第1話 執行人の誕生
世界は残酷であると俺は思う。力を持つ強者が、力を持たない弱者を平気で絶望へ堕とすからだ。
ある者は弱者から金を巻き上げ、ある者は自らの快楽の為に弱者を凌辱し殺す、ある者は権力が欲しいがままに権力を使い圧政を敷き弱者を苦しませる。
こんな世の中を弱者は求めていたか?否、断じて求めていなかっただろう。だが、何ができる?何をすればいい?何に助けを求めれば救われる?
西暦20**年 6月10日 日本
雨がしとしと降っている。傘もいらないレベルだ。視界も良好。少し湿った匂いが香るくらいだろう。赤く点灯する信号が自らの存在をアピールしている。
自分の身の回りの状況を確認した俺こと不死原 恭也はスマホでニュースを確認する。どうやらまた事件があったらしい、12階建てのマンションから火災が発生しているようだ。火災から5時間は経過しているみたいだが、未だに鎮火はされていないらしい。おそらく最近巷を騒がせている連続放火魔だろう。世間は犯人が誰だか分かっている。違法に日本在住権を取得した外国人だ。理由は明確。犯人は自らのブログに自分が放火したという動画を投稿したからだ。だがテレビや政府は依然に「犯人は分からず、捜索を続けている」と言っている。無論ネットは炎上、国内からはもちろん海外からも自分の国を護る気があるのかと批判が殺到している。どうやら実物の炎上は鎮火に取り掛かるが、こちらの炎上は鎮火はしないようだ。それでも取り掛かりが遅いが。
「呆れるな」
いつの間にかそう小言を言っていた。周りは反応しなかったように見えたが、視線を下に下げるとカッパを着た学校帰りの女の子と目が合った。
「お兄ちゃん、なにかあったの?」
純粋な眼差しは俺を見つめ、不思議そうに問い掛けてくる。
「いや、何もないよ。心配してくれてありがとうね」
子供と話す時は目線を合わせるようにと昔教わった事がある為、俺はしゃがみ込み答える。
「ウソッ!お兄ちゃんは今むずかしい顔をしてた!」
結構観察能力があるらしい…。
「そんなお兄ちゃんに教えてあげる。嫌なことがあったらこう、二カーッ!て笑顔になるの。お兄ちゃんもはい、二カーッ!」
この子は天使だろうか?俺の事を元気が無いと思って、元気付けてくれている。その頑張りに応えるのが立派の大人というものだ。
「に、二カー…」
だけど事と場所によっては恥ずかしい。それに固まった表情筋を動かすにはかなりキツイ…。女の子は俺の頑張りを悟ったのか満足そうな笑みを浮かべる。
「ママが言っていたの。こういうことはこれから必要だからって。だから元気出して!お兄ちゃんが元気ならあいりも元気になれるから!」
「そうだね、ありがとうあいりちゃん。お兄ちゃん元気が出てきたよ」
この女の子は「あいりちゃん」と言うらしい。小さな子供から小さな勇気を貰ったとなると少し照れ臭いな。
聞き覚えのある若干機械音の混じった鳥の鳴き声が辺りに響く。どうやらあいりちゃんと話している内に信号が青に変わったようだ。
「どういたしまして!じゃあね!」
あいりちゃんは元気に横断歩道を渡る。あんな元気で純粋な姿を見たらまだこの国も救いようがあるのかもしれないと思った。
だが現実はそんな存在を許してはくれないようだ。
左の車道から鈍い音を出しながらクラクションも鳴らさずに一台の車が高速で走ってくる。あいりちゃんもその存在に気付いたのか、車の方向を見て震えていた。だがあいりちゃんの立っている場所が悪かった。あいりちゃんがいる場所は横断歩道の真ん中だった。
「あいりちゃん!すぐに歩道を渡れっ!」
腹に力を入れ声を出し、いつの間にか俺はあいりちゃんの下へ走り出していた。
俺の声て正気になったのかあいりちゃんはおぼつかない足取りで歩道を渡ろうとする。
「ひ、ひぁっ…」
恐怖でうまく歩けないらしい。無理も無い、まだ小さな子供が命の危機に直面しているのだ。このままで最悪の事態に見舞われてしまう。
「間に合えっ!」
俺は手を伸ばしどうにかあいりちゃんを抱え歩道を渡り切る。
なんとかなったそう思った。車は何故かこちらに向かってくる。もうすぐそこだった。最悪な事態は何故か重なっていた。正面は壁だった。これだと避ける事が出来ない。かと言って踵を返して反対に避ける事も間に合わない。
イチかバチかっ!
俺は車の方向に自らの背中を向け、あいりちゃんを包むような体制に入る。かなりの賭けにはなるが俺が壁になる事であいりちゃんを守れればそれでいいと思ったからだ。
ズドンッと重厚感のある音と同時に俺の意識は飛んだ。
●
事はどうなった?
あいりちゃんは無事だろうか?
