精霊の泉にて
魔族の皆が前方から向かってくるのを確認して、慌ててガマちゃんに飛び乗って同じ方へ走り出す。
「ちょっと! みんなどこ行くのよ?」
背の上で揺られながらアタシが声を張ると、隣に並んだサン・ショウちゃんが淡々と答えた。
「……精霊の泉に向かう。そこで今後の方針を練り直す」
「アンタ、肩……怪我してるじゃない。大丈夫?」
「……問題ない。ついてこい」
右肩を庇うように手綱を引くと、部隊はそれに従って木々の間を滑るように進んでいく。
しばらく無言のまま森を抜けると、視界がぱっと開けた。
人間軍と戦う前に見た、あの美しい泉の畔だった。
「……凄い、綺麗だわぁ」
新宿のネオンもいいけど、異世界の泉もロマンチックね。
そう思いながらガマちゃんを軽く撫でて、湖畔に足を下ろした。
西日が差す水面をそよ風が撫で、光の粒がゆるく揺れている。
あの嫌な森と同じ世界とは思えないほど、ここだけ静まり返っていた。
サン・ショウちゃんは瓦礫の前で、アガマ部隊の犬獣人たちと状況確認をしていた。
シュガーとソルトがアタシに気づき、ちょいちょいと手招きする。
頷いて近づくと、ちょうど会話が耳に入った。
「ウルカ、被害状況は?」
“ウルカ”と呼ばれた獣人が低い声で答える。
腰の赤い布が、部隊長の証のようだった。
「十名やられました。残存三十です」
「……そうか。状況は把握した。後ほど方針を伝える。まずは傷を癒し、休息していてくれ」
獣人たちは静かに頭を下げて瓦礫へ戻っていく。
仮面越しでも、握りしめた拳の震えで悔しさが伝わってくる。
……なのに、どうしてアタシはこんなに冷静なんだろ?
ここが異世界で、現実じゃないって思ってるから?
そんなことを考えていると、ソルトが金属カップを差し出してきた。
「スミレお姉様、これ飲んでみて」
「あら、ありがと。これは?」
「泉の水よ。傷とか疲れに良く効くの」
覗き込むと、透き通った水が揺れるたび、底から淡い光が広がった。
一口飲む。
冷たくて、ほんのり甘い。喉を滑った瞬間、胃の奥から光がふわりと広がり、体の芯が一気に軽くなる。
「おいしっ! 何これ!」
「凄いでしょ。これが精霊の泉。魔王国がずっと守ってきた神秘の水なの」
「ほんと凄いわ……これでお酒割ったら、全部高級品になりそう」
周りを見ると、同じように水を飲んだ獣人たちの体が淡く光り、傷がゆっくり塞がっていくのが見えた。
そのとき、泉の方からシュガーがカップをひらひらさせて歩いてきた。
「でも不思議なんだよね。この水、外に持ち出すと効果がなくなるの。なんでだろ?」
「それは、この泉にいる精霊の力だ。……他の者には見えん。ここには魔物も寄りつかない」
振り返ると、いつの間にかサン・ショウちゃんが立っていた。
「魔物も寄せ付けない……そんなに強い精霊なの? あれ? 『見えん』って、サン・ショウちゃんには見えるってこと?」
「……その話はいい。幹部が揃ったな。今後の話をする」
何か隠してるような口ぶり。
まぁいいわ、言いたくないことの一つや二つあるでしょ。
四人で、外壁が崩れた建物の一つへ移動する。
ドアはなく、ところどころ蜘蛛の巣が張っている。
中央には木製のテーブルと、倒れた椅子。
……誰かの生活の跡。
そういえば魔王ちゃんが『父がこの泉を守るために死んだ』と言ってたっけ。
椅子を起こして座ると、腕組みしたサン・ショウちゃんが言った。
「もうすぐ日が暮れる。入口までの距離を考えても、人間軍が今日中に国へ戻る可能性は低い。夜に魔物に襲われたとしてもだ……明日、必ず戦闘になる。我らも、魔王国には戻れない。……戦闘を仕掛けた者をあぶり出さなければ、人間側に”魔族側が仕掛けた”という理由を与えた事になる。……この森で処理し、”魔王国領へ侵入したため”という理由にしなければならない」
やっぱり戦うのね……初心者のアタシはお口にチャックよ。
「今日みたいに木の上からやっつければいいんじゃない? だいぶ数減らしたでしょ」
シュガーが言う。
「人間も馬鹿ではない。必ず対策してくる。……数もまだ多い。おそらく小隊を散らし、分断しつつ各個撃破を狙うはずだ」
「でもさ、私たちにはアガマいるし、風魔法で木をなぎ倒せば足止めできるよ?」
ソルトが返す。
「奴らをさらに分断する作戦か……悪くない。だが実行は俺がやる。三人は動き回って攪乱しつつ排除してくれ」
「りょーかい」
「明日も華麗に踊れそうね」
この二人、ほんと緊張感ないわ……いや、慣れてるのか。
「そして、スミレ」
名前を呼ばれてびくっとしつつ、サン・ショウちゃんを見る。
「何かしら?」
「お前の、あの円卓の間で見せた力が必要になる場面がきっとある。期待している」
「え、えぇ……分かったわ。出来るだけ頑張るわね」
期待は嬉しいけど……本当に出来るのかしら。
人間相手に……もし殺してしまったら? アタシは普通でいられるの?
テーブルの下で組んだ手に自然と力が入る。
「最後に。俺が戦っていた大剣の男……奴には気をつけろ。この森で俺とやり合えるのは異常だ。遭遇しても相手にするな」
傷が塞がった肩を軽く押さえながら、サン・ショウちゃんが言った。
ソルトとシュガーは軽くうなずいているけど。
その忠告は、あまりアタシの耳には届かなかった。
それよりも、突然リアルになった“命のやり取り”への恐怖が、胸の奥でじんわりと広がっていくのを感じた。
そしてサン・ショウちゃんは立ち上がり、『部隊に作戦を伝える』といって部屋から出ていった。
双子も後に続く。
アタシは、テーブルの一点を見つめたまま座っていた。
ソルトが振り向いて、声をかける。
「お姉様? 大丈夫?」
弱ってる姿は見せたくない。そう思いながら返す。
「大丈夫よ、明日どうやってぶっ叩いてやろうか考えてたとこ」
「さっすがお姉様。明日も楽しみましょうね!」
ニッと細める目がいつものソルトじゃない感じがして、背筋が冷えた。
……いいえ、これが普通なのよね、きっと。アタシがこの世界に馴染んでいないだけ。
「えぇ、やってやるわよ~! だから心配しないで先に行ってて頂戴。後から行くわ」
二人を見送るように振った手の動きをゆっくりと止め、膝の上に置く。
アタシはどうするべきか……。
胸がぎゅっと締めつけられる。
焚火の準備をする魔族たちの横顔を見ながら、アタシはそう思った。




