26話
セラは呆然とオレのほうを見つめている。
『美喜人さんと真喜人さんが、同じ人、ってこと? えっと、それは……』
「話は後だッ!」
オレは急いで二人の前へ飛び出した。
『た、タクトさん!』
「オイ、やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
「誰ッ⁉」
母親がオレの姿を見るなり、ぎっと睨みつける。
「あなた、この前の……」
「全部分かってんだよッ! てか、アンタも知っていたんだな! そこにいる美喜人が、真喜人だって!」
『え、だから美喜人さんはホストのマキトのふりをして……』
「そうじゃねぇッ!」オレは一喝して、「要するに、美喜人は解離性同一性障害――つまり、二重人格だってことだッ! 奴の中に、真喜人の人格が入っている!」
『えっ? え、えええええええええええええええッ!?』
美喜人は蹲って頭を抱え込んでいる。「あ、がが……」と悶え苦しみながら息を荒げている。
「アンタ、どういうつもりだ!? 何故こんなことを……」
母親はぐっ、と言葉を飲み込みながら身体を震わせている。
『それよりも美喜人さんを早く病院に……』
「チッ、もう遅いみたいだ」
美喜人がゆっくり立ち上がる。抱えていた頭からゆっくり手を放し、だらん、と垂れ下げながら次第に顔を挙げてこちらを見てきた。
「……誰、だ?」
――きたか。
「……久しぶりだな、真喜人」
「誰だ、てめぇは……」
知る由もないことを、敢えて皮肉交じりで言ってやった。
血走った目付き、口元を緩めて嫌らしく笑むその様。
やはり、コイツは――。
間違いなく、真喜人そのものだった。
「マキトッ! 出てきたわねッ!」
「てめぇ……、凛花!」
美喜人――、いや、真喜人の睨みが一気に鹿野の母親――凛花さんへと向けられる。完全に殺意や恨みが籠った目付きだ。
「私はあなたと話を付けに来たの!」
「話、だぁ?」
「そうよ! あなたと、しっかり話した……」
「ダメだ、凛花さんッ!」
バゴッ!
真喜人の右手が、凛花さんの頬を裏手で殴りつける。
「きゃあぁぁぁッ!」
「真喜人ッ! てめぇッ!」
オレも相手を睨むが、真喜人はフンッ、と鼻を鳴らして、
「今更てめぇと話をする気はねぇ。失せろ」
「いいえ、あなたが自分を取り戻してくれるまでは、絶対に諦めないッ!」
――バカッ!
そんなことをして美喜人が元に戻るはずないだろッ! 逆効果だッ!
「へッ、初めて会った時からそういう奴だったな、てめぇは。飲めない酒を無理矢理飲んで、酔っぱらってもなお、なんとしてでもオレと喋って。こちとら、もっと相手にしなきゃなんねぇ客もいるってのによぉ、しつこい女だぜ」
饒舌に真喜人は喋る。
『あれ、美喜人さんの本音なんでしょうか……?』
「そうじゃないことを祈る、しかないな」
真喜人は懐をまさぐって、何かを取り出した。
「死ね、クソアマ」
――あれは。
「マズい、逃げろッ!」
バキュンッ!