全身が痛い
いつの間にか俺は仰向けで倒れていた。冷たい雨とコンクリートの地面が俺の体に触れていた。
前がうまく見えない。
途切れゆく意識の中、無理やり横にある物体に焦点を合わせる。
無理やり意識を保とうとした自分に後悔した。
そこにあったのは…あいりちゃんだった…さっきまで笑顔だった顔が生気を亡くした顔だ。半開きの瞼からは瞳孔が開いた瞳がこちらを見ていた。
「ッ!?ッア!?」
声が出ない。薄れてきた意識の中で感じたのは後悔と絶望、そして自分の目から溢れる熱い液体だった。
●
9月16日 稲穂総合病院
ーー大丈夫、起きてーー
優しいかつ怪し気な声が聴こえ、ゆっくりと目を開ける。白い天井、微かに香る消毒液の匂い、テンポ良く鳴る音、どうやら病院のベッドの上みたいだ。
「っ!?先生っ!」
女性の慌てた声が響く。
そんなにびっくりする様な事か?いったいどれだけ眠っていたのだろう。
バタバタと走る音が聞こえる。体が重いが無理やりでも起こそうと頑張ってみるがなかなか思う様にいかない。
「意識を取り戻したのか?」
ベッドの横にはいつの間にか白衣を着た長髪の女性が立っていた。前髪は異様に長く片目が隠れている。かなり慌てて来たらしく息が少し上がっており、白衣は完全には着ておらず片方の肩が白衣に被っていない。
「目覚める事を信じていたよ。とりあえずは体調の方を診てみようか」
慣れた手付きで診察を開始した先生だが、そんなことより確認したい事が俺にはある。
「先生、あいりちゃんは?事故はどうなったんですか?」
あいりちゃんは死んだ。それは分かっている。だけど小さな望みにすがりたかった。
先生は答えたくないようだった。だが意を決したかのように口を開く。
「君は賢いんだろうね。更には幼い少女を救おうと車の正面に飛び出すほどの勇気もある」
先生は近くにある椅子に座り乱れた白衣を着直した。付き添いの看護師は扉を閉め、部屋は静寂に包まれる。聞かれたくない内容も話すようだ。
「いいだろう、では話そう。あの事故、いや事件の事を私が知っている事の全てを」
先生が事の全てを話してくれた。
あれから三ヶ月は俺は眠っていたようだ。俺とあいりちゃんは病院に運び込まれ、俺は微かに息があった為直ぐにこの先生によって外科手術を受けたらしい。あいりちゃんは病院に到着した時には既に亡くなっていたようだ、即死だったらしい。
車は赤信号であるにもかかわらず停止は疎かスピードを緩める事も無く、俺達に突っ込んだ。運転手は在日手当を取得した外国人であり、多少の打撲で済んだようだ。信号無視をしただけでかなりの問題だが、更なる問題があったらしい。なんと運転手は飲酒をしていたそうだそれもかなりの量を飲んでいたみたいだ。明らかな過失運転である。裁かれない方がおかしいだろう。だが、胸糞の悪い事に運転手は不起訴処分になった。理由は公開されていないらしい。
「ふざけるな…。なんで不起訴になる?俺にとっては死刑も軽いぞ…」
頭がおかしくなりそうだ。この手で加害者と不起訴にした奴らを殺してやりたい。
「落ち着きたまえ」
「これが落ち着いていられるとでも!?」
先生が俺の頭に手を乗せる。
「君だけが納得がいかないと思ってると思うか?」
先生は真っ直ぐ俺に厳しい目を向ける。
「私も同じさ、いや世間、日本人国民全員が同じ気持ちだ。だが…」
先生は目に少量の涙を浮かべる。先生は医者である即死だったとはいえ幼い命を救えなかった事が悔しいのだろう。
「今は…今は堪えろっ」
この言葉により俺は沸々と沸く怒りを抑える。俺だけじゃない他にも怒りを覚える人はいる。
「この御時世は正義を貫こうとした者は必ずと言っていいほど不幸に見舞われる。君は賢い、自分を守る為にここは身を引くんだ」
身を引く?確かに自らを守る為には深く干渉をしない事が一番だ。だがそれではまたあいりちゃんの様に理不尽に亡くなる子が出てしまう。身を引く訳にはいかない。
「ありがとうございます。でも俺は先生のように器用に生きることはできません」
俺は自分の腕から生えていた点滴を抜く、多少の痛みはあるがこんなもの轢かれた時と比べると雲泥の差だ。
「不死原さんっ!」
看護師が止めようとするが、先生が看護師を止める。すると先生は部屋の棚から服を取り出し、俺の前に差し出す。
「本当にいいんだな?私は止めたぞ?」
差し出された服は上着だった。とりあえず羽織ることにした俺は先生と看護師に頭を下げる。
「お世話になりました」
「そうか、なら私からの餞別だ」
先生は一枚のメモ用紙を胸ポケットから取り出し俺の手の中に納める。
「河口 愛梨ちゃんのご両親の住所だ。かなり参っているようだから合う時は慎重にな」
この人はまるでこうなる事を見越していたかのようだ。感謝してもしきれない。
「それと、時峰 怜花だ怪我や病気の時は頼るといい」
時峰先生は名刺も差し出してくる。この人は生粋の善人なのだろう。息をするかのように俺にとっては徳のある事しかしてこない。
部屋の扉を開けた俺はもう一度深く二人に対して頭を下げ、扉を閉めた。
●
「よろしいのですか?入院してまだ3ヶ月、骨も損傷した臓器等も完全には治っていないはずでは?」
当然の質問だ、彼は全身がボロボロの状態で運ばれて来た。出来れば全てが完治したのを見届けた上で退院させるべきだ。だが私は、彼を可能な限り早く病院から離した方が良いと判断した。
「これを見てもそんな事が言えるかな?」
彼女に渡した物は不死原 恭也君のカルテだ。彼女は一通りカルテを読んでいった、すると理解したのか徐々に表情が強張っていった。
「先生…こ、これは…」
彼女が質問をしてくる前に私はカルテを回収し、別のカルテを彼女に渡す。
「病院にはこれを提出したまえ、誰がどう見ても普通のカルテだ。患者については駄々をこねたから退院させたとでも言っておきなさい」
病院の他の医者、特にクソ医院長にバレたら彼は追われる身となってしまうだろう。そんな可能性を考え偽物を用意をし、彼を直ぐに退院させる為あえて本来教えるべきではない事件の詳細を教えた。
「え?でも偽のカルテなんて…バレたらクビで済まないのでは?」
彼女は私の心配をしてくれている。良くできた子だよ。
「心配はいらないよ。医院長はクズではあるが私を手放したくない筈だ。私にしか治せない病気もあるからね。まあ、多少のセクハラは来るだろうが患者の為であれば胸だろうが尻だろうが触らせてやるさ」
あのクソ野郎は病院の利益の他に「私」という女が欲しくて堪らないそうだ。因みにいつかあの顔に渾身の蹴りをお見舞いする瞬間が来ることが私の願いだ。
「しかし、先生も私と同じ女性ですから力尽くで押さえ込まれたりしたら…、それにこの前も医院長先生にホテルに連れ込まれそうになったって」
あぁ、そんな事もあったな。あのゲス野郎は飲み会の時に私のグラスの中にこっそり睡眠薬を入れていた。まあバレていて奴のグラスとこっそりと替えて奴が爆睡したんだが。その後に眠ったゲスをホテルの入口に投げて放置したのだが、どうやらその光景を看護師の誰かに見られたらしいな。投げ入れた瞬間は見られてないらしい。
「ホテルには連れ込まれていない。それにあのゴキブリが私を力任せに押さえ込める訳がない。とりあえずさっきの言った事は守るんだ、いいね?」
「は、はい…」
