しゃべるワンちゃん初めて見たわ
「はぁ、もうやんなっちゃう。まさに前途多難ってやつね……ていうか、ここどこよ」
服についた草と砂埃をパンパンとはたき、見上げれば――
月光が冷たく森を照らしている。
木々がざわざわと風に鳴き、湿った土の匂いが鼻をくすぐる。
周囲には人影ひとつなく、立っているのは場違いで派手なオンナ。
ピンヒールで立つ、アタシ。
ガサガサ……
「……ちょっと〜、なにその音」
背筋がゾクッとする。
昔、新宿で不良に囲まれたときの――あの“嫌~な空気”に似てる。
まぁ、あいつらはみんなアタシのヒールで踏んづけてやったけどね。
“オカマなめんな”って言葉と一緒に。
でも、ここは知らない土地。
油断したらマジでヤバい気がする。
心臓がバクバク。
超絶イケメンを前にした時の早さ。
それなのに、顔だけキメてるアタシって、ほんと女優よねぇ……。
「なにか……いるわね」
背の高い草をかき分けて、月の光を反射する“赤い双眸”が、アタシを囲むように動く。
低いうなり声、荒い呼吸音――三つ。
――狩りをしてるの? アタシが“獲物”ってわけ?
身構えたその時、目の前に黒い影が飛び出した。
後ろにも、右にも――三方向からジワジワと迫る気配。
月明かりに照らされ、その正体がゆっくりと姿を現す。
黒い毛並み、皮の鎧。
牙が月光を反射し、喉の奥で低く唸り声が震えている。
「ワ、ワン……ちゃん?」
その瞬間――
「……おい、人間。お前ここで何をしている?」
空気が、止まった。
犬が……しゃべった。
気を取り直して、あの白い空間を思い返す。
そういえば、あのブス女神が言ってたわね。別の世界へ行くって。
だとすれば、ここはもうアタシの知る地球じゃない。
犬がしゃべるのも普通かもしれない……。
しっかりしなさい、適応するのよスミレ。
男は度胸、女は愛嬌、オカマは最強よ!
「おい! 聞いているのか!」
アタシの正面に立つ犬が、今にも噛みつきそうな顔で吠える。
凄い迫力、でもアタシ負けないわ。
ピンっと胸を張り、堂々と答える。
「ちょっと~、そんな大声出さないでよ、ビックリするじゃない。
アタシはスミレよ、ワンちゃんここはどこなの?」
取り囲む三頭のうなり声が激しくなる。
「ワンちゃん……だと!? あの犬っころなんかと一緒にするな!
我々は魔王国軍、偵察部隊所属シャドーウルフ隊だ!……お前怪しいな!フルール・ド・セルのスパイか?」
「なんのことだかわかんないわ、逆にここはどこなの?」
アタシが首を傾げて聞くと、正面の犬――いや、狼?が牙を剥いた。
その赤く光る瞳が、月の下でぎらりと光る。
「……しらを切るつもりだな、薄汚い人間め。その喉元、食い破ってやる!」
「ちょっと、話を聞いてちょうだいってば!」
言い終えるより早く、シャドーウルフたちが地を蹴った。
草をはね、風を裂く――速い!
「話を聞けって言ってんだろぉお!!!」
────”口撃スキル発動”────
脳内にかすかにそう聞こえた気がした。
そしてその瞬間、アタシの中で“なにか”が弾けた。
空気がバチンと震え、細かいピンクの衝撃波のようなものが辺りに広がる。
狼たちが一斉に動きを止め、ピシッと背筋を伸ばした。
表情は強張り、尻尾がぴんっと固まってる。
……なに、これ?今のアタシ?
でも、そんなことより――ちょっとイラッとしてる。
「さっきから聞いてりゃこのワン公が……話も通じないなら、アンタら犬以下だわ。そこになおりなさい!」
三頭の狼が、ピクリと反応してアタシの正面に並んだ。
真ん中の一頭の首元には赤い布――どうやら隊長らしい。
「ふぅん、あんたが隊長?……ねぇ、ここはどこなの? なんで人間を襲うわけ?」
赤布の狼が、低くうなりながらも答える。
「こ、ここは、“深淵の森”……そして我々魔族は、お前ら人間と戦争をしている」
「ほ~ん、それで? アタシは兵士でもなんでもないわよ。
アンタらは民間人も襲うわけ?」
「民間人は、こんな危険な場所にはこない。それで敵だと判断した……」
隊長が鼻を鳴らす。
「……じゃあ、アンタはいったい何者なんだ?」
アタシは胸を張って、堂々と笑った。
「アタシ? アタシは――八尺純恋。自由に生きるオンナよ!」
狼たちが、一瞬沈黙する。
夜風がサワァ……と木々を揺らした。
「……あんたたちの名前は?」
隊長「ゼフ」
右の狼「俺はトール」
左の狼「ぼ、ぼくはレッタ」
「そう、ゼフにトールにレッタね。……話ができて良かったわ。
でもアタシもここに急にきて、何がなんだか分からないの。
どこか安全な場所に案内してくれない?」
ゼフは少し考え、仲間に目配せした。
すぐに小声でヒソヒソ話が始まり、レッタがゼフに耳打ちする。
「ゼフ隊長? あの女?? おっかねーっす。いっそ魔王城に連れていきましょうよ。
あそこなら、何かあっても魔王様と四天王様がいらっしゃるし……」
「……ふむ、いい案だな。そうするか」
「なにコソコソ話してんの?」
アタシが眉をひそめると、ゼフは慌てて咳払いをした。
「い、いや、なんでもない。……案内する。ついてこい」
「ふふっ、最初からそう言いなさいよ」
ピンヒールで異世界の土を踏み締めながら、アタシは奇妙なワンちゃんたちと共に、深淵の森を歩きだした。
――まさかこの出会いが、後に魔王領の運命を変えるなんて、このときのアタシは知る由もなかった。




