暴走
森の奥から、足音が響いた。
それは最初、錯覚のように微かだった。
森が鳴らす、ただの軋み――そう思えた。
だが次の瞬間、地面が小さく震え、空気そのものが歪む。
鎧の隙間を抜ける風が、嫌に冷たい。
――ドス、ドス、ドス。
重く、鈍い衝撃音。
確実に、何かが近づいてきている。
「……まずいな」
アランが低く呟いた。
霧の向こう、深淵のさらに奥を射抜くその眼差しに、迷いはない。
だが、わずかな緊張が混じっているのを、アタシは見逃さなかった。
「全軍、警戒! 何かが来る!」
グロセルの号令が森に響き渡る。
人間軍も、魔王軍も、同時に身構えた。
剣が抜かれ、盾が構えられ、魔力が空気を震わせる。
さっきまでの小競り合いとは、明らかに質が違う。
アタシは――まだ、地上にいた。
アランたちから数歩離れた位置。後方待機の命令は出ている。
撤退の合図が来るまでは、ここで状況を見極めろ、と。
……でもさ。
この空気で、何も見ずに下がれるほど、アタシは大人しくない。
「……スミレ!」
サン・ショウちゃんの声が飛ぶ。
「今すぐ下がる準備をしろ! 嫌な予感がする!」
「ええ、分かってるわよ」
口では軽く返したけど、胸の奥がざわついていた。
この感じ、覚えがある。
理屈じゃなく、本能が警鐘を鳴らしてるやつ。
そして――
霧が、裂けた。
森の木々が、音を立ててなぎ倒される。
巨大な影が、次々と姿を現した。
鬼みたいな巨体。
ゴツゴツした石の塊みたいな化け物。
漫画で見たゴブリンの不細工版みたいな群れ。
巨大な猪、狼の群れ。
さらに空には、翼竜っぽいの、ライオンと鷹のキメラみたいなの、鳥女の編隊。
空と地上、両方から押し潰すってかんじ?
「……ありえない」
モウの声が、かすかに震えた。
「こんな数……しかも同時に……!」
「縄張り争いはどうした……?」
スキッティが呆然と呟く。
その瞬間だった。
アタシは、はっきりと気づいた。
――魔物の目。
瞳の奥に、淡く光る魔法陣。
どの化け物も、同じ色、同じ形。
「……っ」
背筋が、ぞわりと凍りついた。
火竜の時と……同じじゃない。
違う種族。
違う生態。
本来なら、共存なんて絶対にしないって聞いてた連中。
それなのに、全てが同じ方向を向いている。
――操られてる。
「くそッ! 魔物を優先しろ! 陣形を組み直せ!」
アランの叫びが戦場を裂く。
「魔王軍も同じだ! 迎撃しろ!」
サン・ショウちゃんが剣を抜き、即座に指示を飛ばす。
次の瞬間、戦場は地獄へと傾いた。
精霊剣が地を裂き、木の根が魔物を串刺しにする。
双子の双魔舞踏が、魔物を踊るように切り裂く。
人間軍も必死に応戦する。
アランの大剣が魔物を両断し、雷撃が空を焼いた。
それでも――
「きりがないよ!!」
ソルトの叫び。
「次から次へ来すぎ!!」
シュガーの声も、余裕を失っている。
数が、明らかに異常だった。
倒しても、倒しても、埋まらない。
「……撤退判断だ」
グロセルが歯噛みし、即断する。
「全軍、撤退! 森の入口まで下がれ!!」
ほぼ同時に、サン・ショウちゃんの声が重なった。
「魔王軍も撤退! 魔王国まで戻る! 死ぬな!!」
「スミレ! 双子! 今すぐ下がれ!!」
「了解!」
アタシは指を鳴らした。
「ガマちゃん!!」
次の瞬間、地を蹴る音とともにアガマが滑り込む。
跳び乗ると同時に、背後で魔物の咆哮が弾けた。
ソルトとシュガーも並走する。
「お姉様……速い……!」
「ええ、でも――追ってきてるわ」
振り返ると、魔物の群れが撤退する両軍へ雪崩れ込んでくる。
逃げながら戦う。
魔族も、人間も、必死だった。
その時――
視界の端で、誰かがアガマと共に転んだ。
「……ウルカ!?」
考えるより早く、アタシはガマちゃんを止めていた。
ウルカの背後。
鬼みたいな巨体が、拳を振り上げている。
――間に合え。
跳び降りる。
ウルカの前に立つ。
「――させないわよ!!」
右手を振りぬく。
──"おねぇスラップ発動"──
「いやぁん♡」
パァァァン!!
ピンクのハートが炸裂し、鬼みたいな奴が木々を薙ぎ倒しながら吹き飛ぶ。
だが、終わらない。
次。
また次。
「まだ来るの!?」
「スミレ様ッ、逃げてください!!」
「やだって言ってるでしょ!」
叫びながら、スラップを振るう。
「アタシは決めたの! みんなを守るって!!」
その瞬間だった。
胸の奥が、異様に熱い。
口撃スキルが、うずく。
……違う。
これは、溢れそうになってる。
魔族も。
人間も。
必死に戦って、必死に逃げて、それでも押されている。
このままじゃ……
――守りたい。
理由なんて、もうどうでもいい。
胸の奥で、何かが目を覚まそうとしていた。
「……アタシ、何か……できるはず……」
地の底から、再び低い咆哮が響く。
深淵が、応えたかのように。
その声に呼応するように、魔物たちがさらに暴れ出す。
――深淵の森で。
誰も知らない力が、
今まさに、産声を上げようとしていた。
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