第六話 終わらせる
「……もう一回、探す」
僕がそう言った瞬間、子どもたちの輪が、わずかに揺れた。
ざわ、と空気が動く。
「でも三十だよ」
「先生、ちゃんと数えたじゃん」
声は責めるようでもあり、怯えるようでもあった。
僕はゆっくりと振り返る。
三十人。
確かに三十人。
だが、円の外側、ほんの少し離れたところに、砂が不自然に凹んでいる。
誰かが立っていた跡のように。
「……数は合ってる。でも、まだ終わりじゃない」
自分でも理由は説明できなかった。
数字ではなく、感覚の問題だった。
あの日、団地の公園で、僕は“終わりにした”。
怖かったから。暗くなるから。
探しに行くのが嫌だったから。
見つかったことにした。
鬼だったのに、探すのをやめた。
「先生、何探すの?」
あの子が聞く。
僕は校庭の隅、校舎の影と陽の境目を指さした。
「そこ」
そこに、確かに誰かがいる。ぼんやりとした輪郭。
帽子をかぶり、じっと立っている。
子どもたちは一斉にそちらを見る。
「何もいないよ」
「先生だけ見えてるんじゃない?」
笑い声が起きる。だが、その笑いは震えている。
僕は一歩、影の方へ踏み出す。
砂が鳴る。
「先生、もういいじゃん」
その声は、昔の誰かの声と重なる。
もういいじゃん。見つかったってことにしよう。
あの日の公園。町内放送。
翌日、何事もなかったように登校してきたあの子。
顔を思い出そうとするたびに、霧がかかる。
本当に戻ってきたのか。
それとも、僕らが“戻ってきたことにした”のか。
僕は立ち止まり、深く息を吸った。
「今日は、終わらせない」
声が震えないように、ゆっくりと言う。
「全員見つかるまで、終わらせない」
子どもたちの間に沈黙が落ちる。
円が崩れ、一人、また一人と視線を逸らす。
「先生……」
鬼だった子が、袖を掴む。
「やだよ」
その声は、本当に怖がっている声だった。
僕は振り返り、その子の目を見た。
あの日の自分と同じ目だ。
「大丈夫だ」
そう言いながら、自分に言い聞かせる。
影の中へ、もう一歩踏み込む。
夕方の光が薄れ、影が濃くなる。
そこに、確かに誰かが立っている。
帽子を深くかぶり、顔が見えない。
小さな体。ゆっくりと顔を上げる。
そこにあるはずの顔が、うまく焦点を結ばない。
目が合う。その瞬間、胸の奥が締めつけられる。
あの日、フェンスの向こうに行かなかった自分。
探さなかった自分。見つかったことにした自分。
「……ごめん」
言葉が漏れた。
その影が、ふっと揺れる。
背後で、子どもたちのざわめきが止む。
「先生?」
振り返ると、子どもたちは不安そうにこちらを見ている。
影の方へ視線を戻す。そこには、何もなかった。
ただ、砂の上に、小さな足跡がひとつ。
僕はゆっくりとしゃがみ、足跡をなぞる。
その上に、自分の靴を重ねる。
「……終わりだ」
立ち上がり、子どもたちに向き直る。
「今日はここまで。帰ろう」
「でも……」
「大丈夫だ。全員いる」
自分の言葉に、はっとする。
“全員いる”。
それは、今までのような誤魔化しではなかった。
誰かを数に入れるための言葉でも、消すための言葉でもない。
ただ、ここにいる子どもたちを見て言った。
三十人。
確かに三十人。
それでいい。
子どもたちはゆっくりと頷き、校舎へ向かって走り出す。
僕は最後に校庭を見渡す。
夕焼けが広がり、影が長く伸びる。
砂の上の足跡は、いつの間にか風に消えかけている。
数えてみる。
一、二、三……。
三十。
もう一度数える。
三十。
胸の奥の重さが、わずかに軽くなる。
背後で、かすかな声がした気がした。
「……次は、先生が鬼だよ」
振り返る。誰もいない。
だが、今度は足跡は増えていない。
僕は校庭を後にし、校舎へ向かう。
かくれんぼは、終わった。
少なくとも、今日は。
全員見つかるまで帰れない、というルールは、ここでやめる。
それでも、夕暮れの風の中に、かすかな気配が残る。
終わらない遊びが、どこかで続いている気配。
けれど僕は、立ち止まらない。
数えない。
ただ、帰る。
それでいいのだと、自分に言い聞かせながら。




