第三話 受付に立つ人
振り返った瞬間、式場の空気が一段冷えた気がした。
椅子は整然と並んでいる。十五脚。
中央の通路も、左右の列も、乱れはない。
だが、受付台の方から、かすかな紙の擦れる音が聞こえた。
私はゆっくりと戻る。受付台の上に置いたはずの名簿が、少しだけ開いている。
閉じた記憶はある。綴じ紐を指で押さえ、端を揃えた。
今は、最終ページがわずかにめくれている。
私は指先でページを押さえ、完全に開いた。
十五名。
丸は十五。
その下に、薄く書かれている文字。
「受付」
私は息を止めた。その行は、参列者の欄ではない。
役割欄のように、端に寄せて書かれている。
「受付 済」
誰の字だ。私の字に似ている。だが、こんな書き方はしない。
受付は私だ。参列者ではない。
――参列者ではない。
その言葉が、妙に引っかかった。
受付に立っている人間は、名簿に含まれるのか。
私は、昨日の流れを思い返す。
通夜。
受付で名簿に丸をつける。参列者を確認する。
喪主が言った。
「全員、来ています」
私はその言葉を報告書に書いた。
“全員確認済”
そのとき、私はどこにいた?
受付台の前。式場の外。参列者ではない。
だが、写真には映っていた。あの黒い肩。
あれは、私の肩ではなかったか。
背後で、足音がした。硬い床を踏む、規則正しい足音。
一歩、二歩、三歩。
私は振り返らない。音は受付の前で止まった。
誰かが立っている気配。低い声が、すぐ後ろで囁く。
「お名前を確認します」
喉が乾く。それは、昨日の私の声だ。
「お名前を」
ゆっくりと振り返る。受付台の向こう側に、黒服の男が立っている。
顔ははっきりしない。光が逆になり、影のように見える。
だが、その姿勢、その手つきは、見覚えがある。
名簿を開き、ペンを持っている。男が視線を落とす。
「……全員、来ています」
その言葉が、昨日と同じ抑揚で発せられる。
私は一歩後ずさる。
「誰だ」
声が掠れる。男は答えない。ただ、名簿に丸をつける。
カリ、と音がする。私は思わず名簿を奪い取る。
ページを見る。
十五名。
丸は十五。
だが、最後の行に、私の名前が書かれている。
受付 ――(私の名前)
その横に、小さく丸がある。
「……違う」
私はページをめくる。空白のはずの裏面に、黒い点が並んでいる。
丸。
十五個。
そして、十六個目。
それは、参列者の丸とは違う。少し大きく、濃い。
背後で、椅子が擦れる。ぎい、と長く。
式場中央の通路に、もう一脚、椅子が置かれている。
私は確かに数えた。十五脚。
今は、十六脚。
男は静かに言う。
「受付も、参列者です」
声は、私自身のものに重なる。
「全員確認済みです」
式場の奥から、焼香の煙の匂いが流れてくる。
誰もいないはずなのに、読経の低い声が微かに響く。
私は名簿を握りしめた。
そこに書かれた自分の名前が、少しずつ滲んでいる。
インクが滲むのではない。文字そのものが、紙に沈み込むように薄れていく。
私は慌てて指で擦る。紙の感触だけが残る。名前は消えかけている。
代わりに、上から鉛筆で書かれた文字が浮かぶ。
「確認済」
男が一歩、こちらへ近づく。足音はしない。床に影が落ちる。
私は後退し、式場のガラス壁に背を当てる。ガラスに映る式場。
黒服が並んでいる。十五人。
中央に一人、立っている。それは、私ではない。
受付台の向こうに立つ、あの男だ。
私はガラスを見つめる。映っているのは、参列者だけ。
私は、そこにいない。男が静かに微笑む。
「お名前を、確認しました」
名簿のページが、ひとりでに閉じる。
式場の灯りが、一瞬だけ揺れる。暗くなり、すぐ戻る。
椅子は十五脚に戻っている。
受付台には、名簿が閉じて置かれている。
男はいない。私は、息を荒くして立っていた。
震える手で名簿を開く。
十五名。
受付の欄はない。私の名前もない。
だが、ページの端に、小さく書かれている。
「次回」
その下に、薄く一行。
「参列者 未定」
私は、名簿を閉じた。式場は静まり返っている。
それでも、どこかで誰かが、人数を数えている気がした。




