元夫視点10
懐かしい彼女の声だ、ドキドキする。
そう思ったのも束の間…
「会いません」
その言葉がやけに大きく聞こえた。
なぜだ!彼女は僕を愛しているはずだと声を大にして言いたかった。
しかし、ナミル医師の鋭い視線が僕を刺す。
奥歯をギリッと噛んで耐える。
リネージュの声は静かに…けれども僕に訴えかけていた。
彼女の傷がどれほど深いものか。
「有難う、マリア。そう…でも彼からとうとう離婚を言い渡されました。それはこの病気によって余命宣告をされた日の夜でした。」
「なんと…!!」
彼女の言葉は続く。
「いえ、彼は知りませんでした、もちろん離婚する身ですので言えませんでした。でも余命宣告をされて離婚される私は一体どこに身を置く場所があるのかと考えました…すぐに無いと気づきましたが。」
目の前が真っ白になる。
「彼の子供を産むことができず、彼に愛する人ができて、それから別々の寝室に女性物の香水、それと同じ匂いがする手紙、蔑ろにされる態度。私は死ぬ宣告をされて…私の存在価値とは何だろうかと考えました。」
彼女の言葉が刃のように突き刺さる。
「ランバート殿下…あなた様はさきほど私を強いと仰いましたね。」
「あ…ああ。」
「違うのです。」
「なんだと?」
「それは自分の感情を自分の心の奥底に生き埋めにしてるのです。葬ったのではありません。なぜなら無くならないからです。それは時々ふいに露出し、私を苦しめます。でも私はまたそれを埋めるのです。その繰り返しなのです。埋まっている間は別のことを考えられるのです。私にはこの病気の治療がそうでした。」
「なんと、痛ましい…」
「私は、夫に恵まれませんでしたが、それ以外の周囲の人間にはとても恵まれました。マリアもその一人です。病気と離婚があってそのことに気づけました。なので目を覚ました時、その現実に神に感謝します、生かしてくれてありがとうございますと。」
「ですが…私たち夫婦は子供のことがあろうとなかろうと離婚していたと思います。」
息が苦しくなる。
僕は浅い呼吸を繰り返していた。
「それ以外にも問題があったということか?」
「そうですね…今回離婚したのは子供ができないという問題でした。しかし子供が問題なのではなく、私たちは同じ方向を見ていなかったのです。」
「同じ方向?」
「そうです、この問題に夫婦で立ち向かっていくことができませんでした。私は口をつぐみ、夫は外に逃避してしまいました。ほかの問題が起こった場合も同じことが起こったでしょう。これはなるべくしてなったんだと思っております。」
「…そうか、いずれにしても君はクロス侯爵に会う気は全くないと?」
「法的な手続きはすでに済んでおります、もし会ったとしても、以前の純粋に彼を慕っていた私には戻れないでしょう。会う理由がないのです。」
「そうか…相分かった。個人的なことを訊いてすまない。」
「いいえ、吐き出せてよかったと思います。聴いてくださり有難うございました。」
カタンと席を立つ音がする。
卓の上に置いた手を力一杯握りしめる。
彼女たちの気配が去ったと感じて初めて僕は呼吸した。
「っはぁ!っはぁ!」
なんて苦しい!苦しい!
彼女の気持ちを傷つけ、居場所を奪ったのは僕だ!
知らなかったとはいえ余命宣告を受けた日に離婚を告げた。
僕はなんてことをしたのか…
もう、どうにもできないのか…
「侯爵様…」
ふと顔を上げるとそこにまだナミル医師がいた。
僕は恥ずかしさと居た堪れ無さから彼に激しい口調で責め立てた。
「彼女の気持ちを知っていたのか!? 殿下や君は!心の中で嗤っていたのだろう!!」
僕の言葉をものともせず彼は口を開いた。
「いいえ、実際レディから気持ちを聞いたのは先ほどが初めてです。しかし彼女を観察していても、過去を思い返している素振りはありませんでした。きっとその気持ちを押し込めていたのでしょう」
ナミル医師は目を伏せながら、少しだけ声を落としてつぶやいた。
「今彼女…レディ・アントレットは貴方から離れて生きることを選んでいます。身体も、心もゆっくりではありますが回復の道を歩もうとしています。
けれどそこに、貴方が会いにきてしまえば…彼女の心はたちまち崩れてしまうでしょう。」
理解している…したくはない。すでに彼女にとって自分は過去ということ、すでに交わらない道を歩んでいる事実を思い切り突きつけられた。
彼女の最初の笑顔が… 僕に抱いてくれていた愛がすでにないことに気づいてしまった…
「それでも…、会いたかった」
僕の呟きは肌寒い風にかき消された。