どこか不満気な返事を返す彼女だが、これでいい。それに私は楽しみでもあるんだ、恭也君の存在は何かが起こる予兆であるように思える。この理不尽な世の中を変える。そんな希望の光が私の目の前に現れたと思うとね。
●
病院を後にした俺はとりあえず家に帰ることにした。愛梨ちゃんの両親に合うにはまず服を着替えなければならない。合う時に病院の入院服では失礼であるからだ、入院服については時峰先生から渡されたメモに後で返してくれればいいと書いてあった。
辺りに意識を向けると俺が知っている光景とはかなり違っていた。眠っている三ヶ月の間世の中はかなり変わってしまったようだ。
まず通りに座って物乞いをしている人が沢山いる。ホームレスだろうか?四十人、いや五十人ほど確認できる。日本には昔から少数ホームレスはいるのだが、この通りだけでこんなにいるのはありえない事だ。
壁には手書きの貼り紙が貼ってある。内容は一言「子供、女性一人の外出は危険!!」と書いてある。それが何枚も貼ってあった。
他にも響く怒号、反政府デモの行列、子供の泣き声、当たり前のように起こるひったくり等の犯罪。
「なんだよこれ…?」
ありえない、この言葉が相応しい。確かに日本は政府のド下手な政策により国民の暮らしは困窮化し、移民等を多く受け入れ治安が悪化の一途を辿っていた。だがそれでも日本国民は暮らしを維持する為に節約や自警団の設立等ををして必死にしがみついていた。三ヶ月、たったの三ヶ月でここまで変わるか?俺は日本じゃないどこか別の場所にいるのだろうか?日本はもっと平和な国ではなかったのか?こんなに淀んだ空気が漂っていたか?夢であってほしい。そう自分に言い聞かせているうちにいつの間にか俺の住んでいるアパートに着いていた。
やっと一息つけると思った瞬間、一人の老人が話しかけてきた。
「やっと帰って来たかい、病院から連絡あったよ。早く退院したくて我儘言ったんだって?」
この帰って早々説教じみた声で話しかけてくる低身長の人は天鬼 トメさん、このアパートの大家さんだ。年齢は八十歳を超えているようだが、腰は曲がっておらず軽やかに歩いている姿はとても八十歳とは思えない。
「え?我儘?」
「そう病院から連絡があった」
たぶんだが、時峰先生が合わせてくれたのだろう。
「まったく、もう二十歳になのに子供の様に駄々こねよって情けないのぉ!」
他のアパート住人からはこんな感じにお節介掛けてくる為、「トメお母さん」と呼ばれている。
「だが…」
トメさんが優しく俺の手を両手で包む。その表情は厳しい顔ではなく優しい母親の様な顔だった。
「よう帰って来たの。生きてて偉いぞ」
「はい…心配掛けてすみませんでした…」
厳しさの中に優しさがある住人から愛されている理由はこういうところだろう。
「トメさん、俺すぐに行かなきゃ行けないんです。だから鍵を貰えますか?事故の時に無くしてしまったようなので」
「ほれ、そう思って部屋の鍵を新調してあげた。無くした鍵で泥棒でも入られたら大変じゃしの」
トメさんから鍵を受け取る、確かに鍵の形が若干変わっていた。細かいところまで良く見てくれる人だ。とにかく急ぎたい俺はトメさんに感謝を伝え、アパートの自分の部屋に入る。
部屋の中は三ヶ月前と何も変わらない、家具や床には少しだけ埃が被っておりあれ以来誰も入っていないことを証明してくれた。衣装棚からいつもの黒色をイメージした服を取り出し、それに身を包む。とりあえずはこれでいいだろう。部屋を出る前に俺はいつもの日課である両親への挨拶をすることにした。
「帰って来て早々ごめん、また行ってきます」
返事は無い、当然である。俺の両親はすでに亡くなり、仏壇の前で挨拶をしているのだから。それでも返事は帰って来ているように感じる。いつまでも二人は見守ってくれている。俺はそう感じる。
●
思っていたより愛梨ちゃんの家は近くにあった。いや近いと言うより近所、アパートの隣である。
「今の今まで気づかなかった…」
アパートで暮らして5年以上は経っていたと思うが、一度もここの人とは関わりは無かった。奇跡的にお互いのスケジュールが噛み合っていなかったみたいだ。
愛梨ちゃんの家は一戸建てであり、家の外見を見ると以外と裕福そうだ。しかしあまりにも人が住んでいる気配は無かった。花壇の花は枯れ、敷地内の小道は草が俺の膝の高さまで成長している。
居るかは分からないがとりあえずインターホンを鳴らそうとしたら、いきなり玄関ドアが開いた。
「お?誰だ兄ちゃん?」
出てきたのは無精髭を生やした中年の男だった。時代遅れのベージュ色のロングコートを着ており、険しい顔をしている。雰囲気を見るに愛梨ちゃんの家族ではなさそうだ。
「いえ、俺はここの人に用事があるだけですよ」
「ほー見た感じ学生みたいだが、今は止めておいた方がいいかもな」
男は慣れた手付きでタバコを吸い始めた。タバコを取り出す→火を点ける→一服する、工程全てが俺の顔から目を離さなかった。仕草の一つ一つに観察が組み込まれている。この人はおそらく警察官だろう。制服を着ていないことを見るに刑事辺りの人物だと推測できる。
「思い出したぞ、お前は河口さんの娘さんを庇った兄ちゃんか?名前は不死原 恭也君だったか?」
どうやら俺の事も調べていたらしい。
「はい、不死原です。あなたは警察の方でしょうか?」
自分の事を調べられるのは変な感じではあるがこの際はしょうがないだろう。自己紹介も兼ねて男の事を聞いてみる事にする。
「おう、挨拶が遅れたな」
男は警察手帳を俺に見せる。
「平塚 大吾だ。これでも刑事をやってる。河口さんには心配だから会っているだけだ、かなり危なっかしいからな」
「危なっかしい?それはどういう事ですか?」
平塚 大吾と名乗った男は少し言う事を躊躇った様だが詳細を教えてくれた。
「河口 美紀さん被害者の母親だがな、精神的にかなり参ってる。食事もあまりとってないみたいでな、免許証等の顔写真とは別人レベルで酷い。娘さんを亡くし、更には先月に旦那さんも亡くなった。そりゃ追い詰められるだろうよ」
は?旦那さんが?
「ちょ、ちょっと待ってください。旦那さんが亡くなったってどういう事ですか?」
何やら良くない事が立て続けに起こりすぎている。何故旦那さんまでもが亡くならければならない?
平塚刑事は頭をぽりぽりと掻き言いづらそうに口を開く。
「この近くの河川敷にな旦那、河口 拓真さんの遺体が上がったんだ。かなり酷い有り様だった、まるでリンチにでもあったかの様に全身に打撲痕があってな、かなり痛めつけられたと見える」
そんな事、俺は知らないぞ?時峰先生もこの事については知らなさそうではあった。
「知らなくて当然だ、なんてったって公表されてないからな」
辺りにガシャンッと音が響く。俺は憤怒のあまり平塚刑事の胸ぐらを両手で掴み玄関ドアに叩きつけていたからだ。
「おいおい、冷静になれ俺でなかったら公務執行妨害で逮捕してたぞ」
「ふざけるなっ、人が死んでんだぞ?その事実を公表しないだと?お前等は何の為に税金を食っている!」
自然と締める力が強くなっていく、平塚刑事は抵抗はしなかった。まるで俺に暴力を振るわれるのが当然であるかの様に。
「俺だってな、納得はいかねえよ!たから、こうして、奥さんに謝りに、来てんだろうが!」
謝りに?
