サン・ショウの過去
ウルカたちと焚火を囲んで談笑していると、ふと視界の端にサン・ショウちゃんの姿が映った。
泉の畔──半月が水面に切り取られたみたいに漂い、その前に彼一人が立っていた。
「一人でどうしたのかしら……」
瓦礫の椅子から腰を上げ、足音を殺して近づく。
サン・ショウちゃんは月の像を見つめたまま、剣の柄に添えた指だけ微かに力が入っていた。
隣に並び、何も言わず同じ景色を見る。
さっきまで賑やかだった泉は、今は静かに淡い光を返し、波紋がゆっくり揺れていた。
そして彼は、水面から視線を外さずに口を開いた。
「……今日は、俺のせいで十名もやられてしまった。この戦いが終わったら、遺族に謝りたい」
「サン・ショウちゃん……」
その声は、指揮官としての責務の重さを抱え込んでいた。
「スミレ……この戦いには、不可解な点が多い」
「それって、どういうこと?」
彼は小さく息を吐き、夜気に白く混ざった。
「まず、人間軍はこの森で不利なのを分かっていながら先に仕掛けてきた。妙だ。
そしてもう一つ……あんなに派手にやり合ったのに、この森の魔物が静かすぎる。普段なら真っ先に襲ってくるはずだ」
「アタシはここに来たばかりだけど……“何かがおかしい”って事よね?」
夜風がサン・ショウちゃんのコートを揺らす。
「……そうだ。この森は……」
そこまで言って、彼は言葉を呑みこんだ。
視線が泉から廃屋へ、そしてその奥へと移る。
「この森がどうしたのよ?」
そして彼は、決意したようにゆっくりと話し始めた。
「……ここには元々村があった。
そして俺は、この村の出身だ。“精霊族ドライアド”──泉の大精霊ルビスを守ってきた一族の、生き残りだ」
そう言って、仮面を外した。
薄緑の髪。整った鼻筋。切れ長の金の瞳が月を照り返し、息を呑むほど美しかった。
「ちょっと……サン・ショウちゃん。アンタ、ビックリするくらい美青年じゃない……!」
腰を抜かしそうとはまさにこのこと。
「人間であるお前には、知っておくべきことがある。……聞いてくれるか?」
そんな真剣な目を向けられたら、オンナが廃るわ。
「えぇ、いいわ。今日はよく相談される日ね」
アタシがそう言うと、彼は泉へ視線を戻し語り始めた。
「……百年前、“精霊戦争”が起きたのは知っているな?」
「人間の王様が攻めたって話よね」
「そうだ。
俺はその頃五十歳だった。村では年に一度、森の奥、絶望の谷で深淵の神を鎮める儀式がある。その日、大人たちは全員森の奥へ行く。
危険だから、留守番はいつも子どもの俺の役目だった」
「そんな中で……何があったの?」
サン・ショウちゃんは、昔を思い出すように言葉を選んだ。
「その夜、深手を負った人間の冒険者が一人、村に迷い込んできた。
腹から血を流し、助けを求めて……俺の目の前で倒れた」
想像だけで胸が痛んだ。
「村には掟があった。“人間に精霊水を与えてはならない”。……争いの火種になると。
俺たちドライアドは気の遠くなるほど昔から泉を守ってきたが……人間は泉を奪おうとして、村を攻めた過去がずっと前にもあったらしい」
「……それで?」
「だが幼かった俺は、目の前の命を見捨てられなかった。
掟を破り、精霊水を与えてしまった」
サン・ショウちゃんは小さく拳を握る。
「だけど……俺はそのことを大人たちに黙っていた。
怒られるのが怖かったのもある。何より……“人間を助けた”なんて言いづらかった」
その気持ち、痛いほど分かるわ……。
「そして、その冒険者は生き延びた。
その後、町の酒場で“精霊水で助かった”と話したらしい。伝説なんて知らずに、ただの武勇伝としてな」
「……最悪のタイミングね」
「ああ。その話が、強欲なタラゴン一世の耳に届いた。
“どんな傷も癒す水”──そんなもの、手に入れたいに決まっている。
