第十二話 理解
分かってしまったあとも、時間は止まらなかった。
体育館の時計は相変わらず読めない。針は動いているはずなのに、意味を持たない。だが、俺の中では、確実に何かが進んでいた。拒否の段階が終わり、次の場所に足を置いてしまった感覚。
「……説明しなくていい」
俺は言った。
自分でも意外だった。誰かに理由を求める声じゃない。確認でも、抗議でもない。ただの宣言だった。
相原が、ほんのわずかに頷く。
それだけで、十分だった。
昔の記憶が、順番を無視して浮かび上がる。
教室のざわめき。
誰かの冗談が行き過ぎて、空気が凍る瞬間。
そのとき、俺は笑って前に出た。
「俺が言った」
「俺が悪い」
誰も頼んでいないのに。
そうすると、場は収まった。
誰かが救われた。
その代わりに、俺の輪郭が少し薄くなった。
「……なあ」
志賀が、恐る恐る言った。
「覚えてるか。卒業式の日」
「……ああ」
覚えている。
だが、はっきりとは言えない。
「担任が、最後に教室戻ってきただろ」
「名簿、持ってた」
白川が続ける。
「名前、確認してた」
俺は、その場面を思い出す。
担任の視線が、一つの席で止まる。
空いているわけじゃない。
だが、何かが足りない顔。
「……俺だ」
言葉が、自然に落ちた。
誰も反応しない。
驚かない。
否定もしない。
それが、答えだった。
八脚目の椅子を見る。
初めて、真正面から。
そこに座っているのは、誰でもない。
顔がない。
形もない。
ただ、役割だけがある。
「お前ら」
俺は言った。
「楽になりたいだけじゃないのか」
責める声じゃなかった。
事実を、並べただけだ。
「そうだよ」
田崎が、あっさり言った。
「だから、誰も感謝しない」
胸の奥で、何かがほどけた。
感謝されない理由。
謝られない理由。
それは、儀式だからだ。
誰かが引き受け、
他の全員が、忘れる。
「……選択肢は?」
俺は聞いた。
「ある」
相原が言う。
「立ち上がるか」
「座るか」
「何もしないか」
俺は、少し考えた。
立ち上がれば、拒否になる。
何もしなければ、未完のまま続く。
だから――。
俺は、視線を円の中心に返した。
八脚目の椅子と、視線が重なる。
いや、重なった気がしただけだ。
それでも、十分だった。
「……分かった」
俺は、そう言った。
それ以上、何も言わなかった。
体育館の空気が、わずかに軽くなる。
誰かの肩が、下がる。
視線の偏りが、消えていく。
円は、自然に整い始めていた。
俺の存在が、
中心に溶けていくのを感じながら。