パッと両手に力が無くなる。解放された平塚刑事は咳き込み呼吸を整えていた。この人は被害者遺族に謝りに来ていたのか?事件を公表しない事は無かった事にするも同然。なのにこの人は起こった事実を被害者遺族に伝え謝っていたと言うのだ。
「ようやく正気になったか、とりあえず俺は帰るぞ。それとな、奥さんからの伝言だ、娘を庇った人に会いたいだそうだ。気が済むまで話し相手になってやれ」
平塚刑事はそう言って去っていく。俺はあの人の気持ちを考えずに暴力を振ってしまった。次に会う時は謝って許してもらおうと心に決めた。
とりあえずインターホンを押そうっと思ったら、ドアがゆっくりと少しだけ開き隙間から弱々しい女性が顔を覗かせる。
「あ、あの…騒がしかったのですが何か用事でも?」
小さな声で声を掛けてきたこの人こそがきっと愛梨ちゃんの母親の河口 美紀さんだろう。
「お騒がせしてすみません、三ヶ月前に貴女の娘さんを庇った不死原 恭也と申します。一度、お話しをさせてはいただけませんでしょうか?」
美紀さんは驚いた様に目を見開きドアが勢い良く開く。平塚刑事から俺に会いたいと聞いていたがここまでとは思わなかった。平塚刑事から教えてられていたが、かなり瘦せている。髪はボサボサで目元には隈ができている、睡眠も碌に取っていないようだ。
「不死原さん?…お待ちしておりました。どうぞ、中へ」
何も疑われず家の中に案内された。玄関からリビングへと移動し、俺はダイニングテーブルに備えられた椅子に座らされた。道中には家族写真が飾られ、美紀さんと一人の男性、二人の真ん中にはあいりちゃんが満面の笑みを浮かべて写っていた。家の中は掃除がされていないのか隅には埃が、捨てられていないゴミの入ったゴミ袋がいくつか確認できた。精神的なショックで生活がうまくいってない様子だ。
「ちょうどお茶を淹れたところなんです」
トクトクと湯呑みに紅茶が注がれていく。静かなリビングに紅茶の香りが漂う中、俺は早速本題を喋ろうとする。
「あの…」
「『娘さんを守れなくてすみませんでした』っと言うつもりですか?」
言葉を遮られたがまさしくその通りだ。
「謝らないでください、不死原さんは何も悪くありません。むしろ私達夫婦は感謝をしているのです。おそらく愛梨も…」
この人は何を?
「すごい事件だったと聞いています。誰もが立ち竦んでいる中、不死原さんだけが命懸けで愛梨を助けようとしたと」
やめろ…
「誰もができる事ではありません。愛梨も最期は不死原さんの事をヒーローに見えたかもしれません」
やめてくれ…俺は…
「ですから夫と愛梨の気持ちの分を含めて言わせてください」
俺は…
「ありがとうございました」
一言、たった一言が俺の心を刺激する。溜まりに溜まった物が溢れたのか目からは涙が零れる。
「俺は、助けられなかった、救えなかった…本来なら、貴女は俺を恨んでもいいはずだ…それなのに、何故…」
涙が止まらない。俺はこの人から石も投げられる覚悟でここに来た。だがあろう事か彼女は娘さんを守れなかった俺に感謝を伝えたのだ、彼女も辛かったはずだ、誰かに気持ちをぶつけたかったはずだ。
美紀さんは俺に近づきそっと自分の胸に寄せる。
「娘を庇った人をどうやって責める事ができるのですか?不死原さんは正しい事をしたのですよ?夫も私と同じ意見です。私達は不死原さんを誇りに思っています。なので、どうか自分を責めないでください、今も、これからも…」
「う、あ…」
そこから先は泣いた、ただひたすらに、男として恥ずかしい程泣いた。
美紀さんは泣いている俺の頭をゆっくりと撫でていてくれた。撫でられるごとに徐々に俺の心は落ち着きを取り戻していった。
「大分落ち着きましたか?」
「はい、すみません取り乱してしまって」
まだ若干鼻声ではあるが会話出来ないほどではない。
「先ほど刑事さんから、先月に夫が亡くなっていたと聞きました」
美紀さんは落ち着いた俺を見て次の話題へと進む。
「夫の身に何か起こる事は実は分かっていたのです。夫も覚悟の上で行動をしたのです」
覚悟の上で?拓真さんはいったい何をしたのだと言うのだ?俺の不思議そうにしている反応を見て美紀さんは詳細を話し始める。
「愛梨が亡くなった後、加害者の方は不起訴となりました。もちろん親として納得はいきません。夫と検察庁を訴えに行きましたが、決まった事だからと取り合ってくれませんでした。マスコミにも伝えましたが、いくら待っても報道はされずただ時間だけが過ぎて行きました。一月経った時には夫婦でもう不起訴の事はどうでも良くなっていました。けれどせめて加害者の方には愛梨のお墓の前で誤ってほしい、それだけでいいと思っていました。でも相手は外国人、それも飲酒運転という誰が見てもいけない事をした人。もしかしたら、ただでは済まないかもしれないと予期していました。最悪、殺される事も…」
二人は法で加害者が裁かれる事は諦めたが、せめて娘の前では誤って欲しい。それだけを望んでいたのだ。だが気になる事がある。
「拓真さん、いや、お二人は加害者の行方を知っているのですか?」
拓真さんは殺されている、そして美紀さんの話してくれた流れから二人は加害者の行方を知り、加害者の元へ行った拓真さんは無残にも殺されてしまった、と想定できる。
俺の問いに美紀さんは首を縦に振る。
「はい、ありとあらゆる手を尽くし加害者の名前と住所、日常の行動を調べ上げました」
美紀さんは立ち上がり、棚の引き出しから一封に封筒を取り出して俺に手渡す。
「これは?」
「私達夫婦が調べた加害者の情報です。私にはもう必要の無い物なので、もしよろしければ不死原さんに差し上げます。これをどうするかはそちらの判断にお任せします」
受け取らない選択は無かった。二人の思いが詰まったであろうこの封筒を俺はゆっくりと手に取る。
「もう暗くなります。本日はこれきりにしましょう」
美紀さんがそう言うと俺は窓の外を眺める。気付けばもう辺りは暗くなり始めていた。そろそろここいらで帰るべきだろう。だが、最後にやることがある。
「そうですね、では最後にお線香だけでも」
「いいですよ、きっと愛梨も喜びます」
美紀さんに案内され、仏壇の前へと座る。満面の笑みを浮かべた愛梨ちゃんがこちらを見ている、この顔を見ているとまた泣きそうになるがグッと堪える。
線香の香りが辺りに漂い俺は両手を合わせる、美紀さんは少し距離を取ったところで正座をして待っていた。その顔は少し安心したような顔だった。
守ってやれなくてごめん。
その一言を愛梨ちゃんに伝えた俺は美紀さんに一礼をした。美紀さんからは何度も感謝の言葉を伝えられた俺は少し恥ずかしながら美紀さんの家を後にする。まだ美紀さんは立ち直る事は出来ないだろう、今後は何度でも家にお邪魔をし、話しをして少しでも美紀さんの気持ちが楽になれたらと思いながらアパートに帰ることにした。
●
見たこともない場所におれはただ一人立っていた。足元には浅く水が張られており、天気は快晴、半壊した古代の遺跡の様な物が点々としている。その様な景色が地平線へと続いていた。謎な空間ではあるが心地の良いそよ風が俺の髪を揺らす。
「ここは、どこだ?」
夢であると信じたい、だがあまりにも感覚が現実に近い、むしろ現実そのものだ。意識もはっきりしているし、なによりつねった頬が痛みを感じる。
「夢じゃないよ、現実でもない。ここは私が造った空想世界」
聞いた事のある声が後ろから聞こえ、俺は即座に振り向く。
そこには俺と歳が近そうな少女がいた。肩の長さまである漆黒の髪を揺らし、彼女が着ている黒いワンピースの裾も風に揺られている。左右の側頭部には人には決して無い角の様な突起物が二本ある。
ー悪魔ー
いや鬼だろうか?怪し気に微笑む彼女を見て、もしかしたらこのままどこかに連れて行かれるのではないかと思う。
「あー、そんなに警戒しなくていいよ。別に何かしようとしないし、というかもう既にしたというか…」
見た目は明らかに魑魅魍魎の類ではあるのだが、意外に申し訳なさそうに語り掛けてくる。
え?既にした?