こうして、人間軍は泉を奪うために村へ攻め込んだ」
泉の光が彼の横顔を照らし、影が揺れる。
「ルビス様は……何も言わなかった。
村が焼かれる最中も、泉の中心にただ姿を見せ、微笑むだけだった」
「助けてはくれなかったのね……」
「格の高い大精霊には、争いなど些細な事なのかも知れない。推し量ろうとしても、その御心は分からない。……ルビス様の浄なる気は魔物を遠ざける。だが──人間には効かない。
大軍勢はそのまま村へ踏み込んだ。その時、俺たちドライアドと親交が深かった前魔王デミグラウス様が、駆け付けてくれて……俺だけが助かり、その後魔王城へ身を寄せる事になった」
サン・ショウちゃんの声は震えていない。
だけど、静かすぎて痛かった。
「……俺が助けた人間が、すべての引き金だったんだ」
「サン・ショウちゃん、それは違うわよ」
思わず声が強くなった。
「悪いのは欲で攻めた連中。アンタじゃない。子どもの頃、目の前の命を救っただけじゃないの」
泉の風が、そっと吹き抜けた。まるでルビスが頷いたみたいに。
「……スミレ、お前は……強いな」
「違うわよ。アンタが優しいからよ。
それを罪だなんて言わせないわ」
サン・ショウちゃんの肩が、わずかに緩んだ気がした。
そして、彼の表情が少しだけ和らいだ、その瞬間だった。
「……ねぇ、サン・ショウちゃん」
「なんだ?」
「なんでアタシに話してくれたの?」
泉の光がゆらゆら揺れて、彼の横顔に薄く影を落とす。
その金の瞳が、ゆっくりとアタシに向けられた。
少し迷って、少し覚悟して、そして──決めた人の目。
「……お前だからだ。スミレ」
「アタシだから?」
「そうだ」
サン・ショウちゃんは視線を泉へ落とし、静かに言葉を継いだ。
「この前、街を一緒に歩いたとき……覚えているか?」
「まぁ、色々あったわよねぇ」
「お前は装飾工房のクロモジにも、獣人の子どもにも……当たり前のように接していた。
“人間と魔族”を分けず、ただ相手を一人の人として扱っていた」
それは、彼がずっと見ていたことだった。
「双子にも……本気で怒ったと聞いた。それは、“同じ目線で話す”事の証明だ。だから、仲間として……信じてもいいと思った」
胸がじん、と熱くなる。
「俺は、人間とまた戦うことになる。その時……“背負っているもの”を知らずに隣に立たせるのは、違うと思った」
「……だから、話したのね」
「お前にだけは、知っておいてほしかった」
言葉は淡々としているのに、その奥の感情はあまりにもまっすぐで、優しくて、苦くて……胸が締め付けられた。
「それに……」
「それに?」
サン・ショウちゃんはほんの少しだけ笑った。
普段の仮面の下では、こんな表情をしていたのね。
「今日、ウルカに“守りたい”って言っただろ。
あの言葉を聞いて──話してもいいと思った。お前なら、俺たちを“味方”として見てくれる」
「あら、聞こえてたのね」
「……それに、覚悟を聞きたかった。
人間として、魔族の側に立つということの……重さを」
そこまで言って、彼はふっと視線を落とした。
「覚悟なら、もう決めたの」
アタシは胸を張る。
怖くても、不安でも、言わなきゃいけないから。
「アタシはアンタたちを守る。
誰も殺しはしない。けど……アンタたちを傷つける相手には、立ち向かうわ」
サン・ショウちゃんの瞳が、ゆっくりとまたアタシに向いた。
揺れた光がきれいで、どこか切なくて──でも、強かった。
「……ああ。お前なら、その甘さも果たせるかもしれない」
その声は、どこか安堵にも似ていて。
長い間一人で背負ってきた重さが、すこしだけ解けたような表情をしていた。
「スミレ。聞いてくれて……ありがとう」
「いいのよ。仲間でしょ?」
二つの影がほとりに伸びる。
泉の中心では月がゆっくり揺れ続けていた。




