約束の一戦
「あと30分か…」
陽の光が差し込む道場の隅で、風花は静かに腹を撫でた。硬く引き締まったその腹筋は、幾度となく重い衝撃で鍛えられてきた。毎晩5KGのダンベルを落とし、部活の時間には宿敵・カナとの「メディシンボール」で打たれ強さを競ってきた日々。空手部で切磋琢磨する彼女たちの間には、友情ともライバル心ともつかぬ熱い感情が渦巻いていた。
「お腹、今日も絶好調みたいね」
背後から声がかかる。振り向けば、そこにはカナがいた。道着の帯をぎゅっと締めながら、にやりと笑う。
「ま、負けたくないからね。今日こそは、あんたの腹に決めるつもり」
「上等。そっちこそ、うちの腹の固さ、思い知りなさいよ」
2人は言葉少なに拳をぶつけ合い、静かに火花を散らした。
試合を30分後に控えた、地区空手大会の会場にて――
互いの腹を鍛え、互いをライバルと認め合う2人の少女の戦いが、今、始まろうとしている。
風花は一歩、カナに近づくと、真剣な眼差しで言った。
「ねえ、カナ。この後の試合で、いつもの賭けをしたい」
カナはすぐに反応し、口元をほころばせた。
「負けたら、メディシンボールを腹に落とされるトレーニングを50発でしょう?私もそのつもりだったよ」
2人の間に流れる空気が、一瞬ぴりりと引き締まる。風花は拳を握りしめ、目を逸らさずに続けた。
「でも、今回はもっと本気でやる。絶対負けないから。……もし、万が一、私が負けたら――」
そこまで言ってから、彼女はほんの一瞬だけ視線を下げた。けれど、すぐにまたカナの目をまっすぐ見据える。
「約束の50発を受け終えた後、私がさらに何発『おかわり』するか、カナが好きに決めていいよ」
カナの目が見開かれ、そして面白そうに細められる。
「……へえ、ずいぶん強気だね。でも、その言葉、ちゃんと覚えておくよ。50発のあとに、私の“気分次第”で、もっと叩き込めるってことだもんね?」
「うん。私は今日こそーーあんたの腹を沈める!」
2人の間に熱気が立ち上る。これはただの試合じゃない。お互いのプライドと、信頼と、腹の打たれ強さを賭けたーー宿命の一戦。
試合開始まで、残り30分。
2人の少女は、それぞれの胸と腹に、闘志を宿しながら、静かに立ち尽くしていた。
【回想】ーー打たれ強さの約束ーー
空手部の稽古が終わった放課後、道場の隅に敷いたマットの上で、風花とカナは並んで仰向けになっていた。
「いくよ、風花。5キロ!」
「来い、カナ!」
2人の間に置かれた、ずっしりと重いメディシンボール。どちらが先に音を上げるか、どちらがより多く耐えられるか――それだけを競う、無言の勝負が日課になっていた。
ズンッ…という重い音が腹に響くたびに、肺の中の空気が押し出される。だが、互いに視線を交わしながら、唇を噛んで耐える。
「…っは、いま何回目?」
「……39。まだいける、でしょ?」
「当然!」
誰に言われたわけでもない。ただ、腹を強くすれば、強く打てる。打たれても崩れない。その信念だけが、2人をつなげていた。
時には笑いながら、時には涙をこらえて、2人は「耐える力」を積み重ねてきたのだった。