「えっと…俺に何かしたのか?」
とりあえず聞いてみる事にする。
「もう死にそうだったから、少し私の力をあなたの中に宿しただけ。気にはならなかった?盛大に轢かれたのに僅か三ヶ月で、しかもリハビリも無しで何不自由無く歩けている事に」
確かに、薄っすらと覚えているが、轢かれた時に俺は全身に味わった事のない激痛が走っていた。時峰先生の反応を見るに俺がどれだけヤバい状態だったかが分かる。
「君が、俺を治したのか?」
「リアス」
「は?」
「だから私の名前、リアスよ」
リアスと名乗った少女は俺に近付く。というより近い、密着するレベルで近付いてきた。瞬間俺は少し後ろへと後退るがそれでも近付いて来る。俺の顔をじーっと見つめたリアスは「うん」と何かに納得したようだ。
「やっぱり私の見立てに間違いは無かったみたいね」
パチンッとリアスは指を鳴らす。すると何も無いところから若干お洒落な机と椅子が出てきた。
リアスは当然の様に椅子にかける。
「立ち話しも何だし、座って話しをしましょ」
かなり怪しいが助けてもらった事に変わりない。それに機嫌を損ねれば何かしらの術で殺されかねない。俺は言われた通りに出された椅子に座る。
「じゃあ、改めてこんにちは、不死原 恭也君。私はリアス、地獄の使者を務めてるわ」
「地獄?地獄って現世で罪を犯した罪人が行くあの地獄なのか?」
地獄というワードに若干恐怖を感じる、それはそうだろう日本人であれば地獄と言う場所は恐怖の象鳥でもある、罪を犯したら地獄の閻魔に罰を下されると言われるくらいだ。その地獄の使者であると言うリアスはもしかしたら俺を地獄に導く死神ではないかと思えてきた。
「ちなみにあなたを地獄に堕としに来た死神とかじゃあないからね」
俺の考えている事に見事に的中。
「じゃあ、リアス…さんは何をしに来たんだ?」
「リアスでいいわ、私は閻魔様から重要な事を命じられて此処にいるの」
重要な事、それこそ俺を地獄に連れていく事なのではと思う。俺は何かしたか?記憶を遡るが罪を犯した憶えは無い。
「最近、罪を犯した魂が地獄に来てないの」
リアスは真剣な表情で話す。
「魂が?」
「えぇ、魂というのは生物の肉体に入っている言わば生物の本体。生物が死ねばその肉体から魂が抜け、魂は地獄へと訪れる」
「ちょっと待て、地獄へ訪れるって罪を犯してない魂も地獄に行くのか?」
コクンっとリアスは首を縦に振る。
「死んだ者は必ず地獄に来る。そこで罪の清算を行い、清算が済んだ魂から天国に行って新たな生、つまり転生を行う事ができるのよ」
今まで罪を犯したら地獄、犯してないなら天国という認識だったが、リアスが本当に地獄の使者ならばリアスの言っている事が正しいのだろう。納得した俺を見たリアスが話しを続ける。
「地獄からは現世の様子を見る事がてきるの。でも最近、罪を犯した人間が裁かれずに野放しにされてる。魂は罪を犯せばその分穢れる、でも現世で公平な裁きを受ければ穢れは若干祓われる。改心して善行を重ねれば更に穢れは祓われる。魂はそういうもの」
魂の穢れ、それを祓う為に裁きがある。だが穢れを祓わなければならない理由が気になる。放置したらどうなるのか、試しにリアスに聞いてみる事にした。
「穢れを祓わなかったらどうなる?」
「…あまりいいものではないわ、穢れは単体だとそんなに脅威じゃないのだけど、沢山集まると災いを発生させる。地震や台風などの自然災害、知恵のある生物の暴走、穢れの無い者への不幸、他にも沢山あるけどとにかく良くない事が起きる事は間違い無いわ」
大体話しが読めてきた。現世で罪を犯した者が裁かれずに放置されてる為穢れた魂が増えている事、さすがに地獄は傍観している訳にもいかない為使者としてリアスを送った、という感じだろう。
「つまり地獄は災いを起こさせない為にリアスを送ったんだな?」
「私だけじゃないけどね、他にも何人か来る予定よ」
リアス以外にも来るのか、何か地獄VS人間みたいな感じがする。
「それで?使者と言って何もしないで帰る訳じゃ無いんだろ?」
「当然、ここからが本題よ」
パチンッとまたリアスが指を鳴らす。今度は目の前にカップ二個が現れた。カップの中には香りの良いお茶が既に注がれていた。
「真剣な話しになるから喉を濡らさないとね」
リアスは静かにお茶を飲む。丁寧な仕草な為良いところのお嬢様ではないかと疑問に思うが…俺も用意されたお茶を飲む。少し渋いがさっぱりとした味わい、嗅いだ事の無い香りは心を落ち着かせる様な良い香りだ。正直言って美味い。今まで様々なお茶を飲んできたがここまで美味しいお茶を飲んだのは初めてだ。
「美味いな、何の茶葉なんだ?」
と言って俺は再度カップに口を付ける。
「彼岸花」
ブーッ!と俺は盛大に吹き出す。彼岸花は毒性が強い毒草だ。見る分には良いが絶対に食してはならない。
「毒草だろっ」
「地獄が特別に栽培してる彼岸花よ、おかげで毒性は無くなって独自の香りも風味も現れたわ」
確かに舌が痺れる様な感覚等は無い。腹痛等が現れた訳でも無い。というより生きている。どうやら本当らしい。
「さて、じゃあ話しましょうか?不死原 恭也、あなたには人間を辞めてもらいたい」
「悪いな、石で出来た仮面は今ここに無いんだ」
「「……」」
衝撃的な発言だ、人間を辞めるという言葉に咄嗟に反応してしまった。我ながら良い返しと思ったが、気不味い空気が流れてしまった…。某悪役がここにいたら時を止めて俺とリアスを殴っているかもしれない。
「…吸血鬼になれとは言ってないわ、時を止めろとも言ってない」
やめろ、傷を抉るな…。
「ごめん、ふざけた…じゃあどうしろと言うんだ?」
とにかく話題を元に戻す。これ以上傷を抉られたら黒歴史になりそうだ。
「あなたはまず、私と契約をしてもらう」
なるほど、リアスの元の姿は小さい獣みたいな姿かもな。
パチンッと音が鳴ったと同時に、ゴンッと鈍い音が鳴る。頭に衝撃が来たと思ったら激痛が走る。
「いっっってええええぇぇぇ!!」
反射的に頭を動かしたら岩がゴロッと転がる。
おいっ!これ数キロはありそうだか!?
