【続編】 かくれんぼは終わらない ― 揃いすぎる物語 第一話 終わらないルール
夏休みの団地は、昼間でも薄暗い。
日差しは強いのに、建物の影が長く伸びて、地面の温度だけがじりじり上がっていく。コンクリートの壁は熱を溜め込み、手を当てるとじわりと熱が移る。
遠くでセミが鳴いているのに、すぐ近くの音は妙に吸い込まれて、いつもより静かに感じた。
団地裏の小さな公園には、鉄棒とブランコと、古い滑り台が一つずつある。
遊具の塗装はところどころ剥げて、錆が浮いている。
砂場の縁には草が伸び、風が吹くたびに影が揺れた。
僕らはそこを、夏休みの「基地」みたいに使っていた。
「今日、かくれんぼしようぜ」
誰かが言い出すと、みんなが一斉に頷いた。
テレビもゲームも家にあるのに、暑い外で遊ぶ理由は単純で、家にいると大人の目がうるさいからだ。外なら、多少汚れても怒られない。
多少遅くなっても、言い訳が立つ。そういう年頃だった。
鬼を決めるとき、僕はなるべく目立たないようにした。
鬼になると、走るし、探すし、責任みたいなものが付いてくる。
見つけられないと、終われない。終われないと、帰れない。それが嫌だった。
「じゃあ、ルールね」
一番年上の真央が、腕を組んで言った。真央はいつもルールを決める。
みんなもそれに従う。自然にそうなっていた。
「全員見つかるまで終わりなし。帰るのもなし」
その言葉に、僕は一瞬だけ嫌な予感がした。
かくれんぼは普通、時間が来たら終わる。暗くなったら終わる。飽きたら終わる。
どこかで「まあいいか」と切り上げる。けれど真央のルールは違う。
きっぱりしていて、逃げ道がない。
「いいじゃん、それ」
「やろうぜ」
みんなは盛り上がった。
僕だけが、胸の奥に小さな重さを感じた。
鬼はじゃんけんで決まった。負けたのは、翔。
翔は「まじかよ」と笑ったが、笑いながら少しだけ顔が引きつっている。
鬼の重さを知っている顔だった。
「数えるから、隠れろよ!」
翔が目を閉じてブランコの柱に額を当てる。
「いーち、にーい、さーん……」
その声を背に、僕らは散った。
団地の影は迷路みたいで、隠れる場所はいくらでもある。
階段の裏、倉庫の陰、植え込みの奥。
大人には怒られるような場所ほど、子どもには魅力的だった。
僕は滑り台の裏に回り込み、身体を小さくして座った。
砂が汗で張りつく。匂いは鉄と土と、少し酸っぱい草の匂い。
遠くで翔の足音がする。誰かの笑い声。誰かの息を殺す気配。
「見つけた! 真央!」
「うわ、はや!」
声が近づいたり遠ざかったりするたび、心臓がきゅっと縮む。
かくれんぼは怖い遊びだ。見つかったら終わるのに、見つかりたくない。
見つからないと勝ちなのに、見つからないと不安になる。
矛盾した気持ちを、子どもは上手く整理できない。
しばらくして、翔の声が少し荒くなった。
「あと誰だよ!」
「まだいる!」
「いるってば!」
公園に戻る足音が増え、みんなが集まってくる気配がした。
僕は滑り台の裏からそっと覗く。夕方の光が斜めに差して、公園の砂に長い影が伸びている。さっきまで眩しかった空が、少しだけ色を落としている。
翔は汗だくで、息を吐きながら人数を数えていた。
「……えっと、真央、葵、康介、俺、……あと……」
翔が指を折りながら数える。
でも、何かが合わないみたいに、何度もやり直す。
「あと一人だよな?」
「うん、あと一人」
真央が言う。真央の声は、いつもより低かった。
さっきまでの勢いが消えている。
「誰だよ、まだ隠れてんの」
康介が笑いながら言うが、笑い方が乾いていた。
みんな、同じことを思い始めている。そろそろ帰りたい。暗くなるのが怖い。
大人に怒られるのも怖い。だけど、真央のルールがある。
全員見つかるまで終わりなし。
「もうさ」
葵が、小さな声で言った。
「見つかったってことにしない?」
その言葉が空気に落ちた瞬間、僕は息を止めた。
それはズルだ。けれど、救いでもある。
みんなの目が一瞬だけ泳いで、そして、ゆっくりと頷きが広がっていくのが見えた。
翔が言う。
「……そうする?」
「暗くなるし」
「帰りたいし」
理由が並ぶ。正しい理由。
誰も「怖い」とは言わない。言ったら負けみたいだから。でも、全員が怖い。
真央は一度だけ、公園の外――団地の影の奥を見た。
その視線の先に、誰がいるのか分からない。けれど真央は、短く言った。
「……全員見つかった。これで終わり」
その宣言に、空気がふっと軽くなった。
みんなが笑う。強がるように笑う。「なんだよ、びびったじゃん」と言い合う。
翔も「次はもっとちゃんと探す」と言って、鬼の責任から解放された顔をした。
僕は滑り台の裏から出て、公園の端に立った。
「全員見つかった」なら、僕もそこに含まれるはずだ。
僕は見つかっていないのに、含まれる。
それが、妙に気持ち悪かった。
「帰ろうぜ」
誰かが言い、みんなが団地の通路へ散っていく。
僕も歩き出す。砂の感触が靴の中でざらざらと鳴る。
背中に夕方の冷たい風が当たる。
そのとき、団地の方から、町内放送のスピーカーが低く唸った。
ノイズ混じりの音。聞き慣れた声ではない、少し固い大人の声。
『――こちらは、○○団地自治会です。迷子のお知らせをいたします』
僕は足を止めた。
みんなも一斉に止まった。通路の影が、急に濃く見えた。
『本日、夕方より――』
名前が読み上げられる。
さっきまで一緒に遊んでいたはずの、誰かの名前。
僕は喉が乾き、唾が飲み込めなかった。
横を見ると、真央の顔が白くなっている。
翔は笑おうとして、笑えない顔になっている。
「……え?」
誰かが、声にならない声を出した。
『お心当たりのある方は――』
放送は続く。
その声は、団地の壁に反響して、何度も繰り返されるみたいに聞こえた。
全員見つかった。そう言ったはずだ。
全員見つかったのに、どうして。
僕は、さっき真央が見た“影の奥”を思い出した。
あそこに、まだ誰かがいたのではないか。
僕らは見つけたことにしただけで、本当は見つかっていなかったのではないか。
夕方の風が、遊具の錆びた鎖を揺らした。
ブランコが、誰も乗っていないのに、きい、と鳴った。
僕らは、顔を見合わせた。
誰も、もう一度探しに行こうとは言わなかった。
だって、ルールはもう終わったことになっている。
全員見つかった。だから、帰れる。そのはずなのに。
僕は、靴の中の砂の音が、さっきより大きくなった気がして、なぜか走り出せなかった。




