もう一つの灯
――――同じ頃、人間軍・簡易キャンプ。
魔王軍が一時撤退した後、人間軍はアランの指示で、深淵の森を見下ろせる小高い崖に陣を張っていた。
夜風が鎧を撫で、擦れ合う金属音が、静まり返った森へ溶けていく。
「アラン殿、ここなら魔物の接近もすぐに分かりますな」
グロセルが周囲を見回しながら言った。
巨躯を覆う重鎧が、低くガシャリと応える。
黒衣の斥候隊が灯したオイルランプを囲み、騎士たちは無言で干し肉を噛みしめていた。
咀嚼の音だけが、かすかに夜気を震わせる。
「深淵の森には、依頼で何度か来ているんです」
アランは負傷者が横たわる簡易医療スペースへ視線を移した。
「地形も、森の癖も覚えている……それでも――今日は、おかしい」
「おかしい、とは?」
「魔物が少なすぎる」
アランは即答した。
「魔族と遭遇する前からそうでした。森へ入る道中ですら、災害級どころか鬼級が数匹だけ。深淵の森では、あり得ません」
グロセルは斧を地面に置き、顎に拳を当てて顔をしかめる。
「……魔族が魔物を制御している、と考えるのが自然でしょうな」
低く言い、周囲を一瞥した。
「となれば、なおさら警戒を解くわけにはいきません」
アランはひとつ息を吐いた。
口元にはかすかな笑みを浮かべたが、瞳に残る違和感は消えない。
「……ええ。原因は突き止めないと」
一拍置き、問いを投げる。
「グロセルさん、正直に言って……明日も戦うんですか?」
オイルランプの灯火が風に揺れ、二人の影を長く歪ませた。
「……このままでは、国へは戻れません」
グロセルは低く呟き、拳を握る。
「やられた部下たちのためにも」
腰を下ろす兵は五十名ほど。
皆、疲労を滲ませながらも干し肉を噛み、視線は前を向いていた。
士気は落ちていない。
むしろ、静かに燃えていた。
「アランさーん! こっちで食事にしませんかー?」
モゥがオイルランプの傍から手を振る。
「……ああ、今行く」
軽くグロセルに会釈し、アランはランプの光へ向かって歩き出した。
大剣を下ろし、モウの隣に腰を下ろす。
そこで、ひとつの違和感に気づいた。
「あれ? シンジィがいないな」
「シンジィ殿なら、花を摘みに行くと言っていました」
スキッティが大盾を布で拭きながら答える。
「花を摘みに……? 夜に、この森を一人で?」
「アランさん……えっと……」
モゥが視線を泳がせる。
「その……察してくださいよ!」
意味を理解し、アランは小さく咳払いをした。
「ああ……そういうことか。すまない、配慮が足りなかった」
「勇者様、意外と抜けてますよね。でも……少し親近感が湧きました」
モウは柔らかく笑った。
「……それでも、一人は危険だな」
スキッティは遠くを見つめるように、ランプの灯を細める。
「大聖女の聖魔法は、魔物から身を隠すことができるそうです。私も同行を申し出ましたが……『一人で行く』と」
「そうか……」
アランは呟いた。
「回復魔法は凄まじいが、防御魔法を使う時の、あの表情……」
「分からなくていいと思います!」
モゥは少し引きつった笑みを浮かべ、帽子を深く被り直した。
「私の中では、もう“変な人”です」
***
夜の深淵の森は、戦場の名残を抱えたまま沈黙していた。
折れた枝、抉れた地面、乾ききらない血の匂い。
ランプの灯が届かぬ闇に、いくつもの影が転がっている。
シンジィは、一人で歩いていた。
理由は二つ。
生き残りがいないか確かめるため。
そして――自分の正義から、目を逸らさないため。それは、自己満足かもしれない。
それでも、行かずにはいられなかった。
一歩踏み出すごとに、胸の奥が軋む。
人間の兵も、魔族の兵も、等しく倒れていた。
誰もが命令に従い、誰かのために、ここに立っていたのだ。
祈りの言葉は、喉の奥に溜まったまま、声にならない。
その時、倒木の影で、かすかな動きがあった。
魔族兵だった。
腹部を深く斬られ、呼吸は浅い。
だが――まだ、生きている。
迷いは、一瞬だけ。
シンジィは膝をつき、両手を組む。
「……癒やしを」
淡い光が掌から溢れ、傷を静かに塞いでいく。
荒れていた呼吸が、少しずつ整っていった。
やがて、魔族兵は目を開く。
「……なぜ……」
かすれた声。
「なぜ……助けた……?」
シンジィは、視線を逸らさなかった。
「あなた方は……敵かもしれません」
一度、言葉を切る。
「……でも、放っておけませんでした」
「俺を助けても……また、人間と戦うぞ……」
「……それでもです」
沈黙。
「……なぜだ」
魔族兵の声に、怒りはなかった。
「なぜ、おまえら人間は……無意味に戦争がしたい……?」
胸が、痛んだ。
「……私たちは」
シンジィは、慎重に言葉を選ぶ。
「魔族が原因だと……そう、聞いています」
「……そうか」
魔族兵は、空を仰ぐように目を閉じた。
「……真実は……闇の中、か……」
それ以上、言葉は続かなかった。
シンジィは立ち上がる。
「……どうか、生きて」
答えはなかった。
だが、命は確かにそこにあった。
二人は、背を向け合い、夜の中へと別れた。
同じ夜の下、違う陣営へ。
シンジィは歩き出す。
胸に残った問いを、抱えたまま。
それでも――
自分がしたことを、後悔はしていなかった。
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