「何か変な事を考えていた気がするから岩を落とさせてもらったわ」
心の中が読めるのかこいつは?
「ここからは真面目に説明するから、あなたも真面目に聞きなさい」
「はい…」
変な考えを起こさない方が良い、岩が落とせるのなら槍だって降らせる事も可能かもしれないからだ。
「あなたには私と契約して執行人になってもらう」
真剣な顔でリアスは言う。執行人?
「そもそもなんで俺がそんな重要そうな役割りをしなければならないんだ?」
ここまでの話しを聞く限り、地獄の使者であるリアス達自らが行動を起こせば良いと思うが、人間である俺にここまで説明するなら何かしらの問題がありそうだ。
「罪を犯して何も裁きが無いなんておかしな話しじゃない?」
リアスは語り出す。
「地獄に来る前に裁かれた方が公平でしょ?」
更には怪し気な笑みを浮かべる。この顔と考え方を聞くにやっぱり地獄の住人なんだなと再確認する。
「じゃあリアスがやればいいんじゃないか?」
俺は疑問を投げかける。リアスがそういった考えを持っているならば、リアス自身でやるのが一番手っ取り早いと思う。
「私達だと力が強過ぎて人間だとすぐに死んじゃうから無理なの。できるのは罪人を地獄に送る事ぐらいよ。でも執行人なら話しは別、執行人は魂と肉体を繋ぎ止める力があるの」
「えーと、つまり?」
「執行人であればどんなに人間を攻撃しても人間は死なないという事、心臓を貫こうが頭を潰そうが八つ裂きにしようとも生きてる。死にたくても死ねないという絶望の中、私達使者が地獄に送らない限り永遠に生き地獄を味わう」
かなりえげつない話しである。リアスは俺にサイコパスじみた事をさせるつもりなのだろうか?
「つまり俺が執行人?になって罪人を生きながらに裁かせるって事か?」
「そういう事、あなたには才能がある。きっと上手くいくと信じてー」
「断る」
「は?…ちょっ、ここまで話しを聞いておいて断るつもり!?」
前のめりになるリアスは驚いた様に声を上げる。
「当然だろ、俺は人を惨殺する様な趣味は持っていない」
リアスは感情を表に出したが直ぐに落ち着いた。
「まぁいいわ、考える時間も必要だとお義父さまも言ってたし」
リアスは再び指を鳴らす。すると急に眠気が襲う、まるで三日間徹夜した次の日の夜の状態みたいだ。
「お、お前…なにを…」
襲い来る睡魔に抵抗しつつ声を出すが、抗えない。
「覚えていて、答えが出たら私を呼んで」
リアスの声を最後に俺は眠りに落ちた。
●
鳴り響くサイレンの音、観衆のざわめき、その中に交じる怒声、正直言って気持ちの良い朝ではない。スマホで時間を確認するがまだ朝の6時だ。
まだ眠いが俺は、昨日の夢?について考える。夢なのに正確に覚えている事が気になってしょうがない。地獄から来たリアスという少女、穢れた魂、執行人、全て覚えている。最後に答えが出たら私を呼べと言われたが、おそらく呼ぶ事は無いだろう。
とりあえず眠い為、二度寝をする。今日はたまたま日曜日だ昼には起きる、絶対に。
「こんのっ!ふざけるなあああぁぁぁぁっっっ!!」
聞いた事のある超怒声、トメさんの声だ。俺は昔この声量で説教された事がある為、反射的に飛び起きる。何事かとドアを勢い良く開ける。声が聞こえた場所はおそらくアパートの正門だろう。トメさんは理由も無く怒鳴る人ではない、説教はするが普段はとても優しく面倒見の良い人だ、そんな人がここまでの声量で怒る事は稀だ。他の部屋のドアからはトメさんの怒声に反応した住人がちらほらと顔を覗かせていた。正門に行く事で何があったか分かるだろう、俺は急いで正門へと向かう。
正門へと向かう俺だったが、向かう途中にある部屋のドアが開き、中から薄着の女性が現れる、急停止をするが、間に合わず顔が柔らかい物に包まれる。
「むぐっ!?」
「あら?こらこら、ダメだぞ?いくら若いからってそうやって性欲をむき出したら、お姉さんが食べちゃうぞー」
ムニムニと更に柔らかい物が圧縮してくる。更に更に両腕で俺の頭をホールドしてきた。この人は俺を窒息させたいのだろうか?意外と力が強かったが、俺は何とか引き剥がす。
「恭くん?トメお母さんの声が聞こえたけど、何か知らない?」
この巨乳美人さんは夏目 深雪さん。このアパートに住む有名小説家でその外面でよく男性にモテるらしいが、俺はこの人をそんな目で見る事ができない。なぜならこの人はいつも俺をからかってくるし、掃除をそんなにしないから定期的に俺とトメさんで深雪さんの部屋を掃除する。その際に下着が出てくる事がよくあるし、その度にからかってくる。とにかくからかってくる。最初は何度かドキッとしたが、からかわれる頻度が多くなり次第にそんな感情が無くなってきたのだ。
というよりタンクトップ一枚で外に出るな!
