婚約破棄? 生贄? 肥溜め? 全部経験済みですが何か? ~次期国王の花嫁の座と生存を賭けて姉妹で絶賛足の引っ張り合い&人生ループ中です!~
「フィリップ様……フィリップ様……!」
綺麗に結った髪が乱れるのも、ウェディングベールが外れてどこかに飛んでいくのも、純白のウェディングドレスが汚れてしまうのも構わずにセリーヌは王城内を、目的の部屋へと駆けて行く。
今日はセリーヌとフィリップの結婚式が行われるはずだった。フィリップはこの国の第一王子であり、次期国王だ。神殿には大勢の参列者が集まっている。王城には祝賀会に参加する貴族たちが続々と集まってきている。
だと言うのに、いつまで経っても主役の一人である新郎が――フィリップが神殿の控え室に姿を現さないのだ。
そして、カトリーヌも。
カトリーヌはセリーヌの妹だ。腹違いの妹。セリーヌとカトリーヌの父親であるヴィランク辺境伯に正妻はおらず、また、諸事情により多くの側室を設けている。女兄弟はセリーヌとカトリーヌだけだけれど腹違いの男兄弟は山のようにいる。だから、母親が違うということでどうこうということはない。
ない、けれど――。
「カトリーヌ、まさか……あなた……!」
セリーヌはきゅっと唇を噛んだ。まだそうと決まったわけじゃない。そんなはずはない。そう思うのに、そう言い聞かせようとしているのに、視界が涙でにじむ。
「フィリップ様!」
ノックもしないでドアを開けたその部屋はセリーヌの婚約者で、今日の主役の一人で、結婚式が終わればセリーヌの夫となる人の部屋。フィリップの私室だ。
だけど、そこにもフィリップの姿はない。
ただ――。
「……あ」
書き物机に封筒が残されていた。セリーヌ宛の手紙だ。震える手で封を開け、中に入っている手紙を確認したセリーヌはその場に膝から崩れ落ちた。
ひらりと床に舞い落ちた手紙を拾い上げたのはセリーヌの後を追ってやってきたヴィランク辺境伯。セリーヌとカトリーヌの実父だ。
「〝キミとの婚約は本日付で破棄する〟。……間違いなくフィリップ第一王子の筆跡だな」
手紙に書かれた短いメッセージを読み上げてヴィランク辺境伯は座り込んでいる娘を冷めた目で見下ろした。
「神官長の元にフィリップ第一王子とカトリーヌのサインがある結婚誓約書と一週間ほど新婚旅行に出かけてくる旨を知らせる手紙も届いていた」
「……結婚……誓約書」
「フィリップ第一王子はカトリーヌを花嫁に選んだ。現在、ヴィランク家で結婚適齢期の娘はカトリーヌとお前だけである以上、黒竜の花嫁はお前で決まりということだ」
「そんな……!」
「黒竜ヴヤ・ヨラールとの婚礼の儀は一週間後。それまでに領地に戻らなくては」
「ま、待って……、お父様、待っ……!」
「フィリップ第一王子とカトリーヌの結婚式はどうせ新婚旅行とやらから帰ってきて、仕切り直してからということになるだろう。まずは領地に戻るぞ、セリーヌ」
「お父様……!」
「辺境伯様……セリーヌ様……」
婚約者と腹違いの妹に裏切られて傷心だろう娘を慰めもせず、さっさときびすを返して部屋を出て行こうとするヴィランク辺境伯を見て。〝黒竜の花嫁〟という名の生贄に決まったと、一週間後の死の宣告を受けて肩を震わせるセリーヌを見て。フィリップ第一王子を探していて、あるいは二人を追いかけて、その場に居合わせてしまった貴族や侍女たちは気まずい表情で顔を見合わせた。
「……カトリーヌ……ああ、カトリーヌ……っ」
両手で顔を覆い、震える声で腹違いの妹の名前を呼ぶ哀れな令嬢を前にある者は同情の眼差しを向け、ある者は天を仰ぎ見、ある者はそっと目を背けた。
が――。
「謀りやがったな、あの……カマトト泥棒猫のクソアマビッチがぁぁぁーーー!!!」
