第五話 鬼はだれ
砂の上の足跡は、公園の出口に向かってまっすぐに伸びていた。
子どものものにしては小さく、けれど幼児ほどではない。
今の僕の靴よりも、確実に小さい。
一歩、二歩、三歩。
数えていくうちに、胸の奥が冷えていく。
三十一。
さっきまで三十だと信じていた足跡に、ひとつ余分な線が混じっている。
僕は立ち尽くした。公園には誰もいない。
団地の通路も静まり返っている。
夕暮れの光が、滑り台の影を長く伸ばしているだけだ。
――三十一。
その数字が、頭から離れない。
あの日、僕らは何人だった?
名簿では三十。集まったのも三十。
でも、もし最初から三十一だったとしたら。
一人を見つけないまま、三十で数えていたとしたら。
僕は首を振った。
考えすぎだ。足跡が重なっただけかもしれない。砂は風で流れる。偶然だ。
だが、拾ったボールの裏の数字が、やけに鮮明に浮かぶ。
「30」
なぜ数字が書かれていたのか。誰が書いたのか。
家に戻っても、落ち着かなかった。
翌週、学校に戻ると、子どもたちは変わらず元気だった。
「先生、今日もやる?」
昼休み、かくれんぼの誘いが飛ぶ。
僕は一瞬迷ったあと、頷いた。
「やろう。ただし、今日は先生が鬼だ」
子どもたちがざわめく。
「先生が?」
「ずるいー」
笑い声の中に、ほんの少しの緊張が混じる。
僕は校庭の中央に立ち、目を閉じた。
「いーち、にーい、さーん……」
数える声が、自分のものとは思えないほど低く響く。
子どもたちが散る足音が遠ざかる。
十、二十、三十。
「もういいかい」
返事はない。目を開ける。校庭は静かだ。
僕はゆっくりと歩き始める。
倉庫の裏、体育館の陰、植え込みの奥。
一人ずつ見つけていく。
「見つけた」
「うわー!」
笑いながら出てくる子どもたち。
やがて、全員が僕の後ろに並ぶ。
「あと一人だな」
僕は言った。
子どもたちは互いを見合う。
「え? あと誰?」
「三十人いるよ」
僕は振り返り、数えた。
一、二、三……。
三十。
確かに三十。
だが、まだ見つけていないはずの子がいる気がする。
「先生、終わりでいいよね?」
あの子が言う。
僕は視線を校庭の隅へ向けた。
そこに、確かに誰かが立っている。
校舎の影の境目。
帽子を深くかぶり、じっとこちらを見ている。
顔は見えない。
「……まだ一人いる」
僕が言うと、子どもたちの空気が変わった。
「いないよ」
「先生、三十だってば」
声が重なる。
三十。
その言葉が、責めるように響く。
僕は影の方へ歩き出した。
一歩、二歩。
影は動かない。近づくにつれ、姿がぼやける。
あと数歩で届くというところで、風が吹いた。
砂が舞い、目を細める。
再び視界が戻ったとき、そこには誰もいなかった。
「先生、もう終わりでしょ?」
背後で子どもたちが言う。
僕は振り返らず、言った。
「……終わりじゃない」
その瞬間、子どもたちの中の一人が、ぽつりと呟いた。
「じゃあ、先生が鬼のままだね」
その言葉に、全員が静かになる。
鬼は、最後まで見つけなければ終われない。
僕は理解した。
あの日も、僕は鬼だったのだ。
見つけられなかった一人を、
見つかったことにした。
鬼の責任を放棄した。
校庭に立つ僕を、三十人の視線が囲む。
数は合っている。
全員いる。それでも、どこかが空いている。
風が吹き、砂の上に新しい足跡が刻まれる。
僕のものでも、子どもたちのものでもない。
小さな足跡が、円の外側に一つ。
三十一。
僕は、ゆっくりと息を吐いた。
「……もう一回、探す」
そう言ったとき、子どもたちの誰かが、かすかに笑った気がした。
ただ、砂の上に、大人の靴とは違う、小さな足跡が一つ、公園の外へ向かって伸びていた。
そして、その数を数えると――
三十一、あった。




