第七話 名前の影
その沈黙は、意図的だった。
誰も口にしない。
だが、全員が同じことを考えているのが分かる。八脚目の椅子に座る“何か”を、話題にしてはいけないという暗黙の了解。それは恐怖というより、長年染みついた習慣のようだった。
「……そういえば」
木村が、慎重に口を開いた。
「卒業式のあと、教室で何かあったよな」
空気が、一段冷える。
「何か、って?」
白川が聞く。
「ほら、みんな帰ったあと」
木村は言葉を選びながら続ける。
「担任が戻ってきて……誰かを探してた」
胸の奥が、嫌な音を立てた。
「そんなことあったか?」
田崎が言う。
「……あった」
木村は小さく頷く。
「でも、誰を探してたのか、思い出せない」
その瞬間、頭の内側に、細い線が走った。
名前が、そこにある。
呼べば、口にできる。
なのに、声にしようとすると、舌が重くなる。
「俺も覚えてる」
相原が言った。
「担任、焦ってた。名簿見ながら」
名簿。
さっき見た、出欠表。
八人分の枠があり、一つだけ空白だった、あの紙。
「名簿って……」
塚本が言いかけて、黙った。
全員が、同時に気づいたのだ。
“名簿”という言葉自体が、危ない。
「なあ」
志賀が、震える声で言う。
「俺たち、名前、何個覚えてる?」
「七個だろ」
白川が即答する。
「じゃあさ」
志賀は、円の中心を見た。
「今、ここにいる“八人目”の名前は?」
誰も答えない。
答えられない。
「……昔」
俺は、無意識に口を開いていた。
「誰かが、代わりに謝ってた」
全員が、俺を見る。
「問題が起きると」
俺は続けた。
「先生に呼ばれて、クラスの前で。自分のせいじゃなくても」
映像が、ぼんやりと浮かぶ。
俯いた背中。
誰かの視線を一身に浴びて、何も言わずに立っている姿。
顔が、見えない。
「……ああ」
白川が、息を吐いた。
「いたな、そういうやつ」
「名前は?」
田崎が聞く。
白川は、答えなかった。
答えようとして、やめた。
八脚目の椅子が、きしりと鳴った。
今度は、はっきりと。
「……反応してる」
塚本が言った。
「名前の話すると」
「だから、やめろって言っただろ」
相原が言う。
「思い出すほど、近づく」
「何にだよ」
塚本が叫ぶ。
「決まってる」
相原は、八脚目の椅子を見た。
「役割だ」
役割。
その言葉が、胸に落ちた。
誰かが、引き受ける。
責任も、視線も、非難も。
そして最後に――忘れられる。
「……俺、怖いんだ」
志賀が言った。声は、ほとんど泣き声だった。
「このまま続けたらさ」
「何が」
「……誰かの名前、消える」
消える。
記憶から。
名簿から。
そして、ここから。
その瞬間、体育館の奥で、かすかな声がした。
――呼ばれた。
確かに、誰かの名前が。
聞き覚えがある。
ずっと昔から知っている響き。
俺は、喉まで出かかったその名前を、必死に押し戻した。
言ってはいけない。
ここで口にしたら、
この同窓会は、次の段階に進んでしまう。
八脚目の椅子は、静かに待っている。
誰かが、
その名前を思い出してしまうのを。