突然の咆哮に全員が目を見開き、セリーヌを凝視した。なんなら二度見三度見四度見した。
「なぁにが〝死ぬのは怖いけれど、それ以上に大好きなお姉様を失うことの方が怖いんです〟だよ! 〝私では妃教育にとてもじゃないけど耐えられそうにないですし〟だよ!! 〝どうかお姉様はフィリップ様とお幸せに〟だよ!!!」
「セ、セリーヌ様……!?」
次期国王の婚約者として実に相応しいこの国一番の淑女と称された令嬢が鬼の形相で地団駄を踏むのを見てその場にいた全員が一歩後退る。ドン引きだ。
「妃教育を私一人に押し付けて王都を散々、満喫した挙句にこれ! どーーーせ最初から最後の最後! このタイミングで掻っ攫ってく気満々だったんだろ、あんのアマはぁぁぁーーーー!」
周囲のドン引き空気を察した上で、今さら取り繕う気もないセリーヌは頭を掻きむしった。
「フィリップのクソ野郎もふざっけんなよ! なーーーにが〝国母として相応しい方を選ぶ。俺は次期国王だからな〟だよ! ミリも妃教育受けてない方、選んでんじゃねーか! 〝フ……、おもしれー女〟な方、選んでんじゃねーか! 大真面目に妃教育受けてきた私がバカ見てんじゃねーか! 貴重な十年返せよ、クソが!」
「セリーヌ、それぐらいにして領地に帰るぞ」
「こーなるってわかってたら社交パーティで楚々とした淑女スマイルなんか振りまかずに肉をがっつき、スイーツを手づかみで食べ、酒を浴びるように呑んでたわ!」
「黒竜の花嫁になるまでの数日、肉もスイーツも酒も好きなだけ食べさせてやるし飲ませてやるから」
「黒竜の生贄として死ぬの確定な娘相手にぬいぐるみを買ってほしくて駄々こねてる幼女と同レベルのよちよちセリフ吐いてんじゃねーよ、このサイコパス親父が!」
淑女の面影はどこへやら。令嬢としての最低限の言葉遣いすら明後日の方向にぶん投げて放棄した娘を小脇に抱えてヴィランク辺境伯はいつも通りの無表情で部屋を出て行く。
「ニンニクだ! 山ほどニンニク使った肉料理持って来い! 黒竜の腹ん中でイヤって言うほどニンニク臭まき散らしてやる!」
「わかった、ニンニク増し増し肉々しい料理だな」
「ニンニク増し増し肉々憎々しい料理だ、サイコパス親父! 黒竜の腹ん中でニンニク臭と共に怨念まき散らしてあのカマトト泥棒猫のクソアマビッチと目ん玉節穴脳みそ軽石クソ野郎を呪ってやる!」
「次期国王相手に〝目ん玉節穴脳みそ軽石クソ野郎〟はやめなさい」
「……実の妹相手に〝カマトト泥棒猫のクソアマビッチ〟はよろしいのですか、辺境伯様!?」
思わずツッコむ周囲の者たちを無視して父親に小脇に抱えられたセリーヌは手足をジッタンバッタンさせながら絶叫した。
「なーーーにが新婚旅行だ! 乗ってる馬車の馬が逃げ出して岩にぶつかった車体が空中三回転半ひねりバチ決めして肥溜めに落っこちて二人仲良く死ね! 悪臭に苦しみながら死ね! 特にあの……」
***
「〝あの……カマトト泥棒猫のクソアマビッチがぁぁぁーーー〟なーんて、今頃、ブチギレてらっしゃるんでしょうね、セリーヌお姉様」
ショーウィンドウに映る自身の顔を指で撫でてカトリーヌはクスクスと笑った。お肌つやつや唇ぷるんぷるん、表情もキラッキラに輝いていて自分史上最高のコンディションに笑いが止まらない。
「今頃、棺桶に片足突っ込んだ老婆みたいにしおしおの顔をしているんでしょうね。わかります、わかります。だって、一度目の私がまさにそうでしたから」
そう呟いてカトリーヌは新婚旅行の定番観光地として有名な南国カルデアスの頭上に広がる青い空を見上げ、一度目の人生に思いを馳せた。
