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第五話 視線の行き先

誰も、動かなかった。

八脚目の椅子。

そこに“誰かが座っている”と分かった瞬間から、俺たちは一歩も近づけなくなっていた。

座面は、確かに沈んでいる。

人が腰掛けたときの、あのわずかな角度。

だが、背もたれには何も触れていない。空気だけが、そこにある。

「……誰だよ」

塚本が、乾いた笑いを浮かべて言った。

「誰が、そこに座ってるんだよ」

返事はない。

代わりに、体育館の空気が、少しだけ重くなった気がした。

息を吸うと、胸の奥に冷たいものが溜まる。

「やっぱり、最初からいたんだ」

相原が言った。

その声は、妙に落ち着いている。

「最初から?」

白川が食い下がる。

「じゃあ、なんで誰も気づかなかったんだよ」

「気づかないようにしてたんだろ」

相原は言った。

「……俺たち自身が」

その言葉に、誰も反論できなかった。

俺は、ふと気づいた。

全員の視線が、同じ場所を向いている。

八脚目の椅子――ではない。

その、少し後ろ。

まるで、椅子に座っている“何か”の、顔の位置を避けるように。

目を合わせないように。

「……見てるよな」

俺が言うと、志賀が、ゆっくり頷いた。

「見られてる」

「どこを?」

「……俺たち全員」

その瞬間、背筋がぞわりと粟立った。

見られている。

だが、視線の方向が分からない。

正面でも、背後でもない。

――円の内側。

俺たちが向かい合うことで、自然と作ってしまった中心。

そこから、視線が放たれている。

「なあ」

田崎が、声を潜めて言った。

「さっきから気になってたんだけど」

「何だよ」

「俺たちさ」

田崎は、円を指さした。

「向き、変じゃないか?」

言われて、初めて気づいた。

俺たちは全員、わずかに内側を向いている。

誰かと話すときの自然な姿勢より、少しだけ。

――“そこにいる誰か”に、体を向けている。

「やめろよ」

白川が言った。

「考えすぎだ」

だが、白川自身も、椅子の向きを直そうとはしなかった。

「……立とう」

俺は言った。

「一回、全員立とう。配置、おかしい」

「今?」

塚本が聞く。

「今」

一瞬の迷いのあと、全員が立ち上がった。

その瞬間だった。

――視線が、跳ねた。

円の中心から、何かが動いた。

俺たちの立ち位置に合わせて、視線が追ってくる。

見えない。

だが、確実に、追っている。

「……動いてる」

志賀が、喉を鳴らして言った。

八脚目の椅子が、ぎ、と音を立てた。

ほんの数センチ、向きが変わる。

俺たちの方へ。

「ふざけるな……」

塚本が後ずさる。

「これ、何なんだよ」

「同窓会だろ」

相原が言った。

「俺たちの」

「違う」

俺は言った。

「俺たちだけのじゃない」

そのとき、田崎が、ふっと笑った。

「なあ」

全員が、田崎を見る。

「席、決まったんじゃないか」

「……何の話だよ」

白川が言う。

「だから」

田崎は、円を見回した。

「最初から、八人分あったんだろ。椅子も。名簿も」

俺の胸が、嫌な音を立てた。

「欠席の、空欄」

田崎は続ける。

「“誰か一人”の席が、空いてた」

「やめろ」

志賀が言った。

「それ以上、言うな」

「でもさ」

田崎は、言葉を止めなかった。

「今は、座ってる」

沈黙。

「……じゃあ、欠けてるのは」

誰も続きを言わなかった。

言えなかった。

俺は、円の中を見た。

八脚目の椅子。

そこに“座っているもの”。

そして、俺たち七人。

――視線が、一人に集まりかけている。

自分じゃない。

だが、誰か。

その“誰か”が、少しだけ、体を引いているのが分かった。

逃げようとしている。

その瞬間、理解してしまった。

この場に必要なのは、

正体を暴くことじゃない。

誰が、その席を引き受けるか。

体育館の空気が、さらに冷えた。

同窓会は、まだ終わっていない。

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― 新着の感想 ―
ついに目に見える異変が起こるが、説明は一切されない。 椅子が増えたのか、最初からあったのか分からない―― この“認識の揺らぎ”こそが本作最大の恐怖。 理屈ではなく、感覚で追い詰められる。
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