくなって、結局手元の本の表紙をじっと見つめた。


「……。女王になれますよ、貴方なら」

 口から出たのはそんな言葉だった。


 ノール王女が目を瞬いた。

「……なぜそう思うの?」


「理不尽だと怒るんじゃなくて、どう勝つか考えてる人間だからです」


「……」


「貴方の野心は、国を変えられる」


 ガゼボに風が吹いた。


「そういう人間が上に立った国を、俺は見てみたい」


 ノール王女はしばらく俺を見ていた。

 そして静かに口を開いた。

「……手伝ってくれるの?」


「ええ。俺がその手伝いをしますよ」


 ノール王女は静かに微笑んだ。

 さっきまでの完璧な王女の笑顔じゃない。力の抜けた、素に近い顔だった。


 ガゼボの外で夕陽が傾いていた。橙色の光が白い柱を染めて、風がもう一度通り抜けた。


 静かな文官生活という夢が、穏やかに、しかし確実に書き換えられていった。

 そんな午後の出来事を、俺は一生忘れないだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
静かな序章つて感じで良いですね コレは続きが無い方が味わい深い気がします
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