「一度目の人生は立派な淑女になれば次期国王の花嫁に選ばれる、黒竜の花嫁からの生贄死亡エンドを回避できると思って大真面目に! 必死こいて! 妃教育を受け、立派な淑女を目指しました……けれども!」
グッと拳を握りしめたカトリーヌは通りの反対側で買い物をしているフィリップにチラリと視線を向けた。
一度目の人生、妃教育の成績は姉のセリーヌよりもカトリーヌの方が優秀だった。圧倒的に。完膚なきまでに。だけど、フィリップはセリーヌを選んだ。妃教育をサボり、社会見学と称してお忍びでフィリップを街に連れ出し、逢瀬を重ね、何より王都を大満喫していたセリーヌを選んだのだ。
「妃教育をサボりにサボってたお姉様ですもの。事前にわかっていたら国王や王妃、大臣や貴族に大反対されたことでしょう。それを! わかった! 上で! 結婚式当日に駆け落ちとか……あの泥棒猫のクソアマビッチめ、今、思い出しても腹が立つ……っ!」
神殿で受け取った〝キミとの婚約は本日付で破棄する〟とだけ書かれた手紙はいまでに夢に出てくるレベルでトラウマだ。
ショーウィンドウに拳を叩き付けてカトリーヌは歯をギリギリギリギリ言わせた。何事かと振り向いた店内の店員と客はカトリーヌの鬼の形相を見るなりさっと顔を背けた。見てはいけないものだと本能的に察知したのだろう。
「……でも」
独り言ちたカトリーヌは――。
「カトリーヌお待たせ。さあ、行こうか」
フィリップに名前を呼ばれてにっこりと、野に咲く花のように素朴で真っ直ぐな笑顔を浮かべた。鬼の形相を目撃していた店員と客がその落差に二度見三度見四度見して震えているけれども気にしない。
「はーい、フィリップ様!」
カトリーヌは駆け寄るとフィリップの腕にしがみつき、馬車へと乗り込んだ。
でも――。
今回は無事に〝次期国王の花嫁〟になれた。〝黒竜の花嫁〟にならずに済んだ。生贄回避、死亡回避だ。
フィリップに対して何の愛情もないけれど。なんなら一度目の人生の〝キミとの婚約は本日付で破棄する〟メッセージがトラウマ過ぎて喋ってるとちょっと吐きそうなくらいだけれども。なにはともあれ、生きていなければ何も始まらない。死んでしまったらすべてが終わり。
今回は無事に〝次期国王の花嫁〟になれた。その先について考えるのはこれから。ゆっくりゆっくり考えればいい
「嬉しそうだね、カトリーヌ」
「嬉しいんじゃなくて幸せなんです。世界がキラキラと光り輝いているかのよう!」
走る馬車の窓から流れていく風景を眺めてカトリーヌはキャッキャウフフと微笑んだ。
でも――。
「……へ?」
ガタン! と大きく馬車が揺れたかと思うと明後日の方向に馬が走り去って行くのを見てカトリーヌはキャッキャウフフな笑顔のまま凍り付いた。明後日の方向に走り去って行ったのはカトリーヌとフィリップが乗っている馬車を引いていたはずの芦毛の馬たちだ。
状況を呑み込めないうちに馬車の車体は岩に勢いよくぶつかり、その衝撃でカトリーヌとフィリップを乗せたままの車体は天高く舞い上がり、鮮やかな空中三回転半ひねりを決め、肥溜めに着地した。
というか、肥溜めに突き刺さった。
「扉が開かな……って、くっさ! くっさくっさくっさぁぁぁーーー! って、ちょっ……待っ……沈んでる!? 開かない!? 沈んでる……って、くっさぁぁぁーーー!」
「な、なんだ、その喋り方は! 表情は! いつもの可愛らしいキミはどこに……!」
「この状況で可愛らしさなんてクソの役にも立つか! この目ん玉節穴脳みそ軽石クソ野郎がぁぁぁーーー!」
「ふ、節穴!? 軽石!? ……って、なんだ、このニオイは……ああ、くさい……まるで悪魔の吐息のようだ……ああ、意識が遠のいて……」
「くっさ! クッソ! 育ちがいいヤツは死に際も……お上ひ……ん……」