硝煙の匂いと共に、何かがオレの横を掠める。
「あっ、あっ……」
凛花さんはその場にへたり込んでいるが、怪我をしている様子はない。ただ、彼女の目の前に黒く燻ったような跡が残っているだけだ。
「今のは威嚇だ。最後に命乞いをするチャンスだけ与えてやる。そして、とっとと失せろ」
「……だ、ダメ」
「失せろ、と言っているのが分かんねぇのか?」
ダメだ! 奴は完全に正気じゃない。
手にした拳銃をもう一度凛花さんに照準を合わせる。
「とにかく逃げましょうッ!」
「でも……」
「いいからッ!」
オレは肩を貸して、凛花さんを屋上の物陰へと連れて行った。
しばらく真喜人の様子を眺めている。奴は何をするわけでもなく、ただその場で突っ立ちながら屋上を眺めている。
次第にその場から何歩か動き始めた。息を潜めるのも数分が限界ってところだろう。
「『悪魔』と『刃物』。その二つが揃うと、真喜人の人格が現れる、ってことか」
『じゃあ、前の世界は……』
「鹿野の母親が呼び寄せる前に、偶然病院で真喜人の人格が現れてしまった。ここに来たのは本能的なところだろうな」
『だったら佳音さんに殺されたときは? なんで美喜人さんが殺されたんですか?』
「恐らく、真喜人の人格が現れて、目の前にいた鹿野が刃物を持っていたから、衝動的に襲い掛かったんだろうな。それで、鹿野に返り討ちに遭った。そんなところだろう」
あくまでオレの推測ではあるが、そう考えると大体辻褄が合う。
『それにしても、拳銃なんてどこから持ってきたんでしょうか?』
「下のホストクラブだろうな。ナイフを隠していたぐらいだから、恐らく拳銃もあそこに隠していたのだろう」
『だから前の世界で一度ホストクラブに入っていったんですね』
「恐らく真喜人として武器を取りに行った、ってところだろうが……」
だが、おかしい。前の世界は病院で既に真喜人の人格になってしまっていた。だが、今は違う。ここに来たときは確実に美喜人のままだったはずだ。なんで拳銃なんか……。
「あなた、さっきから一体誰と喋っているの?」
傍らにいた凛花さんが不思議そうに尋ねてくる。
「ただの独り言だ。それよりも、アンタ本当に一体何がしたかったんだ? アイツがヤバい男だってことを知っていたんだろ? だから以前オレに教えてくれた。なのに、わざわざ奴の人格を出してまで……」
「なんであなたにそんなことを」
「決まっているだろ」オレは真剣な表情で凛花さんを見据え、「鹿野佳音を……、大事な友人を、救いたいからですよ」
オレがそう言うと、凛花さんははっと我に返った。
「……あなた、あの子の友達、なの?」
「ええ。そして、自分にとってはかけがえのない人、です。」
「そう……」凛花さんはやっと表情が和らいで、「あの子には迷惑を掛けないようにしたつもりだったんだけどね。だから、あの子が来るまでに決着をつけたかったんだけど。ホント、私ってダメな母親ね」
壁に背を付けながら、凛花さんは全身の力を抜いた。
「全部、話してください」
「分かったわ」凛花さんはため息を吐きながら肩を落として、「私はね、娘のために女手ひとつで絵本作家として真面目にやってきたつもりだった。でも、スランプって突然やってくるものなのね。何もかもが上手くいかなくて、原稿料も打ち切られて、泣く泣く絵本作家を諦めた。そんなときにね、ついハマってしまったのがホストクラブ、そしてナンバーワンホストの“マキト”ってわけ」
――なるほどな。
おおよそ予想通りの答えだった。
「付き合っていた、んですか?」
「まぁ、ね。あちらからしてみれば単なるいい金づるだったんでしょうけど。迂闊にも、まんまと奴の罠に嵌ってしまった、ってわけ」
オレが死刑になった世界でも、この人は同様の被害を受けていた。ここまではオレが知っているとおりだ。
「なんで、真喜人はあなたを殺そうと?」
凛花さんは言いにくそうに下唇を噛みながら、
「……知ってしまったの。彼の正体。いえ、それだけじゃない。あのお店、他にも犯罪紛いな行為に手を出している連中がわんさかいるって。真喜人はそのリーダー的な存在だった。その証拠をね、握ってしまったの。偶然、店の中で拳銃を取引しているところを目撃してね。勿論警察に行こうと思ったわ」
そういうことだったのか。
最初にこの人と会ったとき、やんわりとマキトのことを注意してくれた。けどその裏には更にとんでもない事情があったようだ。
「だけど、それはできなかった」
「ええ。すぐに証拠のスマホを取り上げられて、私の口を塞ごうとしたわ。私を殺そうと、拉致して車で海に沈めようと港まで行って……」
「それで、本物の真喜人は今どこに……」
凛花さんは、ごくり、と唾を飲み込み、
「死んだわ。殺された、のよ」