「今から確認してくるところですよ、それじゃ」
俺は直ぐに会話を切り上げ、正門に向かう。会話を切り上げだ直後に深雪さんは小さく溜め息した後、「もっと胸に顔埋めていいのに…」っと言っていたがあえて無視した。
正門に到着した俺は妙な光景を目にする。片手に箒を持って正門の外に向かって仁王立ちをしているトメさん、その姿はまるで門番。ここを通りたくば私を倒して行けっと言っているかのようだ。
対しトメさんと向かい合っているのは無精髭を生やしベージュ色のコートを着ている男性だった。
「平塚刑事…?」
見たことのある姿につい声を出してしまった。
「あ、不死原君、君に用があるんだか、頼む!話をさせてくれ!」
男性の正体は平塚 大吾、昨日河口家の前で会った筋の通った刑事さんだ。
やけに慌てている。どうやら俺に用事があるみたいだが、トメさんに行く手を阻まれているらしい。
「なんじゃ?恭也の知り合いか?」
振り返りこちらを見るトメさんはかなり不機嫌そうだ。
「はい、昨日少しだけお話をしました。信用できる人ですから、そんなに警戒しなくてもいいですよ」
平塚刑事に対して厳しい目線を送るトメさんを俺は落ち着かせる。
「今の時代、警察なんか信用できるかい。しかもこいつはお前さんを出せと言ってきた、適当な理由を付けて逮捕をするに決まっておるわ」
「俺はそんな事をしませんよ、例え有権者であろうと犯罪を犯したら逮捕するのが俺です」
「ならこんなご時世になっとらんわ!」
トメさんは持っている箒の柄を平塚刑事に向ける。もっともな意見だ。2020年辺りから日本はおかしな事になっている。手当たり次第に増税をし、昔は消費税が10%だったのに対し今は50%だ。一般人に対して給料が増えない為景気が良くなるはずが無く、困窮の一途を辿っている。政治家は増税すればいつか景気が良くなると信じ切っている様だが、景気が良くなっているのは自分達の財布であり、国ではない。因みに外国人は普通は支払うはずの税金は全て国負担というなんとも意味不明な政策をしている。その為日本人国民からは毎日のように批判殺到だ。批判する国民を減らす為か分からないが警察の日本人国民の不当逮捕が目立つようになった。警察が賄賂や無実の人間に暴力を振るようになったのも、外国人を逮捕しないのも政治家の指示が原因とも言われている。
『果樹園の果樹は少しずつ実を実らせる、その果実を栽培し収穫する者は栽培を放棄し収穫のみに力を入れるようになった。栽培をしなければ果樹は実らす実が少なくなり続け中には枯れる果樹も現れる。栽培をしなければ果樹園は破産する』
とある人物が言った言葉だ、この言葉をきっかけにデモや反政府活動が激増した。一部は有権者のみを狙ったテロ活動も頻発している。おかしな世の中になったものだ、今まで日本の為に尽力してきた過去の人達は号泣しているか、大激怒しているだろう。
トメさんは今の80代にしては珍しく、ネットにも精通している。その為様々な場所から情報収集ができている。その結果この様に行動しているのだろう。
「トメさん、本当に大丈夫だから、この人は他の警察官とは違うから」
トメさんは俺と平塚刑事を交互に見る。俺の説得が通じたのかゆっくりと箒を下げる。
「そこまで言うなら仕方ないの、平塚と言ったか?恭也だけじゃなくこのアパートに住んどる住人を一人でも不当逮捕してみろ、ただじゃおかんからの!」
そう言い残しスタスタと自分の部屋にトメさんは帰って行く。すれ違いざまに「何かあったら遠慮なく相談せい」と小声で言ってきてくれた。
平塚刑事は急ぎな感じで話し出す。
「不死原君、一般人に話すのは駄目なんだが当事者である君には話しておきたい」
いったい何事だろう?平塚刑事の状態から見て只事ではない事が分かる。平塚刑事は俺の隣で小声で話す。
「今朝の5時に河口 美紀さんの遺体が自宅で見つかった」
え…
「彼女の親友が連絡しても返事が無かったから早朝に様子を見に行ったらしい。玄関には鍵がかかっていたから合鍵で入ったみたいだ。そしたら美紀さんは仏壇の前で亡くなっているのを発見された。包丁で自らの腹を刺していたらしい、それも何度もな。死因は出血多量のショック死、遺体の近くには遺書が残されていた。他者の侵入形跡も荒らされた痕も無かった。自殺、で間違いないだろうな」
どういう事だ?何で、自殺なんか…
「遺書には旦那さんと娘さんが亡くなって人生が辛くなったっと書かれていた。厳しい事を言うが、現実を受け入れるしかない」
「……」
何も言えない、声が出ない
「…また来る、その時はゆっくりと話そう」
平塚刑事は立ち去る。あまりにも衝撃的な事実に俺はおぼつかない足取りで自分の部屋へと戻った。
自分の部屋に入り、靴は適当に脱ぎ捨て、中へと進む。壁に寄りかかりそのまま座り込む。そのまま机に目線が行く。机の上には美紀さんに託された加害者の情報が入った封筒があった。『私にはもう必要の無い物なので』そう言って渡された事を思い出す。
「まさか、最初から自殺する気だった?」
ーーピンポーンーー
部屋のチャイムが鳴る、トメさんだろうか?誰であろうと今は会いたくない、会ったとしても上手く対応は出来ないと思う。
ーーピンポーンーー
また鳴る。それでも俺は出たくない。
ーーガチャーー
勝手に扉が開く。三人分の足音が聞こえる、一人は確実にトメさんだろう。大家であるあの人はこのアパートの全ての部屋の合鍵を持っている為容易に入ってこれるからだ。
「邪魔するぞ」
トメさんが現れる。後ろから深雪さんも現れ、心配そうな顔で俺の近くに寄る。いつものように抱き着きはせずに俺の隣に座る。流石に深雪さんはズボンを履いてきたようだ。
「何か辛い事があった?」
優しい声で深雪さんは俺に聞く。その声は俺の心を優しく撫で、俺の涙腺は刺激される。
「すみません、今は一人にさせてもらってもいいですか?」
俺は最低だな、二人は心配してここにいるってのに。
トメさんと深雪さんは察したらしく部屋を出ようとする。「用件が済んだら鍵は儂に」っとトメさんの声が聞こえ、その後に所々ほつれてはいるがしっかりとしたスーツに身を包んだ男性が現れる。手には大きなアタッシュケースを持っている。
「不死原 恭也さんですね?」
スーツの男性が俺に声を掛ける。
「…はい」
俺は無気力に返事をする。無気力な俺に対して男性は問答無用で話しをする。
「私は河口夫妻に雇われていた弁護士の森本でございます」
ハッとする俺に森本さんはまず自らのスマホを操作し、俺の前に置く。
「河口 美紀様が自ら御命を絶つ前に私めに送られた音声データでございます。データと共に不死原様とご一緒に聴いてほしいとメールが届いておりました」
森本さんはスマホの音声データを再生する。
『…この音声を聴いていただいているという事は私は既に自殺をしているでしょう。娘が亡くなり、主人も亡くなってはもう生きていく自信がありません。しかし今日、嬉しい出来事がありました。あの時、娘を庇ってくれた方が目覚め、私の元に訪ねて来たのです。彼は何度も謝っていましたが、私も亡くなった主人も彼を恨んでいません。ただ、娘を庇った、生きていてくれただけで、私は嬉しいのです。真に恨むべきは子供を轢き殺されたのに何事も無かったかの様に対応するこの世の中ーー。…いつからでしょうか?日本がこんなにも残酷で、権力を持っている人だけが笑う時代になったのは?もしかしたら遥か昔から?