肥溜めに沈んでいく車体の中、悪臭に包まれて、くっさいくっさい言いながらカトリーヌは意識を手放し――。
***
「……ぶわぁっっっはぁーーーっ! 肥溜めなんかで死んでたまるか! ボケ! カス!」
次の瞬間、ベッドの上で飛び起きた。悪い夢でも見ていたのだろうか。あぶら汗を掻いていて気持ち悪い。まだ心臓がバクバク言っている。寝間着の胸元をぎゅっと握りしめてあたりを見まわして――。
「……セリーヌ、お姉様?」
「おはよう、カトリーヌ」
隣のベッドによく見知った顔がいるのを見てカトリーヌは凍り付いた。いや、違う。カトリーヌが凍り付いた理由は黒竜の花嫁になり、生贄になり、死んだはずの腹違いの姉・セリーヌがそこにいたからというだけではない。
「……戻っ、……た?」
「ええ、そう……戻った……時間が巻き戻ったのよ!」
セリーヌが子供の姿――十年前の八才頃の姿に戻っていたからである。妃教育を受けるために王都に向かう、まさにその日の、その朝の姿に戻っていたからである。
セリーヌはと言えばカトリーヌが驚き、青ざめ、呆然としているのを見て満足げに笑っている。
「ふふ……あはは……巻き戻った……時間が巻き戻った……ぶひゃーひゃひゃひゃひゃーーー! 巻き戻ったぁーーー!」
そりゃあ、もう、どこぞの悪徳大臣も真っ青な笑い声をあげている。
「そんな……あり得ない……」
「いやいやいやいや、現実見て! 直視して! あり得てるから! ウチラ、お肌もちもちつるんつるんのちんちくりんボディになってるから! 叶えてもらっちゃったのよ、黒竜のクソ野郎に!」
「……黒竜?」
セリーヌの口から出た単語にカトリーヌは眉をひそめた。嫌な予感がしたのだ。
「ニンニク増し増し肉々憎々しい料理をたらふく食って黒竜の腹ん中に飛び込んでやったらアイツ、〝ニンニク臭と怨念でめっちゃ胸焼けですー。気持ち悪くて眠れないですー。お願いを一つ叶えてあげるから成仏しておくれですー〟って泣いて頼み込んできやがったんだよ! あは、あはーはっはっはっはぁーーー!」
案の定なセリーヌの説明にカトリーヌは頭をバリバリバリバリ掻きむしった。
「クッソ! やっぱりか、あの黒竜! やっぱり私のときと同じようなこと言って、同じようなことしやがったのか! なんて余計な真似を……あ、いや、そんなこと……ない、か?」
でも、途中で首を傾げた。〝肥溜めに突き刺さって死亡エンド〟からやり直すチャンスを得たのだ。セリーヌに感謝する気持ちはミジンコほども起きないけれど黒竜に感謝する気持ちはミジンコくらいには起きてきた。
サクッと気持ちを切り替えて――。
「さあ、第二ラウンドといきましょうか、カトリーヌ!」
「残念だったわね、セリーヌお姉様! 私にとっては第三ラウンドよ!」
ビシッ! と人差し指を突き付けて宣戦布告してくるセリーヌにカトリーヌの方も腰に手を当てフフン! とあごをあげて相対する。
「どんくさいアンタ相手なら人生一周分のハンデがあるくらいでちょうどいいわ!」
「そういう油断が命取りになるって知ってます、お姉様? 文字通り! 命取りに!」
二人の争いはこの後、第一〇八ラウンドまでもつれ込む。戦績は四十九勝四十九敗十引き分け。次期国王の花嫁に選ばれた方が勝ち。黒竜の花嫁に選ばれた方が負け。引き分けはあれだ。物理的に足の引っ張り合いをして二人仲良く黒竜の腹の中におさまったパターン。
そして、第一〇九ラウンド目で思い当たるのである。
「これ、二人揃って国外逃亡した方が生存の可能性あるんじゃね?」
「!? ……天才かよ!」
ようやく、よーーーやく思い当たるのである。
〝協力する〟という選択肢があることに――。