いけませんね、つい熱が入ってしまいました。もし、娘が生きている時まで時間が戻せるのなら、あの時に仕事を優先せずに下校中の娘を迎えに行くべきだった…、そう思っているのです。だから、私は苦しんで死ななければいけません。全ては私の不注意が招いた事、あの事件が無かったら主人も亡くならなかった…。
私達の為に尽力してくださった方々、本当に申し訳ありませんでした。さようなら…』
………静寂が訪れる。
森本さんは目元を押さえ、ハンカチで流れ出た涙を拭いた後、アタッシュケースを俺の前へ出し、言葉を絞り出す。
「こちらは美紀様と拓真様の気持ちです。お二人は生前、貯金のほとんどを現金化し、娘様を庇った不死原様に渡すようにと仰せつかりました」
森本さんはケースを開ける、中には今まで見たことが無いくらいの現金が入っていた。
「…こんなもの…」
「受け取って下さい、お二人の、気持ちです…」
森本さんは目に涙を浮かべながらケースを前に出す、お金は正直言っていらない。お金は様々なトラブルの引き金になりかねないからだ、それが大金なら尚更だ。だが河口夫妻と森本さんの気持ちに応える為、俺はこの大金を受け取る事にする。
「ありがとうございます。では、私はこれで失礼します。音声データがもし欲しいならばケースの中に私の名刺が入っています。そこに書いてある住所に私の事務所がありますのでそちらの方まで、データの件でなくても相談に乗ります。では…」
森本さんが部屋を出て行く、まだこの御時世にあんな他人の為に尽力してくれる人がいるとは思わなかった。
俺は虚空を見つめる。
なぜ、三人は死ななければならない?
なぜ、罪を犯した人が裁きを受けない?
なぜ、警察は、国は動かない?
疑問が脳内を駆け巡る、そんな時に出てきた名前が思い浮かぶ。
「リアス…」
その名前を呼んだ瞬間、部屋の中央より黒い扉が床から生えてくる様に現れる。
ギギギィっと不気味な軋む音を立てながら開き、奥の空間から人影がこちらに歩いて来る。
「もっと待つ羽目になると思ってた」
そう言いながらリアスが姿を現す。手にはテディベアを持ち、ピンクのボーダー柄のパジャマを着ていた。
「昼寝の予定だったか?」
「どこかのおバカさんが何時呼んでくれるか待ってたのよ、徹夜してね」
リアスは若干不機嫌そうだ、徹夜しても待っていたなら俺が悪いという事になるのだろうか?
パチンッと聞き覚えのある音がした途端、リアスはパジャマから夢で会った服装に着替えていた。
「で?考え直してくれたの?」
答えは決まっている。
「やってやるよ執行人、どうすればいいんだ?」
リアスは俺の近くに寄る。
「まぁ落ち着いて、やり方は簡単。私の血をただひたすら飲み続けるだけ、他にも工程があるけどそれは私がやるから貴方は飲み続けなさい」
それだけ?体の一部を提供したり魂を売ったりするのかと思ってたが違うらしい。
リアスは自分の手を勢い良く握る。元々リアスの爪はある程度の長さがあり、尖っていた。その手を握った瞬間、拳の隙間から血が溢れ出て来た。
「こんなものかしら?」
こんな事をしたら激痛だと思うが、リアスは涼しい顔をしながら拳を開く。掌から抜かれた爪は真っ赤に染まり、栓の抜けた傷からは血が流れ出る。
「さあ、飲みなさい」
俺は一切の躊躇も無く、リアスの掌に口を付ける。
「我が名はリアス、閻魔大王の義理の娘、文明の破壊者、我は望む、この者、不死原 恭也を、我の第一の執行人として、この場で契約をする」
リアスが詠唱の様なものを喋りだした途端、辺りが怪しい光が発光し、体の奥からやけに熱くなってくる。体の奥から表面へ、両手足も熱くなる。体中の血液もまるで沸騰しているかの様だ。だが耐えられない程ではない、正直に言うと心地良いぐらいだ。終わりが近いみたいで徐々に光は消えていった。
「終わったわよ」
「……」
俺の記憶が正しければ血は鉄の味だったと思うがリアスが特別だからだろう、違っていた。最初はドロッとした不快な感じがあったが次第にまるでかなり薄めの砂糖水を飲んでる様に感じる。ほのかに甘い、不快感も無い、ずっと飲んでいたいと思った。
「…何時まで飲んでるのよっ、この変態っ!」
ドゴッとリアスが俺の腹に蹴りを入れる。そんなに痛くはないが俺は血を飲むのを止め、口元の血を拭う。
「すまない、少し夢中になった」
「っ、これ以上は体に負担が掛かるから止めときなさい。それと何か体に変化が起きたはずよ、たぶん自分で分かるぐらい変化が起きてるはず」
そう言われると確かに体が妙に軽い、先程リアスに蹴られた腹も痛くない。
それに、自分に何が出来るのかが分かる。
「その様子だと、成功したみたいね」
リアスがクスッと笑う。その手からは血は出ていなかった。
「さすが悪魔だな」
リアスは俺の目線が自分の手に向いている事に気付く。
「悪魔じゃなくて使者、地獄の使者よ」
「それは悪かったな使者様」
「『様』は要らないわ、それとリアスよ不死原恭也くん♪」
「恭也でいい」
少しからかってみたが、リアスは俺が執行人になる事が嬉しかったのか怒りはしなかった。
「そ、じゃあ恭也、本題と行きましょう」
リアスは怪し気な笑みを浮かべる。もう後戻りはできない、ここからはただの人間としての不死原恭也ではなく、執行人としての人間を捨てた不死原恭也の生を歩んで行かなくてはならない。覚悟は出来ている、それが非道な行為をもしなければならないとしても…。
今回が初めての試みで、いろいろな箇所がおかしいっと思うかもしれませんが、温かい目で見守ってくれるとありがたいです。投稿頻度はマイペースに進めさせていただきます。そこのところはご理解をお願い致します。
この物語はフィクションです。登場人物、地名、組織名等は現実に一切関係ありません。